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第7夜 忘却の地下牢
第19話 向き合う覚悟
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「おまえ、髪邪魔じゃないのか?」
「え?」
緋鞠が銭湯の手伝いに、初めて番頭に立ったときだった。長い髪は雑用で忙しそうにしていたとき、少し邪魔そうに見えた。大雅が何気なく問うと、緋鞠の表情が曇る。
「結ばねぇの?」
「あ、うーん……ほら、あんまり似合わないから」
そういって、曖昧に笑うとその場を去ってしまった。いつもなら余計なお世話だとか、言い返してきたりしそうなものなのに。
おかしいと思っていても、そこまで気にはとめなかった。
戦闘服のときは、首まで黒い襟が覆い隠すデザインから遠慮なく結い上げていたのだろう。普段から何かと髪を結んだり、首筋を見せないようにしていたのは、この傷のせいだったのだ。
昨日の出来事なのに、そんなことも頭から抜けていた。一生残るような火傷を負っていると知っておきながら、すぐに分からなかった。
「澪! 今すぐ迦楼羅消せ!」
「な、そんなことしたら!」
「消せ!!」
澪は納得がいっていなかったが、すぐに扇を閉じた。迦楼羅は不満げな鳴き声を残しながら、荒々しく消えていく。
(あとなんだ!? こいつが嫌なこと、苦手なこと……)
どうにか数日間の記憶を引っ張り出しても、まったくわからない。
結局、白夜と変わらない。近くにいるくせに、無関心。相手のことを何一つわからない。
そんなところが嫌いだったくせに。面倒の一言で片付けて、逃げてばかりいた。過去の自分の勝手な決め事なんか、今はなんの意味合いもなくなってしまったというのに。
「……向き合う覚悟がなかったのは、俺のほうか」
あの女の言うことは、半分くらいは当たっていたのかもしれない。
(だけど、まだ間に合うよな?)
少しずつ、風が刀を押し返そうと強くなる。これ以上、朧月はもたないだろう。
大雅は僅かにできていた、壁の隙間に手を差し込んだ。朧月で抑えているとはいえ、風の刃は容赦なくその手を切り刻んでくる。鮮血が散って、風の流れに沿って流れた。
「あんたなにやってのさ!? やめな!」
澪の悲鳴に近い制止に耳を貸さず、そのまま風を押し退けようと力を込める。痛みなんて、とうになくなっていた。
「緋鞠!」
初めて、名を呼んだ。呼んだら、きっともう関わらないとか出来なくて、勝手に決めてたルール。
あの墓参りの日、ひっそりと決めていたそれを捨てた。
「聞こえてるか! もう大丈夫だ、助けに来た! もうこんなとこから、早く出るぞ!」
風の音に負けないくらい、声が枯れるほど叫ぶ。何度も、何度でも。届くように願いを込めて。
~◇~
暗い闇の底。
おびただしい死体の山から目を背けるように、緋鞠は小さく縮こまっていた。
なにも聞こえないように両手で耳を塞いで、目を固く閉じた。それでも、それは聞こえてくる。追いかけてくる。
おまえのせいで。おまえがいたから。化け物。
──おまえが、死ねばよかったのに。
呪詛のように、ずっと緋鞠に浴びせてくる悪意の言葉。その声を幻だと、悪い夢だとそう思えればよかったのに。
どうして、聞き覚えがあると思ってしまうのだろう。
嫌、嫌、嫌だ。
怖い怖い怖い。
痛い痛い痛い。
誰の記憶? 私の記憶?
