監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

★不測の事態と過去の罪②(バルドゥール目線)

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 先ほどと同じように剣を衛兵に預け、謁見の間へと足を踏み入れる。

 けれど、そこは閑散としていた。薄紅色を基調としたこの空間には、王座に座する者以外は、誰もいない。多分、敢えて人払いをしたのだろう。と、なると、この後の話は、相当重い内容になるのだろうか。

 そんなことを考えながら、王座のすぐそばまで歩を進める。そして、慇懃に礼を取ろうと、片足を一歩後退させたその瞬間、不機嫌な声が部屋に響いた。`

「やめろ。思ってもないことをするな」

 忌々しそうにそう吐き捨てられ、中途半端に浮かした足をそっと元の位置に戻す。

 そうすれば、権威の象徴である椅子に腰掛けている王は、満足そうに頷き、自分を見下ろしながらニヤリと口の端を持ち上げた。けれど、すぐに堪えきれないといった感じで、ぷっと噴き出した。

「なかなか見物だった。執着心剝き出しのお前を目にすることなど、一生ないと思っていたからな。堅物のお前を骨抜きにするあのアカリという少女は、見かけによらず、なかなかの人物のようだな。それとも、お前の時空の監視者の血が単純に異世界の女性を求めているだけなのか?」
「………………」

 答えなどわかりきっているはずだ。

 なのに、わざわざ答えを求めるということは、こちらを煽っているだけなのだろう。なら律義に答える必要はない。

 直立不動のまま無表情を貫けば、王は頬杖を付きながら、少し遠くを見るように目を細めた。

「…………あの少女、アカリは随分と幼く見える。それに、貧相な身体つきだったな。ちゃんと食事を与えているのか?抱けば生きていけるわけではないだろう。栄養云々の前に、欲しいものを与えてやれ。好き嫌いが激しいのかもしれないが、それを直すのは後回しにしろ」
「………………」

 眉をひそめながらそう王が口にした途端、眼前のこの人の素顔が一瞬、垣間見えた。けれどそれは本当に一瞬のこと。はっと息を呑んだ瞬間には、王は再び感情を奥底に隠し、意地の悪い笑みを浮かべた。

「それとも、加減無く抱きすぎて、ああなってしまったのか?」
「………………」
「体格差を考えてやれ。あの細い身体で大柄なお前を受け入れるのは、さぞや辛いことだろう」
「配慮は………しています」

 王はこちらの反応など無視して歌うように言葉を紡ぐ。低いテノールの声が謁見の間に響く。誰もが畏怖し、首を垂れる存在であるこの人物がこんな心地良い声を出すなど誰が想像できるだろうか。これは、大変貴重なことだ。

 ただ、さすがにこれ以上、彼女との情事を口にされたくない。そんな気持ちから、嫌々ながらも答えれば、王は声を上げて笑った。

「ははっ。やっと口を開いたかと思えば、それか。やはり、お前は面白い」
「私のことを揶揄するのは、いくらどうぞ。だが、アカリに対しては、それ相応の態度を取って頂きたい」

 怒りを抑えた声音でそう伝えれば、王は表情を真顔に戻し、神妙に頷いた。

「そうだな。お前の言う通りだ。………………そして、少し喋りすぎてしまったようだ」

 ふう、と王は溜息を付いた。

 たったそれだけで、この部屋の空気が変わった。そして自分も一気に緊を覚える。王の次に発する言葉が、まかり間違っても良いものではないという予感がする。そして、それは真実となってしまった。

「許せ。どうやら、不測の事態、というものになってしまった」

 王の言葉が理解できない。ただ、その時、気付いてしまった。王の異変に。

 顔色が悪い。いや、悪いというより、その顔はまるで死人のようだった。良く見れば、額には粒のような汗を浮かべている。

「………………詳細を────」
「毒を飲まされたよ」

 何でもないことのように淡々と言い放たれたその言葉に、息を呑む。

 この人が横柄に王座に頬杖を付いているのは、そうしなければ身体を支えていられないからだ。そして、足を組んでいるのは、身体の震えを誤魔化すためだったのだ。

 ………………だが、容易にこの状況を受け入れられるなど、到底不可能だ。

「ご冗談を、あなたほどの人間が容易く毒を口にするなど、にわかに信じられません」
「だろうね。そう言うと思った」

 王はくすりと笑った。全てを諦めたような、そんな疲れ切った笑みだった。

「愛娘が、生まれて初めて私にお茶を淹れてくれた。ご丁寧に砂糖の代わりに毒を入れてね。父という立場では、毒と知っていても飲まずにはいられなくってね」
「…………なんて、愚かなことを」

 震える声でそう呟けば、王はあっさりと首肯した。

「ああ、我ながら本当に愚かだと思うよ。で、もっと愚かなことに、この茶番、全部、おじゃんになりそうだ」
「は?」

 広い空間に、自分の間抜けな声がやけに大きく響いた。

 状況は理解できた。だが、そうなった過程が何一つ理解できない。そんな気持ちから、たった一文字を呟けば、王は補足するように、説明を始めた。それは耳を塞ぎたくなるような内容だった。

