監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

思い違いと、戦慄と、鮮明な出会い①

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 足元がずぶずぶと沈んでいく感覚によろめいてしまい、私は近くにあった椅子に腰を打ちつけてしまった。と、同時にガタンっと大きな音が部屋に鳴り響いた。
 
 でも、それが功を成して、時間が止まったかのような異様な空気に包まれていた部屋が一変して、ルークははっと我に返った。

「ごめん、ち、違う。そうじゃなくって…………あ、ちょっと、アカリ!」

 しまったという風にルークはすぐに瞳の色を澄んだ水色に変えて私に手を伸ばした。でもそれは、逆効果だった。

 ルークの手はバルドゥールよりは華奢だけれども、それでも節ばった男の人のそれ。

 この手でリンさんを押さえ付け、足枷を嵌めた。そしてこの手は私が初めてこの世界に降りた時、バルドゥールに無理矢理抱かれる私を押さえつけた手でもある。

 薄れ始めたあの日の出来事と、私の自由を奪ったあの手の感触を思い出したらもう駄目だった。

 気付いたら私はずるずると後ずさりながら、ルークと距離を取っていた。そして、彼が私に向かって一歩踏み出した途端、

「こっちに来ないで!」

 ありったけの声量でそれだけを言い捨てると、私は部屋を飛び出した。




 少し前のこと、名も知らぬ粗末な小屋で私はバルドゥールに死にたいと言った。その時彼は、そうできないように枷を付けようかと言ったことを私は鮮明に覚えている。

 あれは脅しではなく、本気だったのだ。そして、今この屋敷の中に、実行したものと、された者が居る。そしてされた者は、心を壊し誰の声も届かない深い闇の中にいる。

 リンさんが自我を取り戻したら嬉しいと言った自分を恥じた。なんて無責任なことを言ってしまったのだろう。あんなことをされたら、戻りたくないのに決まっている。そっとしておいて欲しいって思っているはず。

 私は、とんでもない思い違いをしていたのだ。そんな私が彼女を救おうなどと思うなんて、自惚れにも程がある。

 そんなことを考えながら、めちゃくちゃに廊下を駆け抜ける。もう、どこをどう走ったかなんてわからない。とにかく今は、あの部屋から遠く離れたかった。でも、後を追ってくるルークの足音はどんどん近づいて来る。

「アカリ、走らないでっ。お願いだから止まってくれ」

 ついさっきまで軽口を叩いていた相手のはずなのに、今はその声音も足音も何とも知れない恐怖を感じてしまい、もつれる足を無我夢中で動かす。

「嫌、こないでっ」

 角を曲がる直前、振り返りながらそう叫んだ瞬間、私はどんっという衝撃で後ろに弾き飛ばされてしまった。そしてくるりと回った視界の中、今度は腕と腰が強い力で引っ張られた。

「失礼、お嬢さん。お怪我はないですか」

 暴れる心臓の音がうるさいのに、その良く通る澄んだ声は私の耳朶に鮮明に響いた。そして少し遅れて、この声の主が私の転倒を避けるために、抱き寄せてくれたことに気付いた。

「あ、あの………ありがとうございます」
「どういたしまして」

 おずおずと礼の言葉を言えば、くすくすと笑いが混じった返事がきた。

 どこか楽しんでいるような何の邪気も無い柔らかい声に、この人は、私に悪意はない、そう直感して、私は顔を上げた。

 そうすれば、口調とは裏腹に心配そうに見つめる湖より深い藍色の瞳が視界に写った。次いで、緩く一つに結った眩しいくらい見事な金髪と、中世的な雰囲気の整った顔立ちの人が私を迎えてくれた。けれど───

「アシュレイ、頼む、その子を捕まえてっ」

 ルークの切羽詰まった声に、私は今の状況を思い出す。

「ごめんなさいっ、失礼します」

 掴まれている腕を反対の手で引き離そうとしたけれど、反対に引き寄せられてしまった。

「お願いしますっ。見逃して下さいっ」

 私の懇願に、アシュレイと呼ばれたその人は、ちょっと困ったように眉を下げ、首を横に降った。

 良く見れば、私を掴んで離さないこの人は、バルドゥール達と同じような襟の詰まった服装をしている。ただ白ではなく限りなく黒に近い濃紺。しまった。色が違ったから気付くのに時間が掛かったけれど、この人も軍人なのだろう。

 それに気付けば、美麗な容姿が酷く残忍なものに見えてしまう。今すぐこの人からも逃げないといけない、そう思っても私は、恐怖のあまり目を見開き、短く細い息を繰り返すことしかできない。

