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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない
その空を見て思うこと
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石畳を走る馬車は行きも帰りも殆ど揺れを感じない。それは御者の腕が良いのか、乗っているこの馬車の乗り心地が良いのか、その両方なのだろうか。
「………体調は大丈夫?」
気遣うルークの声で顔を上げれば、すぐに水色の瞳とぶつかる。少し暗い車内の中でも目の前のルークの瞳は澄んだ水の色をしている。
こくりと頷くことを返事とした私は、短剣を両手で握って、これから起こるかもしれないアクシデントの予防線を引いてみた。
「これ、戻ってすぐに没収されたらごめんなさい」
手ぶらでルークの屋敷に向かった私は、カバンもなければ、着ている服にポケットもない。
なので、屋敷の人間に見つからずに自分の部屋まで持ち帰ることは、かなり至難の業だったりもする。
けれど、私の懸念をよそに、ルークは軽く笑ってこう言った。
「ははっ。大丈夫、心配しなくても、それは有り得ないよ」
「どうしてですか?」
食い気味に問うた私に、ルークは自分の着ている服をとんとんと叩きながら、口を開いた。今更だけれど、彼は今日も制服を着用している。
「あのね、一応僕らは軍人だけれど、時空の監視者の地位は相当高いんだ。そこいらの貴族よりも、底辺の王族よりもね」
「へぇー」
それは凄いことなのだろうか。身分制度を既に廃止している元の世界で育った私には、いまいちピンとこない案件だ。
そんな訳で薄いリアクションしかできない私にルークはちょっと残念そうだったけれど、すぐに気を取り直して説明を続けた。
「まぁ身分のことは置いといて、とりあえず、僕らのものはおいそれと触れて良いものじゃないし、言っちゃなんだけど屋敷の使用人が取り上げられるものじゃないってこと」
最初からそう説明してくれれば良いのに。と、内心思ったけれど、口に出さず、素直にうなずくことにする。でも、時空の監視者同士なら対等になるので話は別だ。
「じゃ、誰かがあの人に告げ口なんてしたら────」
「そんなことをすると思う?」
私の言葉を遮って、ルークは試すようにくるりと視線を投げてきた。
………確かに、少しの間とはいえ、私の脱走に加担してくれたカイナが、バルドゥールに告げ口するとは考えにくい。
でも、何となくルークの問いに答えるのは癪にさわるので、私は別の話題を振ることにした。
「ということは、制服も大事なものなんですよね?」
私の問いかけにルークは、まあね、と少し含みを持って頷いた。
きっと彼は私が次に発する言葉に気づいているのだろう。でも、なあなあに済ませてしまうのは何となく嫌で、私ははっきりと言葉にした。
「ごめんなさい。私、あの時、餞別でくれた上着、無くしちゃったんです」
貰ったものをどうこうしようが私の勝手ではあるが、自分の性格上、そこまで開き直ることができなかった。
そしてルークはその言葉を聞いた途端、軽く手を振りながらくすりと笑った。
「ああ、大丈夫、あれならちゃんと戻ってきたよ。ただ、ものっすごくボロボロの状態でね。なんか背中のあたり、人とは思えない大きな靴跡が付いてたなぁ。ははっ。一応破損っていう扱いになっちゃったから、始末書書いて上司に提出したら、自業自得っだって言われたよ。けど正直、僕、心の中で【お前が言うか!?】って突っ込んだよ」
それを聞いてルークの大事な制服を思いっきり踏んづけた人物が誰かはすぐに分かった。でも、彼が敢えてその名前を出さない以上、私も胸の内に留めておく。
それぐらいルークとは阿吽の呼吸はできる。それは今日、彼が飾らない言葉で、彼が抱えている辛さとか弱さとか苦しさとか、寂しさを吐き出してくれたからだろう。
それに何より、私が最も望んでるこの世界から決別する方法を教えてくれた。ご丁寧にも武器までおまけしてくれて。
少し時間を置いたからわかるけど、きっと確実に死ぬことができる方法を私に教えるって、始末書で済まないくらい相当問題なことじゃないのだろうか。私がそれを実行しようとしても、しなくても。
