監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

思い違いと、戦慄と、鮮明な出会い③

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 栗色の髪の美丈夫が醜く顔を歪めて私を見つめている。普段は澄んでいる水色の瞳が、私の目には、なぜか赤く映っている。

 怒りを色で表すなら赤。炎のように揺らめく色。そして今日は曇りでこの部屋は蝋燭を灯しているけれど、いつもより薄暗い。でもルークの瞳の色は鮮明で、感情を表す色は天候や部屋の灯りに左右されないのだということを、こんな時に気付いてしまった。

「………………アカリ、僕を追い詰める為に言ったものなら、今すぐ訂正してくれ」

 ぎりぎりと歯ぎしりせんばかりに呻くルークに、私は静かに首を横に振った。

「訂正は、しません」

 きっぱりと言い切った私に、ルークは怒鳴ろうとした感情を無理矢理抑えて、更に顔を歪ませた。でも私は、ルークを追い詰めるために、そう言ったわけじゃないし、躓いた人間に嘲る笑みを向けたい訳でもない。

 私は過去、枷を付けられたことがあるから、そう言い切れるのだ。

 まだ私が小さい子供だったころ、母親は躾と称して私に首枷を付けた。いや、枷という程、立派なものじゃない。そこら辺にあった紐を私の首に巻き付けてだけのお粗末なもの。

 感情に任せて私に手を上げていた母親だったけれど、ある時から私を殴ることを止めた。それはきっと良心の呵責云々という話ではなく、単純に手が痛くなるし疲れるからという理由で。

 始めたきっかけは単純なものだったけれど、私に首輪をはめることは長い間続いた。ぎりぎり届かない位置に食事を置いて、必死に手を伸ばす私の姿が無様で滑稽で人の心の醜い部分を心地よく刺激するものらしく、母親はとても気に入っていた。

 そして最後は私を犬のように繋いだまま、母親は姿を消した。

 だから私は今でも首に何かが触れるのがとても苦手だ。首筋に風が当たるのすら嫌だし、ましてネックレスやマフラー、それに襟の詰まった服も全部苦手だ。

 きっと私の首にはめられた枷は、見えなくなっているだけで未だに解けていないのだろう。

 でも、私の心が壊れなかったのは、私がそれを少なからず受け入れていたから。あの頃、私の世界では母親は神様だった。だから神様が私のことを良い子じゃないと言えば、それが正しいことになる。疑問も不満すら覚えることなく、ただ自分が悪いのだと、己を責めるしかない。

 でもルークはリンさんの神様なんかじゃない。もし仮に枷を付けたことで一瞬でも、リンさんを手中に収めたと思っていたのなら、それはただの愚劣な支配者に過ぎない。

 ルークは時空の監視者以前に男性だ。だからリンさんを力でねじ伏せることは簡単なこと。なのに、どうして枷など付けたのだろう。彼には必要ないはずなのに。
 
 あんなもの使わないで欲しかった。私と会えてよかったと言ってくれたこの人が、いとも簡単に人間の尊厳を奪うようなことをしてほしくなかった。何を言われたら心が痛いか、何をされたら辛いのかちゃんと知っているはずの彼が、最も大切だと言った人に枷を付けるなんて認めたくなかった。

 お願いだから、ちゃんとルークの言葉で質問に答えてほしい。軽蔑しそうになる私を止めてほしい。築き上げてきたルークとの関係をこんな形で壊したくなんかない。そんなふうに思えるほど、私はルークのことをバルドゥールとは別の意味で大切に思っている。

 なのにルークは何も語らず、私の口から出た言葉は真逆のものだった。

「ルークさん、逃げないように枷を付けていたと言っていましたが、結果としてリンさんは何処にもいけなくなりました。それで………満足しましたか?」

 鼻で笑いながらそう言ってやりたかったけれど、どうやってもうまく笑えない私は、ルーク同様に醜く顔を歪めているのだろう。

「それとも、そうした自分の方が辛いとでも言いますか?あんなことをした自分には、いつかツケがまわってくる。その時に甘んじて受ければいい。…………とでも思っていますか?ふざけないでください。あなたがどれだけ苦しんでも、辛い思いをしても、リンさんのことを帳消しになんてできません。別問題です」

 言葉は時として凶器になる。まして、相手が傷付くとわかっていてそうする場合、受ける側の痛みは計り知れない。きっと今、ルークは見えない血を流しているはずだ。

 我ながら酷い言葉を吐いていると思う。わざとルークを傷付ける言葉を吐いて、彼の心を無理やりこじ開けるようなことをするなんて、なんて愚かしいことをしているのだろう。でも、これ以外に閉ざした心を開いてもらえる術が思いつかないのだ。

 北風と太陽じゃないけれど、もっと私が沢山の人と繋がって、優しい言葉で彼の心に触れる術を身に付けていれば良かったのに。こんな時だからこそ、今まで避けてきたことがとても大事なことだったのだと思い知ってしまう。

