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FILE・#7 憤り&不愉快がいっぱい
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……ほんの何秒かの出来事だった。
「危ない!」
叫び、涼介が飛び出す。
向かってくる涼介に、多恵子が驚いたように目を見張り立ち止まった。
見上げると、落下してくる植木鉢が目に映った。
まさにその落下ポイントへ、涼介が飛び込んでいく。
そこには多恵子の姿があった。
「涼!」
慎也は声を上げた。
――ぎりぎりのタイミング。
涼介が多恵子に飛びついた。
彼女をしっかりと抱き締め、そのまま飛びついたままの勢いに身体を任せる。
二人の身体が倒れ込むように落下ポイントから離れた瞬間――。
ガシャーーン!!
植木鉢が地面に激突した。盛大に音を立てて砕け散る。
倒れた涼介たちの足許から、1メートルも離れていないだろう。
薄茶色の残骸が散らばっていた。
まさに危機一髪。かなり際どいタイミングだった。
「涼! 松井さん!」
慎也は二人に駆け寄った。
涼介の腕の中で、多恵子は呆然とした表情をしていた。
「二人とも大丈夫か!」
二人の側に膝をついた慎也に、
「オレの方はなんとか大丈夫です。それよりも……」
言いながら、涼介は多恵子から自分の身体を退ける。
地面に手をついて半身を起こすと、彼は多恵子の顔を覗き込むようにした。
「松井さん。松井多恵子さん、しっかりしてください」
呼びかける声に、多恵子の瞳の焦点がぼんやりと涼介に向けられる。
「あまの、くん……」
何かを確かめるように、多恵子の唇が涼介の名前を紡ぎ出す。
「松井さん、大丈夫ですか? どこにも怪我はありませんか?」
数瞬の空白の後、
「あ……うん……とりあえず、大丈夫みたい……」
地面に身体を横たえたまま、多恵子は言った。その顔からはやや血の気が引いている。
のろのろとだが身体を起こした彼女に、慎也はほっと安堵する。
涼介がさらに話しかけ、それに対しぼそぼそと多恵子が答える。
そんな二人のやり取りに、
(……こっちは、大丈夫そうだな)
多恵子のことは涼介に任せることする。
慎也は、鉢の残骸に視線を移した。
大小の欠片があちこちに散らばっている。
けれど……それだけだ。他には何もない。
比較的大きめの破片をいくつか拾ってみる。
ひっくり返してみても、どの破片にもその内側に汚れはなかった。
……土が入れられていた跡がない。
素焼きの欠片はどれもこれも、とてもキレイなものだった。
まるで買ったばかりの新品のような。いや、実際に新品なのだろう。植木鉢には、本来の用途で使用された形跡がまったくなかった。
つまり、落ちてきたのは空の鉢だったのだ。
……真新しい空の植木鉢、の落下。
それが示すものは……故意だろう。
これは偶然や事故じゃない。植木鉢は上から落とすためだけに用意され、何者かによって故意に落とされたのだ。
もちろん、その何者かというのは……奴だ。
……嫌がらせ犯X。それ以外にあり得ない。
目の前の校舎を見上げ、慎也は唇を噛んだ。
奴の嫌がらせは、次の段階に進んだらしい。
Xはとうとう、嫌がらせの第2段階、玲奈への周辺攻撃を始める気になったようだ。
その最初のターゲットが、玲奈の親友・松井多恵子ということなのだろう。
「涼。松井さんのことは頼んだぞ」
涼介に声を掛け、慎也は立ち上がった。
「待ってください、オレも行きます」
と、涼介も腰を上げようとする。
「駄目だ」
慎也は彼を制した。
視線を多恵子に向ける。
「そんな状態の彼女を、一人で放っておくつもりか?」
多恵子は小刻みに身体を震わせていた。
恐怖心がまだまだ燻っているのだろう。瞳にも落ち着きがなかった。
慎也は視線を涼介に戻す。
「それに、おまえ自身もだ。無理はするな。今みたいなことをして、痛めてる肩が何ともなかったわけがないだろ? その前髪の下に、顰めっ面を隠していることくらい分かるぞ」
「あ……いや、それは……」
……図星だったらしい。
「いいな、おまえはここで待機だ。校舎の出入口をチェックしててくれ」
「でも……叔父さん一人じゃ……」
涼介はなおもまだ渋る。
「心配するな」
慎也は微笑んだ。
「俺一人じゃないから。ちゃんと別働隊が動いているから問題ない」
