死が二人を分かたない世界

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魔界編:第4章 与太話

黒く渦巻くもの

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 低く唸る獣の声、黒くて大きな犬の体は放つ魔力量のせいで更に大きく見える気がした。

 間違いない、これはユキを守り続ける犬神の"雪代ゆきしろ"だ……!

 冷や汗がだらだらと出てきた、こんなにも強く禍々しい魔力で威嚇されたら、多分誰だって腰が抜ける。
「コイツが俺を守ろうとするくらいのプレッシャーが出てたって事だ、やっぱり真里は凄いな」
 ユキが少し困った顔をしながら僕に笑いかけて、完全に気圧されていた意識が戻ってくる。

「大丈夫だ、よく見ろ……真里だよ」
 ユキが軽く首元を撫でるように宥めると、雪代は僕への威嚇を緩めた。
 口に溜まった唾を飲み込んで覚悟して近づく、こっちに来てからずっと会いたいと思っていたんだ……大丈夫だ、怖くない。

「ごめん……ユキに危害を加えるつもりはないんだ」
 正直ボディに一発入れてやりたいくらいには腹が立ってたけど、僕が本気でユキを殴るなんてことは絶対にあり得ない。

 内心かなり怖かったのだけど……手を伸ばせば受け入れてくれて、ユキと同じように首の辺りを撫でれば、納得してくれたかの様に"雪代"は姿を消した。

 ふぅ、と一息つくと緊張が解けて、ガクッと膝が崩れる。
「大丈夫か?」
 さっきと同じようにユキが両腕で支えてくれたけど、今度は体を触られる事はなく、純粋に心配そうな顔をしている。

 一瞬"雪代"に敵と認識されたのではないかと焦った。ユキを生前から千年以上守り続けている犬神は、危害を加えようとする人間を近寄らせはしないだろう。
 ユキに触れる事もできなくなるかもしれない……僕はそれが何よりも怖かった。

「大丈夫、ちょっとびっくりしただけ」
「そうか……」
 ホッとした顔のユキが僕を強く抱きしめた……さっきまでセクハラと意地悪を繰り返してたのに、急に優しくて甘い雰囲気になる。

「すまない……真里を怒らせたくて、意地悪した」
「うん、分かってる」
 そうなんだろうな……とは思っていたから。それでも散々意地悪された反動で、少し安心して目元に涙が滲んだ。

「泣くかと思った……怒ってくれて良かった」
 気づかれないようにユキの服で滲んだ涙を拭った。背中に腕を回して抱きしめ返すと、ユキが僕の頭に手を回して愛しそうに頬を寄せる。
「プレッシャーの放ち方は、怒りの感情が1番分かりやすいから……」
「確かに凄くわかりやすかった……けど、他にやり方なかったの!?」
「趣味と実益を兼ねたんだよ」
 強く抱きしめた腕を緩めて、僕にドヤ顔するユキに正直に呆れ顔をした。

「僕は辱めを受けて、今日はもうユキに触られたくありません」
「えっ……はっ!? 嘘だろ!?」
「ユキの狙い通り、僕は凄く怒ってるから」
「あ、熱っ! プレッシャーの使い方が上手くなってる……」
 ユキを睨むようにして怒りの感情を表に出すと、さっきと同じように背中が熱くなる。確かに自覚してやるとより分かりやすい……。

 僕の態度にユキが心底悲しそうに耳を伏せる、可愛くて少し許してやろうかという気になってしまうけど、怒っているポーズは崩したくない。
 ツンと顔を逸らして横を向くと、視線の先には壁の端まで避難しているカズヤさんと聖華がいた。

「あっ! "雪代"の事二人に見られてたんじゃ……!?」
「あぁ……あの二人には以前見られてるから問題ない。別に隠している訳でもないから、誰に見られても構わないけどな」
 また僕を抱き寄せようとしたユキを押し除けて、小走りで二人の元に向かった。二人が壁に預けていた背中を離して、僕を迎え入れるように歩み寄ってくる。