 気持ちとは裏腹に傷付く言葉しか言えない私と、無言を貫くルーク。曇天の空よりもっともっと重苦しい空気が部屋を包む中、口を開いたのは、ルークではない別の人だった。

「アカリ、言い過ぎだよ」

 今まで私の耳朶に柔らかく響いていたその声が、なんだがとても居心地悪いものに変わった。

「私、アシュレイさんには聞いていませんっ。今は、黙ってて下さいっ」

 険を含んだ私の言葉に、アシュレイさんは大仰に溜息を付いた。

 ついさっきは私とルークを交互に見ていたのに、今はじっと私だけを見つめている。つまりその仕草は私だけに向けられたもの。

 どうしてアシュレイさんは、リンさんに枷を付けたルークを咎めずにいるのだろう。どうして、私だけ咎められているのだろう。

 そっかアシュレイさんはこの世界の住人で、私はその枠からはみ出している人間なんだ。だから、どこまでいっても私には、この世界の人達は一線を引くのかもしれない。そう思ったら、何だか裏切られたような気がした。

 やるせなさと悔しさで強く唇を噛んだ瞬間、背後から歌が聞こえてきた。以前と同じように、澄んだ鈴のような声音。ああ、リンさんが目を覚ましたのだ。

 リンさんの奏でる歌は知らない異国の曲だった。でも、音域の幅のある切ないメロディーは、とても綺麗でこの澱んだ空気を清めているかのよう。

 …………やっぱり、リンさんは本当はずっと私たちを見ているのかもしれない。当の本人が不在で繰り広げるこの茶番に、いい加減にしてと思っているのかもしれない。

 確かにそうだ。こんなのお節介以外の何ものでもない。

 沈黙が落ちた白い部屋にリンさんの歌声だけが静かに響く。それを聞きながら、頭を冷やせと自分に言い聞かせる。落ち着くために深呼吸をしながら辺りを見渡せば、ルークもアシュレイさんも神妙な面持ちでリンさんを見つめていた。でも、きっと抱えている想いは別のものなのだろう。

 そんなことを考えていたら、アシュレイさんが静かに口を開いた。

「アカリ、聞いて。ルークはリンの尊厳を奪うつもりで、枷をつけたわけじゃない。それに、枷を付けたのは、売り言葉に買い言葉だったんだよ。…………アカリ、リンを想って言ってくれたのはわかる。でも勢いで、そんなことを言っちゃ駄目だよ」
「私、されてもいないのに言ってるんじゃありませんっ」

 アシュレイさんの宥めるような口調に、私は噛みつくように叫んでしまった。すると、二人は同時に息を呑んで、同じタイミングでたった一文字を吐いた。

「………………は?」
「………………え?」

 目を丸くしているというより、驚愕して言葉を失っているというほうが正しい。

「まさかアカリ、バルドゥールから………」
「違いますっ。バルドゥールさんは私に枷など付けたりなんかしませんっ」

 強い口調で遮れば、じゃあ誰が?という別の質問が飛んで来る。

 なんでそんなことを聞きたがるのだろう。まるで話をはぐらかそうとしているようで、無性に腹が立つ。

「今は、そんなことどうでもいいんです。それよりも前に、私の質問に答えてくださ────」
「いや、それよりも前に、ルーク、とりあえず私は喉が渇いた。お茶を持ってこい」

 私の言葉を遮ってアシュレイさんの口から出た言葉は、それこそどうでも良いことだった。でも、ずっと膝を付いていたルークは、待ってましたと言わんばかりに、よろけることなく弾かれたように部屋を飛び出した。

 その身体能力にちょっと凄いなと感心してしまうが、今はそれもどうでもいいこと。というか、この場を逃げ出したルークに怒りを覚えるし、助け船を出したアシュレイさんに苛立ちがこみ上げてくる。

「アシュレイさん、どうしてルークの肩を持つのですか?」
「ははっ。あいつの肩なんか、蹴とばすことはあっても、持つことはしない」

 いや、十分に肩を持っている。むっとする私にアシュレイさんは、にこりとした笑みを浮かべるだけ。そして笑みを更に深くして私に向かって口を開いた。

「アカリ、こっちにおいで」

 アシュレイさんは、柔らかい口調でそう言いながら自分の膝を叩く。多分、膝に乗れということなのだろう。それは、色んな意味で無理なので、私はふるふると無言のまま首を横にふった。

「だーめ、アカリは今日はずっとここだって言ったよね?」

 アシュレイさんは、私の無言の拒絶にもどこ吹く風といった感じだ。さすがに呆れた表情を隠せない私に、今度は表情を一変させると、こう言った。

「ルークが戻って来るまでの間、私と話をしよう。…………ルークのことで、伝えたいことがあるんだ。いや、どうか聞いて欲しい」

 たおやかな顔立ちに真摯な表情。そして、悲痛に訴えるような眼差し。そんな男装の麗人に見つめられ、私は今度は否と首を振ることができなかった。
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