「ああ……」
別働隊。その単語の登場で、涼介は納得したようだ。わかりました、と大人しく引き下がった。
「じゃあ、ここは任せたぞ」
背を返し、慎也は駆け出す。
「……あっ、叔父さん!」
「なんだ、まだ何か文句があるのか!」
甥の呼び掛けに、慎也は足を止めた。
「いいえ違います。屋上です。屋上に向かってください」
振り返った慎也に、涼介が伝える。
どうやら、植木鉢は屋上から落とされたということらしい。
慎也は校舎の屋上を見上げた。
(なるほど。犯行後の証拠隠滅や逃亡には、時間が稼げて都合が良さそうな高さってわけか……)
目の前の校舎は、赤レンガ調の壁が美しい5階建ての建物だった。
おそらく、十波学園大学の構内で最も背の高い建築物の一つなのだろう。
見回してみても、目に映る範囲にこの校舎よりも高層の建物はない。
ほとんどの校舎は3階建てか4階建てだ。
「わかった」
答えると、今度こそ脇目も振らず、慎也は植木鉢が落とされた校舎へと駆け込んだ。
水島玲奈を守る会だなんていうお馬鹿集団の襲撃に、嫌がらせ犯Xの植木鉢攻撃。
まだ午前中だというのに……。
(まったく……今日は忙しい日だよな)
階段を駆け上がりながら、慎也は心の中でぼやいていた。
1講目の終わりを告げるチャイムが耳に届き、その単調な音律に急かされて、慎也は屋上へと急ぐ。
4F、壁に大きくそう文字が記されていた。
最上階までは、あと一階。屋上までは、もうさらに一階分。
「よし、ラスト」
慎也はさらにピッチを早めた。
5F。階段脇で、男二人に女一人のグループがお喋りタイムを楽しんでいる。
その三人の前を通り過ぎる。
が、屋上への階段を何段か上ったところで、慎也ははたと立ち止まった。
振り返り、やや荒めの呼吸とともに言葉を吐き出した。
「あの、君たち。今ここを、誰かが通らなかったかい?」
「ん? なんだぁ?」
ぶしつけな闖入者に、男の一人があからさまに不愉快そうに眉を顰める。
「だから、誰か通らなかったか?」
もう一度訊いた慎也に、
「通ったわよ」
赤めの茶髪、シャギーカットの女性が答えた。
「誰が? いや、どんな奴だった?」
「あんた」
と、女性が慎也を真っすぐに指さす。
「は……?」
慎也は惚けた顔をしてしまう。
そんな彼の様子に、残り二人の男が可笑しそうにゲラゲラと笑った。
「違う違う! 俺のことはいいんだよ。他には、誰かいなかった?」
「だぁーれも。あんただけだよ」
女性は肩をすくめた。
(おいおい……マジか)
屋上へ続く階段は、この階段だけだというのに。ここを誰も通っていないなんて……。
また馬鹿なことを……。
「本当に、誰も通っていないのかい?」
「ああ、間違いないぜ。あんた以外、誰もここを通った奴なんていないぜ」
「それとも、俺たちが嘘を吐いてるとでも言うのかよ」
男二人が立て続けに言った。
「あ、いや、そういうわけじゃないよ」
実際、三人が嘘を吐いているようには思えなかった。
少し遊び人風の若者たちではあるが、彼らを疑う理由はない。信じてもいいだろう。
「あと、もう一つ。君たち、いつ頃からここに居た?」
「かなり前からいるわよ」
女性が腕時計に目をやった。
「だいたい40分前から……ってとこかな」
「……40分前」
つまり、普通に考えれば、Xは40分以上前から屋上にいたことになる。
そして、未だにその場所に留まっているということだ。
そうでなければ、理屈が合わない。
しかし……そんなことがあり得るだろうか?
いや、まずあり得ない。
犯行後、犯人が現場から逃げないわけがない。
それでももし、そこに犯人がいるとしたら……。
……何か、罠の一つでも仕掛けてあったりするんだろうか。
だとしても……。
兎にも角にも、屋上に行ってみないことには始まらない。
「ありがとう」
三人に礼を言うと、慎也はさっさと残り少ない階段を駆け上がった。
……案の定だ。
……屋上に人の姿はなかった。
ばさばさばさ!
思いっきり扉を開けた慎也に、屋上で羽根を休めていた雀たちが一斉に飛び立つ。
Xらしき人物の姿はなく……。
……雀が逃げてゆく。
まさか、あの数羽の雀たちがXだとでも言うんだろうか……。
「あはは……」
空を見上げ、慎也は力なく笑った。
(こりゃあ……本当に難敵だぞ)
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