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第三部 命花の呪い 編
09
しおりを挟む宮廷舞踏会の夜の部にも参加することにした結衣だが、その足取りは重い。
会場は午前中と同じホールなので、ディランと向かっていたが、出入り口の扉の所にアレクの姿を見つけて、思わず柱の陰に隠れてしまった。
「ユイ様?」
ディランが怪訝な顔で結衣を呼ぶ。だが結衣はそれどころではない。
(ああ、隠れちゃった。でも気まずいなあ。アレクが中に入ってから、私も中に入ろうかな)
それともやはり部屋に戻ろうかと悶々としながら、こっそりと柱の陰から顔を出す。アレクの姿は見当たらない。
「ユイ?」
「ひゃっ」
真横から声をかけられた結衣は、飛び上がらんばかりに驚いた。
「何をなさってるんですか、そんな所で」
「へ!? えーとえーと、良い柱だなあって」
とっさに珍妙な返事をしてしまい、ディランが後ろで噴き出すのが聞こえた。盛大に滑ったようだと結衣は顔を真っ赤にする。
コホンと咳払いをしてから、柱に貼りついたまま、神妙に答える。
「ちょっと合わせる顔がなくて……すみません」
ちらりとアレクを伺うと、ぽかんとしていたアレクは、何故か深い溜息を吐き、右手で自分の顔を覆った。
「そういう可愛い真似をしないで下さい。待つと決めたのに、口説きたくなります」
「え? 何ですか?」
ぼそぼそと言うのでよく聞き取れなくて、結衣は耳元に手を当てる。ディランは聞こえただろうかとそちらを見ると、彼は無表情で言う。
「私は家具です。何も聞こえません」
「はあ?」
不可解な返事だ。いったい何なのだと、結衣は首を傾げる。
その間に、アレクは気を取り直したようだ。
「ユイ、二人で話しあって決めたのですから、避けられるのは心外です。私は半年を無駄にしたくありません」
「うっ、は、はい、すみません」
アレクにしては珍しく、少し厳しい顔でぴしゃりと言うので、結衣はすぐに謝った。結衣のことで翻弄しているのだから、彼にしてみればたまったものではないだろう。
「この話はここまでにしましょう」
「賛成です」
アレクの提案に、結衣は頷いた。今を大事にするのだと、意識を切り替える。
結衣の顔付きが変わったのが分かったのか、アレクも穏やかな表情に戻った。改めてこちらを見て、いつものように褒め言葉を言う。
「今日は落ち着いた色合いのドレスなんですね。そちらもよくお似合いですよ」
「ありがとうございます」
結衣は返事をしながら、ドレスを見下ろした。深緑色のドレスは、少し地味めなのだが、代わりに胸元が大きめに開いていて、肩が出ている。だが、首から胸元にかけて、黒い紗がついているので、下品ということはない。
「アメリアさんは派手にしたかったみたいですけど、今日の主役はデビューした人達でしょう? 派手にするのは変だと思って、地味めなものを選んできました」
「そうなのですか。心配りして頂いてありがとうございます。それを聞いたら、あの方々も喜ぶと思いますよ」
「わざわざ言わなくていいですよ。私が勝手にしてることなので」
結衣はからりと笑って返しながら、アレクが差し出した左手に、右手を載せる。アレクはどこか残念そうにしたが、首肯を返して、会場へとエスコートしてくれた。
魔法の光が灯され、シャンデリアがキラキラと輝いている。
ホールには、色とりどりの衣装に身を包んだ人々の楽しげな空気が満ちていた。
楽団が奏でる落ち着いた曲に乗り、優雅に踊る様子は美しい。
ホールの真ん中で踊る人々を眺めながら、結衣は輪の外にいた。壁際には飲み物や軽食の載ったテーブルや、休めるような長椅子が置かれている。
「相変わらず、すっごいわねえ」
ジュースの入ったグラスを持ったまま、結衣は呟いた。
アメリアが絶対に行くべきだと心配するのも頷ける。アレクは踊る人々を眺めているだけだが、着飾った若い娘達に次々に声をかけられていた。
「あれは陛下に挨拶しつつ、ダンスに誘ってもらおうとしているんですよ。あまり女性から声をかけるのは良くないのですが」
傍らに立つディランが、苦い声で言った。
