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第7章 リアリスティック・ドリームワールド

16 差し出された手

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「ちょっとレイくん!」

 あまりの言い方に私は透かさず声を上げて、その澄ました顔を睨んだ。
 レイくんはすぐに、ごめんごめんと謝罪の言葉を口にしたけれど、それはひどく口先だけのように見えた。

 レイくんの言葉を正面から受けた善子さんは、顔をくしゃっと歪め、唇を噛んで懸命に堪えていた。
 少しでも気を抜けば泣いてしまいそうなのは、その震える瞳を見れば明らかで。
 私は、そんな善子さんの手を握ってあげることしかできなかった。

「……レイくん。もう少し言い方を考えてよ。レイくんの言っていることに嘘がなかったとしても、今のは思いやりがなさ過ぎる」
「そうだったね。確かに配慮が足りなかった。けれどさ、善子ちゃんは善子ちゃんで受け入れないといけないと思ってね。今のホワイトは、嘘偽りのない彼女自身であるという現実をさ」

 私が強く咎めると、レイくんはションボリと眉を下げた。
 レイくんの言いたいことはわかる。
 善子さんが真奈実さんと立ち向かおうと思っているのなら、彼女の今をきちんと理解していないといけない。
 ワルプルギスのリーダー・ホワイトとなった今の彼女の状態を受け入れなければ、正面からぶつかることなんてできない。

 けれど、その事実を真正面から善子さんに叩きつけるのは、あまりにも酷だと思う。
 真奈実さんは自分自身の意志で今の道を歩んでいて、それは誰に強制されたものではないとしても。
 その道に歩み出すきっかけとなってしまっていた善子さんに、親友の変化は重くのしかかるだろうから。

 それに、真奈実さんを大切に想って、彼女のその正義を信じてきた善子さんにとって、今のホワイトが掲げるものは受け入れがたいもの。
 本当の真奈実さんではないと否定したいものなのに、それこそが善子さんを救い、そして真奈実さん自身であると言われるなんて……。

 普段は見られない、弱々しく震える手を私は強く握った。
 心中を察すれば察するほど、私も息が詰まりそうなくらい辛くなる。
 だからこそ、いつも支えてくれる善子さんに寄り添いたい。

「……ありがとう、アリスちゃん。怒ってくれて」

 私の手を見つめて、善子さんはポツリと言った。
 弱々しいその顔に、必死で笑みを浮かべて。

「確かに、あの子が、真奈実が自分の意志でああなったっていうなら、それはそれで受け入れないとだ。その事実を受け入れた上で、だからこそ私は、あの子を否定しないといけない」
「善子さん……」
「私は、今の真奈実のやり方が正しいとは思えない。だから私はあの子の親友として、その在り方を否定してやんなきゃいけないんだ。くよくよしてる暇なんて、ないよね」

 そう言って、善子さんは笑う。
 カラッと爽やかに、いつものように頼もしく。
 でもそれは強がりだとわかってしまうから、見ているこちらも苦しくなる。

 けれど、それでも善子さんがそうやって強くあろうとしているのなら。
 私もまた、強くその隣に立たなきゃいけない。
 だから私は、その笑顔に応えて力強く頷いた。

「……それで。五年前のことと真奈実のことは一応わかったけどさ。今のあの子に一体何が起きてるの?」

 私と頷き合ってから、善子さんは表情を引き締め直してレイくんに問い掛けた。
 そこにもう弱々しさの面影はないけれど、強い瞳の内側には不安が見え隠れしている。

 レイくんはそんな善子さんを見て薄く微笑んでから、思い出したように小さく溜息をついた。

「僕たちは志を同じくして、共にワルプルギスとして活動してきた。僕が提示した計画と目的に賛同し、彼女はずっとその通りにことを進めてくれていたんだ。けれど、実は昨日意見が逸れてしまってね。僕の思惑とは違う方向に、ことが進もうとしているのさ」
「それは、私が昨日レイくんについていかなかったから……?」
「アリスちゃんのせいじゃないよ、と言いたいところだけれど……まぁ、そうだね。原因はそこだ」

