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 このまま、あのゲス男の玩具にされるのは悔しくて堪らない。どうにかして逃げられないだろうか。やっとベッドから起き上がれるようになって、大判のストールを羽織ってベッドから降りる。

 まだ夕刻前で今日の侍女はいつもの人ではなくて今はいない。少しふらついたけど大丈夫だ。ふかふかの部屋履きを履いてカーテンの向こうに行った。

 広い部屋だ、壁や部屋の隅に淡く明かりが灯り、花柄布張りのソファや椅子、そしてテーブルやキャビネット、書棚とライティングが配置されドアが三つある。

 そういえば記憶が戻ってから自分の姿を見ていない。ベッドの裏の部屋は衣裳部屋じゃないだろうか。ついでにドレスはないかしら。

 ドアを開けて見ると化粧室だった。奥にドアがあるのは衣裳部屋だろうか。
化粧室には大きな鏡が幾つもあった。

 鏡の中に気の強そうなダークブロンドの髪に、ブルーグレーの瞳の少女がいる。白い滑らかな肌、胸は着痩せするタイプで、この薄着姿だとなかなかのものだ。
 腰は細くお尻はボリュームがあるけれどきゅっと引き締まって男が喜びそうな身体をしている。鏡の前で自分の身体にしばし見惚れた。

 多分アデラは成長が遅くて十六歳になってやっとつぼみが花開き始めたのだ。それをむざむざあの浮気ゲス男に花を散らされるとか断じて容認できない。
 侯爵家に帰ってしばらく修道院にでも隠れていようかしら。

 衣裳部屋にドレスが沢山あった。浮気相手の物かもしれないが一着頂いてしまおう。着替えて靴を履いてみると、どちらも誂えたように私にぴったりだった。私と同じサイズの方がいたかしら。
 大判のストールを羽織ってそっと部屋を抜け出す。
 まだ夕刻ではないが薄暗い廊下は静まり返っていて誰もいない。


  * * *


 そっと足音を立てないよう廊下を歩く。広いけれど見覚えのない所だ。王宮の一角にある王太子宮にはまだ行ったことが無かったからそちらだろうか。

 人員が少ないのはオドヴァル殿下が近々王太子宮に引っ越しする予定だからか。まだ仮寓で荷物を運び込んだり部屋を設えている最中だという。ご自身もまだ王宮に住んでいらっしゃる筈だ。

 曲がりくねった廊下を、玄関の方角に見当をつけて、うろうろしていると人の話し声が聞こえる。そちらにそっと行ってみた。

 聞き覚えのある声だ。あのゲス男と恋人のエリカのようだ。
 開いたドアの隙間からそっと覗き見ると、オドヴァル殿下はソファに座っていて、取り巻きの赤毛の護衛騎士アクセルが後ろに立っている。
 エリカはドアの近くに立っている。応接室の一つだろうか。
 はてどうしたものか。


「オドヴァル様。彼女をこんな所に閉じ込めてどうなさるおつもり?」
 エリカが咎めている。
「まだ体調が戻っていないのだ」
「あら、随分とお楽しみのようですが?」
 ゲスな殿下の所業はバレバレのようだ。
「それよりどうしてここに来た。まだここは設え中だ」
 殿下の声はあまり機嫌が良くない。
「ベッティルがここじゃないかって言ってましたわ。ここなら何かあっても、誰にも見つかりませんし」
 私を殺す相談なのだろうか。酷い。
 こんな言い合いは聞きたくない。早く逃げ出さなければ。

 そっとその場を離れようと後ろに下がって、振り向くと人がいた。
「ひっ……!」
「アデラ……?」
 殿下の取り巻きのひとり、宰相の子息ベッティルだ。この方に呼び捨てにされるのも腹が立つのだけれど、殿下に蔑ろにされた私では仕方が無いだろうか。
「死んだのではなかったのか」
「いえ、死んでいませんわ。ベッティル卿」
「君がいなくなって皆が心配していた」
「さようですの?」
 私を心配するような人がいたかしら。友人は取り巻き連中だったし、私はひとりで俯いて耐えているような子だった。

