79 / 100
第三章
第七十九話 火蓋
しおりを挟む
――フィオーレの北方、ルクレール平原の森の中。
さっき降った小雨の名残が、冷たい霧になって森の縁を包む。
私は、その静かな白の中で、白杖を握りしめて立っていた。
ここにいるのは――私たち勇者パーティの五人だけ。
湿った土の匂いがして、木々の隙間から木漏れ日が霧を透かす。
光がゆらめき、枝先から落ちた水滴が草の上で跳ねた。
誰かの鎧がきしむ音が、静けさの中でやけに大きく響く。
前方には、森の手前に陣を構える第一師団の姿。
兜と槍が整然と並び、王国の旗が風を受けてはためいている。
その左右には第二、第三師団。
見渡す限り、人の列――列、列。
まるで、地平線そのものが剣と鎧でできているみたいだった。
そして――視線を上げれば、平原にただよう霧の向こう。
黒い瘴気がゆらゆらと漂っている。
山脈みたいにうねる軍勢の影が、ゆっくりと揺らめく。
魔王軍。
王国の――ううん、世界の命運を賭けた戦いが、いま始まろうとしている。
「……もうすぐ、だね」
思わずこぼれた声が、白い霧の中に吸い込まれていった。
風が頬をなで、冷たい空気の中に鉄の匂いが混じる。
“戦の匂い”――命の境界を告げる、あの独特の空気。
何度も触れたはずなのに、やっぱり怖い……。
エリアスは剣の柄に手を添え、静かに頷いた。
「油断するな。
ここから先は――ほんの一歩が命を分ける」
その声に、バルドが鎧の留め具を締め直しながら応えた。
「うむ……頭は俺が抑える」
そう言って、大盾の持ち手を確かめるように持ち上げた。
その上方で、弓の弦が小さく鳴る。
見上げると、フィーネが枝の上に立って弦の張りを確かめている。
銀葉の髪と新緑の衣が、霧の森に溶け込んでいて――
その姿は、まるで森の妖精みたいに見えた。
(彼女に言ったら「私は妖精じゃない」って怒られそう……。
でも、戦いが終わったら、絶対言っちゃうんだからね!)
胸の奥にわだかまった塊を振り払うように、変な誓いを立ててみる。
彼女は私に気づくと、ほんの少しだけ顎を引いて頷いた。
それだけで、胸の奥の塊が少しだけ落ち着いた気がした。
私は正面を見据え、霧と汗で滑る白杖を握り直す。
これまでだって、何度も勇者パーティを支えてきた自信はある。
けれど――こんなに大きな戦いは、初めてだ……。
ちゃんとしなきゃ、ほんとに。
わかってる。私の支援が一瞬でも遅れれば、誰かの命を奪ってしまうかもしれない。
そう思うと、心臓の音がうるさくて、呼吸が浅くなる。
冷えた空気なのに、胸の中は熱くて仕方ない。
――そのとき、肩にそっと手が置かれた。
(……姉さん)
思わず振り向く。
「セレナ、大丈夫よ。あなたは、わたしが守るから」
姉の声は、いつもと同じだった。
私は姉を見上げ、ぎこちなく笑みを返す。
もしかしたら、口の端が上がってしまったかも……。
でも、私だって、姉と同じように思っていることがある。
「……うん。じゃあ、姉さんは――わたしが支える」
姉は一瞬だけ目を見開き、すぐに柔らかく笑った。
その笑みを見た瞬間、怖さがふっと消えた。
森の奥では、ロベール卿率いる精鋭たちが既に展開していた。
鎧の音を風に溶かし、誰もが息を潜めている。
まるで、森に侵入した敵を噛み砕くために、牙を研いでいるみたいだった。
この戦いでは――私たち勇者パーティと精鋭たちの働きが、
戦の行方を握っていると聞かされていた。
ふと、風が止んだ。
◆
――その、ほんの一刻ほど前のこと。
天幕の中には、三軍の指揮官たちが並んでいた。
中央にはロベール卿。左右には第二師団長エルステッド卿と、第三師団長グランフォード卿。
さらに参謀や部隊長、歴戦の騎士たちが、広げられた地図を囲んでいる。
エリアスとバルドはロベール卿の傍に立ち、私は姉の後ろから、そっと顔をのぞかせていた。
地図の上には石駒と旗がいくつも置かれ、蝋燭の炎がゆらゆらと揺れている。
光が駒に反射して、まるでそれぞれが息をしているみたいだった。
「魔王軍の配置は、一軍をもって我らに挑む構えだ。