異世界の人間の命を護ることが、本当に彼ら時空の監視者の最優先事項なら、ルークの取った行動は矛盾している。
でも、この矛盾はきっと私への精一杯の贖罪と誠意なのだろう。
そして私との出会いを嬉しいと言ってくれたこの人が、私にこの救いを与えてくれることが、自分自身には痛みになることを、私はちゃんと気付いている。
でも、今日、最後の最後までバルドゥールに内緒で外出していた、ということは、それはそれ、これはこれ、ということで水に流すことができない。
そんなわけで、私は意趣返しに、この場で最も相応しい心からの慰めの言葉を彼に送ることにした。
「ルークさん、そんな失態したのに紙一枚で済んで良かったですね」
さすがに今回はルークは、だよねーとは言わなかった。
ちょっと不貞腐れた顔をする目の前の彼は、今は演じているのか素なのか、私には判断できなかった。
それからジト目を抑えきれないルークの視線から逃れるように、馬車の窓に視線を移す。
街は本日最後の賑わいを見せていて、慌ただしい。そんな忙しない人たちを、夕陽が柔らかく包み込んでいる。ふと空を見上げれば、花畑で絶望の極致にいた時と同じ空の色。
あの日私は、二度とこの空を美しいと思うことはないと決めつけていた。
でも、今は、それほど感情は動いていない。茜色の空を一つの空の色として冷静に受け止めいている自分がいる。
窓をぼんやりと見つめれいれば、空の色が変わる間もなく、バルドゥールの屋敷に到着した。
屋敷に一歩踏み入れれば、すぐにカイナがほっとした様子で出迎えてくれた。でも、私が手にしている短剣を目にした途端、表情が強張った。
「カイナ、これは僕がこの子にあげたんだ」
そう言ってすぐにルークが私とカイナの間に立つ。
二人の表情はルークの大きな背に阻まれて見えないけれど、再びカイナと向かい合った時には、彼女はいつもの表情に戻っていた。
それから、数日間は表面上だけは穏やかな日々が続いた。
ルークからもらった短剣も、取り上げられることもなく、見えないものという立ち位置で私の部屋にある。
私はというと安楽死や尊厳死───そんな元の世界で何度か耳にした言葉がぐるぐるっと頭の中で回り続け、この世界での自分の在り方を見いだせないまま、バルドゥールに抱かれる日を迎えてしまった。
「………体調は大丈夫?」
気遣うルークの声で顔を上げれば、すぐに水色の瞳とぶつかる。少し暗い車内の中でも目の前のルークの瞳は澄んだ水の色をしている。
こくりと頷くことを返事とした私は、短剣を両手で握って、これから起こるかもしれないアクシデントの予防線を引いてみた。
「これ、戻ってすぐに没収されたらごめんなさい」
手ぶらでルークの屋敷に向かった私は、カバンもなければ、着ている服にポケットもない。
なので、屋敷の人間に見つからずに自分の部屋まで持ち帰ることは、かなり至難の業だったりもする。
けれど、私の懸念をよそに、ルークは軽く笑ってこう言った。
「ははっ。大丈夫、心配しなくても、それは有り得ないよ」
「どうしてですか?」
食い気味に問うた私に、ルークは自分の着ている服をとんとんと叩きながら、口を開いた。今更だけれど、彼は今日も制服を着用している。
「あのね、一応僕らは軍人だけれど、時空の監視者の地位は相当高いんだ。そこいらの貴族よりも、底辺の王族よりもね」
「へぇー」
それは凄いことなのだろうか。身分制度を既に廃止している元の世界で育った私には、いまいちピンとこない案件だ。
そんな訳で薄いリアクションしかできない私にルークはちょっと残念そうだったけれど、すぐに気を取り直して説明を続けた。
「まぁ身分のことは置いといて、とりあえず、僕らのものはおいそれと触れて良いものじゃないし、言っちゃなんだけど屋敷の使用人が取り上げられるものじゃないってこと」
最初からそう説明してくれれば良いのに。と、内心思ったけれど、口に出さず、素直にうなずくことにする。でも、時空の監視者同士なら対等になるので話は別だ。
「じゃ、誰かがあの人に告げ口なんてしたら────」
「そんなことをすると思う?」
私の言葉を遮って、ルークは試すようにくるりと視線を投げてきた。
