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FILE・#8 前夜祭……そしてXデー
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窓の外は宵闇の色に染まっていた。
街灯やネオンの明かりが、薄闇の中で思い思いに自己を主張している。
あと数時間で6月も終わり、新しいひと月が始まる。
(くそっ……。Xの奴め……)
慎也は胸の内で悪態をついていた。
今回の事件は事態が動けば動くほど、どんどんと手詰まりになっていく。
……解決への道筋が上手く描けない。
それどころか、正直、現状はお手上げ状態と言ってよかった。
慎也、雪乃、涼介に美咲。事務所の応接スペースには、3日ぶりに主要メンバーの4人が勢揃いしている。
嫌がらせ犯Xは、今までにないほどの難敵だった。
……単純でオリジナリティのない攻撃。
何の目新しさもないにも拘らず……いや、だからこそ、却って際立つものがあるといった感じだろうか。
……仕掛けの痕跡というものがなく。嫌がらせ犯X自身の影も全く見えてこない。
昨日にしろ今日にしろ、嫌がらせ事件の現場にXが存在していた様子がないのだ。
(奴は、透明人間か何か……?)
などと、思わず、そんな下らないことを考えてしまいたくもなる。
「別働隊の方も駄目だったわけか……」
慎也は、肩を落として言った。
実は、神谷探偵事務所は、忍者よりも完璧に隠密裏な行動が可能な調査員を抱えていた。
別働隊……別名、幽霊部隊。その構成員は、元締めの殉職警官・西河晋次郎をはじめとして全員が幽霊である。まさにそれは、神谷探偵事務所にとっての切り札だった。
その影の臨時秘密調査員5人が、今日はずっと慎也たちに付き添っていたのだ。
多恵子に植木鉢が落とされた時、幽霊の調査員たちは素早く散っていった。
慎也はそれを確認している。
一人は、校舎の裏側へ。三人は校舎の中へ。残りの一人は、慎也たちの側で校舎の出入口のチェック。見事なコンビネーションとフットワークだった。
幽霊調査員たちのX追跡行動は完璧だったと思う。
しかし……。
結果は……神谷探偵事務所側の負けだったようだ。
涼介と美咲の報告を聞き終えて、慎也は首を横に振る。
二人が晋次郎の根城・墨染寺へと出向き、仕入れてきた今日の調査結果の中に、Xの正体に辿り着けるような有益なものは無かった。
「……結局、手掛かりは全く無しか。またXにしてやられたわけだ。別働隊まで動員したっていうのにな……」
別働隊が何の成果も上げられないなんて、かなり珍しいことだ。
「でも、『してやられた』というよりは、オレたちだけで勝手に騒いでいる、って感じです。まるで、居もしない幻の敵と戦っているみたいですよ」
「確かにそうだよな、俺もそう思う。空気相手に喧嘩でもしてるみたいだよな」
涼介の意見に、慎也は同意した。
「手掛かりがないというよりも、手応え自体がないんだ。いくらなんでも、ここまで奴の影が追えないなんて納得がいかない。あまりにも存在感が無さすぎる……本当にXなんて存在しているのか、って思えてくるよ」
「だけど、いるのは確かだよ。現に玲奈さんも多恵子さんも襲われているんだし。それに、涼ちゃんだって……」
美咲が少し怒ったように言う。
「ああ、美咲ちゃんの言う通りだ……居ないはずはない。でも、昨日のマシンといい、今日の植木鉢といい、現場に犯人が存在した形跡がないんだよな。複数の目撃証言も、それを証明してしまっているし」
「見ていない、誰も見てない……なんて目撃していないことが、目撃証言になっているんだもんね。なんか変な感じだよね」
「……本当に困ったもんだよ。折角の目撃証言が、俺たちの混乱の素になっているんだから。犯人が分からないんじゃなくて、犯人が不在なんて……シャレにもならないよな」
「だからって、幽霊の仕業ってことでもないんでしょう?」
「ああ、違うと思うね」
慎也は頷いた。
幽霊の調査員を抱えているくらいだ。神谷探偵事務所では、犯人が幽霊という解決編もありなのだ。特殊な事例ではない。
実際、幽霊の悪戯などという解決を迎えた案件も、事務所の開設以来、半年あまりで3件を数えていた。
今回の件についても、嫌がらせ犯Xが幽霊ならば、その存在感の無さも説明がつく。
勝手に作動したピッチングマシンの謎だって、至極簡単に解答が得られる。
あとは犯人の幽霊を探し出せばいい……事件は半分解決だ。
けれど……。
(……違う。Xは幽霊なんかじゃない)
昨日、慎也は、玲奈たちの周囲に幽霊の気配など感じ取ってはいない。少なくとも、昨日の夕方、慎也の霊感が察知したものはなかった。そのことは、「イコールXは幽霊ではない」ということに繋がるのだ。
今日の植木鉢落下は、慎也に一つだけささやかな手掛かりを与えてくれていた。
それは、「昨日の夕方、Xは慎也たちのすぐ側……それも会話が聞き取れるくらい近くにいた」ということである。
多恵子は今日、間違いなく待ち伏せされて植木鉢を落とされている。犯人はあの時あの場所を彼女が通ることを知っていた。
だからといって、それが彼女の習慣だったわけではない。あの時間帯、あの赤レンガ調の校舎前を通るような行動パターンは、多恵子の日常にはなかった。
昨日の最終講義の終了後、慎也たちは学生食堂で翌日(今日)の打ち合わせを行っている。
その時、明日の警護は自分も引き受けると言った慎也に、多恵子が提案した。