先頭にはナイトメアに騎乗した槍騎兵、遊撃としてヘルハウンドが確認されている。
その後に続くのは鬼人と亜人兵、魔獣の混成部隊。
推測される戦術は――機動戦力を一点に集中。
初撃で我らの前線を粉砕し、中央突破の上で後背を急襲。
機動力を誇る軍団の定石だな」
ロベール卿の声は低く、けれどはっきりと響いた。
蝋燭の炎がその横顔を照らし、空気がぴんと張り詰める。
思わず周囲を見回す。
エリアスも、バルドも、指揮官たちも皆、静かに頷いていた。
私は隣のフィーネをそっと肘でつつき、小声で尋ねる。
「ね、ナイトメアとヘルハウンドって、なに?」
「ふ……肉食の黒馬と、炎を吐く三つ首の犬ね」
さらりと答えるフィーネ。
……怖すぎる。聞くんじゃなかった。
ロベール卿は白い駒を三つ、黒い駒の正面に並べた。
「ならば、全軍をもって重層陣で正面から迎え撃つのが定石。
だが攻城戦が控えている我らには、消耗戦は不利。
よって――」
地図の上で、白い駒が三つ動く。
一つはそのまま正面へ。左右に一個ずつ。
「森を背後に、第一師団は突撃を正面から受け、総崩れを装う。
敵が中央を突破し、森に侵入した瞬間――伏兵がこれを叩く」
(え、伏兵って……もしかして)
「エリアス殿下。あなた方は、ここだ」
北の森に、小さな銀の駒が置かれる。
(やっぱり……!)
身体の芯がぶるっと震えた。
けれど、エリアスは迷いなく頷く。
「いいだろう。
突破する者、退く者――すべて討つ。
森を、奴らの墓にする」
「よろしい。
私も直接一軍を率い、森に侵入した敵を掃討する」
ロベール卿は口角をわずかに上げた。
その笑みは恐ろしいのに、不思議と心強かった。
「なお、英雄になりたい者がいれば志願を受け付ける。いつでも歓迎だ」
天幕の中に笑いが起き、ちらほらと手が上がる。
その中で、若い騎士の声が一つ、震えながらも張り上がった。
「――俺も、志願します!」
「いいだろう」
ロベール卿の口元が、わずかに引き締まる。
「最低でも奴らを森で足止め。可能ならば先陣の敵将を討ち取る。
そして、壊走を装った第一師団が反転。
第二・第三師団は後背に回り、全軍をもって包囲殲滅――これが作戦の全容だ」
エリアスも、バルドも、姉も――誰も口を挟まない。
(止められなかったら、どうなるのかって……誰も聞かないの?)
みんな口元は笑っているのに、表情は厳しい。
私は気づいた。つまり、そういうことなんだ。
――私たちが破られれば、それは敗北を意味する。
そういう戦いなんだ。
バルドはゆっくりと頷いた。
「……俺が、全てを止める」
低く響くその声は、不思議と安心させてくれた。
ただ――フィーネがほんの少しだけ目を伏せたのが気になった。
『敵将はおそらく魔将ガルヴァン』――そう言った時と同じ表情。
きっとフィーネさんは、何かを知ってるんだ……。
エリアスは、一切の動揺を見せず、笑みすら浮かべた。
「この戦い、厳しいものになるのは間違いない。
けれど、我らが敵将を討ち取れば――」
エリアスは黒い駒を指で弾き、ぱたん、と倒した。
思わず彼の顔を見上げた。
そこにあったのは笑顔――自信と誇りに満ちた、“勇者の顔”。
「――それで、勝ちだ」
天幕が一気に熱気に包まれる。
「やるぞ!」
「ああ、やってやろうじゃないか!」
「俺たちには勇者と聖女がついてる!」
歓声と笑いが混ざり、蝋燭の炎が激しく揺れた。
布の天幕が、わずかに呼吸するみたいに膨らんだ気がして
――胸の奥が、きりっと熱くなる。
ロベール卿は表情を崩さぬまま、静かな声で言う。
「騎兵の出鼻をくじく。
聖女殿とバルドの守りが要になる。
次に勇者の剣と、フィーネ殿の弓が敵将を討つ。
心配するな。
討ち漏らした雑兵は、全て私が受け持つ」
小さく笑いが起きる。
うん。それから、私はいつも通り、みんなの支援を――。
そう思って姉の袖をそっと掴み、半歩下がる。
けれど、ロベール卿の言葉は終わっていなかった。
「そして――」
ごくりと喉が鳴る。
姉の袖を掴んだまま、半分だけ顔を出した。
すると、彼の視線が、私をまっすぐに射抜いた。
「――君の支援が、きっと力になる」
……え、わたし?
