88 / 113
第8夜 心休める時
第3話 約束
しおりを挟む
あのときの私は、人見知りでいつも兄の後ろに隠れていた。孤児院にいても誰と話すこともなく、窓の外が暗くなるまで。部屋の隅で座り込んだまま、八雲が声をかけるまで、ひたすらじっとしていた。
そんなわけで、初めて見たその瞳のきれいさと、知らない人、という二つの要素で大混乱。
聞かれている質問の意味から探し始めてしまった。
雨に濡れていることか。それとも、転んで座り込んでいることだろうか。
緋鞠は、なんて答えたら分からず、再び紅い瞳は涙でいっぱいになる。それを見て少年は青ざめ、慌て始めた。
「ごめん、大丈夫じゃないよね! すぐそこに雨宿りできる四阿があるから、そこまで行こう」
そういって、差し出される手。
雨に濡れないように気遣って、前屈みになってくれる。緋鞠は少し手を伸ばして、一瞬躊躇った。不安そうな顔で見上げると、少年は空中で止まった手を取ってくれる。安心させるように優しく掴むと、そのまま立ち上がらせてくれた。
その手は兄のように温かくて、少し安心した。すると、今度はジャケットを緋鞠に被せて雨を凌いでくれる。
「あ、の……」
「俺は平気だから」
そうして再び手を繋いで、案内してくれる。
兄のようで、兄とは違う。初めての優しさに、緋鞠は恥ずかしさを隠すように、ジャケットを深く被って顔を隠した。
少し歩いて、古めいた四阿が見えた。蔦や草で覆われていたが、誰かが手入れしているようで、壊れている箇所は真新しい釘や板で直されていた。
二人並んで座ると、少年がハンカチを差し出してくれた。
「よかったら使って」
「わ、私は大丈夫。あなたの方が、濡れちゃってるよ」
「平気だよ」
自分のことはお構いなしに、世話を焼こうとする彼に緋鞠は頬を膨らませた。なんとなく、頑固で言うことを聞かなそうな人だと思った。
仕方なく、渋々ハンカチを受け取り、少年の髪を拭いてあげる。
「え? 俺は大丈夫だよ」
「風邪引いちゃうよ。兄さんも大丈夫とか言ってたけど、風邪ひいて寝込んじゃったことあったもの。雨に濡れたらすぐ拭く、これ大事!」
ビシッと人差し指を立てる。それを見て、少年は目を瞬かせる。
(……もしかして、うざかった!?)
つい、いつも仕事関係で夜更かしやら、寝不足やらで体調を悪くしやすい八雲に言い聞かせような態度を取ってしまった。
友達が一人もいなかった緋鞠にとって、初コミュニケーションである。善し悪しもわからない。誰か教えて、と叫びたい気分だった。
すると、心配をよそに少年はふっと息を吹くと、目尻を下げて楽しそうに笑った。どうやら間違っていなかったこと、初めて誰かを笑顔にできたことに胸の辺りが温かくなる。
次に少年は、緋鞠が転んでできた擦り傷を治してくれた。驚いたのは手当てではなく、そこにはじめから傷なんてなかったかのように、きれいに治してしまったことだった。
聞いたことのない言葉の羅列。見たことのない奇怪な絵のようなものが書かれた短冊。それらを使って、あっという間に治してしまう。
まるで、絵本に出てくる魔法使いのようだった。
「すごいすごーい! ありがとう!」
「全然すごくないよ。初歩の術だし」
「じゅつ?」
「君は見習いじゃないの?」
「なんの?」
不思議そうに首を傾げると、少年も首を傾げる。よくわからないけど、少年はその見習いというものなのだろう。
「そうなんだ。でも、どうして雨のなか一人で泣いていたの?」
「そ、れは……」
先ほど、斎場で見た光景を思い出す。空っぽの棺に、黒服の知らない大人たち。緋鞠が一番聞きたくない言葉を残して去っていく。
その場の居心地の悪さに、思わず逃げ出してしまった。けれど、それをなんて説明したらいいのだろう。少年は黙り込んでしまう緋鞠を心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫?」