知らない知らない知らない──知りたくない。
叫んででも、この声を掻き消したかった。
だけど、幼い頃に負った火傷の傷痕が焼けるように痛んで、声を出すことすらできない。
いつ火傷をしたのか、まったく覚えていなかった。もしかしたら、この傷と関係のあるかもしれない。けれど、今さらそんなこと言われたって、どうしようもないじゃないか。
ただ、この悪夢が消え去ることだけを願っていた。
助けて、誰か助けて──。
「──」
埋め尽くすほどの呪詛のなか、別の音が紛れ込んでいた。気にはなったけれど、またどうせ罵言だろう。
「──!」
だけど、それはなくなることなく、むしろ大きくなっていく。何だろうか。
そんなに、私に聞かせたいことなのだろうか。
ずっと数多の罵言を受けて、神経は磨り減っていた。息苦しさから、視界も揺れ始めていた。もう、限界だった。
──これで眠ってしまってもいいのかもしれない。
最後に、その言葉を聞いてからでもいいだろう。
諦めて、手を下ろした。ゆっくりと瞳を開いて、顔を上げる。
すると、視界に入ったのは小さな光だった。
暗闇から僅かに覗く、手が入るかどうかの小さな隙間。
そこから聞こえてきたのは──。
「緋鞠!」
必死に名を呼ぶ、男の人の声。銀狼でも、兄さんでもない。
だけど、優しい響きだった。
緋鞠はすがりつくように、その光に手を伸ばした。
大雅はこちらに向かって伸ばされる、緋鞠の手をすぐに掴んだ。急いでこちらに引っ張りあげる。
すると、実にあっけなく、突然風がぱっと消えた。
「は……っておわっ!」
強く引っ張ったせいで、そのまま緋鞠と一緒に倒れ込んだ。緋鞠を庇うように倒れたせいで頭を打ち、痛みから涙が出てくる。しかし、また暴走するかもしれないことから、すぐに上に乗っている緋鞠の頭にぺたりと霊符を貼りつけた。
これで大丈夫だろう。
しかし、ピクリとも動かない緋鞠に不安が押し寄せる。少し顔をあげてみると、緋鞠のアホ毛が見えた。よく見ると、若干震えている。
大雅は恐る恐る、頭に手を添えた。ビクッと動いたということは、意識はあるのだろう。そのまま優しく撫でてやる。
「ふっ、うっ……うぇぇぇぇ」
すると、そのまま泣き出してしまった。こんなひどい目にあったのだ、当たり前かもしれない。
「怖かったな。もう大丈夫だ」
何度も頭を撫でてやると、だんだん静かになっていく。やがて、規則正しい寝息が微かに聞こえてきた。
白夜が残したもの。守れなかったもの。
それが彼女なら、まぁそう悪いものでもないか。と、そんなことを思いながら瞳を閉じた。
「え?」
緋鞠が銭湯の手伝いに、初めて番頭に立ったときだった。長い髪は雑用で忙しそうにしていたとき、少し邪魔そうに見えた。大雅が何気なく問うと、緋鞠の表情が曇る。
「結ばねぇの?」
「あ、うーん……ほら、あんまり似合わないから」
そういって、曖昧に笑うとその場を去ってしまった。いつもなら余計なお世話だとか、言い返してきたりしそうなものなのに。
おかしいと思っていても、そこまで気にはとめなかった。
戦闘服のときは、首まで黒い襟が覆い隠すデザインから遠慮なく結い上げていたのだろう。普段から何かと髪を結んだり、首筋を見せないようにしていたのは、この傷のせいだったのだ。
昨日の出来事なのに、そんなことも頭から抜けていた。一生残るような火傷を負っていると知っておきながら、すぐに分からなかった。
「澪! 今すぐ迦楼羅消せ!」
「な、そんなことしたら!」
「消せ!!」
澪は納得がいっていなかったが、すぐに扇を閉じた。迦楼羅は不満げな鳴き声を残しながら、荒々しく消えていく。
(あとなんだ!? こいつが嫌なこと、苦手なこと……)
どうにか数日間の記憶を引っ張り出しても、まったくわからない。
結局、白夜と変わらない。近くにいるくせに、無関心。相手のことを何一つわからない。
そんなところが嫌いだったくせに。面倒の一言で片付けて、逃げてばかりいた。過去の自分の勝手な決め事なんか、今はなんの意味合いもなくなってしまったというのに。
「……向き合う覚悟がなかったのは、俺のほうか」
あの女の言うことは、半分くらいは当たっていたのかもしれない。
(だけど、まだ間に合うよな?)