全員の視線が一斉にこっちを向く。
途端に背中が冷たくなり、逃げ出したくなる。
え、ええっと……。
(……怖い。でも、逃げたら、姉の隣に立てなくなる)
――次の瞬間、右手と左手にそれぞれ、暖かい手の感触。
「セレナ、さあ」
「共に」
姉とフィーネが、私の手を取り、高く掲げた。
エリアスも、バルドも拳を掲げる。
「うおおおおおおおお――!!」
天幕が鬨の声で満たされた。
ロベール卿も、エルステッド卿も、拍手しながらこっちを見てる。
私は、目を白黒させながらも――
(そうだ、私は逃げないって決めたんだ!)
歓声に包まれながら、こうして姉の隣に立っていることが――誇らしかった。
◆
そして、遠くで銅鑼の音が響き渡った――。
エリアスの鞘が、ちり、と鳴り、聖剣が抜き払われる。
森の小径の中央に立ったバルドが、地面に突き立てた大盾の背後で身を低くした。
木の上から、フィーネが弓を引き絞る音がする。
聖杖を静かに掲げた姉の横に立ち、私も白杖をゆっくりと胸まで引き上げた。
やがて、遠くの銅鑼の音に応えるように、すぐ近くで低い角笛の音が響いた。
次の瞬間――木々から一斉に水滴が落ち、大地の奥から低い唸りが立ち上がる。
それは風でも雷でもない。無数の足音と蹄が、地を叩く音。
霧の向こうで、黒い大地がうねり、動き出した。
(大丈夫。わたしが支えるから!
それに、姉さんも、仲間もいる!)
決戦の火蓋が――切られた。
さっき降った小雨の名残が、冷たい霧になって森の縁を包む。
私は、その静かな白の中で、白杖を握りしめて立っていた。
ここにいるのは――私たち勇者パーティの五人だけ。
湿った土の匂いがして、木々の隙間から木漏れ日が霧を透かす。
光がゆらめき、枝先から落ちた水滴が草の上で跳ねた。
誰かの鎧がきしむ音が、静けさの中でやけに大きく響く。
前方には、森の手前に陣を構える第一師団の姿。
兜と槍が整然と並び、王国の旗が風を受けてはためいている。
その左右には第二、第三師団。
見渡す限り、人の列――列、列。
まるで、地平線そのものが剣と鎧でできているみたいだった。
そして――視線を上げれば、平原にただよう霧の向こう。
黒い瘴気がゆらゆらと漂っている。
山脈みたいにうねる軍勢の影が、ゆっくりと揺らめく。
魔王軍。
王国の――ううん、世界の命運を賭けた戦いが、いま始まろうとしている。
「……もうすぐ、だね」
思わずこぼれた声が、白い霧の中に吸い込まれていった。
風が頬をなで、冷たい空気の中に鉄の匂いが混じる。
“戦の匂い”――命の境界を告げる、あの独特の空気。
何度も触れたはずなのに、やっぱり怖い……。
エリアスは剣の柄に手を添え、静かに頷いた。
「油断するな。
ここから先は――ほんの一歩が命を分ける」
その声に、バルドが鎧の留め具を締め直しながら応えた。
「うむ……頭は俺が抑える」
そう言って、大盾の持ち手を確かめるように持ち上げた。
その上方で、弓の弦が小さく鳴る。
見上げると、フィーネが枝の上に立って弦の張りを確かめている。
銀葉の髪と新緑の衣が、霧の森に溶け込んでいて――
その姿は、まるで森の妖精みたいに見えた。
(彼女に言ったら「私は妖精じゃない」って怒られそう……。
でも、戦いが終わったら、絶対言っちゃうんだからね!)