「このタイミングで、愛娘が毒入りのお茶を私に出したということは、マディアスと娘が結託していることは明らかだ。そして、私が倒れれば、適当な理由を並べ立てて間違いなくアカリが疑われるだろう。良くて投獄。最悪、処刑か。いや、後々のことを考えれば国外追放というところか。と、いうことで異世界のお嬢さん方を国賓にして護るという計画はおじゃんになった」
「ふざけるなっ」

 あまりに身勝手な理由に視界が怒りで紅く染まる。そして余りの怒りのせいで身体が震える。

 このまま王の胸倉を掴んで床に張り倒したい衝動を抑える代わりに、剥き出しの感情を王にぶつける。

「我々がどんな想いでそう決めたかわかっておられるのかっ。そして、アカリがどんな気持ちでその立場を受け入れたのか、わかっておられるのかっ」

 この人は一番近くで見ていたはずだ。国賓と言われた瞬間の彼女の表情を。

 細く頼りない肩が震えていたのを間違いなく目にしていたはずだ。けれど、彼女は国賓という立場を受け入れたのだ。どんな気持ちで、どんな想いでそれを受け入れたかわかっているのだろうか。

「国賓などというクソみたいな立場を彼女に与えたことを、我々はどれだけ悔いているかわかっておられるのかっ。彼女は異世界の女性であることは間違いありませんっ。…………けれど、中身は普通の…………ただの………か弱い一人の少女なんです」

 最後は自分の声音が震えているのがわかった。持て余す感情はいつの間にか、怒りから悲しみに変わっていた。

 彼女………アカリが国を脅かすような野心など持っているわけがない。彼女が望むことは、いつもささやかな自分以外の誰かの為に願うことばかりだ。

 そして、城に来て庭が綺麗だと。自分の職場を見ることができて嬉しい、と。こちらが見落としてしまうような些細なことを丁寧に拾い喜ぶことができる少女なのだ。

 可憐で健気で、己の価値などこれっぽちも理解していない、もどかしいと思えるほど慎ましい少女なのだ。

 綺麗だと褒めれば恥ずかしそうに俯き、彼女に何も求めないと言いつつも、自分の溢れ出る想いを必死に受け止めようとしてくれる優しい少女なのだ。なのに、どうして世界は彼女に優しくないのだろう。

 何が追放だ。何が投獄だ。本当に、どいつもこいつもいい加減にしろ。そう叫びたい衝動に駆られる。

 この世界が彼女にとって幸多い場所になれば良いと思った。いや、自分の手で、そうできると思っていた。なのに、過信したその思いは、あっけなく打ち砕かれる。

 胸が痛い。護ると言いながら、何もできない自分が、どうしようもない程に悔しい。

 そして、八つ当たりと言っても良い感情をこの国で最も尊いといわれる存在にぶつければ、眼前の男はゆるりと笑みを湛えながら口を開いた。

「なら、それで切り殺せばいい。時空の監視者殿。君たちは王の前でも唯一帯剣を許されたもの。異世界の女性に害なすものならば、すぐさま斬り捨てて良い存在だ」

 そう言った王の視線は、自分の腰に差してある短剣に注がれていた。

「どうした?隊長殿。その腰にある短剣は飾りか?異世界の女性に害なす者は、どんな者でも斬り捨てて良い。それが例え一国の王であっても。それが時空の監視者に与えられた特権のはずではないのか?」

 こちらの感情を逆なでする声音と視線を振り払うように、有らん限りの力で睨み付ける。

「………………できるわけがないでしょう。私は過去、一度だってあなたから剣を奪うことができなかった人間です。そんなあなたが丸腰であっても、俺が勝てるわけがないっ」

 感情のままにそう叫べは、ふっと王は自分を鼻で笑った。

 ああ、立場が変わっても、この人のこういうところは何も変わっていない。全てをわかっていて、さっきの言葉を口にしたのだ。自分の気持ちを隠して、こちらがどう動くか見極める。そういう考え方が無性に腹が立つ。

「それに、あなたが丸腰でいるはずがない。あなたもを持っているはずだっ」

 理性を保つのはもう限界だった。だが、殴り倒すにしても、この状況を覆す手立てを考えるにしても、まずはこの男を、玉座から引きずり降ろしてからだ。高みの見物ができるのは、ここまでだ。目の前の男の核となる部分は、自分と同じはずなのだから。

 こちらに来い。そう念じながら、もう一つの王の名を呼んだ。

「そうでしょう、フィル隊長」

 かつての上司にそう同意を求めれば、彼は双眸を細め、ぞっとするほど冷たい笑みを浮かべた。

 その表情を見た途端、懐かしい…………そんな感情よりも、もっともっと生々しく陰鬱なものが胸の内で暴れ出した。
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