亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

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Main story ¦ リシェル

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「ありがとう」

 純然たる喜びをそのままに紡いだ声は、しかし涙でぐっしょりと濡れ、嬉しがっているふうにはちっとも聞こえない。けれど、それでもルシウスにはちゃんと通じたようで、彼はそっと口元を綻ばせてゆっくりとひとつ瞬いた。
 アルベルトも、両親も、そして私自身ですら祝うことはなかったというのに。悠然とした足取りで歩み寄ってくるルシウスの、微かに揺れる紫色のピアスを見つめながら、私は静かに微笑む。ちゃんと笑えている自信はなかったけれど。でも、彼にならしっかりと伝わってくれるような気がして。

「……貴方だけよ。“リシェル”の誕生日を祝ってくれたのは」

 自嘲を含ませながらぽつりと呟き、すぐ傍で足をとめたルシウスの双眸を見上げる。私を見ていながら、その実、“私”を見ていない瞳。それにばかり慣れてしまったせいか、彼のアイスブルーに“リシェル”としての私がそのまま映り込んでいるのを見ると、どうしてもむず痒い気持ちになってしまう。

 “リシェル”を今もなおこの世に繋ぎ止めていてくれるのは、アルベルトでも両親でも姉でも、そして私自身でもなく、いつだってルシウスだ。名前を呼び、記念日を祝い、“リシェル”そのものを見つめてくれる。純粋なほど、真っ直ぐに。

 もしルシウスに出会っていなかったら。あの日、何気なく教会の裏手に回って、彼と出くわしていなかったら――。今の私は、いったいどうなっていたことだろう。

「ねえ、ルシウス」

 穏やかな夜風が私たちの間をゆるやかなに吹き抜け、白いチューリップがさわさわとした小さな音を奏でながら気持ちよさそうにそよぐ。小さく揺れる白銀の髪の毛、月明かりを浴びてきらりと輝く細長いピアス。綿毛のような、或いは小さな光の粒のような何かが、風の通り道に小川を作りながら揺蕩っている。まるで天国へ続く道のように。儚くも、煌々と麗しく。

「どうして貴方は、私を“リシェル”でいさせようとするの?」

 驚いたように、ルシウスの柳眉がひょいとあがる。それから彼は、ふいに足元のチューリップへ視線を落とし、言葉を探すように僅かな沈黙を置いた。伏せられた白い目元に、長く濃い睫毛の影が淡く滲んでいる。

「俺は」

 ゆっくりと開かれた瞼の奥から、宝石のような瞳が姿を現す。その瞳をじっと見つめていると、吸い込まれてしまいそうだ、と思った。奥深いところまで。すうっと溶けて、全てを抱き締められるように、丸ごと呑み込まれてしまいそうだ、と。でも、それを怖いとは、少しも思わなかった。寧ろ心地よいと感じられることに、私は胸の内でひっそりと笑う。とても強い光を宿した瞳だ。どこまでも真っ直ぐで、清朗としていて。迷いというものを知らないような、力強い瞳。

「――“リシェルきみ”のことを、諦める気なんてないから」
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