〝じゃあ、明日は玲奈は午後からの出席だから、まずはあたしと待ち合わせませんか? 一講目が終わった後に、赤レンガの校舎の前で。どうですか、神谷さん?〟
その後、多恵子は「あそこなら分かり易いですしね」と続けた。
犯人。つまり、Xはそれを聞いていたのだ。
だから、その会話時に慎也が気配を感じなかった幽霊がXであることはない。
そして、もう一つ。さり気なく会話を盗み聞きできるくらいだ。
犯人Xは、学食にいても特に何の不自然さも感じさせない人物なのだろう。
それに該当するのは、学生もしくは大学生くらいの年頃の若者ということになる。
因みに、盗聴の有無も確認済みだ。慎也たちはもちろん、多恵子たちの持ち物等に盗聴器が仕掛けられている痕跡はなかった。
「うーん……それじゃあ、やっぱり……例の三人組が一番怪しいんじゃない?」
幽霊犯人説を否定した慎也に、美咲は言った。
「例の三人組って……本日の問題発言者たちのことかい?」
「うん、その問題発言者の三人。その中の誰かがXなんだよ。で、残りの二人は共犯者。幽霊以外なら、あとはそれくらいしか考えられないよ」
「確かに、それなら簡単なんだけどね。でも、残念ながら……それも違うよ、美咲ちゃん」
例の三人組は、赤茶色のシャギーカットの女性を始め、あとの男二人もなかなかに個性的な風貌だった。さすがにあの三人ならば、注意していなくてもかなり目立ったはずだ。けれど、昨日、三人が学食にいたという記憶はない。
「変装は? 三人のその格好が変装だったって可能性もあるでしょう?」
美咲は簡単には引き下がらなかった。
「残念だけど、ハズレ。それもちゃんと確認してあるよ。あの三人って、学園大では結構有名らしくてね。昨日の夕方に学食以外の場所にいたのは、簡単に確認できたよ。
それから……あと、水島さんの両親関係もハズレだった。そっちからも、動機を持っていそうな人物は挙がってこなかったよ」
「そうなんだ……」
と吐息を漏らし、美咲は難しい顔をした。
「警察の方は、どんな様子なんですか?」
美咲が黙るのと入れ替えに、ずっと閉じていた涼介の口が開いた。
「警察……? ああ……川崎君の事故のことか」
「はい」
「それもダメだ。佐々木君の話によると、意外と事故車探しが難航しているらしい。聞き込みの方も、相変わらず目撃者は発見できず……って感じのようだな」
「そうですか……」
益のない言葉に、涼介は再び思案げに黙り込んだ。
(……涼の奴、何かつかみ掛けてるな)
甥っ子の様子に慎也は思ったが、それを聞き出すことはしなかった。
邪魔をせず、静かに考えをまとめさせる。
考えがまとまれば、放っておいても涼介は勝手に話し出すだろう。
「ねえ、叔父さん」
美咲がまた慎也に声を掛けた。
「ん?」
慎也は美咲を見る。彼女はどこか不機嫌そうな顔をしていた。
「もしかして、川崎さんをはねたのって高屋一紘なんじゃないの? 高屋建設の御曹司なら、フェラーリを持ってる可能性も高そうだし、それを乗り回していそうにも思うんだけど」
……とっても分かり易い。
これ以上ないというくらい、ストレートなご意見だ。
「まあ……可能性が無いこともないかな。水島玲奈を守る会だなんて、あんな馬鹿げたものを作って勘違いしているくらいだしね。水島さんへの執着心も相当に強そうだ。高屋が川崎君の存在を掴んでいることも、考えられなくはない。だけど、違うと思うな。前にも言ったように、ひき逃げ事件と水島さんの件は切り離して考えるべきだよ。
事故に見せ掛けて……というのも、そりゃあね、百パーセントないとは言い切れない。でも、やっぱり川崎君の件はただの事故だと俺は思うよ」
「オレもそう思います。高屋にひき逃げなんて絶対に無理です。アイツにそんな度胸はないですよ。それに第一、そんな自分に何のメリットもないこと、アイツがするわけないだろうし。あんな奴にできるのは、せいぜい取り巻を使った私刑くらいのものですよ。
たとえもし、川崎先輩をはねたフェラーリが高屋の物だったとしても、それは〈車を貸した友人が勝手に事故を起こした〉っていうパターンくらいでしょうね。直接、アイツが絡んでいるようなことは絶対にないです」
よほど高屋のことが気に食わないらしい。
やや感情を昂らせた様子で、涼介は批判交じりの意見を吐き出した。
……珍しいことだった。自分のブースター性質に苦しむ涼介が、他人に対する不快感をこれほど露にするなんて滅多にないことだ。
涼介の持つ負の感情は、常に自分自身に対し向けられている。それだけに、涼介は人のことを責めたり悪く言ったりすることをあまりしない。
――自分にはそんな資格なんてない。
と、涼介は思っているようなのだ。
そんな甥っ子が……他者への怒りに類する感情で熱くなっている。
慎也にとって、それはかなりの驚きだった。
しかし、それは悪いことではない。
もう一人、美咲もひどく意外そうな顔をしている。
バン!
涼介の感情の昂りに同調したかように、事務所のドアが威勢よく開いた。
小柄だががっしりとした体格の警官が、室内に入ってきた。
肩幅のある鍛えられた身体に、警察官の制服がよく似合っていた。ただ、その制服の鳩尾は赤黒く染まっている。
それは乾いた血の跡だった……。
にも拘らず、男の表情はにこにこと笑っていた。
「「晋さん」」
慎也と美咲は同時に声を上げた。
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