少しずつ、風が刀を押し返そうと強くなる。これ以上、朧月はもたないだろう。
大雅は僅かにできていた、壁の隙間に手を差し込んだ。朧月で抑えているとはいえ、風の刃は容赦なくその手を切り刻んでくる。鮮血が散って、風の流れに沿って流れた。
「あんたなにやってのさ!? やめな!」
澪の悲鳴に近い制止に耳を貸さず、そのまま風を押し退けようと力を込める。痛みなんて、とうになくなっていた。
「緋鞠!」
初めて、名を呼んだ。呼んだら、きっともう関わらないとか出来なくて、勝手に決めてたルール。
あの墓参りの日、ひっそりと決めていたそれを捨てた。
「聞こえてるか! もう大丈夫だ、助けに来た! もうこんなとこから、早く出るぞ!」
風の音に負けないくらい、声が枯れるほど叫ぶ。何度も、何度でも。届くように願いを込めて。
~◇~
暗い闇の底。
おびただしい死体の山から目を背けるように、緋鞠は小さく縮こまっていた。
なにも聞こえないように両手で耳を塞いで、目を固く閉じた。それでも、それは聞こえてくる。追いかけてくる。
おまえのせいで。おまえがいたから。化け物。
──おまえが、死ねばよかったのに。
呪詛のように、ずっと緋鞠に浴びせてくる悪意の言葉。その声を幻だと、悪い夢だとそう思えればよかったのに。
どうして、聞き覚えがあると思ってしまうのだろう。
嫌、嫌、嫌だ。
怖い怖い怖い。
痛い痛い痛い。
誰の記憶? 私の記憶?
知らない知らない知らない──知りたくない。
叫んででも、この声を掻き消したかった。
だけど、幼い頃に負った火傷の傷痕が焼けるように痛んで、声を出すことすらできない。
いつ火傷をしたのか、まったく覚えていなかった。もしかしたら、この傷と関係のあるかもしれない。けれど、今さらそんなこと言われたって、どうしようもないじゃないか。
ただ、この悪夢が消え去ることだけを願っていた。
助けて、誰か助けて──。
「──」
埋め尽くすほどの呪詛のなか、別の音が紛れ込んでいた。気にはなったけれど、またどうせ罵言だろう。
「──!」
だけど、それはなくなることなく、むしろ大きくなっていく。何だろうか。
そんなに、私に聞かせたいことなのだろうか。
ずっと数多の罵言を受けて、神経は磨り減っていた。息苦しさから、視界も揺れ始めていた。もう、限界だった。
──これで眠ってしまってもいいのかもしれない。
最後に、その言葉を聞いてからでもいいだろう。
諦めて、手を下ろした。ゆっくりと瞳を開いて、顔を上げる。
すると、視界に入ったのは小さな光だった。
暗闇から僅かに覗く、手が入るかどうかの小さな隙間。
そこから聞こえてきたのは──。
「緋鞠!」
必死に名を呼ぶ、男の人の声。銀狼でも、兄さんでもない。
だけど、優しい響きだった。
緋鞠はすがりつくように、その光に手を伸ばした。
大雅はこちらに向かって伸ばされる、緋鞠の手をすぐに掴んだ。急いでこちらに引っ張りあげる。
すると、実にあっけなく、突然風がぱっと消えた。
「は……っておわっ!」
強く引っ張ったせいで、そのまま緋鞠と一緒に倒れ込んだ。緋鞠を庇うように倒れたせいで頭を打ち、痛みから涙が出てくる。しかし、また暴走するかもしれないことから、すぐに上に乗っている緋鞠の頭にぺたりと霊符を貼りつけた。
これで大丈夫だろう。
しかし、ピクリとも動かない緋鞠に不安が押し寄せる。少し顔をあげてみると、緋鞠のアホ毛が見えた。よく見ると、若干震えている。
大雅は恐る恐る、頭に手を添えた。ビクッと動いたということは、意識はあるのだろう。そのまま優しく撫でてやる。
「ふっ、うっ……うぇぇぇぇ」
すると、そのまま泣き出してしまった。こんなひどい目にあったのだ、当たり前かもしれない。
「怖かったな。もう大丈夫だ」
何度も頭を撫でてやると、だんだん静かになっていく。やがて、規則正しい寝息が微かに聞こえてきた。
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