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あの日の約束をもう一度

真実を聞く時②

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 私の顎に手を添えたまま、ぴたりと動きを止めてしまったレイディックだったけれど、ゆるゆるとその手を離して、自分の顔を覆う。

 それからしばらくの間、あぁー…とか、うぅー…とか、声にならない声を発していた。けれど───。

「…………アスティア、い、いつから知ってたの?」

 ようやっと言葉として認識できるものを呟いてくれたと思ったけれど、それは質問を質問で返されるというものだった。

 でも、こちらが申し訳ないと思うくらい目の前の彼は、とてもとても動揺をしている。

 ここで、それを咎めるのは、かなり酷なこと。…………私もちょっと彼の質問に答えにくいのだけれど。ただ、私から口火を切らなければ、きっとこの謎はずっと解明させないだろう。

「んー、実は、結構…………かなり前から。はっきり言っちゃうと、あなたが再会してすぐ、私の身体を洗ってくれた時に」
「嘘だろ!?」
 
 今度は目を剥いて叫んだレイディックに、私は本当よと短い言葉を返す。そうすれば、彼は再び片手で顔を覆って、項垂れてしまった。

 でも私はそんな彼に向かい、決定的なことを伝えることにする。

「あとね、叔母から私を守ってくれた時のナイフ…………あの晩と同じものだったわ」
「…………あっ、しまった」

 最後に付け足した一文に、レイディックは弾かれたように声を上げた。

 それは多分、これまでで一番、焦った彼の姿だった。どうやら、この人は、無邪気な笑みで誤魔化す余裕もないらしい。
 
 でも、別に夜這いについて責めたいと思っているわけではない。ただ、理由を知りたかっただけ。

 とはいえ、どうもそれすら、彼にとっては口にしたくないのかもしれない。なら、私の拙い推理を聞いて貰うことにしよう。………ただ本音は、過去にお仕置きを受けたことでもあるから話したくはないけれど。

「あのね、もうシルヴァさんから聞いてるかもしれないけれど、あなたのお屋敷にお世話になっている間、ティシャと薬草園に行ったことがあったでしょ。私、その時に、ジャンに会ったの。そこで、あの晩、ジャンが夜這いをかけるつもりだったことを知ったの」
「…………っ」
「レイはもしかして、ちょうどその晩にこの村に到着したんじゃない?そして、私を訪ねようと診療所に向かおうとして、ジャンと鉢合わせしたんじゃないかなって、思ってるの…………違うかしら?」
「…………違わない。うん、そう。アスティアの言う通り。本当に…………ごめんね」

 少しの間の後、レイディックは消え入りそうな声で、事の真相を認めてくれた。でも、顔は相変わらず俯いたまま。

 やっぱり気まずいのだろう。でも、私はちっとも怒ってなんかないのに。だから、俯いた彼をそのままにして、私が身体を捻って、彼を覗き込む。

「レイ、謝らないで。良いの。ありがとう。あと…………私もごめんなさい。ずっと、黙ってて。どうしても言い出せなくて………………」

 無理矢理聞き出した罪悪感から、私も姿勢を戻して項垂れれば、二人だけのこの空間に沈黙が落ちる。

 降り注ぐ日差しは穏やかなまま。そして、さわさわと心地よい風がなびく。そんな音に交じって、隣で俯くその人は、静かに語りだした。

「ジャンがね、君と何度もそういうことをしてるって匂わせたんだ」
「私、そんなことっ」
「うん。わかってるよ。アスティアがそんな娘じゃないってわかってる。でも、あの時、他の誰かに君を取られるかもしれないって、すごくすごく不安だったんだ」
「…………レイ」
「でもね、すごく後悔してる。本当は、あんな風に抱きたくはなかったんだ」
「…………そう」
「どの口が言うって怒られそうだけど、僕はねアスティアの初めてを大事に大事に味わいたかったんだ」
「……………結構、味わっていたと思うけど?あと、翌日のレイの演技もとっても上手だったわ」

 ちょっと意地悪を口にすれば、レイディックは拗ねたように、ぷいっと顔をそむけた。

「もうっ。アスティア、意地悪だね。言っとくけど、僕は全然足りなかったよ。もっともっと、味わいたかった。もっと好きだと言いたかった。初めてで怖いのに、更に怖い思いをさせて────」
「怖くなかったわ」
「え?」

 レイディックの言葉を遮って、私はきっぱりと言い切った。

 でも、ちょっと気恥ずかしいので、彼の手を両手で握りながら、続きを語る。

「そりゃ、最初は怖かったわ。でも、あなたはとても優しく抱いてくれたわ」
「そうかなぁ。僕、色々酷いことしたと思うよ?」
「………そ、そうだったかしら。も、もう………忘れたわ。それに、私があの時、あなたの名を呼んでいたらきっと違っていたでしょ?初春の夜にずっと裸でいたら凍えているはずなのに、目が冷めた私は、そんなに寒くなかったわ。レイが温めてくれていたんでしょ?手首だって、傷一つ付いてなかったもの。起きる直前までは、解いていてくれたのよね、きっと。だからもう良いの。私の初めてが、レイだったってことだけが、一番大事なんだから」

 もじもじと会話をしていたけれど、最後はちゃんと顔を上げて、彼の目を見て伝えた。

 そうすれば、私の姿を瞳に映すその人はありがとうと言った。嚙み締めるように、包み込むように。でも、それは一瞬のこと。なぜか、にやりと笑った彼は、口調も変えて、こんなことを口にした。

「あのね、アスティア。僕、あの時の上書きがしたいなぁ」
「………………っ!?」

 ついさっき子犬のように怯えていた姿はどこへやら。

 あっという間に彼は、いつもの無邪気な笑みを浮かべる美麗な伯爵様へと豹変する。でも、私は急に熱を帯びた彼の発言に気持ちが付いていけず、ただただ頬を赤くしてしまうだけ。

「で、でも、レイは、そ、その………バスルームで上書きしてくれたじゃ───」
「あんなんじゃ、足りないよ」

 なんとか言葉をひねり出しても、レイディックはあっさりと否定する。

 そして素早い動きで私の腰に手を回して、こう囁いた。

「全然………足りない。もっとちゃんと上書きしたい。アスティアのこと、もっともっと大事にゆっくり、しっかり味わいたいんだ」

 ───ゆっくり、しっかり。

 敢えて言葉にするということは、今まで以上の濃密な時間を過ごすということ。

 ────私、耐えきれるだろうか…………。

「…………アスティア、お願い」

 甘えるようにくるりと視線を向けられ、私はうっと言葉に詰まってしまった。

 そして、これ以上無い程に顔が熱くなる。もう間違いなく私は首まで真っ赤になっているだろう。そんな私に返事を急かすかのように、レイディックはそっと私の耳朶に歯を当てる。

「……………んっ、はぁ………んっ」

 甘い吐息は出すけれど、恥ずかしくて是と言えない私は、こくりと小さく頷いて、彼の小指をそっと握った。
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