「陛下の場合は仕方ありませんね」
「あはは、そうだねえ」
「せっかくこちらまで足を運ばれたのに、今日も壁の花を選ばれるんですか?」
「見てるだけでいいよ。それに今回はダンスの練習をしてないから、恥をかきそう」
結衣がリヴィドール国に来るのは三ヶ月ぶりだ。アクアレイト国では簡単なダンスなら踊ったが、すでに忘れかけていて、ステップを踏めるか怪しい。
「ちょっと顔も出したし、もう少ししたら帰ろうかな。正直、パーティーより竜舎にいる方が楽しいのよね」
「世のご婦人方が聞いたら卒倒しそうですね」
ディランは冗談を言った。
そうだろうかと思っていると、レオンがこちらにやって来た。胸に手を当てて丁寧にお辞儀をするので、結衣もスカートの裾を持ち上げてお辞儀を返す。
「ご機嫌うるわしゅう、導き手様」
「レオンさん、こんばんは」
「ダンスに参加されないので?」
「ええ、今日は見ているだけにします。本当は参加予定ではなかったので、ダンスの練習をしてなくて」
結衣が正直に返すと、ディランが咳払いをする。
「ユイ様、そういったことは胸の内にお仕舞下さい。こちらで誤魔化します」
「え? 誤魔化してくれるの?」
結衣がきょとんと問うと、二人のやりとりにレオンが噴き出した。
「ふふっ、失礼。ディラン、お前も堂々とこんな所で言うのではないよ」
「はっ、失礼しました」
「愚弟が申し訳ありませんな、導き手様」
レオンが謝るので、結衣は首を横に振る。
「いえいえ、ディランさんにはお世話になってますよ。とても強いですよね。アクアレイト国に行った時には助けてもらいました」
「そうでございますか、お役に立てて嬉しく存じます。ディランは良い主人に恵まれたようですな」
相好を崩して、レオンは言った。
「ドラゴン乗りが優位のこの社会で、弟が騎士としてやっていけるのか心配していたので、ほっとしました」
「あはは」
レオンの心配も頷ける。結衣はつい笑い返してしまった。
そんな風にレオンと話していたせいか、こちらをちらちらと見るばかりだった貴族達が結衣の方へやって来た。何故か若い男性ばかりである。
「導き手様、ご挨拶してもよろしいですか」
「え? は、はい」
どうして急にこんなに集まるのだと戸惑いつつ返事をすると、彼らは優雅に礼をした。それぞれ名乗るのだが、結衣の記憶力はそれほど良くない。五人に一度に名乗られたせいで、誰の名前も右から左に通り抜けていった。
(やばい、どうしよう。ええと、なにさん? ええとええと)
焦って思い返そうとして、逆に混乱した。
結衣は困り果てて、にこっと笑った。困ると笑ってしまうのは、日本人の悲しい性である。
(ええい、もう、笑って誤魔化しちゃえ)
半ば自棄になって微笑み、彼らの話に合槌を打つ。
すると彼らは話に興が乗ったらしく、次から次に話しかけてくる。
(待って、どこぞのお嬢様が何? 遠乗り? 散策? 今、何の話だっけ)
ふと気付くと、何かの催し物に誘われていた。
宮廷舞踏会の後は、貴族達は社交を兼ねて遊んで回るらしい。
結衣は興味がないのだが、どう返事したらいいのかと迷っていると、また横から声をかけられた。
「ユイ」
「あ、アレク」
助かったと、内心、ガッツポーズである。どうしたらいいか訊いてみようかと思ったが、アレクは笑顔なのにどこか冷ややかな態度で青年達に質問した。
「ユイに何か?」
「陛下、失礼しました。明後日、皆で散策に参りますので、ご一緒にいかがかとお誘い申し上げていた次第で……」
「明後日は予定がありますので、お断りします。皆さんでお楽しみ下さい」
「はっ、畏まりました。失礼します」
何故か慌てた様子で、青年達はその場を離れていった。
(へえ、私、明後日に予定があったのか)
適当に行くなんて返事をしなくて良かったと、結衣はほっとした。
「陛下にもお可愛らしいところがあるのですな」
「……クロス伯爵」
からかうようなレオンの言葉に、アレクはバツが悪そうな顔をした。レオンは気にしたそぶりもなく、楽しげに言う。
「ですが宜しかったのでは? 今ので陛下のお気持ちがどこにあるのか、皆さん、思い知ったでしょう。あまり過保護になるのはよろしくありませんが、幸い、導き手様は大事に扱うべきお方。誰も文句は言いますまい」