 けれど、私の前に突然現れたその人は、一瞬私とルークを交互に見つめ、なるほどといった感じで小さく頷いた。

 そして、にこっと私に笑顔を向けると流れるような仕草で私に背を向け、ルークの前に立った。まるで私を庇うかのように。

「ルーク、お前、何をしている?」

 瞬間、名を呼ばれた栗色の髪の男はひぃっと声にならない悲鳴を上げ、ピタリと足をとめた。ちなみにアシュレイさんが発した、ルークの呼び方は正確には【る゛ぅぅくぅぅぅっ】と言った感じで、獣の唸りのようなものだった。

 そして、その風貌に似合わない声を発したアシュレイさんは、くるりと私に振り返って、華麗なウィンクを投げ、一直線にルークに向かって駆け出した。それから一拍して───

「こんっの、馬ぁ鹿弟っっっっっがぁっっ」

 という怒声と共に、アシュレイさんの華麗な回し蹴りが炸裂した。次いで、どさりと地面を揺るわす振動。

 私の視界は非の打ち所がない完璧なフォームを決めたアシュレイさんと、これまた完璧なフォームでぶっ飛んだルークが焼き付いてしまい、あまりの衝撃にその場にへたりこんでしまった。

 そんな私にアシュレイさんは、肩に乗ってしまった髪を背中に流しながら、振り返ってこう言った。

「異世界のお嬢さん。私の義理の弟が君を怖がらせてしまったようだ。すまなかったね」

 窓から差し込む陽の光で、アシュレイさんの髪は眩しいくらいに煌いていて、私を見つめる表情は目眩を覚える程に美しかった。

 でも呆然としていた私は、瞬きを繰り返したあと、ようやっと【はぁどうも】という間抜けな返事をすることしかできなかった。






 さて場所は変わって、今、私たちはリンさんの部屋に居る。ちなみにルークは、床に両膝を付いて、両手を後ろで組んでいる。その表情は、世界中の不幸を背負っているような悲壮なものだった。

「………………あの………ルークさん」

 そこまで口にして、彼に何と言葉をかけて良いのかわからずまごついてしまう。

 今ルークが取っている姿勢は、この世界の反省スタイルと呼ばれるもの。多分、元の世界でいう正座に近い状態なのだ。

 個人の趣味嗜好でしているなら別にそれは構わないし、好きにすれば良い。けれどこれが、自分の意思ではなくお仕置きという名目で、かつ、リンさんの目の前で行われているとなると、さすがにざまあみろとは思えない。気の毒とまでは思わないけれど。

「良いんだよアカリ。そんなもの視界に入れなくて」

 そんなもの呼ばわりされたルークは、更に悲壮な色を濃くしたけれど、反省スタイルを命じたアシュレイさんはまったく動じない。というか、完璧にルークを無視している。

「それよりアカリ、こっちを見て」

 耳元で優しく囁かれて、アシュレイさんの長く細い指が私の顎に触れる。そうされれば何だか変な気持ちになってしまい、思わず身を捩ってしまう。

「ほら、動いたら危ないよ」

 そう言って、私を抱きよせるアシュレイさんに、私は知らず知らずのうちに頬が熱くなる。

「あの…………そろそろ降ろして下さい」
「だーめ。今日はアカリは、ずっとここ」
「それはちょっと………困ります」
「ははっ、顔が赤いね。恥ずかしがるアカリも可愛いよ」
「…………………そんなこと、言わないで下さい」

 何の会話だと思われるかも知れないけれど、実は私、現在進行形でアシュレイさんの膝の上に居る。所謂、膝抱っこ状態なのだ。

 なぜこうなったかといえば、あの衝撃でへたり込んでしまった私は、全力疾走したのもあってすぐに立ち上がることができなかったのだ。

 でも廊下にいつまでも居るわけにもいかず、リンさんの部屋は扉が開いたまま。無防備かつ意識不明の彼女を一人放置するのは不用心ということもあり、私はアシュレイさんにお姫様だっこで来た道を戻ることになったのだ。………そして、そのままの流れで、こうなっている。

 ちなみに私の窮地を救ってくれた恩人でもあるこの見目麗しい人は、さっきから何の抵抗もなく私に歯の浮くような台詞を吐いてくれている。

 となれば、朱色に染まる頬はもはや誰にも止められない。

 そんな中、絶賛お仕置き中のルークから、こんな言葉が飛んで来た。

「………………アカリ、なんで君、同性に頬染めてるの?」

 その問いに答えることなどできる訳もない。私が教えて欲しいくらいだ。ただスバリ言われたことは、別の意味で恥ずかしくて更に俯いてしまう。

 そう、彼の言う通りアシュレイさんはまごうことなく女性でしかも既婚者。でも服装は軍服で、男性が身に付けるものと同じ。

 そんな彼女は、いわゆる男装の麗人と呼ばれる人。もっというなら、子持ちの現役軍人であったりもする。
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