雨の向こう側へ

seiru

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雨の向こう側へ ⑨

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《Shou side》



他人ひとの家なのに、いつの間にか深く眠ってしまったらしい。

目を開けた瞬間に、夢なんじゃないかと左下をそっと覗き込むと、まだ夢の中の人の寝顔がこちらを向いていて。

あまりに柔和にゅうわな顔をしていて、見蕩みとれて吸い込まれそうになり、慌てて頭元の携帯を手に取り時刻を確認する。





a.m.6:43__。

今日僕は休日だけど、悠里さんはきっと仕事だよな。

起き上がり、もう一度だけ悠里さんに視線を落とす。

手に持つ携帯の中に収めたくなる衝動を堪えて、自分が着ているTシャツとズボンに触れてみる。

僅かに感じるこの香りは、悠里さんの香り。

この人に抱き締められたら、どんな感じなんだろう。

この香りとこの優しい表情で抱き締められたら、僕は…。

あり得ないことを考え出した自分が怖くなって、膝を抱えてうずくまる。

悠里さんはもう恋愛はしないと言っていたし、僕もそう。

維月いつきを信じて恋心を抱き、捨てられた過去の傷は癒えることは無い。

また誰かを好きになってしまったら、いつか必ず悲しい想いをする未来が待っているから。

しかもノンケを好きになるとか、リスクだらけで自殺行為だと、ゲイの間では百も承知で避けて通る道で。

悠里さんにこれ以上近づいちゃいけないという警告が聞こえるのは、きっとそのせい。

現にこの僕が、他人でノンケである彼に嫌悪感を抱いていないこと自体、危険地帯に足を突っ込んでしまっているんだと思うから、【友達】という領域をちゃんと理解しなきゃ前には進めない。


『ん…っ。』

『……。』

『ぁ…紫陽くん…おはよ…。』

『ぉ、おはようございます…。』

『ふふ…なんか、可愛い。』

『えっ?』

『ベッドの上で体育座りしてる。』

『ぁ…いやっ、これはっ。』

『朝から癒してくれて、ありがとね。』

『……。』

『あ、体調はどう?』

『はい…目眩めまいもないし、スッキリしてます。』

『よかったぁ。』


いつも僕の意に反して、無邪気に近づいてくる彼を、どうしてこばまないのか。

その理由を明確に知りたいと思う自分と、知りたくないと思う自分が、彼を前にすると戦い始めることには、少し前から気づいていた。

むくりと起き上がった悠里さんは、くるりとカールした髪をほぐす手を止め、何かひらめいたのか、目を丸くして僕を見上げる。


『紫陽くん、来週の土曜日は予定ある?』

『予定は…無いですけど。』

『じゃ、どっか行こっ。』

『え?』

『もっと仲良くなるためには、一緒に出掛けるのがいちばんだから。
紫陽くん、行ってみたい所ある?
例えば…日頃の疲れを癒す場所とか。』


遠ざけたり傷つけたり、挙句に発作を起こして勝手に呼び出して、酷いことばかりしてきたのに。

それでも仲良くなりたいと、この人は笑って言うんだな。

もしかしたらこの笑顔の裏には、僕が知り得なかった辛い過去でも隠れているのか?