………確かに、少しの間とはいえ、私の脱走に加担してくれたカイナが、バルドゥールに告げ口するとは考えにくい。
でも、何となくルークの問いに答えるのは癪にさわるので、私は別の話題を振ることにした。
「ということは、制服も大事なものなんですよね?」
私の問いかけにルークは、まあね、と少し含みを持って頷いた。
きっと彼は私が次に発する言葉に気づいているのだろう。でも、なあなあに済ませてしまうのは何となく嫌で、私ははっきりと言葉にした。
「ごめんなさい。私、あの時、餞別でくれた上着、無くしちゃったんです」
貰ったものをどうこうしようが私の勝手ではあるが、自分の性格上、そこまで開き直ることができなかった。
そしてルークはその言葉を聞いた途端、軽く手を振りながらくすりと笑った。
「ああ、大丈夫、あれならちゃんと戻ってきたよ。ただ、ものっすごくボロボロの状態でね。なんか背中のあたり、人とは思えない大きな靴跡が付いてたなぁ。ははっ。一応破損っていう扱いになっちゃったから、始末書書いて上司に提出したら、自業自得っだって言われたよ。けど正直、僕、心の中で【お前が言うか!?】って突っ込んだよ」
それを聞いてルークの大事な制服を思いっきり踏んづけた人物が誰かはすぐに分かった。でも、彼が敢えてその名前を出さない以上、私も胸の内に留めておく。
それぐらいルークとは阿吽の呼吸はできる。それは今日、彼が飾らない言葉で、彼が抱えている辛さとか弱さとか苦しさとか、寂しさを吐き出してくれたからだろう。
それに何より、私が最も望んでるこの世界から決別する方法を教えてくれた。ご丁寧にも武器までおまけしてくれて。
少し時間を置いたからわかるけど、きっと確実に死ぬことができる方法を私に教えるって、始末書で済まないくらい相当問題なことじゃないのだろうか。私がそれを実行しようとしても、しなくても。
異世界の人間の命を護ることが、本当に彼ら時空の監視者の最優先事項なら、ルークの取った行動は矛盾している。
でも、この矛盾はきっと私への精一杯の贖罪と誠意なのだろう。
そして私との出会いを嬉しいと言ってくれたこの人が、私にこの救いを与えてくれることが、自分自身には痛みになることを、私はちゃんと気付いている。
でも、今日、最後の最後までバルドゥールに内緒で外出していた、ということは、それはそれ、これはこれ、ということで水に流すことができない。
そんなわけで、私は意趣返しに、この場で最も相応しい心からの慰めの言葉を彼に送ることにした。
「ルークさん、そんな失態したのに紙一枚で済んで良かったですね」
さすがに今回はルークは、だよねーとは言わなかった。
ちょっと不貞腐れた顔をする目の前の彼は、今は演じているのか素なのか、私には判断できなかった。
それからジト目を抑えきれないルークの視線から逃れるように、馬車の窓に視線を移す。
街は本日最後の賑わいを見せていて、慌ただしい。そんな忙しない人たちを、夕陽が柔らかく包み込んでいる。ふと空を見上げれば、花畑で絶望の極致にいた時と同じ空の色。
あの日私は、二度とこの空を美しいと思うことはないと決めつけていた。
でも、今は、それほど感情は動いていない。茜色の空を一つの空の色として冷静に受け止めいている自分がいる。
窓をぼんやりと見つめれいれば、空の色が変わる間もなく、バルドゥールの屋敷に到着した。
屋敷に一歩踏み入れれば、すぐにカイナがほっとした様子で出迎えてくれた。でも、私が手にしている短剣を目にした途端、表情が強張った。
「カイナ、これは僕がこの子にあげたんだ」
そう言ってすぐにルークが私とカイナの間に立つ。
二人の表情はルークの大きな背に阻まれて見えないけれど、再びカイナと向かい合った時には、彼女はいつもの表情に戻っていた。
それから、数日間は表面上だけは穏やかな日々が続いた。
ルークからもらった短剣も、取り上げられることもなく、見えないものという立ち位置で私の部屋にある。
私はというと安楽死や尊厳死───そんな元の世界で何度か耳にした言葉がぐるぐるっと頭の中で回り続け、この世界での自分の在り方を見いだせないまま、バルドゥールに抱かれる日を迎えてしまった。
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