監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

あなたと初めての外出③

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 バルドゥールに抱かれながら、あっという間に階段を降りて廊下を突き進む。

 彼の歩幅はとても大きい。けれど、その後ろを歩く侍女達は息切れ一つしないで付いてくる。でも、私だったら小走りの速度だ。彼女たちの為にも、もう少し速度を落としたほうが良い。…………なんてことを私が口にしても良いのだろうか。

 もじもじと考えている間にも、バルドゥールは足を止めることはない。結局、何も言えないまま玄関ホールに到着してしまった。

 そして先回りしたリリーとフィーネの手で玄関の扉が開けられる。その間、バルドゥールは一度も足を止めることはなかった。

 ここにいる誰一人、嫌な顔もしなければ、焦る様子も見せない。完璧な阿吽の呼吸でやり取りをする様を見て、これがこの屋敷における日常だということを知る。

 つまり、一度もバルドゥールの見送りに立ったことが無い私だけが勝手にオロオロしていただけだったのだ。
 
 あと、余談かもしれないけれどバルドゥールは、普段はきちんと玄関から出入りするようだ。もちろんこれは、取るに足らないことなので、当の本人に伝えるつもりはない。

「行ってらっしゃいませ、お館様。アカリ様」

 玄関を一歩出た途端、カイナから見送りの言葉を掛けられ、バルドゥールは足を止めて振り返った。

「ああ」
「…………行ってきます。皆さん、今日はありがとうございました」 
 
 バルドゥールは短い言葉を吐いて頷くだけだった。けれど、私は感謝の念を伝えたくて、ぺこりと頭を下げる。

 そうすれば、フィーネは丁寧に腰を折り、リリーは嬉しそうに、ぴょんぴょん飛び跳ねた後、慌てて礼を取り、カイナはいつも通りの笑みを浮かべて見送ってくれた。

 再び視界がくるりと変わり、そこに目を向ければ出れば、既に馬車が用意されていて、御者が扉を開けて待っている。

 でも、ここで私は再び首を傾げてしまった。なぜなら私が普段使わせて貰っている馬車とは違っていたから。もっと言うなら、御者もいつもの護衛を兼ねている男性ではない。

「ったく、わざわざ迎えを寄越さなくても良いものを…………」

 不機嫌そうな声が突然頭上から降ってきて思わず見上げれば、声よりも更に不機嫌そうなバルドゥールがいる。しかめっ面と呼んでも過言ではない。

 そんな彼と目を合わせる勇気のない私は、そっと視線を逸らした。するとそこには、見覚えのある生き物がいた。

「……………あ、オリバーさんだ」

 馴染みのある護衛兼御者の男性に手綱を引かれながら庭を横切っているのは、一度だけ目にしたことがある、バルドゥールの愛馬だった。

 でも、馬にさん付けするのは変だと、言った後から気付いてしまった。そして、小声で呟いたつもりだったけれど、私を抱いているバルドゥールにも当然のことながら聞こえてしまっていた。

「ああ。さっき野暮用で出かけた際に、あいつと一緒だったんだ。……………アカリはオリバーが苦手だと思ったが、あれに興味があるのか?」

 どうやらバルドゥールは、呼び方ではなく、私が馬に関心を寄せたことに驚いているようだった。

「初めて会った時、かじられそうになったので、近くで見るのは怖いです。でも、遠目で見ると、まるで彫刻のようで…………とても綺麗です」

 今日は晴天に恵まれている。朝の陽ざしを浴びるオリバーは、つややかで漆黒の青毛。長いたてがみと尾。引き締まったその姿は古代の神話の彫像のようだった。

 ただ見たままを口にしてしまったけれど、よくよく考えたら、これは過去、バルドゥールの元から逃げ出した出来事を連想させてしまうものだった。しまったと、思わず心の中で舌打ちをしてしまう。

 けれど、バルドゥールは軽い笑い声をあげた。

「ははっ。そう見えたか。アイツとは長い付き合いだが、そんな風に褒められたのは初めてだ」

 てっきりそのことに触れれば互いの心を不必要に揺さぶってしまうと思いきや、私を抱くその人は、さも可笑しそうにそんなことを語るだけだった。

 そして自分の名が出たのに反応したのか、オリバーはこちらに近づこうと向きを変える。御者が慌てて手綱を引こうとするけれど、その力はなかなかのもののようで、悪戦苦闘しているのが遠目でわかる。

 そんなやり取りを見つめていたバルドゥールは、少し厳しい口調で愛馬の名を呼ぶ。まるで咎めるように。そうすれば、オリバーは大人しく御者に手綱を引かれ去っていった。

 その姿はしゅんとして寂しそうなものだった。無駄に名を呼んだことをちょっと後悔してしまう。

「あいつはお前のことが好きなんだ。だから噛みついたりなんかしないぞ。ただ、舐められるかもしれないから、今日はここで見るだけにしよう。衣装を汚されたら、侍女達に叱られてしまう」

