迦具夜姫異聞~紅の鬼狩姫~

あおい彗星(仮)

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第8夜 心休める時

第2話 眠れない夜

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 カチッ、コチッ──。

 回り続ける秒針の音。暗闇のなかで聞いていると、ずっと同じ時間をぐるぐる回っているみたい。だんだん、頭のなかでも回り始めて……。

 緋鞠は起き上がると、はぁと息をはいた。

「……眠れない」

 ベッドから下りると、近くの窓を開け放つ。
 空は曇っているのだろう。月も、星も見えなくて真っ暗だった。まだ夜明けが来る気配もない。
 緋鞠は窓枠に座って、夜風に目を閉じた。冷たい夜風が頬をなで、息がしやすい。
   ……やっぱり、まだ直っていなかったようだ。

 昔から、暗闇に一人でいることが怖かった。
 幼い頃は白夜のとなりで、孤児院では兄妹の誰かと一緒に眠ることが多かった。そうじゃないと、まったく眠れなくなるから。

『お姉ちゃんは、どうして暗闇が怖いの?』

 前に、幼い妹に聞かれたことがある。何でもできる、かっこいいお姉ちゃんになりたかったけど、これだけ。どんなに努力してもダメだった。

『おばけがいるから?』
『おばけは怖くないよ。むしろ、いてくれた方が安心する』
『ええ? 変なのぉ。じゃあなんで怖いの?』
『なんでだろうね』

 曖昧に笑って、抱き締めて、温かさに安心して眠りにつく。

  一人でいると氷みたいに芯から冷えきるのに、じっとりと嫌な汗をかく。心臓にナイフを突きつけられているような恐怖に、妙な息苦しさ。目が冴えて、些細なもの音にも敏感になる。
 忍び寄るように押し寄せる。それらが怖くて、眠れなくなるのだ。それに加えて、地下牢で見た気味の悪い光景。あれのせいで、今は余計に眠れなかった。

(最近は、銀狼がずっととなりにいてくれてたから。忘れてたのになぁ……)

 そのせいで、ずっとこちらにいてくれていたから、回復が遅くなってしまったのかもしれない。本来、妖怪はこちら側にいるべき存在ではない。銀狼のためを思うなら、用事があるとき以外は狭間にいてもらうべきなのだ。
 それなのに、甘えてずっと側にいてもらって、体調を悪くさせてしまった。
 なんてダメな主なんだろう。
 気落ちして、膝を抱え込んだ。

 カサッ──。

「!」

 僅かに聞こえた物音に、大きく肩を揺らす。そっと腕の隙間から覗き見ると、指先ほど小さく平面な三角形の顔。
 さきほど、ベッドの上にいた折り鶴だった。

「君、澪さんと一緒に行ったんじゃなかったの?」

 問いに、折り鶴は答えることなく、翼で前髪に触れてくる。そして、もう片方の翼でベッドを示した。
 なるほど、見張り番か。

「ごめんね。眠れなくて、ベッドにいると逆に疲れちゃうんだよ」

 それでもめげずに、袖を引っ張ってくる。懸命に世話を焼こうとする様子が可愛らしい。しばらくその様子を楽しんでいると、ふと風がやんだ。
 外を見ると、ちょうど雨が降ってきたところだった。

 柔らかいカーテンのような雨。
 あの日の雨によく似ていた。

 よじよじ、と手の甲に登ってくる折り鶴を手のひらに移動させる。
 なんだか少し、話をしたい気分だった。
 内緒話みたいに口を寄せて、小声で話しかける。

「内緒だよ?」

 ~◇~

 十年前、紅葉が色づく秋の頃。

 兄の葬儀へと赴いた緋鞠は、空っぽの棺を目にした。ショックで八雲の手を振り切って、その場から逃げ出した。
 わけもわからず、どこへ向かうでもなく、ひたすらに走り続けて。

 ──ベシャッ!

 足を石に引っ掻けてしまい、顔から派手に転んだ。ゆっくりと体を起こしたけれど、放心状態。しばらく固まったまま、座り込んだ。
 擦りむいた膝が痛いわけじゃない。だけど、決まって転んだときに差し出される手が、今はない。

 ポツっ──。

 顔を上げると小さな雫が頬に落ちる。そのままサァっと空から雨が降り注いだ。
 雨から守るように差し出される傘もない。

「兄さん」

 小さく、呟いた。
 でも、その声は雨に掻き消されてしまう。

「兄さん」

 今度は少し大きな声で。
 でも、まだ届かない。

「兄さん!」

 静寂。耳に届くのは、降り注ぐ雨音のみ。
 欲しい声が……聞こえない。

 緋鞠はポロポロと涙が溢れ出てくる。

「びゃくにぃ……」

 うわぁぁぁん!と大声で泣いても、誰も涙を拭ってくれない。抱き締めてくれない。ただ失った喪失感が、あとからあとから押し寄せていった。

 涙が流れていくたびに、悲しみはなくならずに増えていく。あの温かい手は二度と差し出されない。あの優しい居場所もない。

 まるで、世界に一人。取り残されたみたいだった。
 そうして、ずっと泣いていると突然、雨がやんだ。
 だけど、雨音は聞こえたままだ。驚いてほんの少し涙が止まった。

 顔を上げると、きれいな青色の瞳と視線が合う。目の前にいたのは、緋鞠と歳が変わらなそうな男の子だ。自身が着ていたと思われるジャケットを頭に乗せて、大きく広げて緋鞠を雨から庇っていた。

「大丈夫?」

 それが、あの子との出会いだった。
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