胸の奥にわだかまった塊を振り払うように、変な誓いを立ててみる。
彼女は私に気づくと、ほんの少しだけ顎を引いて頷いた。
それだけで、胸の奥の塊が少しだけ落ち着いた気がした。
私は正面を見据え、霧と汗で滑る白杖を握り直す。
これまでだって、何度も勇者パーティを支えてきた自信はある。
けれど――こんなに大きな戦いは、初めてだ……。
ちゃんとしなきゃ、ほんとに。
わかってる。私の支援が一瞬でも遅れれば、誰かの命を奪ってしまうかもしれない。
そう思うと、心臓の音がうるさくて、呼吸が浅くなる。
冷えた空気なのに、胸の中は熱くて仕方ない。
――そのとき、肩にそっと手が置かれた。
(……姉さん)
思わず振り向く。
「セレナ、大丈夫よ。あなたは、わたしが守るから」
姉の声は、いつもと同じだった。
私は姉を見上げ、ぎこちなく笑みを返す。
もしかしたら、口の端が上がってしまったかも……。
でも、私だって、姉と同じように思っていることがある。
「……うん。じゃあ、姉さんは――わたしが支える」
姉は一瞬だけ目を見開き、すぐに柔らかく笑った。
その笑みを見た瞬間、怖さがふっと消えた。
森の奥では、ロベール卿率いる精鋭たちが既に展開していた。
鎧の音を風に溶かし、誰もが息を潜めている。
まるで、森に侵入した敵を噛み砕くために、牙を研いでいるみたいだった。
この戦いでは――私たち勇者パーティと精鋭たちの働きが、
戦の行方を握っていると聞かされていた。
ふと、風が止んだ。
◆
――その、ほんの一刻ほど前のこと。
天幕の中には、三軍の指揮官たちが並んでいた。
中央にはロベール卿。左右には第二師団長エルステッド卿と、第三師団長グランフォード卿。
さらに参謀や部隊長、歴戦の騎士たちが、広げられた地図を囲んでいる。
エリアスとバルドはロベール卿の傍に立ち、私は姉の後ろから、そっと顔をのぞかせていた。
地図の上には石駒と旗がいくつも置かれ、蝋燭の炎がゆらゆらと揺れている。
光が駒に反射して、まるでそれぞれが息をしているみたいだった。
「魔王軍の配置は、一軍をもって我らに挑む構えだ。
先頭にはナイトメアに騎乗した槍騎兵、遊撃としてヘルハウンドが確認されている。
その後に続くのは鬼人と亜人兵、魔獣の混成部隊。
推測される戦術は――機動戦力を一点に集中。
初撃で我らの前線を粉砕し、中央突破の上で後背を急襲。
機動力を誇る軍団の定石だな」
ロベール卿の声は低く、けれどはっきりと響いた。
蝋燭の炎がその横顔を照らし、空気がぴんと張り詰める。
思わず周囲を見回す。
エリアスも、バルドも、指揮官たちも皆、静かに頷いていた。
私は隣のフィーネをそっと肘でつつき、小声で尋ねる。
「ね、ナイトメアとヘルハウンドって、なに?」
「ふ……肉食の黒馬と、炎を吐く三つ首の犬ね」
さらりと答えるフィーネ。
……怖すぎる。聞くんじゃなかった。
ロベール卿は白い駒を三つ、黒い駒の正面に並べた。
「ならば、全軍をもって重層陣で正面から迎え撃つのが定石。
だが攻城戦が控えている我らには、消耗戦は不利。
よって――」
地図の上で、白い駒が三つ動く。
一つはそのまま正面へ。左右に一個ずつ。
「森を背後に、第一師団は突撃を正面から受け、総崩れを装う。
敵が中央を突破し、森に侵入した瞬間――伏兵がこれを叩く」
(え、伏兵って……もしかして)
「エリアス殿下。あなた方は、ここだ」
北の森に、小さな銀の駒が置かれる。
(やっぱり……!)
身体の芯がぶるっと震えた。
けれど、エリアスは迷いなく頷く。
「いいだろう。
突破する者、退く者――すべて討つ。
森を、奴らの墓にする」
「よろしい。
私も直接一軍を率い、森に侵入した敵を掃討する」
ロベール卿は口角をわずかに上げた。
その笑みは恐ろしいのに、不思議と心強かった。
「なお、英雄になりたい者がいれば志願を受け付ける。いつでも歓迎だ」
天幕の中に笑いが起き、ちらほらと手が上がる。
その中で、若い騎士の声が一つ、震えながらも張り上がった。
「――俺も、志願します!」
「いいだろう」
ロベール卿の口元が、わずかに引き締まる。
「最低でも奴らを森で足止め。可能ならば先陣の敵将を討ち取る。
そして、壊走を装った第一師団が反転。
第二・第三師団は後背に回り、全軍をもって包囲殲滅――これが作戦の全容だ」
エリアスも、バルドも、姉も――誰も口を挟まない。
(止められなかったら、どうなるのかって……誰も聞かないの?)
