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私の時間
英雄との取引①
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大好きなあなたが好きだと言ってくれた。そして口付けをしてくれた。
────でも、叶わぬ恋が実ったと思った瞬間、お別れは突然やってきた。
唇を離して、あなたと目が合えば照れくさくて。つい視線を逸らしてしまった私に、あなたは手櫛で優しく髪を梳いてくれる。
「こうしてあなたに触れることができるなんて、まるで夢のようです。………私はとても幸せでした」
です。じゃなくて、でした。
ねぇ、どうして過去形にするの?今こうして私達は触れ合っているのに。
そう言おうと思った。でも、その瞬間、髪に埋もれていたあなたの手が、ぱたりと地面に落ちた。
「………ディル?」
私は、恐る恐るあなたの名を呼ぶ。
怖い夢を見て夜中に目を覚ましてしまった時、隣にいるあなたをそっと起こすように。でも、返事はない。
「ねぇ、ディル?」
今度はもっと大きな声で名を呼ぶ。いつもこのくらいの声ならば、あなたはすぐさま目を覚ましてくれる。そんな声量で。
でも、あなたの瞼は閉じたまま。震えることもしない。
それは、つまりあなたが遠いところに行ってしまったということで……。
「ディル。お願い、目を開けてっ。お願いだからっ」
あなたの肩を揺さぶる。強く何度も、何度も。
でも、あなたはされるがまま。いっそ煩いと怒ってくれたらどんなに嬉しいか。眉間に皺を寄せてくれるだけでも良い。何なら舌打ちだって大歓迎だ。
……大歓迎なのに、あなたは微動だにしない。
「…………ディル」
これは呼びかけではなく、確認だった。
そして、世界から音が消えた。色が消えた。あなたが───消えた。
───………雨はざあざあと降りそそぐ。
残酷なまでに、時間だけが過ぎていく。私の心を置き去りにして。
「………ディル」
瞳を閉じているあなたは、まるで幸せな夢を見ているように穏やかな顔をしている。
そして未だに現実を受け入れることができない私は、こと切れてしまったあなたの手を離すことができない。
ああ、そうだ。雨に濡れて寒いだろう。
私は身体に巻き付けてあったあなたのマントを反対の手で引き剥がし、あなたの身体に掛ける。
この深みのあるサファイアブルーのマントは精霊の祝福を受けたもの。聖騎士の証。だからあなたに返せばきっと……。
「ディル、もう寒くない?」
そう囁きながらあなたの頬に触れようとすれば、それを遮るように小さな生き物が私の手にすり寄った。
「みゅー………」
「……マリモ。良かった。無事だったんだね」
私の言葉に、マリモはもう一度、みゅーっと泣いた。とても切なげに。
旅の途中で仲間になったマリモは、長い耳と大きなしっぽ。まるでフェネックの赤ちゃんみたいに肩に乗るほどの白銀の毛並みを持つ小動物。
耳の先としっぽと背中の一部分だけが鮮やかな緑色をして、丸まっていると、とある湖の天然記念物みたいだったからそう名付けた。
そしてふわふわな毛並みは、触れるだけで穏やかな気持ちにさせてくれる。ご多分に漏れず、今だって。
「マリモ、どうしよう。二人っきりになっちゃったね」
独りぼっちじゃないことがわかれば、ほんの少しだけ現実を受け入れることができる。
絶望の底にいた私は少しだけ浮上して、途方に暮れるという気持ちが生まれてくる。
マリモを抱き上げて空を見上げる。相変わらず分厚い灰色の雲に覆われていて絶え間なく雨が降り注いでいる。まるで今にも空が落ちてきそうだ。
次いで首だけを動かして、少し離れた場所にある洞窟を見る。
入る時はぽっかりと口を開けていたそこは、今は金色に輝く古代文字で入口が塞がれている。
それはあなたが入口に突き刺した剣から産まれているもの。魔物を封じ込める聖騎士だけが使える封魔術。
そして、あの中で私の仲間が全員死んでしまった。
剣豪と謳われたクウエットも。稀代の魔術師と称された元踊り子のファレンセガも。将来を期待されていた白魔導士の孫娘のリジェンテも。
突如現れた魔獣に不意を付かれたのだ。圧倒的に不利な状況で、まともに戦うこともできないまま。
いや、あんな凶悪な魔物などこれまで一度も対峙したことがなかった。鋭い牙と爪。頭の左右に大きな角があり、全身を黒い剛毛で覆われた巨大な魔物。
だから、不意を付かれなくても、結果は同じだったのかもしれない。
でも、みすみす仲間を見殺しにする結果にはならなかったはず。私も同じように朽ち果てることができてたかもしれない。こんな孤独を味わうことは無かったのかもしれない。
そんな自暴自棄なことを思うほど、仲間を失うことは死ぬよりも辛いことだった。
それ程までに死んでしまった仲間は替えのきかない大切な大切な仲間だった。私と魂の契約を結んだ者達だった。
「………マリモ、私、どうしたら良いんだろう」
本当に途方もない話だ。これからマリモとだけで旅をして、魔界へ行って魔王を倒すなんて。できそうもない。
不安と孤独で、心が壊れてしまいそう。ぎゅうっとマリモを抱きしめる。
真っ暗闇になった視界の中、雨が私の髪に、肩に、背に落ちる感触が伝わる。そして両腕に抱え込んだマリモから小さな鼓動が伝わってくる。
