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11.心が重ならない
11-③
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一雨ごとに気温がすこしずつさがり、季節が秋へと移っていく。夏のあいだ、雨が降れば息をするのも苦しいくらいの空気の密度をうっとうしく思ったものだけれど、最近では半袖で雨の日をすごすのは寒いと感じるくらいだった。俺をはじめとした生徒のシャツが長袖へと変わるにつれて、シュウの白い袖がどんどん目立たなくなっていく。
文化祭が終わるとすぐ、慌ただしく修学旅行の準備がはじまった。息つくひまもない、とはよく言ったものだと思う。夏休みが明ければ、まるで急流に流されているように次から次へと行事がやってくる。水から顔を出して酸素を求める余裕すらないまま、肺は着実にからっぽになっていき、周りが見えなくなっていくのだ。
「高校生というのは、大学生より忙しいものです。みなさん焦らずしっかり日々を歩んでいってください」
そう言われたのはたしか、高校に入学してすぐ、生活指導の先生からありがたい話を延々聞かされていたときのことだ。大学生の忙しさがどんなものなのか、経験したことがないから判断はできないけれど、一年半をすごしてみたこの場所はすくなくとも、心を亡くしていくには十分な場所だとは思った。
「最近元気ないね」
放課後、人気のなくなった教室でシュウがそう言った。武本はこのあいだの大会で好成績を残し、今度の県選抜に出場することになったとあってこれまで以上に熱心に部活に通っていた。
「だれが?」
「明がだよ」
気づいてないの、とシュウが眉をさげる。
「放課後、ずっとここにいるでしょ。ぜんぜん、走らなくなった」
授業が終わって、窓際でぼうっとしていると、いつのまにかシュウがそばにきていることがあった。暑い日のほうがランニングに向いていると思っているから、涼しくなってきてテンションがあがらないのだと思っていた。なんとなく走ることができないまま、窓の外が暗くなるまで課題をする日々が続いている。
シュウに指摘されて、ふっと夢から覚めたような気がした。そうして、目の前に広げられた問題集を見て、笑いがこぼれる。俺は向き合いたくないものがあるとき、勉強に逃げるくせがあるみたいだ。中学三年の冬、一心不乱に机に向かっていたときとおなじ光景がいま目の前にある。
「気にしなくていいよ。俺の問題だから」
シュウには、自分のことだけを考えていてほしかった。俺が走ろうと走るまいと、シュウの心を煩わせたくなかったのだ。
そう思う気持ちに、うそは欠片もなかった。それなのに、シュウの周りの空気がすっと冷えたように感じて、俺は思わず顔をあげた。
「……明は、秘密主義だよね」
顔はしずかに笑っているのに、声音は怒っているようだった。はじめて聞いたシュウの声に、ただ呆然とする。
「俺だって、明の話聴きたいよ。頼りないかもしれないけど、こうやって一緒にいることで、なにか、伝わったらいいなって思ってる」
つっかえながら、ことばを選びながら、ひとつひとつシュウが声を落としていく。胸のなかに、じんわりとあたたかなものが広がっていく気がした。受け入れられているという感覚が、指先まで身体のなかを埋めていく。
すべてを吐きだしてしまいたかった。吐きだせたら、どんなにいいだろうと思った。でも。
「……ごめん。まだうまく整理できてない、から、ごめん」
シュウに負けず劣らず、途切れとぎれのことばになった。なにに謝っているのか自分でもよくわからないまま、ただごめんと繰り返す。
ことばにできたら、シュウに話すことができたら、どれだけこの息苦しさを軽くすることができるだろう。でもどうしても、自分の気持ちを表現する気持ちが見つけられなかった。
そっかと、笑ったシュウのさみしそうな笑顔を見ていられなくて、声を張りあげて話題を変える。
「修学旅行、たのしみだな。俺、飛行機はじめてだ」
「……うん、そうだね」
すこし間があってからシュウが返事をする。その右手が左腕をぎゅっと握っている理由に、俺は想像を巡らせることができなかった。
文化祭が終わるとすぐ、慌ただしく修学旅行の準備がはじまった。息つくひまもない、とはよく言ったものだと思う。夏休みが明ければ、まるで急流に流されているように次から次へと行事がやってくる。水から顔を出して酸素を求める余裕すらないまま、肺は着実にからっぽになっていき、周りが見えなくなっていくのだ。
「高校生というのは、大学生より忙しいものです。みなさん焦らずしっかり日々を歩んでいってください」
そう言われたのはたしか、高校に入学してすぐ、生活指導の先生からありがたい話を延々聞かされていたときのことだ。大学生の忙しさがどんなものなのか、経験したことがないから判断はできないけれど、一年半をすごしてみたこの場所はすくなくとも、心を亡くしていくには十分な場所だとは思った。
「最近元気ないね」
放課後、人気のなくなった教室でシュウがそう言った。武本はこのあいだの大会で好成績を残し、今度の県選抜に出場することになったとあってこれまで以上に熱心に部活に通っていた。
「だれが?」
「明がだよ」
気づいてないの、とシュウが眉をさげる。
「放課後、ずっとここにいるでしょ。ぜんぜん、走らなくなった」
授業が終わって、窓際でぼうっとしていると、いつのまにかシュウがそばにきていることがあった。暑い日のほうがランニングに向いていると思っているから、涼しくなってきてテンションがあがらないのだと思っていた。なんとなく走ることができないまま、窓の外が暗くなるまで課題をする日々が続いている。
シュウに指摘されて、ふっと夢から覚めたような気がした。そうして、目の前に広げられた問題集を見て、笑いがこぼれる。俺は向き合いたくないものがあるとき、勉強に逃げるくせがあるみたいだ。中学三年の冬、一心不乱に机に向かっていたときとおなじ光景がいま目の前にある。
「気にしなくていいよ。俺の問題だから」
シュウには、自分のことだけを考えていてほしかった。俺が走ろうと走るまいと、シュウの心を煩わせたくなかったのだ。
そう思う気持ちに、うそは欠片もなかった。それなのに、シュウの周りの空気がすっと冷えたように感じて、俺は思わず顔をあげた。
「……明は、秘密主義だよね」
顔はしずかに笑っているのに、声音は怒っているようだった。はじめて聞いたシュウの声に、ただ呆然とする。
「俺だって、明の話聴きたいよ。頼りないかもしれないけど、こうやって一緒にいることで、なにか、伝わったらいいなって思ってる」
つっかえながら、ことばを選びながら、ひとつひとつシュウが声を落としていく。胸のなかに、じんわりとあたたかなものが広がっていく気がした。受け入れられているという感覚が、指先まで身体のなかを埋めていく。
すべてを吐きだしてしまいたかった。吐きだせたら、どんなにいいだろうと思った。でも。
「……ごめん。まだうまく整理できてない、から、ごめん」
シュウに負けず劣らず、途切れとぎれのことばになった。なにに謝っているのか自分でもよくわからないまま、ただごめんと繰り返す。
ことばにできたら、シュウに話すことができたら、どれだけこの息苦しさを軽くすることができるだろう。でもどうしても、自分の気持ちを表現する気持ちが見つけられなかった。
そっかと、笑ったシュウのさみしそうな笑顔を見ていられなくて、声を張りあげて話題を変える。
「修学旅行、たのしみだな。俺、飛行機はじめてだ」
「……うん、そうだね」
すこし間があってからシュウが返事をする。その右手が左腕をぎゅっと握っている理由に、俺は想像を巡らせることができなかった。
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