監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

交戦する最中で………②

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 身体の動きに合わせて、ひらひらと揺れる花びらのような水色のシフォンのドレスが目の前に現れて、私は危ないと声を上げようと思った。

 徹底的に排除すると言ったバルドゥールの前に王女が現れるのも危険だし、ナイフという凶器を手にしている王女と対峙するバルドゥールも危険だと思ったから。

 けれど、声を上げる直前、私はぐらりと身体が傾いてしまった。………いや、違う。私を片腕で抱いているバルドゥールの身体がよろめいたのだ。

 けれどすぐに、彼は近くにあった壁に背をあずけ転倒を免れた。

 ほっとしたのもつかの間。バルドゥールの呼吸が乱れていることに気付く。驚いて見上げれば、その顔色は蒼白で、額には粒のような汗が浮かんでいた。

 そして、視界の端に、鮮やかな赤色が目に入った。良く見ればバルドゥールの腰の辺りから、血が滲んでいる。その傷は間違いなく王女が手にしたナイフによるもの。

 どうして?いつ?

 そんな疑問がよぎった瞬間、王女の可憐な声が再び部屋に響いた。

「ふふっ。これね、お父様に与えたのと同じ毒なのよ」

 その声音はとても小さく、私達だけにしか聞こえないもの。

 けれど、一語一句、聞き逃すことができない。だって今、王女はとんでもないことを口にしたのだ。

 王様を暗殺しようとしたのは自分だと自白したのだ。そしてその毒をバルドゥールに使ったと言ったのだ。

 その2つの衝撃的な事実が重すぎて、思考が追いつけない。

 なのに王女は、小さな悪戯が成功したように、嬉しそうに笑っている。

 そして手にしていたナイフを用済みだと言わんばかりに、無造作に床に放った。私を抱いているこの人を傷付けた凶器だというのに。

 くるくると円を描きながら、こちらに滑るように向かってくるナイフを見つめ、ああ王女は、明らかに歪んだ魂を抱えているのだと思う。そしてきっと、その原因は根深いものなのだろうとも。

 でも、それに私は意識を向けるつもりはない。王女にどんな過去があったとしても、バルドゥールを傷つけたことだけが、今の私の全てだ。

 自分の持っている憎しみという感情を全て込めて、王女を睨みつける。けれど、王女はちょっと困った顔をするだけ。

 けれど、その背後にいる時空の監視者達は、ちょっとどころではない困った顔をした。当たり前だ。鬼より怖い上官が傷を負って、瀕死の状態でいるのだ。

 それは、困惑と言うよりは、有り得ない状況───この戦況が大幅に変わるということでもある。

 けれどバルドゥールは、こんな時なのに上官であった。

「お前たち、誰が気を抜けと言ったっ。構わず、任務を遂行しろっ」

 バルドゥールの怒号に、時空の監視者達は再び表情を戻し、衛兵に剣を向ける。

 けれど、それはバルドゥールにとって、最後の力を振り絞ったものだった。

 部下に再び命令を下した上官は、そのまま地面に膝を付く。握り続けている剣は、もはや彼が倒れないための支えにしかなっていない。けれど、私の身体は絶対に手を離さない。何があっても、これだけはと思わせる強い力で。

「隊長さん、毒のお味はいかが?ふふっ、お茶に淹れていないから、味はわからないかしら?」

 なのに王女は、この状況を嘲笑うかのように、ころころと笑いながらこちらに近づいてくる。

 そうすれば、バルドゥールは私を支えている腕に力を籠める。そして反対の手は、未だに剣を手にしているし、金色の瞳は強い力を放っている。

 命に代えても………彼が紡いだ言葉が鮮明に蘇る。それは部下に命じたものではなく、自分自身にも下したものなのだろう。でも、私はそんなこと望んでいないし、嬉しくなんかない。

