【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷むぎ

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第一章 アカデミー編

第二十五話 束の間の日常

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魔王軍は――確かに退いた。  

……けれど――。

「もう……無理……」

やがて、全身の力が完全に抜け、私は石畳の上に崩れ落ちた。

寝転がったまま掌に光を灯す。
小さな光がぽうっと揺れ、すぐに消えた。

もう、一歩も動きたくない。

仰向けになった私の視界に広がるのは、血と煙が広がる戦場と、黄昏に染まる空。

――その時。

視界の端、白煙の向こうから、ひとすじの影が現れる。  
黄金色に透ける銀葉の髪。背に負った長弓。  
荒れ果てた戦場の中で、彼女だけが――まるで時の流れから切り離されたように立っていた。

アーモンド形の瞳が私を見下ろす。長い耳が、ぴくりと動いた。

「……見つけた」

まるで風に溶けるような、小さな声だった。
ふと彼女は私に手を差し伸べる。

戸惑いながらもその手を取ると、細くもしなやかな力が、私を引き上げてくれる。
その仕草は、戦場の喧騒とはまるで無縁の――静謐そのものだった。

「君、名前は?」

かすれた声が、戦場の余韻の中に溶けていく。

(……名前を、尋ねられた?)

胸の奥で反響するその問いに、私は小さく息を呑み――名を名乗った。

「……セレナ。セレナ・ルクレール」

「――私は、フィーネ・リスティアーナだ」

彼女がその名を告げた瞬間、胸の奥に何かが震えた。
続きを問おうと口を開きかけた、その時。

「セレナ! セレナ!」

振り返る間もなく、温かな腕に包まれた。
必死に私を抱きしめる煤けた手。

「無事で……よかった……!」

私はふいに溢れた涙に濡れながら、必死で姉を抱き返した。

けれど――探すように視線を巡らせても、もうフィーネの姿はなかった。  

残されたのは、姉の鼓動と私の嗚咽。
そして、戦いを終えた戦場を包む歓声とざわめきだけ――。

空はゆっくりと暮れゆき、あたりは黄金から茜に染まり始めていた。
あの空の下で、姉の腕の中で感じた温もりだけは――きっと、一生忘れない。



――一週間後。

瓦礫も片付けられぬままの王都に、いつもの朝が戻ってきた。
アカデミーの授業も、再び始まっていた。

戦いの直後からつい先日まで、私たちは治療院に通い詰めていた。
次々と運び込まれる兵士や騎士、民間の負傷者たちは、寝台に収まり切れず、床にまであふれていた。
治癒の技を持つ者は、何人いても足りなかった。
医師や神官は忙しく走り回り、修道女たちは寝台を巡って祈りと手当てを続け、白ローブの冒険者たちも治療に加わっていた。

その中心に――いつも姉がいた。
落ち着いた声で医師とやり取りしながら、次々と傷を癒やし、時に患者の手を取って励ます。
疲れが見えるはずなのに、姉の横顔には不思議な静けさと光があった。

そして何より、姉は多くの命を救った。
姉の手から光が広がり、瀕死だった兵士の出血が収まり、呻いていた子供が安らかな寝息を立てるたび、周囲の空気が変わるのがわかった。
患者も神官も、そして家族たちも――姉の紡ぐ奇跡に驚き、口々に涙を流して感謝を述べた。
そして皆、姉を“聖女”と称えた。

治療院には、あの時、私たちを天幕へと先導してくれた騎士の姿もあった。
私の小さな灯りで治療を終えると、彼は私の手をぎゅっと握りしめ、涙ぐみながら言った。

「君たちがついて来てくれたこと……心から感謝する。きっと神のお導きだ」

胸がいっぱいになった。
私も、姉の足元にも及ばないけれど、少しぐらいは役に立てたのだと思う。

それと――北の大通りで、姉が救ったあの子。

姉は、再会した母子の前にしゃがみ込み、目を合わせて優しく微笑んでいた。
医師によれば、この子も一週間ほどで退院できるらしい。
母親は姉の手を握り、ようやく感謝を伝えられると喜んでいた。
私たちは、小さく手を振る子供と母親に見送られ、並んで治療院を後にした。

私がそっと手をつなぐと、姉はふと笑って言った。

「セレナ、少しは休みなさい。顔に”疲れ”って書いてあるわよ」

私は微笑む姉の顔を見返して、思わず目を見開く。

「え……。姉さんこそ」

二人で顔を見合わせて、ほんの少しだけ笑った。

王都の石畳には焦げ跡が残り、城門は崩れたまま、石壁には爪痕が刻まれている。
傷跡はそのままに――それでも日常は、確かに始まっていた。

市場の屋台は並んでいる。けれど、香ばしい匂いも笑い声も薄い。
王都は、確かに生きているのに――どこか沈んでいた。

「まさか、城門を破られるなんて……」
「王宮は何をしていたんだ」
「このままじゃ、国は……」

行き交う市民たちの声は、不安と苛立ちに満ちていた。

けれど、どういうわけか、アカデミーの生徒たちの間の噂は希望に満ちていた。
どうやら、子供たちの方が大人よりも逞しいようだ。

「戦場に聖女が現れたらしい!」
「四人の英雄が敵将を倒したそうだ」
「勇者の軍団が結成されるって!」
「いよいよ反撃か!?」

誰もが噂しながら、窓際に座る姉をちらちらと盗み見る。
本人に聞こえるほどに――けれど誰一人、直接姉には口にしない。

(聖女、四人の英雄、それに勇者の軍団――)

その言葉を聞くたびに、胸の奥がちくりと痛んだ。
きっと、私は――。

「なあ、聞いてくれよ。僕が避難民を守りながら南の教会へ誘導したんだ。
 しかも、学長直々に温存されたんだ」

耳に飛び込んだのは、授業中なのに学友に自慢話をするジュリアンの声だった。

聞けば、飛び出そうとするジュリアンたちは、学長に説得されたそうだ。
「これからを担う君たちだからこそ、生き延びねばならない」と。

まあ、ジュリアンのことだから、これで十分だったのだろう。

まったく……。  
ちょっとだけだけど、心配して損した。

そんなふうに思いながらも、胸の奥にふっと灯りがともり――
あんな奴でも、本当に無事でよかった、とも本気で思った。

けれど――。

「セレナ、ノート写す? 昨日の分、借りたの」
「……うん、ありがとう」

ペンを受け取りながらも、まだ耳の奥に、角笛や剣戟の音が残っている気がした。
あの黒い軍勢と血の匂いは確かに現実だったのに――今は窓の外で子供たちの笑い声が響いている。

(……誰も、あの戦場で私が何をしていたかなんて、知らないんだろうな)

胸の奥が少しだけ軽くなるのか、それとも苦しくなるのか――自分でもわからなかった。

教室の窓辺で、姉は変わらず姿勢よくノートを取っている。
私はその隣で、ペンを持つ手を少し震わせながらも、いつも通りに座っていた。

外の世界がどれほどざわつこうと――
私たちの間だけは、変わらない日常が流れていた。

陽の光が窓から差し込み、姉の銀の髪と私のノートを照らす。
ざわつく噂声も、黒板に走るチョークの音も遠くて。
……そこだけ、切り取られたように静かに感じられた。

――そう。これからも続いていく、ごく普通の日常の一幕。

……少なくとも、あの時は、そう信じたかったんだ。
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