 最後はおどけた口調になったバルドゥールは、くるりと私に視線を向けて笑った。

 そこでまた気付いてしまう。

 あの時、私は自分に向ける声音よりも、10倍優しい声音を馬に向けたバルドゥールに地味に傷ついていた。でも、今は私に向ける声音はどこまでも優しいもの。

 ああ、私は、こうやってこれまでと、これからの違いに、たくさん気付いていくのだろう。

 そして、それを積み重ねていくのだろう。そうした先に辿り着くのは、どんな感情なのだろうか。そして私がそこにたどり着くまで、バルドゥールは待っていてくれるのだろうか。

 気まずい過去の出来事を、柔らかい笑いと共に語れる彼は私のずっとずっと先を歩いている。そんな彼に私は追いつくことができるのだろうか。

 そんなことをつらつらと考えていたけれど、乗車を促す声が聞こえ私達は馬車へと乗り込んだ。





 私を抱えたまま馬車に乗り込んだバルドゥールは、そのままの流れで私を膝に抱いている。そして少しでも私が身動ぎをすれば、お腹に回した手に力を込めて無言で私を窘める。でも、窘めたいのはぶっちゃけ私のほう。

「バルドゥールさん、降ろしてください」
「嫌だ」
「そう言われても、せっかくのお洋服が皺になってしまいます」
「大丈夫だ。そうならないように、抱いている」
「……………………」

 恥ずかしいから、あなたの膝に居たくない。そう言えないから、何とか向かいの席に座る口実を探したというのに、バルドゥールはあっさりと私の申し出を却下した。

 でも私のお腹に回した手はどことなくぎこちない。それはバルドゥールが緊張しているからなのだろう。

 車内の窓はカーテンで閉じられていて、外の景色は見ることができない。まさにミステリーツアーだ。でも体感で、坂道を上っているのはわかる。と、なると行く先はきっとあそこだろう。

「バルドゥールさん、向かう先はお城ですか?」
「さすがにわかったか。そうだ」

 観念したような口ぶりで、バルドゥールは答えてくれた。

 でも、正解しても嬉しくはない。だってそこは私にとって何一つ縁のない場所だ。そして観光で連れて行ってくれるということではないのは、バルドゥールは表情で聞かなくても理解する。

「何の為に…………と、聞いても良いですか?」

 私がそう問うた瞬間、バルドゥールは鮮明に語る瞳の色を消してしまった。絶対に教えたくはない、という強い意志だけが、はっきりくっきりと伝わってくる。

 でも、私はそれを無視して、再び口を開いた。

「そこに行くのは、私の為……………なんですよね?」

 ちょっと狡い問い方をすれば、バルドゥールはぎこちなく頷いてくれた。そこで再び理由を問おうとした私だったけれど、彼のほうが先に口を開いてしまった。

「俺の為でもある」
「……………………」

 私の気持ちを読んで、かつ、それ以上何も言わせないような狡い言葉だった。

 狡い言葉を吐いたのはお互い様だ。だからバルドゥールに向かって、詰るようなことはできない。それに私は、自分の好奇心を満たす為に聞いているわけじゃない。自分ができることを探したいだけなのだ。この人の負担を少しでも減らしたいから。

 ルークは以前、もっと私は我儘を言って良いと言ってくれていた。でも、きっとこういう我儘を指しているわけではないのだろう。じゃあどんな我儘と聞かれてもわからないけれど。

「私、どんな理由でも行きたくないなんて言ったりしません」

 諸々考えた結果、無理矢理聞き出すことより、自分の気持ちを伝えてみれば、バルドゥールは穏やかな笑みを浮かべた。けれど、結局、理由は教えてはくれなかった。

 そんな私とバルドゥールのことなど関係なく馬車は石畳を順調に進んでいく。そしてしんとした車内が微かに揺れ、馬車が目的地に到着したことを知る。

 御者の手で扉が開けば、バルドゥールは私を抱いて下車した。けれど、すぐに私を降ろした。

 眼前に聳え立つのは真っ白なお城。そして私にとっては、お腹いっぱいの色。

「アカリ、行こう」

 言葉無く白亜の城を見つめていた私に、バルドゥールはそう静かに言った。大きな手を差し伸べながら。

 彼の手に自分の手を重ねながら、これから起こり得る出来事が全部『なんだそんなことだったのか』と思えるものになれば良いと祈る。

 けれど、神様は何かにつけて私にちょっかいを出したがることも忘れていない。そしてその小さな不安は、残念ながら見事に的中することになる。
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