気遣わしげな優しい色合いに、つい、言葉がこぼれた。
「……みんな、意地悪を言うの」
「どんな?」
「兄さんが、死んだって」
口にして、止まっていた涙が溢れてくる。信じられないからこそ、言いたくなかった言葉だった。
「死んだら、死体になるんでしょう? でも、兄さんの死体はなくて、見つからない。それなのに、ちょっといないぐらいで、皆そういうの」
だんだん鼻声になって、目に涙が溢れた。
「それなのに……」
俯くと、大粒の涙がこぼれ落ちる。それを柔らかいハンカチによって、そっと拭われた。
「俺も同じ事を言われたよ」
「えっ?」
驚いてみると、少年はポケットから少しほつれている古い御守りを取り出した。それを、悲しげな瞳でみつめる。
「俺の父さんも死んだって言われた。けど、見つかったのはいつも持ってた、この御守りだけなんだ。君の言うとおりだよ。死体がないのに、信じられるわけないじゃんな……」
「そう……あの人たち、嘘ばかりつくのね。悪い人」
「本当に、そうだよね」
その言葉に、重く苦しかった心が軽くなる。少し元気を取り戻した緋鞠は、少年に聞いてみた。
「あなたのお父さんはどうしていなくなってしまったの?」
「えっと……鬼狩りっていう、鬼から人を守る仕事をしてたんだ。信じられないかもしれないけど」
「え!? 兄さんと一緒!」
「君のお兄さんも?」
うんうんと首を縦に振ると、驚いて緋鞠を見る。なんだ、と肩の緊張を解いた。
「同業者じゃないか」
少年はそうだ、と何かを思いついたようだった。
「なら、一緒に探そう。君のお兄さんと俺の父さん」
「探す?」
「うん。鬼狩りになって、月鬼を倒しながら一緒に探そう」
その言葉に、緋鞠は大きく頷いた。
「うん! 私、鬼狩りになる!」
二人で小指を差し出して、そっと絡めた。
「約束」
「うん!」
そんなわけで、初めて見たその瞳のきれいさと、知らない人、という二つの要素で大混乱。
聞かれている質問の意味から探し始めてしまった。
雨に濡れていることか。それとも、転んで座り込んでいることだろうか。
緋鞠は、なんて答えたら分からず、再び紅い瞳は涙でいっぱいになる。それを見て少年は青ざめ、慌て始めた。
「ごめん、大丈夫じゃないよね! すぐそこに雨宿りできる四阿があるから、そこまで行こう」
そういって、差し出される手。
雨に濡れないように気遣って、前屈みになってくれる。緋鞠は少し手を伸ばして、一瞬躊躇った。不安そうな顔で見上げると、少年は空中で止まった手を取ってくれる。安心させるように優しく掴むと、そのまま立ち上がらせてくれた。
その手は兄のように温かくて、少し安心した。すると、今度はジャケットを緋鞠に被せて雨を凌いでくれる。
「あ、の……」
「俺は平気だから」
そうして再び手を繋いで、案内してくれる。
兄のようで、兄とは違う。初めての優しさに、緋鞠は恥ずかしさを隠すように、ジャケットを深く被って顔を隠した。
少し歩いて、古めいた四阿が見えた。蔦や草で覆われていたが、誰かが手入れしているようで、壊れている箇所は真新しい釘や板で直されていた。
二人並んで座ると、少年がハンカチを差し出してくれた。
「よかったら使って」
「わ、私は大丈夫。あなたの方が、濡れちゃってるよ」
「平気だよ」
自分のことはお構いなしに、世話を焼こうとする彼に緋鞠は頬を膨らませた。なんとなく、頑固で言うことを聞かなそうな人だと思った。
仕方なく、渋々ハンカチを受け取り、少年の髪を拭いてあげる。
「え? 俺は大丈夫だよ」
「風邪引いちゃうよ。兄さんも大丈夫とか言ってたけど、風邪ひいて寝込んじゃったことあったもの。雨に濡れたらすぐ拭く、これ大事!」
ビシッと人差し指を立てる。それを見て、少年は目を瞬かせる。
(……もしかして、うざかった!?)