「兄上」
ディランが小声でレオンの名を呼んだ。どこか咎めるような響きがある。
「ははは、弟が怒ると怖いので、私は行きますよ。では陛下、導き手様、御前を失礼致します」
こたえた様子もなく、レオンは優雅に一礼して、ホールの真ん中の方へと歩いて行った。そちらでは貴族達が、ちらちらと結衣達の方を伺っている。
「アレク、ありがとう。どう返事したらいいか分からなくて、困ってたんです」
「……困っていたんですか?」
怪訝そうな問いに、結衣は頷く。
「だって名前も覚えられないのに、次々に話しかけてくるんですもん。だんだん何の話をしているのか分からなくなったので、諦めて聞き流していたんです」
小声で説明すると、アレクとディランは驚いた顔をした。ディランが問う。
「えっ、聞き流していたんですか? 楽しそうに話をしているのだとばかり」
「とりあえず聞いていただけよ。話しかけられたのに、無愛想にするのは失礼でしょ?」
今度はアレクが不思議そうに問う。
「ですが、笑っていましたよね?」
「困るとつい笑っちゃうのは、日本人の悪い癖ですよねえ。ははは」
結衣の返事に、アレクとディランは顔を見合わせる。ディランが眉を寄せて苦言を口にする。
「なんてややこしい反応をされるんですか、普通は笑顔を返すのは、好意を返す意味になるんですよ。あの場合では、もっと話を聞きたいと言っているのと同じです」
「でも」
結衣が反論しようとした時、アレクは右手を挙げて遮った。
「分かりました、文化の違いですね。失念しておりました、こちらこそ申し訳ありません」
「は、はい」
「とりあえず、こちらに来て頂いても構いませんか?」
「え? はい、分かりました」
よく分からないが、アレクが手を差し出すので、結衣は彼の手に掴まって、ついていく。ホールの奥、玉座の傍に設けられた長椅子とロウテーブルに案内された。
「ここは王家のエリアです。許可が無ければ誰も近づけません。こちらにいて下さい、よろしくお願いします」
「分かりました」
しっかりと釘を刺された結衣は、やはりよく分からないまま頷いた。アレクが真剣だったので、言う事を聞いておいた方がいいのだろうと思ったのだ。
「ディラン、頼みましたよ」
「はっ、畏まりました」
最後にもう一言付け足してから、アレクはホールの真ん中へと戻っていった。
結衣は唖然としていたが、王家の席なだけあって、長椅子はふかふかで居心地が良い。給仕に飲み物と軽食を用意してもらえたので、至れり尽くせりである。
「何だったんだろう。もう少ししたら帰るつもりだったから、放っておいてくれて良かったんだけどな。ねえ、ディランさん?」
「ユイ様、いいです。もうそのままでいて下さい。私どもが心配します」
「何の話?」
「いえ」
訳の分からない返事だ。結衣はしきりと首をひねる。
「ねえそういえば、私って明後日に予定があるの? アメリアさんからは聞いてなかったけどなあ」
「さあ、私も把握しておりません。後程、宰相閣下にお聞きしてはいかがですか」
どこか投槍に、ディランは返す。
「……しかしユイ様、本当に人の名前を覚えるのが苦手なんですね」
「だってここの国の人、片仮名で長い名前ばかりでしょう? 耳馴染のない名前だから、なんとか聞き取ろうとしてるうちに忘れちゃうんです」
「なるほど、でしたらパーティーの折は、アメリアを傍につけた方がいいかもしれませんね。閣下に提案しておきます」
「ごめんね、ディランさん。私も覚えたいんだけど、初めて聞いた名前はどうしても暗記できなくて」
結衣が手を合わせて拝むような仕草をすると、ディランはおかしそうに笑った。
「そんな風にされなくてよろしいんですよ。従者というのはこういったことの為にいますので。お困りならおっしゃって下さい。アメリア曰く、私は気が利かないそうなので、気付かないかもしれません」
「ありがとう、助かります」
結衣はディランを南無南無としっかり拝んでおいた。
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