いつも笑っている人ほど苦労してきていて、それを他人に見せないように笑う癖がついていると、何処どこかで聞いたことがある。

それに、辛い想いをしてきた人ほど、他人ひとの痛みを感じ取るとも。

じゃなきゃ、普通なら僕みたいなヤツに構わないだろう。

昨日のシャワーの前に言っていた、このお店を継いだって話も、もしかしたら何か壮絶な理由があるのかもしれない。


『す…。』

『す?』

『水族館…。』

『お!水族館かっ。
いいね、俺も子供の頃に行ったっきりだ。
よーし、行こう行こう♪』


答えてしまっていた。

まだ一度も行ったことがない所。

行きたくても機会が無かった所。

雨が好きなように、僕は水に関わるものに惹かれるんだろうか。

口から出た場所に妙に納得する自分と、それを聞いて子供みたいに嬉しそうな悠里さんに、顔がつい緩んでしまい、口元を片手で隠した。


『あ、俺、今日は10:00から仕事なんだ。』

『すみませんっ、えっと…じゃ、僕、帰ります。』

『急がなくて大丈夫だよ。
朝飯、作るから食べていく?』

『え…悠里さん、料理するんですか?』

『まぁ、料理は得意じゃないから、簡単なものしか作らないけどね。
夕飯はほとんど仁が作ってくれるしさ。』

『そうなんですね。』

『目玉焼きとベーコンとパンくらいだけど、食べる?』


この人の前ではもう、自分を抑えることも隠すことも出来なくなりそうで。

そうなったらいいと思う反面、もしこの人に裏切られたらという想像がついて回り、身震いしそうになる。


『色々お世話になってしまったので…今日はこのまま帰ります。』

『そっか、解った。
またいつでもおいで。』

『ありがとうございます…。』

『土曜日の待ち合わせの場所や時間は、後でLINEで決めよう。』

『はい。』


なんとか朝食は断れた。

【友達】になれるなら、少しずつその在り方に慣れていきたい。

ノンケの男性との【友達】の距離感を、悠里さんから学んでいこうと思えばいい。

そう思ったら、少しだけ肩の荷がおりた気がして、今度の土曜日が待ち遠しく感じてきていた。



__



駅まで見送ってくれるという悠里さんと、お店の出入口から出てすぐに、後ろのドアが開いて声を掛けられた。


『紫陽くんっ。』


仁さんだった。

今日は髪を下ろしていて、髪を結んでいる時より表情が柔らかく見える。

『ぁ…おはようございます。
すみません…昨夜、急遽泊まらせて頂いてしまって…。』

『俺、寝てたから気づかなくってさ。
体、もういいの?』

『はい、悠里さんのお陰ですっかり…。』

『よかったな。
うちはいつ来てくれても全然構わないから。
つか、コイツのこと、よろしくね。』

『え?』

『悠里はさ、大切だと思ったヤツに対してトコトンなわけよ。
多少ウザいと思う時もあるだろうけど、コイツのことは信用して大丈夫だから。
ありのまんまの紫陽くんで、悠里の愛情を受け入れてやって。』

『ぁ…愛情…。』


【愛情】って言葉、【友達】の間でも使われるのか。

まだまだ未知の世界すぎて、戸惑うことが多そうだ。


『そのYシャツも、きっと紫陽くんが寝てる間に仕上げたんだろ?悠里。』

『うん、まぁな。』

『そういうことだから。
今後とも、仲良くしてやってください。』

『は、はい…こちらこそ。』


そういうこと…て、どういうことだろう。

でも、今朝ベッドを整えている僕に、綺麗にクリーニングされた昨日のYシャツを手渡された時、悠里さんの思いやりに感動したのは本当で。

それだけじゃなくて、昨日の出来事もその前のことも、初めて出会った時の会話も、振り返ってみればどれも優しい思いやりだったのかもしれなくて。

それを【愛情】って言うのかな。

仁さんに会釈をして、悠里さんと並んで駅へと歩き出す。

歩道の道路側を歩く僕を、りげ無く内側へ誘導する彼に気づいた。

これも思いやりという名の【愛情】…。


『アイツ、褒めてんだかけなしてんだかわかんない言い方するよなぁ。』

『凄く褒めてると思いましたよ。』

『そう?
紫陽くんがそう思ってくれたなら、素直に喜んでおくかな。』

『はい…あの…。』

『ん?』

『昨日の夜、悠里さんがシャワーを浴びている間に寝てしまったから聞けなかったんですけど…。
お店を継ぐことになったことと、悠里さんと仁さんがどうして同居してるのかなって…。』

