『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』

水由岐水礼

文字の大きさ
26 / 36
FILE・#8 前夜祭……そしてXデー

26

しおりを挟む

      1

 窓の外は宵闇の色に染まっていた。
 街灯やネオンの明かりが、薄闇の中で思い思いに自己を主張している。
 あと数時間で6月も終わり、新しいひと月が始まる。
(くそっ……。Xの奴め……)
 慎也は胸の内で悪態をついていた。
 今回の事件は事態が動けば動くほど、どんどんと手詰まりになっていく。
 ……解決への道筋が上手く描けない。
 それどころか、正直、現状はお手上げ状態と言ってよかった。
 慎也、雪乃、涼介に美咲。事務所の応接スペースには、3日ぶりに主要メンバーの4人が勢揃いしている。
 嫌がらせ犯Xは、今までにないほどの難敵だった。
 ……単純でオリジナリティのない攻撃。
 何の目新しさもないにも拘らず……いや、だからこそ、却って際立つものがあるといった感じだろうか。
 ……仕掛けの痕跡というものがなく。嫌がらせ犯X自身の影も全く見えてこない。
 昨日にしろ今日にしろ、嫌がらせ事件の現場にXが存在していた様子がないのだ。
(奴は、透明人間か何か……?)
 などと、思わず、そんな下らないことを考えてしまいたくもなる。
「別働隊の方も駄目だったわけか……」
 慎也は、肩を落として言った。
 実は、神谷探偵事務所は、忍者よりも完璧に隠密裏な行動が可能な調査員を抱えていた。
 別働隊……別名、幽霊部隊。その構成員は、元締めの殉職警官・西河晋次郎をはじめとして全員が幽霊である。まさにそれは、神谷探偵事務所にとっての切り札だった。
 その影の臨時秘密調査員5人が、今日はずっと慎也たちに付き添っていたのだ。
 多恵子に植木鉢が落とされた時、幽霊の調査員たちは素早く散っていった。
 慎也はそれを確認している。
 一人は、校舎の裏側へ。三人は校舎の中へ。残りの一人は、慎也たちの側で校舎の出入口のチェック。見事なコンビネーションとフットワークだった。
 幽霊調査員たちのX追跡行動は完璧だったと思う。
 しかし……。
 結果は……神谷探偵事務所側の負けだったようだ。
 涼介と美咲の報告を聞き終えて、慎也は首を横に振る。
 二人が晋次郎の根城・墨染寺へと出向き、仕入れてきた今日の調査結果の中に、Xの正体に辿り着けるような有益なものは無かった。
「……結局、手掛かりは全く無しか。またXにしてやられたわけだ。別働隊まで動員したっていうのにな……」
 別働隊が何の成果も上げられないなんて、かなり珍しいことだ。
「でも、『してやられた』というよりは、オレたちだけで勝手に騒いでいる、って感じです。まるで、居もしない幻の敵と戦っているみたいですよ」
「確かにそうだよな、俺もそう思う。空気相手に喧嘩でもしてるみたいだよな」
 涼介の意見に、慎也は同意した。
「手掛かりがないというよりも、手応え自体がないんだ。いくらなんでも、ここまで奴の影が追えないなんて納得がいかない。あまりにも存在感が無さすぎる……本当にXなんて存在しているのか、って思えてくるよ」
「だけど、いるのは確かだよ。現に玲奈さんも多恵子さんも襲われているんだし。それに、涼ちゃんだって……」
 美咲が少し怒ったように言う。
「ああ、美咲ちゃんの言う通りだ……居ないはずはない。でも、昨日のマシンといい、今日の植木鉢といい、現場に犯人が存在した形跡がないんだよな。複数の目撃証言も、それを証明してしまっているし」
「見ていない、誰も見てない……なんて目撃していないことが、目撃証言になっているんだもんね。なんか変な感じだよね」
「……本当に困ったもんだよ。折角の目撃証言が、俺たちの混乱の素になっているんだから。犯人が分からないんじゃなくて、犯人が不在なんて……シャレにもならないよな」
「だからって、幽霊の仕業ってことでもないんでしょう?」
「ああ、違うと思うね」
 慎也は頷いた。
 幽霊の調査員を抱えているくらいだ。神谷探偵事務所では、犯人が幽霊という解決編もありなのだ。特殊な事例ではない。
 実際、幽霊の悪戯などという解決を迎えた案件も、事務所の開設以来、半年あまりで3件を数えていた。