 レイくんは私に目を向けて、眉を寄せて苦笑した。
 甘い顔はそのまま、どこか申し訳なさそうにしつつ、しかしハッキリとそう言う。

「ワルプルギスは、『始まりの魔女』ドルミーレを内包する姫君・アリスちゃんを中心として、魔女が住み良い本来の世界に再編することが目的だ。魔法使いを打倒、駆逐し、それを成す為には『始まりの力』が不可欠。だからこそ僕らはアリスちゃんを強く求めた」
「それは……うん。でもつまりそれは、私がいなきゃレイくんたちの計画は進まないってことじゃないの? ホワ────真奈実さんは、一体何をしようと……?」
「そう。だから僕は、計画の進行は遅れるけれど、焦りは禁物だと言ったんだけどねぇ」

 レイくんは黒いニット帽の上から頭を掻いて、また溜息をついた。
 ホワイトと意見が逸れたことが、よっぽど負担なのかもしれない。

「ホワイトは、君が魔法使いの手に渡ることを恐れている。万が一そんなことになれば、一気にこちらの身が危ぶまれるからね。だから彼女は、先に魔法使いに向けて戦いを仕掛けようとしている」
「魔法使いに戦いを!? だって、魔女は魔法使いに不利でしょ!? だからこそ今までずっと……」
「そうだね。けれど彼女はそれでも、魔法使いに君が奪われるリスクを重く見て、危険な戦いを起こそうとしているんだ。僕は、できればそれを避けたい」

 魔女が魔法使いに戦いを挑むなんて、普通に考えれば無謀だ。
 元からレジスタンス活動をしている魔女というのはいたし、特攻承知で戦っている人たちはいたけれど。
 でもそれは所謂過激派の、一部の人たちだけだったはず。

 それにそういう人たちだって、いっぱい食わせようといった感じの暴れ方がほとんど。
 魔女と魔法使いの絶対的な上下関係を前に、真正面から戦いを挑む人は少ない。
 普通魔女は、魔法使いに一方的に狩られるのを恐れるものだ。

 いくら私を取られたくないからといっても、あまりにも無謀な行為だ。
 それは私にでもわかる。

「転臨を果たした魔女ならば、個々の戦いにおいては負けないかもしれない。しかし彼女がしようとしているのは、『まほうつかいの国』に対する組織的な叛逆。言ってしまえば全面戦争だ。多大な犠牲が出ることは、想像に難くない」
「そんな……! どうしてそこまでして……」
「それほどまでに、彼女は魔法使いを悪と断定しているんだろう。彼らの行いを許せず、そしてそんな彼らに麗しの姫君を奪われることを恐れている。だからこそ彼女は、一刻も早く計画を動かそうとしているのさ。多分、ね……」

 レイくんはやれやれと肩を竦めて、その顔を手で覆って肘をついた。
 視線を外すなんて、レイくんにしては珍しい。
 それほどまでに現状に参っているのかもしれない。

「聞けば聞くほど、やっぱり真奈実らしくない。そんな無謀で、沢山の犠牲が出る可能性があることをしようとするなんて……。ねぇレイ。ずっと一緒にやってきたアンタの言葉も聞かないの?」
「聞いてくれたら困ってないさ。だから大変なんだ。こんなことは初めてだからね。まぁ昨日のアリスちゃんを連れて帰るのを失敗したことで、信頼が崩れてしまったのかもしれない。それとも、あるいは……」

 難しい顔をして尋ねる善子さんを、覆う手の隙間から見遣るレイくんは、返答の最後を濁す。
 溜息交じりのその言葉には、若干の苛立ちが含まれていた。

「────とにかく。そんな無謀な動きは止めないといけない。だから僕はこうして、慌ててアリスちゃんに会いにきたってわけだ」

 顔から手を離したレイくんは、普段通りの穏やかな表情に戻って、シャンとそう言った。
 つい今し方までの不機嫌さなどなかったかのように、ピシャリと切り替えて笑みを浮かべる。

「アリスちゃんが僕らの元に来てさえくれれば、彼女も無用な無謀を侵しはしないだろう。だからとりあえず、形だけでも付いてきてくれると、とっても嬉しいんだけどな」

 レイくんは軽やかにそう言って、スッとその腕を私の肩に回してきた。
 細身の腕で私の肩を包むように抱いて身を寄せて、もう片方の手を静かに差し出してくる。

 こんな風にその手を差し出されるのは、もう何度目だろう。
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