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「自分を切り売りしてまで、こんなただの石っころが欲しいのかって訊いてんだけど」
ぞっとするほど平坦な声を聴きながら、それが普通だった、と、シェリルは胸の裡で静かにこぼす。この十年、いつだって歪な取引だった。それが“当たり前”の世界。誰かを、何かを守る為には、自分自身を犠牲にする他にない。それが、シェリルの出来る唯一の方法でしかなかった。自らの意思で出来る、たったひとつの術。
だから今、イヴリスに“魔法石”という代償を提示している自分自身に、シェリルは吐き気を催すほどの嫌悪と、それ以上の、救いようのない安堵を感じていた。これで良い、と思う。大切なものを取り返せるのならば。自分自身の尊厳なんて、最初から持っていなかったのだから。
「大事、です。私の命よりも。とても大事です」
震える声で、けれどはっきりと、シェリルは肯定する。紐に繋がれた魔法石ではなく、それを指先に吊るしたイヴリスの、シトリンのような瞳を見つめ返しながら。
そんなシェリルを、イヴリスは暫くの間、ただ静かに眺めていた。彼女の瞳に滲む悲痛な叫びも、必死の懇願も、掬い取ることなく。ただ冷ややかに、それでも視線を逸らすことなく真っ直ぐに。
けれどその金色は、シェリルを視ていながら、彼女でない“何か”を視ているようだった。ここにあるようで、ここにない。どこか虚ろな金色。
「……へぇ」
ほどなくして、彼は心底馬鹿げたものを見た――聴いた――というように、小さく鼻を鳴らして、大袈裟に肩を竦めた。呆れ果てたのだということを、わざわざ全身で示してみせるかのように。
「馬鹿馬鹿しい。こんなもん要らねぇよ」
投げやりにそう吐き捨てると、イヴリスは無造作に、指先に吊るしていた紐を放した。乱雑に放り出された石は、空中で頼りなく揺れながら不格好な弧を描き、シェリルの胸元に、ことりとぶつかる。
その硬い感触が肌を叩いた瞬間、凍てついていた身体が、じわりじわりとぬくもりを取り戻してゆく。空っぽだった内側に、漸く“魂”が還ってきたような。再び呼吸をし、今まさに生き返ったような。
毛布の上に転げ落ちたそれを、まるで自分の命を拾い上げるかのように、やさしく、けれど壊してしまいそうなほど強く、両手でしっかりと包み込む。棘のように尖った花弁が、掌の皮膚に突き刺さって痛いけれど。今はその痛みさえも、たまらなく愛おしく感じられ、シェリルはそっと、やわらかな笑みをこぼす。
「ありがとう、ございます……」
「べつに。石っころなんかに頼らなきゃなんねえほど、俺は弱くないんでね」
そう言って、イヴリスはどこか愉しげに口角を持ち上げながら、シェリルの顔のすぐ傍まで自身の顔を寄せた。吐息が肌に触れてしまいそうな、あともう少しで鼻先がぶつかってしまいそうなほどの距離に、シェリルはぎょっとする。濃く長い睫毛の一本一本や、陶器のような肌のつるりとした滑らかさまでもが、鮮明に見える。
そのあまりの近さに呼吸を忘れ、シェリルは思わず身体を仰け反らす。けれど、イヴリスはその動揺さえも愉しむように、くつりと喉を鳴らした。その形の良い唇には、自信に満ち溢れた、それでいて子供のように無邪気で不遜な色が浮かんでいる。
「だって俺、天才だから」
静かな部屋に、はっきりと紡がれた傲慢な宣言だけが、場違いに、けれどひどく鮮やかに響き渡る。それはシェリルの鼓膜を通り抜け、頭の中をぐるぐると、意味もなく駆け回る。理解を拒んでいるのか、或いは、理解が追いつかないのか。間近にあるイヴリスの瞳を見つめたまま、シェリルはただぽかんと、呆気にとられるしかなかった。
「まあ、そういうわけだから。魔法石なんか要らねえよ」
どう反応して良いのか分からず、シェリルは言葉を探しながらたじろぐ。そんな彼女の心情をまるで見透かしたように、イヴリスは再びくつくつと笑うと、漸く彼女から身体を離し、そうしてシェリルの頭を、大きな掌で乱雑に、くしゃくしゃとかき回した。
「行き過ぎた自己犠牲はやめとけ。そういうのは馬鹿のすることだ」
散々かき回して乱した頭を、最後にぽん、と軽く叩いて、イヴリスは白亜の扉へと視線を移した。白を基調に整えられた、清潔で、どこか非現実的なほど美しいこの部屋に、唯一切られた両開きの扉。そこには、遠目からでもそれと分かるほどはっきりと、王家の紋章が冷然と刻まれている。
「――そういやお前、知ってるか」
その紋章を見つめているのか、それとも、ただ扉だけを眺めているだけなのか。視線は逸らさぬまま声をかけられ、シェリルはそっと、イヴリスの端正な横顔を見上げた。凹凸のくっきりとした輪郭、艷やかな黒髪、ゆったりとしたローブの描くやわらかな陰影――。
そういえば嘗て、黒魔術を得手とする“天才少年”なる者がいる、と、あの赤い瞳の少年が言っていたことを、シェリルは唐突に思い出す。彼の言っていた“天才少年”が、イヴリスであるのかは定かでないけれど。しかし不思議と、ふたつの点が一本の線で結ばれるのは、実に自然なことだと思えた。
