監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

あなたに背を向ける痛み

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 自分の意志で立ち上がり、バルドゥールに背を向けた途端、私は振り返って、彼の胸に飛び込みたい衝動に駆られた。

 やっぱり嫌だと。離れたくないと、子供のように泣きじゃくりながら、彼に助けてと縋りつきたかった。

 ……でも、できない。

 だってバルドゥールは、怪我を負っている。それは私のせい。私を守ろうとしたせいで。

 そんな彼に、私は無理難題を言えるわけがない。それに何より、彼の元から去ることを選んだのは他ならぬ自分自身。

 だから絶対に、振り返るわけにはいかない。振り返ってはいけないのだ。 

「アカリ」

 そう自分に言い聞かせて、一歩踏み出した途端、バルドゥールが私の名を紡ぐ。ありったけの感情を凝縮した声音で。

 それを無視して更に一歩進めば、心の中の大切な何かをむしり取られてしまったような気がした。

 



 私と王女が並んで歩き始めれは、騒がしかったこの部屋は、一気に静寂に包まれる。

「───………アカリさま」 

 扉へ向かう途中、フェイネが今にも泣きそうな声で私の名を呼ぶ。

 良く見ればリュクスもエルガーも同じ表情を浮かべている。もっと言うならば、衛兵達はとても戸惑っていて、複雑な表情を浮かべている。

 そんな彼らに向かい、私はにこりと笑みを向ける。そうすれば、時空の監視者達は更に顔を歪めてしまった。

 上手く笑えなかったのだろうか。少し不安になる。ただ、フェイネやエルガーがそういう表情を浮かべるのは、なんとなくわかる。

 けれど、リュクスまでそんな顔をするのは予想外だった。できれば彼だけは、なんでもないといった感じで笑っていてほしかった。

「アカリ、よそ見をしないでっ」

 突然、横から鋭い声がしたかと思えば、力任せに腕を引かれてしまった。

 ただでさえ、足枷を付けられ歩きにくいのに、そうされればよろめいてしまうのは仕方がない。

 ふらついた足を踏ん張り、なんとか体勢を維持した途端、今度は王女は私の腕に自分の腕を絡ませる。……とても、歩きにくい。

 私の足に嵌められている枷は鎖が付いているけれど、その長さは肩幅もない。

 しかも今まで来たことも無い裾の長い服を着ている状態で。それだけでも歩行が困難だというのに、王女ががっしりと腕を絡ませているせいで、スカートの裾を持ち上げることもできない。まさに三重苦。

 でも、私は躓くことなどできるわけがない。凛とした態度でいなければならない。

 バルドゥールに強引な約束を取り付け、自分から王女と共にここを去ることを選んだのだ。なのに、大転倒などしたら、元も子もない。間違いなくあの人はここへ駆けつけてしまうだろう。

 ただ、大切なあの人をいとも簡単に傷つけた王女の手が、自分に触れていることに得も言われぬ不快感を持つ。今すぐ突き飛ばしたい衝動に駆られる。

「アカリ、私、あなたと一緒に居ることができて、とっても嬉しいわ」

 感情を逆なでするような、王女の鈴を転がしたような笑い声が耳朶を刺す。

 その声は、うっとりとした甘えにも似ていて、どことなく母の声にも似ている。

 ……ああ、また捕まってしまった。

 逃げて逃げて、やっと見つけた自分の居場所が奪われてしまったような気がしてならない。そして、憂鬱で絶望的な気分が体中に広がる。

 再び、身体がくらりと揺れる。胸の中にある黒い感情が暴れ出す。それは懐かしさにも似た恐怖。

「さぁアカリ、出口はこっちよ」

 王女は自分の腕を私の腕に絡めたまま、軽く引く。

 そして私は王女に引きずられるように、この暖かく優しかった空間から外に出る。王女にとったらそこは出口かもしれないけれど、私にとったら地獄の入口だ。そんなことを思いながら。  



 されるがまま、庭園の中にある渡り廊下を歩いていたけれど、私はもう限界だった。

「ナシャータさま、少し離れていただけますか?」

 ピタリと足を止めて、きつい口調でそう言った私に、王女はきょとんと眼を丸くした。

「なぜ?」

 まるで理解できないといった感じのその表情を見て、思わずその頬を張り倒したくなる。でも、前後には衛兵がいるし、すぐ隣にはマディアスがいる。

「とても、歩きにくいからです」

 端的に説明した後、これ見よがしに両手の枷を王女に見せつければ、何故か王女は信じられないといった表情に変わった。

「どうしてアカリにこんなものを付けているの!?誰がっ。酷いっ」
「………はぁ?」

 もう、王族相手だから不敬は許されないといった感情など捨てて、露骨に顔をしかめてみる。

 でも、王女はそんな私を捨て置いて、マディアスにきつい口調で詰め寄った。

「アカリのこれ、今、すぐに外してちょうだいっ」

 金切り声を上げる王女を見て、マディアスは困惑した表情を浮かべる。

 その気持ちは良くわかる。だって、王女は私が枷を嵌められた経緯をちゃんと見ていたはずなのに、今の態度は、初めて知ったようなそれ。しかも、演技ではなく、本気のご様子だ。