亡骸になってしまったあなたの胸に覆いかぶさりながら、それだけをただただ感じていれば、突然、頭上から男の静かな声が降ってきた。
────でも、叶わぬ恋が実ったと思った瞬間、お別れは突然やってきた。
唇を離して、あなたと目が合えば照れくさくて。つい視線を逸らしてしまった私に、あなたは手櫛で優しく髪を梳いてくれる。
「こうしてあなたに触れることができるなんて、まるで夢のようです。………私はとても幸せでした」
です。じゃなくて、でした。
ねぇ、どうして過去形にするの?今こうして私達は触れ合っているのに。
そう言おうと思った。でも、その瞬間、髪に埋もれていたあなたの手が、ぱたりと地面に落ちた。
「………ディル?」
私は、恐る恐るあなたの名を呼ぶ。
怖い夢を見て夜中に目を覚ましてしまった時、隣にいるあなたをそっと起こすように。でも、返事はない。
「ねぇ、ディル?」
今度はもっと大きな声で名を呼ぶ。いつもこのくらいの声ならば、あなたはすぐさま目を覚ましてくれる。そんな声量で。
でも、あなたの瞼は閉じたまま。震えることもしない。
それは、つまりあなたが遠いところに行ってしまったということで……。
「ディル。お願い、目を開けてっ。お願いだからっ」
あなたの肩を揺さぶる。強く何度も、何度も。
でも、あなたはされるがまま。いっそ煩いと怒ってくれたらどんなに嬉しいか。眉間に皺を寄せてくれるだけでも良い。何なら舌打ちだって大歓迎だ。
……大歓迎なのに、あなたは微動だにしない。
「…………ディル」
これは呼びかけではなく、確認だった。
そして、世界から音が消えた。色が消えた。あなたが───消えた。
───………雨はざあざあと降りそそぐ。
残酷なまでに、時間だけが過ぎていく。私の心を置き去りにして。
「………ディル」
瞳を閉じているあなたは、まるで幸せな夢を見ているように穏やかな顔をしている。
そして未だに現実を受け入れることができない私は、こと切れてしまったあなたの手を離すことができない。
ああ、そうだ。雨に濡れて寒いだろう。
私は身体に巻き付けてあったあなたのマントを反対の手で引き剥がし、あなたの身体に掛ける。
この深みのあるサファイアブルーのマントは精霊の祝福を受けたもの。聖騎士の証。だからあなたに返せばきっと……。
「ディル、もう寒くない?」
そう囁きながらあなたの頬に触れようとすれば、それを遮るように小さな生き物が私の手にすり寄った。
「みゅー………」
「……マリモ。良かった。無事だったんだね」
私の言葉に、マリモはもう一度、みゅーっと泣いた。とても切なげに。
旅の途中で仲間になったマリモは、長い耳と大きなしっぽ。まるでフェネックの赤ちゃんみたいに肩に乗るほどの白銀の毛並みを持つ小動物。
耳の先としっぽと背中の一部分だけが鮮やかな緑色をして、丸まっていると、とある湖の天然記念物みたいだったからそう名付けた。
そしてふわふわな毛並みは、触れるだけで穏やかな気持ちにさせてくれる。ご多分に漏れず、今だって。
「マリモ、どうしよう。二人っきりになっちゃったね」
独りぼっちじゃないことがわかれば、ほんの少しだけ現実を受け入れることができる。
絶望の底にいた私は少しだけ浮上して、途方に暮れるという気持ちが生まれてくる。
マリモを抱き上げて空を見上げる。相変わらず分厚い灰色の雲に覆われていて絶え間なく雨が降り注いでいる。まるで今にも空が落ちてきそうだ。
次いで首だけを動かして、少し離れた場所にある洞窟を見る。
入る時はぽっかりと口を開けていたそこは、今は金色に輝く古代文字で入口が塞がれている。
それはあなたが入口に突き刺した剣から産まれているもの。魔物を封じ込める聖騎士だけが使える封魔術。
そして、あの中で私の仲間が全員死んでしまった。
剣豪と謳われたクウエットも。稀代の魔術師と称された元踊り子のファレンセガも。将来を期待されていた白魔導士の孫娘のリジェンテも。
突如現れた魔獣に不意を付かれたのだ。圧倒的に不利な状況で、まともに戦うこともできないまま。
いや、あんな凶悪な魔物などこれまで一度も対峙したことがなかった。鋭い牙と爪。頭の左右に大きな角があり、全身を黒い剛毛で覆われた巨大な魔物。
だから、不意を付かれなくても、結果は同じだったのかもしれない。
でも、みすみす仲間を見殺しにする結果にはならなかったはず。私も同じように朽ち果てることができてたかもしれない。こんな孤独を味わうことは無かったのかもしれない。
そんな自暴自棄なことを思うほど、仲間を失うことは死ぬよりも辛いことだった。
それ程までに死んでしまった仲間は替えのきかない大切な大切な仲間だった。私と魂の契約を結んだ者達だった。
「………マリモ、私、どうしたら良いんだろう」
本当に途方もない話だ。これからマリモとだけで旅をして、魔界へ行って魔王を倒すなんて。できそうもない。
不安と孤独で、心が壊れてしまいそう。ぎゅうっとマリモを抱きしめる。
真っ暗闇になった視界の中、雨が私の髪に、肩に、背に落ちる感触が伝わる。そして両腕に抱え込んだマリモから小さな鼓動が伝わってくる。
亡骸になってしまったあなたの胸に覆いかぶさりながら、それだけをただただ感じていれば、突然、頭上から男の静かな声が降ってきた。
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