「アネモネは花のくせに、花弁は一枚もないんだとさ」
ぞっとするほど平坦な声を聴きながら、それが普通だった、と、シェリルは胸の裡で静かにこぼす。この十年、いつだって歪な取引だった。それが“当たり前”の世界。誰かを、何かを守る為には、自分自身を犠牲にする他にない。それが、シェリルの出来る唯一の方法でしかなかった。自らの意思で出来る、たったひとつの術。
だから今、イヴリスに“魔法石”という代償を提示している自分自身に、シェリルは吐き気を催すほどの嫌悪と、それ以上の、救いようのない安堵を感じていた。これで良い、と思う。大切なものを取り返せるのならば。自分自身の尊厳なんて、最初から持っていなかったのだから。
「大事、です。私の命よりも。とても大事です」
震える声で、けれどはっきりと、シェリルは肯定する。紐に繋がれた魔法石ではなく、それを指先に吊るしたイヴリスの、シトリンのような瞳を見つめ返しながら。
そんなシェリルを、イヴリスは暫くの間、ただ静かに眺めていた。彼女の瞳に滲む悲痛な叫びも、必死の懇願も、掬い取ることなく。ただ冷ややかに、それでも視線を逸らすことなく真っ直ぐに。
けれどその金色は、シェリルを視ていながら、彼女でない“何か”を視ているようだった。ここにあるようで、ここにない。どこか虚ろな金色。
「……へぇ」
ほどなくして、彼は心底馬鹿げたものを見た――聴いた――というように、小さく鼻を鳴らして、大袈裟に肩を竦めた。呆れ果てたのだということを、わざわざ全身で示してみせるかのように。
「馬鹿馬鹿しい。こんなもん要らねぇよ」
投げやりにそう吐き捨てると、イヴリスは無造作に、指先に吊るしていた紐を放した。乱雑に放り出された石は、空中で頼りなく揺れながら不格好な弧を描き、シェリルの胸元に、ことりとぶつかる。
その硬い感触が肌を叩いた瞬間、凍てついていた身体が、じわりじわりとぬくもりを取り戻してゆく。空っぽだった内側に、漸く“魂”が還ってきたような。再び呼吸をし、今まさに生き返ったような。
毛布の上に転げ落ちたそれを、まるで自分の命を拾い上げるかのように、やさしく、けれど壊してしまいそうなほど強く、両手でしっかりと包み込む。棘のように尖った花弁が、掌の皮膚に突き刺さって痛いけれど。今はその痛みさえも、たまらなく愛おしく感じられ、シェリルはそっと、やわらかな笑みをこぼす。
「ありがとう、ございます……」
「べつに。石っころなんかに頼らなきゃなんねえほど、俺は弱くないんでね」
そう言って、イヴリスはどこか愉しげに口角を持ち上げながら、シェリルの顔のすぐ傍まで自身の顔を寄せた。吐息が肌に触れてしまいそうな、あともう少しで鼻先がぶつかってしまいそうなほどの距離に、シェリルはぎょっとする。濃く長い睫毛の一本一本や、陶器のような肌のつるりとした滑らかさまでもが、鮮明に見える。
そのあまりの近さに呼吸を忘れ、シェリルは思わず身体を仰け反らす。けれど、イヴリスはその動揺さえも愉しむように、くつりと喉を鳴らした。その形の良い唇には、自信に満ち溢れた、それでいて子供のように無邪気で不遜な色が浮かんでいる。
「だって俺、天才だから」
静かな部屋に、はっきりと紡がれた傲慢な宣言だけが、場違いに、けれどひどく鮮やかに響き渡る。それはシェリルの鼓膜を通り抜け、頭の中をぐるぐると、意味もなく駆け回る。理解を拒んでいるのか、或いは、理解が追いつかないのか。間近にあるイヴリスの瞳を見つめたまま、シェリルはただぽかんと、呆気にとられるしかなかった。
「まあ、そういうわけだから。魔法石なんか要らねえよ」
どう反応して良いのか分からず、シェリルは言葉を探しながらたじろぐ。そんな彼女の心情をまるで見透かしたように、イヴリスは再びくつくつと笑うと、漸く彼女から身体を離し、そうしてシェリルの頭を、大きな掌で乱雑に、くしゃくしゃとかき回した。
「行き過ぎた自己犠牲はやめとけ。そういうのは馬鹿のすることだ」
散々かき回して乱した頭を、最後にぽん、と軽く叩いて、イヴリスは白亜の扉へと視線を移した。白を基調に整えられた、清潔で、どこか非現実的なほど美しいこの部屋に、唯一切られた両開きの扉。そこには、遠目からでもそれと分かるほどはっきりと、王家の紋章が冷然と刻まれている。
「――そういやお前、知ってるか」
その紋章を見つめているのか、それとも、ただ扉だけを眺めているだけなのか。視線は逸らさぬまま声をかけられ、シェリルはそっと、イヴリスの端正な横顔を見上げた。凹凸のくっきりとした輪郭、艷やかな黒髪、ゆったりとしたローブの描くやわらかな陰影――。
そういえば嘗て、黒魔術を得手とする“天才少年”なる者がいる、と、あの赤い瞳の少年が言っていたことを、シェリルは唐突に思い出す。彼の言っていた“天才少年”が、イヴリスであるのかは定かでないけれど。しかし不思議と、ふたつの点が一本の線で結ばれるのは、実に自然なことだと思えた。
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