つい、いつも仕事関係で夜更かしやら、寝不足やらで体調を悪くしやすい八雲に言い聞かせような態度を取ってしまった。
友達が一人もいなかった緋鞠にとって、初コミュニケーションである。善し悪しもわからない。誰か教えて、と叫びたい気分だった。
すると、心配をよそに少年はふっと息を吹くと、目尻を下げて楽しそうに笑った。どうやら間違っていなかったこと、初めて誰かを笑顔にできたことに胸の辺りが温かくなる。
次に少年は、緋鞠が転んでできた擦り傷を治してくれた。驚いたのは手当てではなく、そこにはじめから傷なんてなかったかのように、きれいに治してしまったことだった。
聞いたことのない言葉の羅列。見たことのない奇怪な絵のようなものが書かれた短冊。それらを使って、あっという間に治してしまう。
まるで、絵本に出てくる魔法使いのようだった。
「すごいすごーい! ありがとう!」
「全然すごくないよ。初歩の術だし」
「じゅつ?」
「君は見習いじゃないの?」
「なんの?」
不思議そうに首を傾げると、少年も首を傾げる。よくわからないけど、少年はその見習いというものなのだろう。
「そうなんだ。でも、どうして雨のなか一人で泣いていたの?」
「そ、れは……」
先ほど、斎場で見た光景を思い出す。空っぽの棺に、黒服の知らない大人たち。緋鞠が一番聞きたくない言葉を残して去っていく。
その場の居心地の悪さに、思わず逃げ出してしまった。けれど、それをなんて説明したらいいのだろう。少年は黙り込んでしまう緋鞠を心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫?」
気遣わしげな優しい色合いに、つい、言葉がこぼれた。
「……みんな、意地悪を言うの」
「どんな?」
「兄さんが、死んだって」
口にして、止まっていた涙が溢れてくる。信じられないからこそ、言いたくなかった言葉だった。
「死んだら、死体になるんでしょう? でも、兄さんの死体はなくて、見つからない。それなのに、ちょっといないぐらいで、皆そういうの」
だんだん鼻声になって、目に涙が溢れた。
「それなのに……」
俯くと、大粒の涙がこぼれ落ちる。それを柔らかいハンカチによって、そっと拭われた。
「俺も同じ事を言われたよ」
「えっ?」
驚いてみると、少年はポケットから少しほつれている古い御守りを取り出した。それを、悲しげな瞳でみつめる。
「俺の父さんも死んだって言われた。けど、見つかったのはいつも持ってた、この御守りだけなんだ。君の言うとおりだよ。死体がないのに、信じられるわけないじゃんな……」
「そう……あの人たち、嘘ばかりつくのね。悪い人」
「本当に、そうだよね」
その言葉に、重く苦しかった心が軽くなる。少し元気を取り戻した緋鞠は、少年に聞いてみた。
「あなたのお父さんはどうしていなくなってしまったの?」
「えっと……鬼狩りっていう、鬼から人を守る仕事をしてたんだ。信じられないかもしれないけど」
「え!? 兄さんと一緒!」
「君のお兄さんも?」
うんうんと首を縦に振ると、驚いて緋鞠を見る。なんだ、と肩の緊張を解いた。
「同業者じゃないか」
少年はそうだ、と何かを思いついたようだった。
「なら、一緒に探そう。君のお兄さんと俺の父さん」
「探す?」
「うん。鬼狩りになって、月鬼を倒しながら一緒に探そう」
その言葉に、緋鞠は大きく頷いた。
「うん! 私、鬼狩りになる!」
二人で小指を差し出して、そっと絡めた。
「約束」
「うん!」
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる