お遣い中の私は、桜の君に囚われる

茂栖 もす

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寄り道の章

イケメンにかじられました

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 ───ナギが屋敷へ消えると、居心地の悪さを感じ始めた。それもそのはず、屋敷に戻ってから私はずっとシュウトに抱きかかえられたままなのだ。

「あの、シュウト………そろそろ降ろして欲しいのですが」
「靴がないのに、どうやって部屋まで歩くんだ?」
「あ……」

 今日履いていた靴は、シュウトから貰ったもの。でも崖から這い登る時に、泥で汚れてしまった。落ち込む私に、ナギが後で綺麗にしておくからと預かってもらっていたのだ。

 ───うっかりしていた。もういい、私の部屋まではもうすぐだ。今は無駄な言い訳をしないで、おとなしくしておこう。

「ナギとの遠乗りは楽しかったか?」

 シュウトは、ゆっくりと歩きながら、穏やかな口調で私に問いかける。もうシュウトを取り巻く空気からは、先ほどの怒りは感じられなかった。

 ほっと息を付いて、私はシュウトの肩に手を置きながら応えた。

「はい。桃の木を見に行きました。道中の水を張っただけの田んぼが凄く綺麗で…」
「綺麗で?」

 一旦、言葉を止めた私に、シュウトはくるりと視線をこちらに向けて続きを促す。

「綺麗で、その光景をシュウトのお礼にしたかったぐらいです」

 それは、本当に思ったこと。シュウトに渡したみずみずしくて、ほんのり甘いリトの実は、実は偶然の産物だった。
 もともとナギに脅迫された後、喉がカラカラになった私に彼がもいでくれたもの。どうせなら、あの綺麗な水田を写真に撮って見せたかった。

 そうしたらシュウトは喜んでくれるだろうか。私は人に贈り物をしたことがほとんどないから、誰かに喜んでもらえるかどうかの判断が難しい。

 そんなことを考えていたら、縁側はもう目の前だった。立ち止まったシュウトからするりと降りた私は、向かい合ってシュウトに頭を下げる。

「ありがとうございました」

 私のお礼の言葉をおどけた仕草で返したシュウトは、包みを少し持ち上げて無邪気に微笑む。

「これの礼がしたいのだが…」
「……そんなことしてたら、お返しばっかりでキリがないですよ。───……ん?あれ、何かちょっと違うなぁ」

 自分の言葉に首を振り、そう呟いてみる。独り言のつもりだったけど、シュウトにはしっかり聞こえていたようで続きを目で問うてくる。

「キリがないって言うのはちょっと違ってました……ごめんなさい。私のほうが、お礼が足りないのに、これ以上お礼をしてもらうわけにはいけないと思ったんです」

 それから、そっとシュウトの手に触れた。思っていたよりもシュウトの手は大きくて暖かい。

 本当にお礼を言いたいのは、衣や帯なんかではない。もっと、大切なこと。

「私……酷いことや、傷つくこといっぱい言ったのに……心配してくれて、ありがとうございます」

 シュウトは何も言わない。でも私は、少し早口になっても、一番、言わないといけない事がある。

「それと、ごめんなさい。この前の衣のこと………。私、ちょっと嫌な事があって、シュウトに八つ当たりをしてしまったんです。本当にごめんなさい」

 優しさに続く心配とか思いやりとか、そんな大切なことに気付くことができなくて、ごめんなさい。私はシュウトに向かって深く頭を下げた。

 少しの間の後、からりと秋風のような爽やかな笑みが降って来たと思ったら、両頬が大きな手に包まれ上を向かされる。

「八つ当たりも、愚痴も上等。どんどん言えば言い。それに、どれも、私が勝手に自分の気持ちを押し付けただけだ。だから、気にすることではないが………」

 シュウトは、うーん、と首を捻ったが、すぐにニヤリと笑った。何かとてつもなく嫌な予感がする。

「まぁ、瑠璃殿がお礼が足りない、というなら、まとめて貰っておくか……」
「なっ、何でしょう」

 じわりじわり、後ずさりする私の腰を、シュウトはひらりと、さらった。そして、あっと言う前に、シュウトは、私の唇に自分の唇を重ねた。

 それはあまりに一瞬の出来事で、状況を理解するのにしばらく時間がかかった。

「……何をしましたか」

 シュウトの腕の中で、怒りに震えながら、ぼそりと呟く。そして、ぐわっ、シュウトの胸ぐらを掴んだ。

「何をしてくれたんですかっ!?」

 そう叫んでも、シュウトは何も言わない。固まったままだ。試しに軽く叩いてみたけど、びくともしない。あ…………違う。何か考えている。

「足りない」

 一瞬で変わった、熱を帯びた瞳とその言葉に、ひぃっと声にならない悲鳴が漏れた。何ていうか、大きい地震の後の余震に耐える心境だ。いや駄目だ。耐えてはいけない。地震が来たときは、安全な場所に避難するに限るのだ。

「じゃ、そういうことで、私は……────……ひゃっ」

 当たり障りのない挨拶をしつつ、突き飛ばそうとした私の腕をシュウトが掴む。あっと思った時は、時すでに遅かった。

「─────……っん、んんっ」

 声にならない声が漏れる。うまく息が吸えない。

 ついでに、力も入らないから突き飛ばすことすらできない。もう、溺れた人がわらをもつかむ心境で、シュウトの胸元を握る。

 反対にシュウトは何を勘違いしたのか、更に私を抱きしめる力を強くする。

 やられた。これが、お礼の先払いだなんて。

 もうこれは、口づけってもんじゃない。ぬるりと割って入ったシュウトの舌は熱く、触れられるだけで、全ての力が抜けていく。

 それをいいことに、シュウトは好き勝手に私の口の中で暴れて……これは───かじられたといった方が正解だ。

 何度もガブガブされて、酸欠で視界がピンク色になった頃、ようやく私は、シュウトの腕から解放された。

 ズルズルと座り込み肩で息をする私に、シュウトは留めの一撃とばかりに、膝を折り軽く唇を押し付けた。動けない私は、ただ黙ってそれを受け入れることしかできない。

「瑠璃」

 名を呼ばれて、反射的に顔をあげる。何かが視界を遮ったと思ったら、シュウトの腕の中だった。

「今日は疲れたであろう、ゆっくり休むがいい」

 そう言ってシュウトは、もう一度私を軽く抱きしめた後、縁側を後にした。私ものろのろと這うように自室に戻る。なんとか障子を閉め、それから───



「うわぁあああああああああああああああ!!!」



 独りになった私は、とりあえず、色々溜まった何かを吐きだそうと、部屋で頭を抱え、のたうちまわってみた。

 のたうち回りながら、そういえばシュウトは、私のこと始めて名前だけで呼んでたとか、今日の夕飯は何だろうとか、ぐちゃぐちゃ考えながら日は暮れていった。



 一番大きな疑問は、どうしてシュウトにキスされて驚いたけど、嫌な気持ちにならなかったということ。でも、その答えに気付くのはもう少し後になる。いや、当分後でいい。
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