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――殺してくれれば良いのに、と思う。
方法は問わない。首を括るのでも、腹を斬るのでも、或いは水に浸けるのでも。兎も角、早く殺してくれれば、それで良かった。このままずるずると生き続けてしまうくらいならば。早々にこの命を終わらせた方が、誰の為にも――少なくとも自分と民の為には――良いだろうから。
ひんやりとした石床にぴとりと力なく頬をつけたまま、シェリルは重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。視界が開ききるより先に見えたのは、無機質な鈍色の床にぽつりぽつりと散らばる、ひどく薄い――今にも消えてしまいそうな――幾つもの小さな沁みだった。
それ以外にはもう、何もない。弾ける寸前に吸い込まれた、微かな絶望の足跡だけが、ひたひたと残されているだけ。
細い窓から斜めに射し込む陽光が、部屋の半分を細かく切り取るように照らしている。長い時間をかけて重たく澱んだ、鼻腔の奥にじりじりと張り付くような、古びて乾いた埃の臭い。湿った闇を糧に壁のそここに蔓延る、腐敗したベルベッドのような黴。
見慣れた光景。見慣れた臭い。此処へ連れてこられて、もうどれくらいの年月が過ぎたのだろう。
初めの二年は、邸の地下牢だった。窓ひとつない、古いベッドと椅子とテーブルだけのある、頑強な鉄格子で封をされた部屋。
今となってはもう、あの冷たい湿気を淀ませた石牢も懐かしい。
ある日突然、抗う術もなく腕を引かれて連れ出され、王宮の片隅に位置する離宮――といえば聞こえの良い、その実ただの陰湿な牢獄――へ押し込まれてから、気づけば随分と長い時間が過ぎたように思う。気の遠くなるような、途方もない時間が。邸の暗い地下牢で過ごした日々よりも、此処で過ごした、代わり映えのしない劣悪な日々の方が、もうずっと長いだろう。
そう気付いた時には、けれど、時の流れというものを数えることは、疾うにやめてしまっていた。だから何も感じなかったし、何を思うこともなかった。
終わりの見えない地獄を、一日、また一日と記憶に刻むのは、あまりにも虚しい。その繰り返しは、ただ心を、薄く擦り切れさせてゆくだけだ。いつまでも、いつまでも。搾取が終わぬ限り、永遠に。
そんな日々の中で、いつしか、“明日”を待つことさえ忘れてしまった。 毎日、毎日、同じことの繰り返し。出口のない、果てしなく続く暗闇。そんな場所で、“明日”という言葉に意味を見出せるはずなどなかった。いったい何の意味があるというのだろう、と、そう考える方が、よほど自然だった。“明日を待つ”というのは、まるで手の届かない明るい未来を、光ある場所を夢見ているようなものなのだから。
ほんの僅かでも“期待”という名の光を求めてしまえば、待っているのは更なる惨めさと、底なしの失望だけ。期待など、抱けば抱くほど無意味でしかない。それは無惨に砕け散り、己を内側から傷つける刃にしかなり得ないのだ。そんなこと、嫌というほど分かっている。
分かっているからこそ、過ぎ去った日々を数えることも、明日を待つことも、疾うの昔にやめてしまったのだ。
「――子供を産ませれば良いのよ」
深い紫色に彩られた指先が、冷たい石床の上に転がった透明の結晶を摘み上げるのをぼんやりと見つめながら、シェリルはいつの間にか詰めていた息を、そうっと吐き出す。
錆のようなツンとした臭いが、口からも鼻からも弱々しく抜けてゆく。さっき叩かれた時に、口内の何処かを切ってしまったのだろうか。それとも、不意打ちで床に押し倒された時だろうか。舌の上に、生暖かい銅のような饐えた味が、ねっとりと絡みついていて気持ち悪い。
けれども、それをすすぐどころか、吐き出すだけの気力は、まるで骸のように横たわる今の彼女には、微塵も残されていなかった。