「さぁ、アカリ。早くこっちに来て。お揃いのドレスを作るって約束したでしょ?」

 王女はあと少しでバルドゥールの刃が届くか届かないかというところで足を止め、私に手を差し伸べた。

 冗談じゃない。そんな約束などした覚えは一切無い。

 そしてそんなふうに思いながら、王女の圧しつけるような扱い方に対して、私は反発を感じずにはいられなかった。

 ふざけるなと言って今、私の足元にあるこのナイフを手にして王女に襲い掛かかりたい。どうだ参ったかと言って、彼と同じ目に合わせてやりたい。

 いや、逆に、このナイフの切っ先を自分に向けて、今すぐ出ていけ、出て行かないなら私が死んでやると騒ぎ立てたい。

 でもそんなことをしても、無駄だ。私は存在だけが独り歩きしているだけの、無力で何もできないただの人間なのだ。

 なら、私ができることは何なのだろう。どれを選べば正解なのだろう。

 元の世界で、こんな窮地に陥ることなどなかった。そしてこんなことを想定したこともないから、一度も考えたことはなかった。

 だから、どの選択が正しいのかわからない。でも、わからないなりに、わかることがある。それは、結局、後悔しないものを選ぶしかないということ。

 例え、時間を巻き戻しても、何度同じ状況になっても、こうするしかなかった。何が悪いと言い切れるものしか選んではいけないのだ。

 それと同時に、これも神様の仕掛けた嫌がらせなのかとも思ってしまう。

 でも、もし仮に見えない何かの力によるものだとしても、今のこの状況は現実なのだ。そして、一刻の猶予もない切迫したもの。神様に悪態付いている余裕など、どこにもない。

 ゆっくりと考える時間はないし、選択肢は限られている。そして私は、状況を打破するとっておきの案もなければ、バルドゥールの傷を癒す特別な力もない。

 ────だから、ないないづくしのこの状況では、私が選ぶのは一つしかない。

「王女さま、あの───」
「嫌よっ、アカリ。私のこと、王女様なんて呼ばないでっ。ナシャータって呼んで」

 ………めんどくさい。

 意を決して口を開いたのに、出ばなをくじかれたような気分だ。思わずこほんと小さく咳ばらいをして、気持ちを仕切り直す。

「えっと、ナシャータさま、バルドゥールさんにお別れの挨拶をさせてください…………っう」

 王女に許可を貰おうと口を開いたのに、なぜかバルドゥールから返事をいただくことになったしまった。

 しかも、その返事とは私を抱きしめる腕に渾身の力を籠めるという抗議だった。とても苦しい。そして多分、嫌だと伝えたいのだろう。

 でも、王女は私のお願いに不満げに口元を歪めたけれど、渋々といった感じで頷いてくれた。

「…………ありがとうございます」

 『…………』の間に色々思うことがあったけれど、ぺこりと頭を下げ、身体を捻って、未だに私から腕を離さない彼と視線を合わせた。ぎこちない笑みを精一杯浮かべて。

「バルドゥールさん、腕を離してください」
「嫌だ。ふざけるなっ」

 素直に手を離してくれるとは思っていなかったけれど、駄目だではなく、嫌と言われてしまうと、とてもとても困る。

 あと私は、これっぽちもふざけていないし、この真っ白な軍服に血の色はひどく似合わない。

 そんなことを考えながら私は再び同じ願いを口にした。

「えっと、あの………バルドゥールさんの【嫌が】嫌です。お願いです、手を離してください」

 そう言えば、彼は今にも泣きそうに、くしゃりと顔を歪めてしまった。

 そんな表情をさせてしまい、とても申し訳ない。でも、こればっかりは譲るわけにはいかない。

 それに未だに、他の時空の監視者達は、剣を手にして戦っている。こんな状況を招いたのは、私の責任なのに、責めることなどせず。

 私は自分の命など、いつでも捨てて良いと思っていた。自分の生に意味を見出すことなどできなかったし、いらないものだと思っていた。だから他人との交わりなんて、どうでも良いすら思っていた。

 なのに、今、この人達が傷付くのがとても怖い。

 そしてバルドゥールを失うのが、何よりも怖い。消えないで欲しい。居なくなったりしないで欲しい。

 ………ああ、そっか。ずっとわからずに抱えていた気持ちは、これだったんだ。

 でも、こんな時にこの想いの名前に気付くなんて、大変皮肉なものだ。ただせめて、この気持ちはこんな沢山のギャラリーがいる場所で伝えたくはない。できればもう少し静かなところで伝えたい。

 そう思った私は、昨日と同じように彼の手を取り、そっと口づけをする。そして、そのまま彼の耳元に唇を寄せ、今日4つ目の約束を落とした。

 その途端、バルドゥールは私の腕を強く掴んで口元に引き寄せた。

 シャンとブレスレットの涼やかな音と、枷に付いた鎖の鈍い金属音が同時に鳴る。そして、その音に重なるように、腕にピリッとした軽い痛みが走った。

 痛みのある箇所に眼を向ければ、肘のあたりにうっすらと赤い花びらのような印が付けられていた。

 それは所謂、キスマークというもので。

 思わずバルドゥールに向かって、何故に!?と問い詰めたくなる。

 でもそれは、彼なりにきちんとした理由があった。

「アカリ、これが消える前には迎えに行く。だから…………」

 最後の言葉は、バルドゥールが私の唇についばむような口付けをしたせいで聞き取ることができなかった。

 そしてこんな公衆の面前で、口付けをされれば、私は首まで真っ赤になるのは致し方無い。 

 まったくもう。そんな呆れ交じりの悪態をバルドゥールに向かって視線だけで訴える。そうすれば、彼は諦めたような、それでいて泣くのを必死に堪えるような笑みを浮かべ、私から腕を離してくれた。

 自由になった私は、赤面した顔を静めるために、咳払いをする。そして───。

「お待たせしました。さあ、行きましょう、ナシャータさま」

 そう言って、私は自分の意志で立ち上がり、王女の手を取った。
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