監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

半分の気持ち②

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 お湯を張ったタライに布を浸して私の背後に回り込んだバルドゥールは、軽々と私を抱きかかえた。

 すっぽりと彼の胸の中に納まってしまった私は、背中に硬い彼の胸板と、抱かれていた時とはまた違う温もりを否が応でも感じてしまう。

 ただ、私は一糸まとわぬ姿でいる。自分だけが裸なのが不公平な気がして、思わず掛布で胸を隠して前のめりになってしまった。

「アカリ、取って食ったりはしないから、そんなに身構えないでくれ」

 少し呆れた声でバルドゥールはそう言いながら、空いている方の腕を回して、私を抱え込む。そして、自然な流れで私の身体を拭き始めた。

 まずは髪の毛を持ち上げて、うなじを拭い、それから背中も拭き上げる。それはもう腫れ物を扱うような手つきで、ご丁寧に。

 そして私といえば、思うように力が入らない身体のせいで、されるがまま。

 でも、力が入らないのは身体だけで、意識はしっかりとしている。正直言ってこれは、別の意味で拷問に近い。

 今、バルドゥールは絶賛仕事中なのだ。言い換えればこれは介護のようなもの。だから、こんなに恥ずかしがる自分のほうがおかしいのはわかっている。

 そう。身体を拭く行為は、半分は仕事だと彼は言っていた。ちなみに5割を四捨五入をしたら10割だ。つまり、優しく私に触れるのも、こうして抱いた後に身体を拭くのも、全部全部、仕事の範疇なのだ。