方法は問わない。首を括るのでも、腹を斬るのでも、或いは水に浸けるのでも。兎も角、早く殺してくれれば、それで良かった。このままずるずると生き続けてしまうくらいならば。早々にこの命を終わらせた方が、誰の為にも――少なくとも自分と民の為には――良いだろうから。
ひんやりとした石床にぴとりと力なく頬をつけたまま、シェリルは重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。視界が開ききるより先に見えたのは、無機質な鈍色の床にぽつりぽつりと散らばる、ひどく薄い――今にも消えてしまいそうな――幾つもの小さな沁みだった。
それ以外にはもう、何もない。弾ける寸前に吸い込まれた、微かな絶望の足跡だけが、ひたひたと残されているだけ。
細い窓から斜めに射し込む陽光が、部屋の半分を細かく切り取るように照らしている。長い時間をかけて重たく澱んだ、鼻腔の奥にじりじりと張り付くような、古びて乾いた埃の臭い。湿った闇を糧に壁のそここに蔓延る、腐敗したベルベッドのような黴。
見慣れた光景。見慣れた臭い。此処へ連れてこられて、もうどれくらいの年月が過ぎたのだろう。
初めの二年は、邸の地下牢だった。窓ひとつない、古いベッドと椅子とテーブルだけのある、頑強な鉄格子で封をされた部屋。
今となってはもう、あの冷たい湿気を淀ませた石牢も懐かしい。
ある日突然、抗う術もなく腕を引かれて連れ出され、王宮の片隅に位置する離宮――といえば聞こえの良い、その実ただの陰湿な牢獄――へ押し込まれてから、気づけば随分と長い時間が過ぎたように思う。気の遠くなるような、途方もない時間が。邸の暗い地下牢で過ごした日々よりも、此処で過ごした、代わり映えのしない劣悪な日々の方が、もうずっと長いだろう。
そう気付いた時には、けれど、時の流れというものを数えることは、疾うにやめてしまっていた。だから何も感じなかったし、何を思うこともなかった。
終わりの見えない地獄を、一日、また一日と記憶に刻むのは、あまりにも虚しい。その繰り返しは、ただ心を、薄く擦り切れさせてゆくだけだ。いつまでも、いつまでも。搾取が終わぬ限り、永遠に。
そんな日々の中で、いつしか、“明日”を待つことさえ忘れてしまった。 毎日、毎日、同じことの繰り返し。出口のない、果てしなく続く暗闇。そんな場所で、“明日”という言葉に意味を見出せるはずなどなかった。いったい何の意味があるというのだろう、と、そう考える方が、よほど自然だった。“明日を待つ”というのは、まるで手の届かない明るい未来を、光ある場所を夢見ているようなものなのだから。
ほんの僅かでも“期待”という名の光を求めてしまえば、待っているのは更なる惨めさと、底なしの失望だけ。期待など、抱けば抱くほど無意味でしかない。それは無惨に砕け散り、己を内側から傷つける刃にしかなり得ないのだ。そんなこと、嫌というほど分かっている。
分かっているからこそ、過ぎ去った日々を数えることも、明日を待つことも、疾うの昔にやめてしまったのだ。
「――子供を産ませれば良いのよ」
深い紫色に彩られた指先が、冷たい石床の上に転がった透明の結晶を摘み上げるのをぼんやりと見つめながら、シェリルはいつの間にか詰めていた息を、そうっと吐き出す。
錆のようなツンとした臭いが、口からも鼻からも弱々しく抜けてゆく。さっき叩かれた時に、口内の何処かを切ってしまったのだろうか。それとも、不意打ちで床に押し倒された時だろうか。舌の上に、生暖かい銅のような饐えた味が、ねっとりと絡みついていて気持ち悪い。
けれども、それをすすぐどころか、吐き出すだけの気力は、まるで骸のように横たわる今の彼女には、微塵も残されていなかった。
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