 ……この少女、やっぱり、おかしい。言葉を選ばずに言うなら、狂っている。

 理解できない王女の言動に、ぞわりと怖気が走る。視界の端に、見てはいけないものを見てしまったような表情を浮かべる衛兵たちの姿が映る。

 けれど、マディアスだけは至って冷静だった。

「もちろん、すぐに外します。ただ王女、一旦、ここで別行動にしましょう」
「嫌よっ。私、アカリとずっと一緒にいるわっ。ねえ、それよりも前に、アカリの枷を外してあげてっ」

 駄々をこねる子供のように、王女は今にも地団駄を踏み鳴らさんばかりの勢いだ。

 でも、そういう王女の仕草は慣れているのだろう。マディアスは苦笑を浮かべながら膝を折り、王女と視線を合わせる。

「王女、私の言うことを聞いてください。あなたがここに居るのがわかれば、後々厄介なことになるでしょう?今日はこっそり見るだけと約束したのをお忘れですか?」
「嫌っ。私、誰に何て言われたって良いわっ」
「………困りましたね。ああ、そうです、そうです。王女、仕立て屋がそろそろ到着されますよ。お揃いのドレスをお作りになられるのでしょう?生地だけでも選んでおかなければ、完成までにお時間が掛かってしまいますよ?」

 瞬間、王女は、あっと短く声を上げた。そしてすぐさま、笑顔になる。

「そうね、そうだったわ。じゃあ、アカリ。私はドレスの生地を選んでくるから、ちょっとここでお別れね。でも、安心して、すぐにまた会えるから。でも、何色のドレスにしようかしら?………ねえ、アカリは何色のドレスが好き?私は───」
「王女、水色でいかがでしょうか?あなたの一番好きなお色をお揃いで、お作りなさい」

 不可解な王女の問い掛けを遮ったのは、マディアスだった。

 きっと、このまま王女を放置していたらいつまで経ってもここから動かないと判断したのだろう。そして、その切り出し方は正解だったようで、王女は素直にマディアスの言葉に頷き、パタパタとどこかへと消えて行った。

 それからすぐ、厄介事が一つ片付いたといった感じで息を付いたマディアスは、次に私に目を向ける。

 その視線は王女に向けるものとは真逆の汚らしいものをみる目つきだった。

「さて、と。───…………連れていけ」
「………………っ」

 押し出されるように歩き始めた瞬間、私は石畳の段差に足を取られ、派手に転倒してしまった。
 
 慌てて身を起こそうとしたけれど、足首に激痛が走り、うっと呻いてしまう。こんな時まで私の足を引っ張る枷が憎らしい。

 そんなみっともなく崩れ落ちたままの私に、マディアスは侮蔑の視線を投げる。

「ったく、一人で歩くことすらできないんですか?私は時空の監視者と違ってあなたを抱きかかえて運ぶような悪趣味はことはしませんよ」

 意地悪く私を見下ろすクズ野郎に、思わず唾を投げつけたくなる。

 でもその瞬間、少し離れた場所でのんびりと歩いてくる、揃いのお仕着せを身に付けた侍女達を視界に納めた。

 マディアスは私を拘束するのを極秘にしたいのは、もう間違いない。

 なら、ここで誰かに目撃されたなら───そう思った時には、私は肺いっぱいに空気を吸い込んでいた。

「すいませっ────……痛っ」

 露骨な舌打ちが聞こえた途端、頭部に衝撃が走る。次いで感じる、頭皮の痛み。少し遅れて、マディアスが力任せに私の髪を掴み上げたのを知った。

「小娘が、いちいち腹の立つことをしてくれますね」

 更に髪を掴まれ、私は不本意ながら膝立ちを強要される。

 そしてマディアスは、私の髪を掴んだまま、空いている方の手で懐から小さな小瓶を取り出した。そしてそれも器用に片手で開ける。

「殺さないよう、傷つけないよう、私も、そこそこ気を使っていましたが、もう面倒です。さっさとこれを飲んでください」

 口元に小瓶を近づけられれば、刺激臭が鼻を突く。

 クズ野郎が持参したものなど、ロクなもんじゃないことに気付いている私は、誰が飲むものかと睨みつけて頑として口を開けることはしない。

 でも、いきなり鼻を押さられてしまえば、呼吸は不可能で、あっという間に息苦しくなる。

「───………はぁ……っ!?」

 酸素を肺に送りこみたくて、無意識に口を開けてしまったその拍子に、マディアスは薬品の入った小瓶を私の口にねじ込んだ。そして勢い良く瓶の中身を注がれ、私は反射的に飲み込んでしまう。

 時すでに遅いと思っても、嫌だと首を振り、マディアスから距離を取ろうともがく。ただ、その拍子にバルドゥールから贈られた髪飾りが、するりと髪から抜け石畳に落ちてしまった。

 カシャンと冷たい金属音を立てて床に叩きつけられてしまったそれを取り上げようと、必死に手を伸ばす。

 けれど、視界がぐにゃりと歪む。次いでみるみるうちに暗闇に包まれてしまい………………私は意識を失ってしまった。
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