勇者の末裔である私は、恋する心を捨てました。

茂栖 もす

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私の時間

英雄との取引②

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 ぴちゃんと水が撥ねる足音など一つもしなかった。衣がこすれ合う音もしなかった。
 
 けれど突然、男の声が降ってきた。

 達観したような、それでいて悔しさと遣る瀬無さを含んだ口調で。

「……そうか、ここも駄目だったか。最後の要だったけれど…。やはりこの世界は、終焉せざるを得ないのか。───……え?」

 あなたの亡骸に覆い被さったまま顔を上げた私に気付いた声の主は、短く声を上げた。

「え?」
「え?」

 今度は同時に呟いた。

 次いで男は信じられないといった感じで、まじまじと私を見た。私も、同じように男を食い入るように見つめ、今度も同時に声を上げる。

「君、まだ生きているんだ」
「半透明人間がいる」

 どちらがどの台詞かは、察して欲しい。

 そして今度は、タッチの差で男の方が早く口を開いた。

「ああ、ごめん。急だったからびっくりしたよね。僕の名前はリベリオ」
「リベリオさん?」
「うん。君の祖先と言った方が良いい?それとも、初代の勇者って言った方が良いかな?まぁ自分で自分のことを勇者って言うのは、ちょっと恥ずかしいから、できれば前者でお願い」
「はぁ」

 曖昧に返事をしてみたけれど、納得できるはずはなかった。

 リベリオ───この名前を私は知っている。そして、その名を持つ者が私の祖先ということも知っている。

 でも、目の前にいるが、そうだという証拠はどこにもない。

 ただ、初代の勇者の肖像画なら見た事はある。

 漆黒の髪を靡かせ、若葉の季節のような煌めく緑色の瞳。そして白銀の甲冑を身にまとい、深紅のマントをはためかす凛々しきそれを。

 目の前にいるこの人も、甲冑こそ身に付けてはいないけれど、黒髪だし確かに美しい緑色をしている。そして、その瞳はまるで宝石のオパールのように独特のゆらめきを持っている。これは勇者の血筋でしか持たないもの。なら、本物なのだろうか。でも……。

「半透明ってところに、納得がいかない?」
「はい」

 口には出せないことを的確に問うてくれたので、ここは素直に頷いてみる。

 そうすれば推定初代の勇者は、ちょっと困った顔をした。

「そうだよね。でも、さすがに200年も生きてはいられないからねぇ。霊体?幽体?そんなものにならないと君の前に現れることはできないよ」
「………はぁ」

 これもまた曖昧に返事をしたみた。でも、今回はとても合点がいく説明だった。

「僕はこう見えて過保護なんだ。自分の子々孫々がどんな運命を辿るのか心配で仕方がなくってね。ずっと見守っていたんだ」

 補足をするように語る初代の勇者に私は、申しわけない気持ちが生まれる。

「初代の英雄さん…………ごめんなさい。こんな結末を迎えてしまって」

 私が名ばかりの勇者の末裔で未熟で弱かったから、大切な仲間を死なせてしまいました。
 
 もちろんこれは謝って済む規模の話ではない。世界の明暗を分けるもの。だからといって、謝罪をしないのも間違っている。そして、ここに初代の勇者が現れたということは、何かしらの事情があるわけで。

 そしてその理由はなんとなくわかっている。でも、私は、俯きありきたりな謝罪の言葉を吐くことしかできなかった。けれど───。

「え?なんで謝るの。むしろ、ありがとう。いや、むしろなんて失礼だな。本当にありがとう!」
 
 生きていることを咎められると思いきや、感謝の言葉をいただいてしまった。 

 状況が全く理解できず、ポカンとした表情を浮かべてしまう。そんな私を見ても、初代の勇者は嬉しそうに更に目を細めてこう言った。

「そっか。未来は、まだ続いているんだね。良かった、良かった!!」

 この状況を嘲笑うかのように狂喜乱舞する初代の勇者に、私は今までにないくらいキレた。

「良くないっ」

 気付けば私は、立ち上がりあらんかぎりの力で叫んだ。マリモが慌てて私の肩に移動する。

 何もよくない。何一つ良いところなんてないっ。

 大好きな人が死んでしまったのだ。大切に思っていた仲間が息絶えたのだ。こんな言葉を受けるくらいなら、いっそ罵倒されたほうがマシだった。

「何が良いの!?ふざけたことを言わないで───……ぎゃっ」

 胸倉掴んで張り倒してやりたかった。でも、できなかった。

 半透明の初代の勇者は、存在も半透明だったようで、私はものの見事にぬかるんだ地面にダイブをしてしまった。

「ごめん。物理的接触はできないんだ。怪我とかしてない?大丈夫?」
「………」

 謝るくらいなら先に言ってほしかった。

 どろどろになってしまった私は、半身を起こして恨み気に初代の勇者を睨みつける。もう、この一件で敬う気持ちは消えた。この人はリベリオ。呼び捨てでいいや。

 そんなふうに非難の視線を受けたリベリオは、手を差し伸べようにも意味がないことを知っているので、困った顔で立ち尽くすだけ。

 もちろん私も、ぬかるんだ地面に横たわっていたくはないので、すぐに起き上がり、再び睨み付ける。

 けれどリベリオはまったく意に介していない。それどころか、その整った顔を恍惚とした表情に変える。

「君が生きているのは奇跡だ。運命が変わった瞬間だ。今ならきっと、」

 中途半端なところで言葉を区切ったリベリオは、空を見上げ瞠目した。土砂降りの雨の中でも、この人はまったく濡れていない。

 ただその足元は、この人が存在しないかのように雨の雫が跳ねている。

 そんなことをぼんやりと見つめていたら、視線を感じてそこに目を向ける。すぐにリベリオと目が合った。そしてこの人はこんな提案を私にした。

「ねえ、もう一度この人に会いたい?仲間にもう一度、会いたい?」
「…………っ」

 喉から手が出る程求めているそれをあっさりと言うヤツの名を私は知っている。この人は英雄という仮面を被った悪魔だ。だから、頷いたらいけない。

 そう思って顔を背けようとした瞬間、リベリオは抗うことができない言葉を紡いだ。

「ねぇ、君。こんな現実を変えたいと思わない?」と。
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