「君、印象が変わったね」
「あらそうですの。それより家に帰りたいの、ここどこかしら、玄関は何処?」
「ここは王太子宮だ、玄関まで案内しよう」
「あら、ありがとうございます」
 にっこり笑うと目を瞬いた。

 ベッティルはシュッとして黒髪蒼瞳でなかなかハンサムな方だ。まあ殿下の取り巻きは皆、顔もスタイルもいいが。
 オドヴァル殿下は美しすぎる。輝く金髪に青い瞳、背が高くて足が長くて堂々として大理石の像のように作り物めいて見える。口を開けばゲスだけど。

 王太子宮をベッティルに案内されて歩いていると、向かいから殿下の取り巻きのひとりで外務卿の子息のトシュテンが歩いて来た。
「ベッティル! あれ? アデラ……様……?」
 トシュテンは様付けをしてくれたが、頭の天辺からつま先までじろじろと無遠慮に見る。私の側に来てオドヴァル殿下と同じようなニヤリと嫌な笑いを浮かべた。

 トシュテンはベッティルと目交ぜをして、二人で私の腕を両側から掴む。
「コイツいい身体してんな」
「な、何をなさるの!」
 そのまま引き摺られて、そこらの部屋に連れ込まれた。
「殿下が飽きたら俺たちに払い下げられるんだ」
「お前がここで弄ばれているのは知っているぞ。天国に行く前に私たちが連れて行ってやろう」
 なんて乱れた王太子宮なんだろう。上に立つ者がアレだからこいつらも真似るのか。

「トシュテン卿」
 殿下の護衛のアクセルがドアの外から声をかけて来た。
「チッ」
 トシュテンは舌打ちをして部屋から出て行く。ベッティルが廊下側の方に気を取られている隙に、そっとテラスから逃げた。外は雪が降って薄く積もっている。雪の所為で仄明るいけれど、逃げる方からしたら積もっている庭園には逃げられなくて最悪だった。

 まだテラスの辺りは雪が少ない。テラス伝いに逃げた。他の部屋のテラスを開こうとしたが鍵がかかって入ることが出来ない。
 振り向くとベッティルが気付いて追いかけて来るのが見えた。
「待て、アデラ!」
 慌てて逃げようとしたら雪に滑って転んでしまった。今世でも滑って事故って死ぬのだろうか。

「いや!」
「逃がすか!」
 ベッティルが追いついて腕を掴まれる。トシュテンも後ろから来る。
 その騒ぎにテラスを開けて誰かが出て来た。
「何をしているの?」
 エリカだった。最悪だ。


「ベッティル様、どなたと……。まあ、アデラ様。もうそんなにお元気ですの」
 エリカが目を眇めて私を見ている。逃げようとしてもベッティルが腕を掴んで離さない。

「ベッティル様、死んでないじゃないですか」
 エリカが咎めてベッティルはトシュテンを振り返る。
「トシュテン、猛毒だって言ったじゃないか」
「あの毒は隣国から分けてもらった猛毒のアルカロイドだ。口に入れただけで死亡すると聞いたぞ」
 恐ろしいことを言うトシュテン。
「侍女のひとりに渡して脅した。ちゃんと飲んだと言っていたぞ。ただアデラがすぐ吐き出したと聞いた」
 ベッティルが咎めるエリカに慌てて説明をする。

 あのお茶会の時、栗色の髪の侍女の外に、給仕をする侍女やお茶を運んでくる侍女がいた。その誰かが毒を盛ったのだろうか。今日の侍女もその中にいたような。
 だが、思い出している暇なんかなかった。

「あら、そうなんですの? あの毒は粘膜吸収するそうですわ。口に入れただけで死ぬそうですけど──」
 こいつらがグルになって私を殺そうとしたのか。
「何でこんなにぴんぴんしていますの?」
 エリカが私に詰め寄る。顔と声がとても怖い。

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