【完結】あなたの正しい時間になりたい〜上司に囚われた俺が本当の時間を見つけるまで〜

栄多

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あなたの正しい時間になりたい

柏木理緋都

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 柏木理緋都かしわぎりひとの朝は規則正しい。

朝6時に起床、テレビで天気予報を見ながらトレーニングウェアに着替え、リビングで準備体操。
6時半に自宅のマンションに隣接した広大な公園で20分ほどランニングをし、汗をかく。
7時にシャワーを浴びて、7時半から朝食、8時半には出勤。
これが休日の場合は半日かけて部屋の掃除、午後はジム。

365日、このルーティンで生きている。
それは有川デザインオフィスに通勤するようになってからも変わらない。

「来たか」
「ニャー」
ベランダから物音が聞こえてきたので柏木が窓を開けるとそこにはいつもの珍客、オスの野良猫。
柏木は猫の生態など全く分からないけど、毎朝ここへ来てミルクだけ飲んで去っていく野良猫との気楽な付き合いは、生涯独身と決めた柏木にとって好都合だった。

極力この世との結びつきを持たないで生きていきたい。
猫にとっては、そう考える柏木が好都合かそうじゃないのかは、分からないけど。

「待ってろ。ミルクをやる」
「ニャー!」
柏木はワイシャツのボタンを締めながら背後の冷蔵庫を開ける。
コンパクトな作りのこの部屋はワンアクションですぐ必要なものに手が届く。
多少手狭でも駅近で立地の良いこのマンションを購入したのは掃除の楽さと、すぐ売却できる流動性の高さ。
この世から消える時は、瞬時に跡形もなく消える。
柏木が物を選ぶ時の唯一のポリシーだ。

「美味いか?」
「ニャー」
「ゆっくり飲んでろ」
時計を確認すると7時49分45秒。
ベランダの窓を閉めてリビングスペースのソファに座る。
7時50分ジャストに携帯の電話が鳴る。

「柏木です」
『そっちはどうだ』
雑談など一切介在しない通話が始まる。
柏木の頭の中にしばらく会っていない電話の向こうの上司の姿がよぎる。
短髪でいつも気難しそうに眉間にシワを寄せている。仕事以外のことにリソースを割きたくないという心情からスーツは同じ色、同じ形のものが10着。それをひたすら着回す40代。

「鉄壁です。誰に聞いても副島は仕事のできる人格者、官公庁とのパイプを作った立役者、家族や妻との関係も良好、ハメは外すけど常識的な範囲内、ギャンブル、酒、セクハラパワハラは無しといったところです」
『ハッ、清潔すぎる。怪しいな、真っ黒だ』
「自分もそう思います。ガス抜き無しにあの日常を維持するのは至難の業です。一緒に仕事をして分かりますが、想像以上にハードな業界でした」
『すっかり広告業界の人間だな』
「やめてください」
柏木が苦笑いする。

「副島以外に怪しい動きをしてるのはいないか」
『一人、気になる人間はいますがまだ何とも」
『直感をあなどるな。誰だ』
「澁澤澪緒という社員です」
電話の向こうからマウスをスクロールする音がして、しばらくして止まった。

『男か。野暮ったいな。こいつがどうした』
「我々が見てる澁澤の写真は入社直後の写真で、現在の彼は髪も金髪にしてかなり垢抜けています」
『女を経験したか?』
「多分」
艶のある唇、色白の肌、いつも水分の多い二重の瞳をキラキラ光らせている澁澤澪緒。
朗らかでありながらどこか儚げな雰囲気で、187㎝で筋骨隆々な柏木から見たら彼はもはや美少女の部類だった。

「澁澤は頻繁に副島と仕事をしていますし、実際自分もこの目で2人がカフェから出てくるところを目撃しました。しかし澁澤本人に確認すると顔色を変えて頑なに副島との関係を否定してきました。違和感を感じます。あれだけ一緒にいて親しくないと言い張る様子が」
カフェから出てきた2人を思い浮かべる。
上司と部下という年齢差でありながらほとんど会話もない様子が返って2人の親密さを物語っていた。
しかも澁澤澪緒の方は仕事で疲れているのか、気だるそうな表情を副島の前で隠そうともしない。
建前など一切ない態度。
きわめつけは、正社員でありながら髪を輝くような金髪にしているところ。
自分の部下だったら小言のひとつやふたつ言ってるところだ。
さぞかし自分の美しさにあぐらをかいた生意気な男だろうと思っていたが実際の澁澤は自分の先入観と真逆の、ランチタイムまで仕事をするような熱心な男だった。
『副島との仲を隠してるのか?理由は』
「今はまだ推測の域を出ませんが…副島に弱味でも握られてるような、そういう種類の怯えを感じます」

柏木の脳裏に銀座の『libertéリベルテ』で初めて澪緒を見た時の記憶がよぎる。
あの時、営業の西脇が何かの案件で男性アイドルを帯同してるのかと思った。
しかし澁澤澪緒はアイドルのようなふわふわした第一印象とは裏腹に、終始気を張って周囲の様子を警戒していた。
少々強引に自分の隣の奥の席に座らせると、あからさまにほっとした表情を浮かべ肉をガツガツ食い始めた。

第一印象は『何もかもアンバランスな男』だった。

『副島の手先か?』
「まだ想像の域です」
『確率は?』
「高いと思います。副島のSNSにはよく有川デザインオフィスの社員が写ってますが不自然なほどその中に澁澤の姿はありません」
『お前、澁澤の懐に入って徹底的に澁澤を切り崩せ』
「澁澤を?」
『百戦錬磨の副島と違って澁澤はまだ社会に出て数年のヒヨッコだ。澁澤の方が簡単にボロを出すだろう。潰せるなら手段は選ばない。お前、男抱けるか』
「…は?…いや、はい。ご命令とあれば」
『手段のひとつとして考えておけ。意外と落ちる男は多い。お前が有川デザインオフィスにいれる時間は限られている。最短で仕留めろ』
「了解しました」

用件が終わるとすぐに電話は切られた。
ベランダの猫は通話中に去って行ったようで、ベランダにはポツンとミルクの皿が残されていた。
どれだけ深入りしても、去る時は野良猫の彼を見習って、跡形もなく消える。

柏木はベランダの窓の鍵を閉め、有川デザインオフィスに出社すべくジャケットを羽織った。
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