「もぉー! 急にプレッシャーの打ち合い始めるのやめてくんない!? 怖いんだけど!」
「あっ、ごめん!」
 聖華が分かりやすくプンスカ怒っている動作をしてくる。
 プレッシャー……つまり力の誇示だ、これは魔力差があればある程に恐怖を感じるらしい。僕が魔王様を怖いと思うように、魔力差がある周りの人は僕の事を怖いと思う……それは肝に銘じておかなければならない。

「イチャついてたかと思ったら急に喧嘩始めるなんてどういう事なの!?」
 聖華が前に落ちてきた髪を後ろに払いながら言った言葉に、はしたない声を聞かれてしまったのを思い出して、一瞬で頭が真っ白になった。

「えっ、あっ……あれは」
「なーにしてたのよぉ、聴覚遮断までして! やらしいことでもしてたんでしょ?」
「……聴覚遮断?」
 聖華が嬉しそうにニヤニヤしながら、僕にそう耳打ちしてきて……聴き慣れない言葉に頭の理解が追いつかない。

「お前ら近過ぎ」
 ユキが聖華から引き剥がすように僕を引き寄せて、耳元に唇を寄せる。
「あんな可愛い声、聞かせる訳ないだろ」
「えっ!」
 じゃあ、あれは聞かれてなかったって事!? それでも二人には何をしていたのか想像はついていそうだから、恥ずかしいことには変わりないんだけど!

「ああでもしないと真里が怒らないから仕方なくだよ」
「怒るだけなら……あんな事しなくても、多分僕はやれたと思うよ」
 ユキを見上げてそう宣言すると、ユキが不思議そうな顔で僕を見下ろした。

「聖華、ごめんね?」
「へっ!?」
 先に謝ってから聖華の少し警戒した顔を見る。いつも口には出さないように、考えないようにしている感情を……目を瞑ったまま表に吐き出すように。

 聖華は……二百年もユキと体を重ねてて、僕の知らないユキを沢山知ってる。今も当然のようにユキの横に立とうとする、その手で触れようとする。

 嫉妬する!
 妬ましい!
 僕のユキに近づくな……!

 さっきよりずっとドロドロして、黒くて熱い熱量が沸き出す。
「あぁあ熱っ!!! ちょっ! 真里!?」
 目を開けると聖華が胸のあたりを払うような仕草をした、いけない……燃やしてしまう! 咄嗟に頭を振って熱を冷ます。

「ほら……聖華が居るだけで僕は簡単に沸点まで達するんだよ」
「ねぇ、待って!? 真里もしかしてアタシの事嫌い!?」
 半泣きになった聖華が本気で悲しそうな声で訴えてくるから、ちょっと胸の奥が罪悪感でチクッとする。でも僕の聖華に対するこの感情は、きっと消える事はないだろう。

「今度からプレッシャーを与えたいときは、聖華を思い出すことにするね」
「ひどっ!」
「冗談だよ」
 笑い飛ばして、さっきの感情も一緒に包み隠す。僕の中身は、いつもドロドロと黒い嫉妬心が渦巻いてる……でもそれを表には出さない、だってそんなことしてたら僕は……。

 君を誰の目にも触れさせたくなくなる。

「真里……?」
 ユキが心配そうな顔で少し戸惑うように僕の頬に触れた、ユキは僕の感情が匂いで分かるから、きっと不穏な空気を感じ取ってしまったんだろう。出来れば知られたくない、ユキには……君にはこんな僕を見せたくないんだ。
 触れてきたユキの手を撫でて、ギュッと握った。見上げて笑いかけると、安心したような顔をする。

 ごめんね、こんな僕でごめん。失望しないで、嫌いにならないで……どうかこんな僕を知らないままでいて。

「さっき触られたくないって言ったけど、もう怒ってないよ」
 ユキの耳がピンッと立って、嬉しそうに笑う。ユキには笑っていて欲しい、僕にとって一番大事な事はユキを幸せにする事だ。

 僕はそれを、忘れてはいけない。
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