『あー、そうだった!
そりゃ不思議に思うし、気になるよね。
それはね…。』


ゆっくりと歩幅を合わせてくれながら、大学時代から今までのことを語ってくれた。

大学2年の時に悠里さんの母親が亡くなり、仁さんが寄り添ってくれたこと。

仁さんが、クリーニング屋という仕事に魅力を感じていて、これからどうしようかと迷っていた悠里さんの背中を押すように、一緒にお店を継ごうと言ってくれたこと。

出来るだけ短期間で技術を学んで仕事に繋げるために同居したけど、仁さんはきっと悠里さんをひとりにしたくなくてそうしたんだろうってこと。

どれも僕が経験したことがない関係性であり、聞いているうちに羨ましくも感じてきていた。

未だに同居しながら一緒に仕事をするって、よっぽどの信頼関係がなきゃ出来ないだろうし、そんな親友が太鼓判を押すくらいの人だから、悠里さんの誠実さは確かなんだと思う。


『素敵な関係ですね…おふたり。』

『うん、ほんと仁には感謝してる。
でもさ、俺達もいい歳だし、仁もそろそろ彼女と結婚するつもりらしくて。』

『そうなんですか?』

『うん。
だから、俺も32歳にしてようやく独り暮らしになるんだよね。
紫陽くんは、ずっと独り暮らし?』

『はい。』

『だよなぁ、偉いよなぁ。
マジで自炊とか家事とか苦手だからさ、今から気合い入れて頑張んないと野垂のたれ死ぬかも。』

『ふふ…そんな無理しなくても。
僕だって、疲れてる時はコンビニや外食だし、家事も全然完璧じゃないですから。』

『そうなの?
なら、気負うことないかっ。』

『はい、大丈夫です。』


この人を見ていたら、また新しい感覚が生まれてきた。

どんな言葉がぴったりくるんだろう。

あ…そうだ。

合っているのか解らないけど、【可愛らしい】。

いや、歳上の男性に感じるのはおかしいか。

それからも、お店のお客様との面白いエピソードを聞きながら、僕の目尻はずっと下がり、口角はずっと上がっていたと思う。

こんなに表情が動くことに自分でも驚きであり、正直安堵しながらも、悠里さんの話し方に変化を感じていた。

それは、話の矛先ほこさきを僕のプライベートに向けてこないところ。

【君のプライベートには、無理に踏み込まない。】

昨日の居酒屋で言っていた言葉を忠実に守っている姿に、こちらが少し気恥ずかしくなるくらいで。

そうしているうちに、あっという間に駅に着いてしまっていた。

もう少し誰かと一緒に居たいと思えるのも、久しぶりだな…。

気づかれないようにふっと息を吐き、気持ちを切り替えて改札へ向かおうと悠里さんを振り返った時。

片手に持っていた紙袋をかかげ差し出してきた。


『だいぶ時間が空いちゃったけど、ジムで預かってたYシャツとズボン。』

『ぁ、すみません…ありがとうございます。
代金、今お支払いします。』

『いいよいいよ。』

『いや、そんなわけにはっ。』

『んー、じゃ、水族館に行った時にコーヒーおごってもらうってことで。』

『いえ、お昼もご馳走します。』

『あはっ!
気持ちが嬉しいよ、ありがと。
でもさ…。』

『?』

『これを渡せる日が来たことが、何より嬉しいんだよ。
ほんとに良かった…。』

『悠里さん…。』

『紫陽くん。』

『はい。』

『これからもよろしくね。』


そんなに真っ直ぐな目で見つめないで。

喉元まで出てきた言葉を静かに飲み込み、ちゃんと返事を届けようと、小さく息を吸い込み真っ直ぐに吐き出した。


『はい…よろしくお願いします。』


ふわりと微笑んだ悠里さんに、かすかに【触れたい】と心がうずいて、慌てて手を上げて去ろうとしたのに。

悠里さんの大きな手が、僕のその手を包み握手していた。





この手の温もりを信じようと思う僕は、愚かなんだろうか。

例え愚かだとしても、傷つく結果が待っていたとしても、この手から伝わってくる幸福感を逃したくはなかった。



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