 今回の件についても、嫌がらせ犯Xが幽霊ならば、その存在感の無さも説明がつく。
 勝手に作動したピッチングマシンの謎だって、至極簡単に解答が得られる。
 あとは犯人の幽霊を探し出せばいい……事件は半分解決だ。
 けれど……。
(……違う。Xは幽霊なんかじゃない)
 昨日、慎也は、玲奈たちの周囲に幽霊の気配など感じ取ってはいない。少なくとも、昨日の夕方、慎也の霊感が察知したものはなかった。そのことは、「イコールXは幽霊ではない」ということに繋がるのだ。
 今日の植木鉢落下は、慎也に一つだけささやかな手掛かりを与えてくれていた。
 それは、「昨日の夕方、Xは慎也たちのすぐ側……それも会話が聞き取れるくらい近くにいた」ということである。
 多恵子は今日、間違いなく待ち伏せされて植木鉢を落とされている。犯人はあの時あの場所を彼女が通ることを知っていた。
 だからといって、それが彼女の習慣だったわけではない。あの時間帯、あの赤レンガ調の校舎前を通るような行動パターンは、多恵子の日常にはなかった。
 昨日の最終講義の終了後、慎也たちは学生食堂で翌日(今日)の打ち合わせを行っている。
 その時、明日の警護は自分も引き受けると言った慎也に、多恵子が提案した。
〝じゃあ、明日は玲奈は午後からの出席だから、まずはあたしと待ち合わせませんか? 一講目が終わった後に、赤レンガの校舎の前で。どうですか、神谷さん?〟
 その後、多恵子は「あそこなら分かり易いですしね」と続けた。
 犯人。つまり、Xはそれを聞いていたのだ。
 だから、その会話時に慎也が気配を感じなかった幽霊がXであることはない。
 そして、もう一つ。さり気なく会話を盗み聞きできるくらいだ。
 犯人Xは、学食にいても特に何の不自然さも感じさせない人物なのだろう。
 それに該当するのは、学生もしくは大学生くらいの年頃の若者ということになる。
 因みに、盗聴の有無も確認済みだ。慎也たちはもちろん、多恵子たちの持ち物等に盗聴器が仕掛けられている痕跡はなかった。
「うーん……それじゃあ、やっぱり……例の三人組が一番怪しいんじゃない?」
 幽霊犯人説を否定した慎也に、美咲は言った。
「例の三人組って……本日の問題発言者たちのことかい?」
「うん、その問題発言者の三人。その中の誰かがXなんだよ。で、残りの二人は共犯者。幽霊以外なら、あとはそれくらいしか考えられないよ」
「確かに、それなら簡単なんだけどね。でも、残念ながら……それも違うよ、美咲ちゃん」
 例の三人組は、赤茶色のシャギーカットの女性を始め、あとの男二人もなかなかに個性的な風貌だった。さすがにあの三人ならば、注意していなくてもかなり目立ったはずだ。けれど、昨日、三人が学食にいたという記憶はない。
「変装は? 三人のその格好が変装だったって可能性もあるでしょう?」
 美咲は簡単には引き下がらなかった。
「残念だけど、ハズレ。それもちゃんと確認してあるよ。あの三人って、学園大では結構有名らしくてね。昨日の夕方に学食以外の場所にいたのは、簡単に確認できたよ。
 それから……あと、水島さんの両親関係もハズレだった。そっちからも、動機を持っていそうな人物は挙がってこなかったよ」
「そうなんだ……」
 と吐息を漏らし、美咲は難しい顔をした。
「警察の方は、どんな様子なんですか?」
 美咲が黙るのと入れ替えに、ずっと閉じていた涼介の口が開いた。
「警察……? ああ……川崎君の事故のことか」
「はい」
「それもダメだ。佐々木君の話によると、意外と事故車探しが難航しているらしい。聞き込みの方も、相変わらず目撃者は発見できず……って感じのようだな」
「そうですか……」
 益のない言葉に、涼介は再び思案げに黙り込んだ。
(……涼の奴、何かつかみ掛けてるな)
 甥っ子の様子に慎也は思ったが、それを聞き出すことはしなかった。
 邪魔をせず、静かに考えをまとめさせる。
 考えがまとまれば、放っておいても涼介は勝手に話し出すだろう。
「ねえ、叔父さん」
 美咲がまた慎也に声を掛けた。
「ん?」
 慎也は美咲を見る。彼女はどこか不機嫌そうな顔をしていた。