みんな口元は笑っているのに、表情は厳しい。
私は気づいた。つまり、そういうことなんだ。
――私たちが破られれば、それは敗北を意味する。
そういう戦いなんだ。
バルドはゆっくりと頷いた。
「……俺が、全てを止める」
低く響くその声は、不思議と安心させてくれた。
ただ――フィーネがほんの少しだけ目を伏せたのが気になった。
『敵将はおそらく魔将ガルヴァン』――そう言った時と同じ表情。
きっとフィーネさんは、何かを知ってるんだ……。
エリアスは、一切の動揺を見せず、笑みすら浮かべた。
「この戦い、厳しいものになるのは間違いない。
けれど、我らが敵将を討ち取れば――」
エリアスは黒い駒を指で弾き、ぱたん、と倒した。
思わず彼の顔を見上げた。
そこにあったのは笑顔――自信と誇りに満ちた、“勇者の顔”。
「――それで、勝ちだ」
天幕が一気に熱気に包まれる。
「やるぞ!」
「ああ、やってやろうじゃないか!」
「俺たちには勇者と聖女がついてる!」
歓声と笑いが混ざり、蝋燭の炎が激しく揺れた。
布の天幕が、わずかに呼吸するみたいに膨らんだ気がして
――胸の奥が、きりっと熱くなる。
ロベール卿は表情を崩さぬまま、静かな声で言う。
「騎兵の出鼻をくじく。
聖女殿とバルドの守りが要になる。
次に勇者の剣と、フィーネ殿の弓が敵将を討つ。
心配するな。
討ち漏らした雑兵は、全て私が受け持つ」
小さく笑いが起きる。
うん。それから、私はいつも通り、みんなの支援を――。
そう思って姉の袖をそっと掴み、半歩下がる。
けれど、ロベール卿の言葉は終わっていなかった。
「そして――」
ごくりと喉が鳴る。
姉の袖を掴んだまま、半分だけ顔を出した。
すると、彼の視線が、私をまっすぐに射抜いた。
「――君の支援が、きっと力になる」
……え、わたし?
全員の視線が一斉にこっちを向く。
途端に背中が冷たくなり、逃げ出したくなる。
え、ええっと……。
(……怖い。でも、逃げたら、姉の隣に立てなくなる)
――次の瞬間、右手と左手にそれぞれ、暖かい手の感触。
「セレナ、さあ」
「共に」
姉とフィーネが、私の手を取り、高く掲げた。
エリアスも、バルドも拳を掲げる。
「うおおおおおおおお――!!」
天幕が鬨の声で満たされた。
ロベール卿も、エルステッド卿も、拍手しながらこっちを見てる。
私は、目を白黒させながらも――
(そうだ、私は逃げないって決めたんだ!)
歓声に包まれながら、こうして姉の隣に立っていることが――誇らしかった。
◆
そして、遠くで銅鑼の音が響き渡った――。
エリアスの鞘が、ちり、と鳴り、聖剣が抜き払われる。
森の小径の中央に立ったバルドが、地面に突き立てた大盾の背後で身を低くした。
木の上から、フィーネが弓を引き絞る音がする。
聖杖を静かに掲げた姉の横に立ち、私も白杖をゆっくりと胸まで引き上げた。
やがて、遠くの銅鑼の音に応えるように、すぐ近くで低い角笛の音が響いた。
次の瞬間――木々から一斉に水滴が落ち、大地の奥から低い唸りが立ち上がる。
それは風でも雷でもない。無数の足音と蹄が、地を叩く音。
霧の向こうで、黒い大地がうねり、動き出した。
(大丈夫。わたしが支えるから!
それに、姉さんも、仲間もいる!)
決戦の火蓋が――切られた。
4
あなたにおすすめの小説
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
婚約破棄された公爵令嬢は冤罪で地下牢へ、前世の記憶を思い出したので、スキル引きこもりを使って王子たちに復讐します!