 ………うん、この四捨五入のやり方がおかしいのは、わかっている。でも、無理矢理にでもそう考えないと、恥ずかしさで耐えられない。

 きゅっと目を閉じて心の中で必死に、彼は仕事だ介護だお勤め中だと、一生懸命自分に言い聞かせる。

 けれど、とうとうバルドゥールは私の背も両腕も拭いてしまい、少し体をずらして私を横抱きにして、胸元を隠していた掛布に手をかけた。

 駄目だ、これ以上はもう限界だ。心の中で悲鳴を上げた私は、眼を開けることなく唯一自由に動かせる口で、バルドゥールに要望を伝えることにした。

「………あの」
「どうした?」

 バルドゥールは、掛布に手を添えたまま返事をする。その口調はとても柔らかなものだった。

 ただ、未だに彼のことを信じきれない私は、その口調がいつ変わるかわからなくて、正直かなり怖い。

 そんな訳で私はおずおずと目を開けると、慎重に言葉を選びながら口を開いた。

「………バルドゥールさん、私、毎日身体は拭いています」
「ああ」
「それに、今日は、その………あなたに会う前にも身体を拭きました」
「そうか」

 バルドゥールは、私の主張を受け入れる返事をしているが、掛布から手を離す気配は全くない。

「ですので、その……そんな丁寧に拭いてもらわなくても、そんなに汚れていないです。さっくりで良いです。というか、もう拭かなくて大丈夫です」
「嫌だ」

 耳元で息遣いを感じられる程近くで吐き出された言葉は、駄目、ではなく、嫌。それは似て異なるもの。【駄目】は規制で、【嫌】は感情表現。

 なぜここで、バルドゥールは嫌という言葉を使うのだろう。これが仕事なら【駄目】が正解のはずなのに。そんな疑問が頭の中でぐるぐると回る。

 けれど、答えが出ないうちに、再び質問をされてしまった。
 
「恥ずかしのか?」
「はい」
「部屋の灯りは、さっきより落としてあるのにか?」
「……………っ」

 言葉を失った私に、バルドゥールはくすりと笑った。

「それとも、俺がまたお前と同じように服を脱げば恥ずかしくなくなるのか?」
「い、いえっ。そういうことでは……ないです」

 慌てて否定した私に、バルドゥールはくつくつと可笑しそうに喉を鳴らした。

 ………どうやら冗談だったらしい。そして、彼も冗談を口にするのかと、地味に驚いてしまう。

 ぱちぱちと何度も瞬きだけを繰り返す私に、バルドゥールは再び口を開いた。

「まぁどちらにしても、これ以上乱暴に拭くことはしない。あまり力を入れ過ぎたら、皮膚を傷めてしまう」

 よくもまぁ………さんざん私の身体に痣を作ってきた人が、そんなことを口にできたものだ。

 でもやり直しを始めた今、過去の事をほじくり返すべきではない。喉までせり上がった言葉を、無理矢理押し込み、小さく息を吐く。

 そしてふと考えてしまう。今までの残忍で冷徹なバルドゥールと、こうして冗談を言ったりする彼は、どちらも同じ人間なのだと。

 彼は同じ過ちを繰り返さないと約束し、こうしてやり直しを始めたのだ。だから疑い続けるのはよくない。けれど、今日一日だけで、彼の全てを信用することはできない。

 彼から受けたことはどう足掻いても事実で、記憶に刻まれてしまった以上、なかったことにすることはできないし、簡単に許すこともできない。

 だからこそ、これから先、私は彼のことを慎重に、冷静に、きちんと見極めていかなければならないのだ。誰に判断を委ねることもせず、自分自身だけで。

 と、よそに意識を飛ばしているうちに、バルドゥールは掛布を剥ぎ取ることなく手を差し入れて、私の身体をあっという間に拭き終えた。

 次いで姿勢を変えることなく、夜着を上から着せられる。それから、そっと寝かされ、彼はこれで終わりという合図のように掛布の乱れを直して、ぽんぽんと軽く叩いた。

 そこで、ようやくこの恥ずかしい時間が終わったかと思ったけれど、バルドゥールは、床の上に置いてある籠から小瓶と筒状になった布を取り出しベッドの端に腰かけた。

 そして、私の痛むほうの手を取り、深い溜息を落とした。

「手を腫らすぐらいなら、そこら辺にあるもので殴ってくれ」
「………はぁ」

 そういう問題ではないし、あの時は素手で殴ることに意味があった。でも、これもまた敢えて口にする必要はないので、曖昧な返事をしてこの場を濁す。

 けれど、バルドゥールは納得できなかったようで、私の手を取ったまま、覆いかぶさるように私を覗き込んだ。

「俺は、アカリから、殴られることについては、いつだって甘んじて受ける。ただ、そのせいでお前が手を痛める必要はない。これから先、お前に殴られることがないよう、俺は精一杯努力する。だから、アカリも約束してくれ。二度と素手で殴ったりしないと……いいな?」

 あの時、私が殴った理由を問いただすことも咎めることもしない。ただ唯一、私に求めたのは、こんなにも優しく労りを持つ約束事だった。トクンと心臓が跳ねたと同時に、過去のバルドゥールの姿に今の彼の姿が重なる。

 記憶とは厄介なものだ。一つ一つを鮮明に覚えていたいのに、ひょんな事で被さってしまう。

 された事を未練がましく覚えていたいわけではないけれど、こうも早くバルドゥールの別の姿を見せられると、気持ちが追いつく前に以前の彼が朧げになってしまいそうだ。

 そんな事を心の中で考えていたら、バルドゥールの瞳は焦燥さを見せ───。

「アカリ、頼む。これだけは約束してくれ」

 と、返事を急かされてしまった。

「…………はい」

 そんな切羽詰まった彼の様子に、反論する余地はなく、私はおずおずと頷くことしかできなかった。

 承諾した私にバルドゥールは、ほっとした息を吐いて身を起こしたけれど、すぐに私の手の甲をくるりと裏返す。そして、手のひらを指でなぞった。

 ちなみに殴ったのも、以前ガラスの破片で傷を負ったのも同じ手だった。自殺未遂で負った傷は、バルドゥールに舐められた箇所でもあり、何となく気まずい。

 思わず握り隠そうとしたけれど、バルドゥールは無言のまま、それを遮り何度も傷跡に指を這わす。

 そうしながら、彼が今、何を考えているのかなど問いかけなくてもわかる。バルドゥールは、あの日の事を思い出しているのだろう。

「痛かったか?」
「………もう、痛くないですよ」
   
 わざわざ問い掛けた理由は、痛いならもう二度とするなと咎めたいからなのだろうか。それとも、私を改めて個として認識しようとして聞いたのだろうか。

 そのどちらでもないのかもしれないが………とにかく、触れるか触れないかというこの触り方はとてもくすぐったかった。
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