【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷むぎ

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第二章 討伐軍編

第五十二話 おかえりなさい

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――ぐしゃり。

骸骨戦士の最後の一体を、バルドの大盾が粉砕した。

新たな敵が這い出してくるまで――
ほんの一瞬の猶予が生まれる。

その直後、バルドが低く、短く吠えた。

「――今だ。一気に倒す!」

その声と同時に、空気が一変する。

「うおおおおおおおおおおーっ!!」

雄牛のような唸り声を上げ、大盾を構えたバルドが突進した。
泥飛沫を蹴立て、一直線――大盾を前に、トリスタンの懐へと突っ込む!

「ぐっ……!」

交わしきれず、トリスタンの構えが崩れる。
その機を逃さず、フィーネの矢が鋭く飛んだ。肩口に突き刺さり、血とも瘴気ともつかない黒い液が飛び散る。

「――っ!!」

肩を射抜かれたトリスタンの身体が、わずかに揺らいだ。
その瞬間、姉が半歩前に出る。『組紐』を巻いた手が、彼を求めるように宙を掴んだ。

「いや……いや……そんな……」

か細い声が、雨に紛れて消える。
姉の視線は今のトリスタンではなく、過去の“何か”を見つめている。
月の白い光の下、あの夜の丘――その記憶が蘇っているのだと、直感した。

――姉さん、ごめん。やるしか――ない!

私は残る力を振り絞り、『浄化』を詠唱する。
声が震え、胸が苦しい。何度も唱えた言葉を、必死に絞り出した。

淡い光がトリスタンの足元に浮かび上がり、彼の動きが――一瞬だけ止まる!

「今だ!」

再びバルドが短く吠える。

エリアスが剣を右に構え直し、泥を蹴って暗闇を一直線に駆け抜けた。
青白く光る聖剣の刃先が軌跡を描き、夜闇を裂く閃光のように――。

(トリスタン、さよなら……。本当の、さよならだ――!)

その瞬間、私の視線の先に、口元を手で抑えるヴェルネが映った。
ルビーのような瞳に、期待と歓喜が混ざった色が浮かんでいる。

――ヴェルネの視線の先は、姉!?

ざわめきを覚え、視線を素早く滑らせる。

姉は濡れた銀髪を頬に貼りつけたまま、唇をわなわなと震わせていた。
瞳は戦場ではなく、まるで遠い記憶のどこかを見つめているようだった。

「――ち、違うの。彼は……。
 だめっ……だめっ……だめぇぇぇぇぇぇ!!」

叫びは唐突だった。

立ち尽くしていたはずの姉が、泥を踏みしめて前へと飛び出す。

「姉さん――!?」
「アリシア!?」
「聖女殿! 下がるんだ!!」

私とエリアスの叫び、バルドの怒号が響く。
それはあまりに突然で――誰も止められなかった。

心臓が跳ね、息が出来ない。
けれどフィーネは引き絞っていた弓を下ろし、短く呟いた。

「大丈夫だ。聖女殿を信じよう」

彼女の言葉に、姉へと伸ばした私の手は空を掴む。
姉の白銀の衣がその先で翻った。

私は歯を食いしばって、一瞬途切れた魔力の流れを必死に繋いだ。
仲間の足元で、支援の魔法陣が暗闇に瞬く。

姉は一直線に、トリスタンの胸へと飛び込んだ。
夜の帳の中、黒い鎧がかしゃんと鳴り、白の聖衣がふぁさと重なる音だけが響いた――。



エリアスは寸でのところで軌道を変え、光が斜めに逸れる。
バルドも、フィーネも、そして私も――誰も動かない。

ただ、雨音と呼吸音だけが、濁流のように耳を満たしていた。

姉はトリスタンの胸を激しく叩き、水滴が飛び散った。
トリスタンは姉を受け止めながら、剣先を降ろしてただ立ち尽くす。

姉の雨に濡れた袖口から、色褪せた組紐がほのかに覗いた。
あの丘の日、姉がトリスタンに贈った組紐。
そして訃報と共に姉のもとへ戻ってきて以来、肌身離さず身につけてきたもの――。

トリスタンの瞳だけが動き、視線が組紐へと吸い寄せられる――

額に張り付く金の髪。
雨に濡れた淀んだ瞳。
目尻に刻まれた微笑みの残滓。
引き結ばれた口元――。

次の瞬間――

雨の音が、ふっと遠のいた。
風も、戦いのざわめきも、すべてが凍りついたように静まり返る。
夜の帳の中で、そこだけが切り取られたようだった。

生命を失っていたはずの瞳が、微かに光を宿す。
睫毛が震え、雨滴を弾いた――。

唇が――わずかに開く。

「……ただいま、アリシア」

掠れた声。
けれど、優しい声だった。

目尻が熱い。呼吸が止まる。
思わず、口元を手で押さえる。

それは聞き間違いようもない。
生前と同じ、トリスタンの声だった。

「……っ!」

姉の目に涙があふれる。
大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ちた。
震える喉から、押し殺した嗚咽が漏れる。

姉の唇が、かすかに動く。
声にならない空気が一度喉の奥で詰まり、それでも言葉が零れた。

「……おかえりなさい……」

姉は彼の胸に額を預けた。
震える手で彼の胸を掴み、嗚咽が雨に混ざって溶けていく。

トリスタンの手が、ゆっくりと姉の濡れそぼった髪に触れる。
確かめるように、そっと滑るように撫でた。

「……待たせて……ごめん……」

風に載って、小さな囁きが私の耳にも届いた。
姉は頬を彼に預け、ぎゅっと震える肩をすぼめる。

それは――かつて姉の手のひらに確かにあったもの。
そして、ある日突然、容赦なく、無慈悲に零れ落ち、
――もう二度と戻らないはずだった瞬間。

まるで、そこだけ空間が切り取られたように。
降りしきる雨さえも、二人を優しく包んでいる。
そんなふうに、私には見えた――。



――気配と共に、雨音が耳を打つ。

「あら、すっごぉい……! こんなの初めてですわ!」

甲高い声が戦場を貫き、私は夢から覚めたように跳ね上がった。
ヴェルネだ。瞳をきらきらと輝かせ、心底楽しそうに飛び跳ねている。

唇をすぼめ、摘まんだ指先を二人へと掲げた。

「でも、ダ~メ。
 あなたはもう死んだの。
 死霊騎士だってこと――忘れちゃいけないわぁ!」

パチン、と指を鳴らす。
その音が合図だった。

トリスタンの身体がびくんと痙攣し、鎧から漏れた瘴気がびしりと締まった。
引き結んだ唇から苦しげな唸りが漏れた。

彼は姉をやさしく押し、姉は目を離さないまま一歩だけ後ずさる。

「逃げ……て……」

そして剣が――ゆっくりと、しかし確実に――上がった。
姉は動かない。唇を震わせ、彼の顔を見上げる。

私は叫んだ。

「姉さん!! 逃げて――!」
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