「もしかして、川崎さんをはねたのって高屋一紘なんじゃないの? 高屋建設の御曹司なら、フェラーリを持ってる可能性も高そうだし、それを乗り回していそうにも思うんだけど」
 ……とっても分かり易い。
 これ以上ないというくらい、ストレートなご意見だ。
「まあ……可能性が無いこともないかな。水島玲奈を守る会だなんて、あんな馬鹿げたものを作って勘違いしているくらいだしね。水島さんへの執着心も相当に強そうだ。高屋が川崎君の存在を掴んでいることも、考えられなくはない。だけど、違うと思うな。前にも言ったように、ひき逃げ事件と水島さんの件は切り離して考えるべきだよ。
 事故に見せ掛けて……というのも、そりゃあね、百パーセントないとは言い切れない。でも、やっぱり川崎君の件はただの事故だと俺は思うよ」
「オレもそう思います。高屋にひき逃げなんて絶対に無理です。アイツにそんな度胸はないですよ。それに第一、そんな自分に何のメリットもないこと、アイツがするわけないだろうし。あんな奴にできるのは、せいぜい取り巻を使った私刑くらいのものですよ。
 たとえもし、川崎先輩をはねたフェラーリが高屋の物だったとしても、それは〈車を貸した友人が勝手に事故を起こした〉っていうパターンくらいでしょうね。直接、アイツが絡んでいるようなことは絶対にないです」
 よほど高屋のことが気に食わないらしい。
 やや感情を昂らせた様子で、涼介は批判交じりの意見を吐き出した。
 ……珍しいことだった。自分のブースター性質に苦しむ涼介が、他人に対する不快感をこれほど露にするなんて滅多にないことだ。
 涼介の持つ負の感情は、常に自分自身に対し向けられている。それだけに、涼介は人のことを責めたり悪く言ったりすることをあまりしない。
 ――自分にはそんな資格なんてない。
 と、涼介は思っているようなのだ。
 そんな甥っ子が……他者への怒りに類する感情で熱くなっている。
 慎也にとって、それはかなりの驚きだった。
 しかし、それは悪いことではない。
 もう一人、美咲もひどく意外そうな顔をしている。
 バン!
 涼介の感情の昂りに同調したかように、事務所のドアが威勢よく開いた。
 小柄だががっしりとした体格の警官が、室内に入ってきた。
 肩幅のある鍛えられた身体に、警察官の制服がよく似合っていた。ただ、その制服の鳩尾は赤黒く染まっている。
 それは乾いた血の跡だった……。
 にも拘らず、男の表情はにこにこと笑っていた。
「「晋さん」」
 慎也と美咲は同時に声を上げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。

NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。 中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。 しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。 助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。 無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。 だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。 この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。 この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった…… 7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか? NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。 ※この作品だけを読まれても普通に面白いです。 関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】     【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...