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第五章・きっとこの手の中に戻ってきてくれるはずの、今はまだ遠いお前と。

5-3・ゲーム開始

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 奇妙な夢の中にいるようだった。現実感がなかった。うつ伏せに倒れた男の下から、赤黒い液体がどろりと流れ出したときですら、まだ。

「……あ」

 すとんと視界が低くなる。自分が腰を抜かしたことには、へたり込んだ床の冷たさで気がついた。倒れ伏した男はもはやぴくりとも動かない。コンクリートの床から立ち上る、生臭い鉄臭が鼻をつく。
 混乱と恐怖が、叫びとなって腹の奥からせり上がってくる。声になって喉から溢れ出す直前、誰かがオレの両肩を強く掴んだ。

「佐薙」

 振り向いた先には、蜘藤の顔があった。囁くように、けれど力づけるようにはっきりと呼ばれたオレの名に、脳にかかったモヤがほんの少しだけ晴れる。
 喉元に溜まった声をなんとか飲み込んで、モニターの画面に目を向けた。ミゴーは相変わらず張り付いたような笑顔のまま、肘をついてオレたちの出方を待っている。

「……ゲームって、なんのことだ」

 オレの肩に手を置いたまま、蜘藤が震える声で問いただす。

『あなた方三人……失礼、二人ですね。佐薙丈太郎さなぎじょうたろうさん、蜘藤俊くどうしゅんさん。あなた方にはこれから、私が用意したゲームをクリアして頂くことになります』

 ある種の商業的な朗らかさすら込められた口調で、ミゴーは流暢に説明を始めた。今から行われるのはオレたちの叡智、勇気、そして絆を試すゲームであること。制限時間は24時間、クリアの手段は問わないが、棄権は認められないこと。オレたちが今いる場所は法の及ばぬ世界であること。そして失敗者は、目の前に転がった男と同じ運命を辿ること。
 もちろん、到底信じられる内容ではなかった。けれど目の前に転がる屍は、ミゴーの荒唐無稽な戯言を真実だと思わせる、冷徹なまでの説得力を持っていた。

「な……なんなんだよ。何が目的なんだよ、こんなの……」

 耐え切れず一人ごちると、ミゴーは声を上げて笑う。

『あはは、目的ですか。そうですねえ、世界平和のため、とでも言っておきましょうか』
「ふ、ふざけんなよ! なんでオレらが……!」
「っ、佐薙っ!」

 蜘藤が慌ててオレの口を塞いだ。オレも我に返って口をつぐむ。敵対行為と見做されたらどうなるかもわからない。幸いミゴーは機嫌を損ねた風もなく、ただ笑顔でこちらを観察しているだけだ。

「そのゲームとやらをクリアしたら、俺たちを無事に帰してくれるんだな」
『もちろん。身の安全はお約束しますよ』
「わかった。……なら、参加する」
「蜘藤!?」

 耳を疑いながら蜘藤を見上げた。険しい表情にじっとりと汗を滲ませて、蜘藤はブラウン管を睨み続けている。

「悔しいだろうが、今は従うしかない。ここで無意味に反発したって、あいつと同じになるだけだ」
「っつったって、こんな……!」
「大丈夫。俺が絶対、なんとかするから」

 力強く言い切った蜘藤の言葉に、信用できる根拠など何一つない。それでもオレは反論せずに黙り込んだ。虚勢だろうが蛮勇だろうが、今は縋れるものなら縋りたい気分だ。例えそれがほとんど接点も持ち合わせなかった、よく知らない元クラスメイトの言葉でも。

『心の準備はできましたか?』

 オレたちの沈黙を待っていたかのように、ミゴーがもう一度指を鳴らした。身構えるオレのすぐ横に、さっきまでなかったはずの扉がぼうっと浮かび上がる。およそ人間業とは思えない芸当だったが、もはや驚く気力も失せていた。

『そちらの扉をくぐれば、いよいよゲームの始まりです。最後に惑わぬ者こそが勝利を掴む。ご健闘をお祈りしてますよ』

 意味深な言葉を残して、ミゴーの笑顔が砂嵐に掻き消える。オレと蜘藤は顔を見合わせた。行くしかない。ふらつく足にどうにか力を込めて立ち上がり、ドアの前へと進み出る。

「扉、俺が開けていいか」
「おう……頼む」

 蜘藤は臆する様子も見せずに、重厚なドアノブに手をかける。
 ドアの向こうから溢れ出す光を、オレはまだどこか虚ろな目で見つめていた。
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