山田 バルス
ファンタジー
王宮大広間は春の祝宴で黄金色に輝き、各地の貴族たちの笑い声と音楽で満ちていた。しかしその中心で、空気を切り裂くように響いたのは、第1王子アルベルトの声だった。
「ローゼ・フォン・エルンスト! おまえとの婚約は、今日をもって破棄する!」
周囲の視線が一斉にローゼに注がれ、彼女は凍りついた。「……は?」唇からもれる言葉は震え、理解できないまま広間のざわめきが広がっていく。幼い頃から王子の隣で育ち、未来の王妃として教育を受けてきたローゼ――その誇り高き公爵令嬢が、今まさに公開の場で突き放されたのだ。
アルベルトは勝ち誇る笑みを浮かべ、隣に立つ淡いピンク髪の少女ミーアを差し置き、「おれはこの天使を選ぶ」と宣言した。ミーアは目を潤ませ、か細い声で応じる。取り巻きの貴族たちも次々にローゼの罪を指摘し、アーサーやマッスルといった証人が証言を加えることで、非難の声は広間を震わせた。
ローゼは必死に抗う。「わたしは何もしていない……」だが、王子の視線と群衆の圧力の前に言葉は届かない。アルベルトは公然と彼女を罪人扱いし、地下牢への収監を命じる。近衛兵に両腕を拘束され、引きずられるローゼ。広間には王子を讃える喝采と、哀れむ視線だけが残った。
その孤立無援の絶望の中で、ローゼの胸にかすかな光がともる。それは前世の記憶――ブラック企業で心身をすり減らし、引きこもりとなった過去の記憶だった。地下牢という絶望的な空間が、彼女の心に小さな希望を芽生えさせる。
そして――スキル《引きこもり》が発動する兆しを見せた。絶望の牢獄は、ローゼにとって新たな力を得る場となる。《マイルーム》が呼び出され、誰にも侵入されない自分だけの聖域が生まれる。泣き崩れる心に、未来への決意が灯る。ここから、ローゼの再起と逆転の物語が始まるのだった。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。
ねーさん
恋愛
あ、私、悪役令嬢だ。
クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。
気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…
悪役令嬢は調理場に左遷されましたが、激ウマご飯で氷の魔公爵様を餌付けしてしまったようです~「もう離さない」って、胃袋の話ですか?~
咲月ねむと
恋愛
「君のような地味な女は、王太子妃にふさわしくない。辺境の『魔公爵』のもとへ嫁げ!」
卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢レティシア。
しかし、前世で日本人調理師だった彼女にとって、堅苦しい王妃教育から解放されることはご褒美でしかなかった。
「これで好きな料理が作れる!」
ウキウキで辺境へ向かった彼女を待っていたのは、荒れ果てた別邸と「氷の魔公爵」と恐れられるジルベール公爵。
冷酷無慈悲と噂される彼だったが――その正体は、ただの「極度の偏食家で、常に空腹で不機嫌なだけ」だった!?
レティシアが作る『肉汁溢れるハンバーグ』『とろとろオムライス』『伝説のプリン』に公爵の胃袋は即陥落。
「君の料理なしでは生きられない」
「一生そばにいてくれ」
と求愛されるが、色気より食い気のレティシアは「最高の就職先ゲット!」と勘違いして……?
一方、レティシアを追放した王太子たちは、王宮の食事が不味くなりすぎて絶望の淵に。今さら「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです!
美味しいご飯で幸せを掴む、空腹厳禁の異世界クッキング・ファンタジー!
悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?
いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー
これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。
「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」
「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」
冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。
あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。
ショックで熱をだし寝込むこと1週間。
目覚めると夫がなぜか豹変していて…!?
「君から話し掛けてくれないのか?」
「もう君が隣にいないのは考えられない」
無口不器用夫×優しい鈍感妻
すれ違いから始まる両片思いストーリー
婚約破棄、承りました!悪役令嬢は面倒なので認めます。
パリパリかぷちーの
恋愛
「ミイーシヤ! 貴様との婚約を破棄する!」
王城の夜会で、バカ王子アレクセイから婚約破棄を突きつけられた公爵令嬢ミイーシヤ。
周囲は彼女が泣き崩れると思ったが――彼女は「承知いたしました(ガッツポーズ)」と即答!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる