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1巻
1-3
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俺の必死の訴えに当眞はずれた眼鏡でぽかんとした顔をして「へー、そうなんですか……」とのんびりした口調で言った。
「とにかく、まずは野菜を食え」
「あ~、野菜ジュース飲んでますよ、たまに」
「たまに!? 野菜はジュースだけじゃなく、ちゃんと新鮮な野菜を食べないとダメなんだ!」
俺が頭ごなしに怒鳴ると、当眞は顔を引きつらせて一歩うしろに下がった。
「い、いや、ちょっと野菜は苦手でしてね」
「野菜の品種改良しておいて、野菜嫌いとはどういうことだ」
「それとこれとは別なんですよ。あ、ベランダでできた野菜はちゃんとジュースにして」
「――もういい」
俺はそう言うなり、当眞の手首をむんずと掴んだ。
「ひゃっ!?」
驚く当眞に目を向けず、彼女を引きずるようにマンションの玄関をくぐる。
「えっ、えっと、御影さん、どこに行くおつもりで?」
「俺の部屋だ」
「ほう、オレノヘヤ……。ええーっ!? どうしてまた!」
ぎゃんぎゃん騒ぐ当眞をエレベーターに押し込み、階数のボタンを押した。
「俺は、幼少時代はベビーシッターに育てられていたんだ」
「はあ。失礼を承知でお尋ねしますが、お父さんやお母さんは?」
「父と母は多忙で、ほとんど家にいなかった」
俺が淡々と答えると、当眞は口をつぐんだ。
「ベビーシッターの作る料理は、正直言って、おいしくなかった。それで俺は自然と料理を覚えて、必要な栄養素も調べるようになった。人は、毎日きちんと栄養を取って、十分な睡眠を取れば、そうそう身体を壊さないんだ」
「はあ、それ、小さいころからされていたんですか? しっかりした子供だったんですね」
当眞の言葉に、俺は前を向いたまま小さく笑った。
「俺が体調を崩せば周りの大人が迷惑する。そういう世界で生きていたから、体調管理も仕事のうちだと思っていたんだ」
モデル業は、俺ひとりで成り立つ仕事じゃない。俺が風邪を引いたら当然スケジュールは狂い、各方面の人達を困らせる。ビジネス脳の母は当然文句を言うし、それを聞くのはうんざりする。だから俺は、自分の管理は自分でするようになった。
思えば、可愛げのない子供だった。外面だけは良かったけど。
「だから、御影さんは――なんですね」
ぽそ、と当眞が呟いた時、ちょうどエレベーターが止まった。ガコンと扉が開いて、俺はうしろを振り向く。
「なにか言ったか?」
「いえ、なにも」
当眞は、にへらと笑った。
俺は気を取り直して自分の部屋に向かい、鍵を開けて中に入った。
「ほら、入って」
「は、はい。本当にいいのかな……? お邪魔しま~す」
当眞が間延びした声を出しながら、俺に続いて靴を脱ぐ。
リビングに入って照明を点けると、当眞は感心したような声を出して辺りをきょろきょろ見回した。
「おお……なんだかオシャレなお部屋ですね」
「同じマンションなんだから、間取りは当眞んとこと変わらないだろ」
「置いてあるものがまったく違いますよ! どうして床に何も落ちてないんです!?」
「お前んとこは何が落ちてるっていうんだよ!」
もともとシンプルが好きで、ごちゃごちゃと飾るのは好きではない。リビングには壁掛けタイプの大型テレビとガラス製のローテーブル、そしてソファくらいしか置いているものはない。
俺はビジネススーツの上着を脱ぎ、ハンガーにかけてから、キッチンの傍に置いたままの黒いエプロンを腰に巻いた。
「そこのソファに座ってろ。テレビでも見ていてくれ」
「はあ、ではお言葉に甘えて」
当眞は大人しくソファに腰掛けると、リモコンを手に取った。
彼女はいくつかチャンネルを変えたあと、バラエティ番組を見始める。
俺は冷蔵庫を開けて、手頃な材料を作業台に置いていった。当眞がどれくらい食べるのか知らないが、今は夜だし、脂っこい料理よりは軽く食べられるようなもののほうがいいだろう。
「パスタにするか」
腕まくりをして、鍋に水を張る。
そして二十分ほどかけて夕飯を作ったあと、俺は料理をカウンターテーブルに置きながら当眞の名を呼んだ。
「当眞、できたぞ」
「あっ、はい。先ほどから大変おいしそうな匂いがしていたので、実はお腹がぐーぐー鳴っていました」
「それはなによりだ。たんと食え」
テーブルに並べたのは、サーモンとほうれん草のクリームパスタと、根菜たっぷりのコンソメスープ。それから海藻サラダだ。
「うわ……野菜がいっぱいですね……」
「野菜嫌いでも食べられるように味付けしたから、黙って食え」
俺が当眞を睨みつけると、彼女はしぶしぶと椅子に座る。俺は隣に座って、エプロンを脱いだ。
「いただきます」
当眞が手を合わせて言ったあと、フォークを持ち、海藻サラダを恐る恐る食べ始める。
「んっ?」
きらん、と当眞の目が光った。
「これ、このサラダ、おいしいですよ。海苔の風味が生野菜の苦みを緩和させています」
「それはチョレギサラダにしてみたんだ。ドレッシングもごま油を使っているから、香ばしくて食べやすいだろ」
「ちょれぎ……? はい。これならおいしく食べられます」
当眞はぱくぱくとおいしそうにサラダを食べ進める。次に、根菜スープに手を伸ばした。
「すごい。レンコン、大根、ごぼうににんじん。いっぱい入ってますね」
「旬の野菜を食べるのが、一番栄養になるんだ。身体も温まるし、野菜スープからはかなりの恩恵が受けられるんだぞ」
「そうですね。確かに、季節に適した野菜の栄養価は高いと、データにも出ています」
当眞は感心したようにスープを見つめたあと、スプーンで具材をすくって食べる。
「はあ……これは温まる。優しい味付けで、ほっこりしますね~」
レンコンを味わって、当眞は幸せそうな表情を浮かべた。
そうやって素直に味わっている顔は、こちらがどきりとするほど可愛らしい。完全に気の抜けた顔。当眞の無防備な笑顔から、どうしても目が離せない。
今までいろいろな女性のさまざまな笑顔を見てきたはずなのに、当眞の表情には特別なものを感じた。俺は、以前から当眞の表情に心を奪われていたのだ。そのたびに気の迷いだと思い込んで、考えないようにしていたけれど。これは、そういうことなんだろうか。
「うーん……」
「御影さん、スープを睨んでどうしました?」
「えっ? あ、いや、なんでもない」
当眞に話しかけられて、慌ててフォークを持つとパスタを食べた。彼女はそれ以上は追及せず、気を取り直してパスタをフォークに巻きつける。
「んんっ、これもおいしいです。ほうれん草は苦手だったのですが、これならいくらでも食べられそうです。クリーミーで、サーモンとほうれん草がグッドなマッチです!」
当眞はクリームパスタが気に入ったようだ。
「野菜が苦手でも、こうやっていろいろ工夫を凝らせばおいしく食べられるんだ。そうやって慣らしていけば、そのうち、もっとシンプルな料理でもおいしいと思えるようになる。それが苦手野菜を克服する一番早い方法なんだよ」
「はあ~、すごいですね、御影さん。なんだかお母さんみたいです」
「誰がお母さんだ」
当眞にツッコミを入れて、ぱくっとパスタを口に入れた。
……しかし、俺。今更だけどなにやってんだろう。当眞をうちに入れたり、メシを食わせたり。まるで彼氏気取りじゃないか。当眞がどんな食生活でも放っておけばよかったのに、どうしてあの時、我関せずを貫けなかったんだろう。
それはやっぱり、俺の中に好きという気持ちがあったから。俺のことを好きになってほしいと、そのために世話を焼きたいと、そういう願望を持ったからか。
自分で自分が信じられないが、自分の行動から見て、そうとしか思えない。
俺はどうやら、当眞のことが、好きだった……のか。
「マジか~」
思わず頭を抱えた。実は、俺は恋を自覚したことは一度もない。もちろん女性に告白したこともなく、俺はいつも『言われる側』だった。それで、顔が好みだったらまあいいかって感じで付き合っていたのだ。恋は落とすものであり、落ちるものではないと思い込んでいたのだ。
執着もしないし、愛情も薄い。付き合っている間はそれなりに大切にするけど、それだけだ。相手が別れようと言ったらすぐに関係が切れるような、淡泊な感情しか持っていなかった。
親があんなだし、俺も冷めた人間だったから、恋心とは縁がないと思っていたのに、まさか自覚する日が来ようとは。しかも相手はマッド当眞だ。
「さっきから苦悶の表情を浮かべていますが、お腹でも痛いのですか?」
パスタを綺麗に食べ終えた当眞が心配そうに俺を見上げる。
どこか幼さの残る童顔に、とろんとした垂れ目。まじりけのない黒い髪。柔らかそうな唇。
「なっ、いや、大丈夫。腹は痛くない」
知らなかった。恋とは、理性ではなく本能でするものらしい。俺の理性は『なんでよりにもよって当眞なんだよ』とツッコミを入れているが、本能は『仕方ないだろ、好きになったんだから』と訴えている。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
当眞は満足そうな笑顔を見せた。お腹をさすって、満足そうなため息をつく。
そういえば俺、当眞のこと、なにも知らない。知っているのは、研究大好きで、休日も研究のために土いじりしてる研究オタクということくらいだ。あと食事がエナジーバーとインスタント味噌汁。
もっと他のことを知ってみたい。もっと他の表情を見てみたい。
考えれば考えるほど、当眞への興味が増した。知りたくて知りたくて、たまらなくなる。
「ところで御影さん、どうして私に食事を作ってくれたんでしょう」
ふと、当眞が疑問を投げかけた。俺はハッと顔を上げる。
「確かにエナジーバーやインスタント味噌汁では得られない満足感がありましたし、正直助かりましたけど、私がどんな食事をしようと御影さんには関係ないのでは……?」
心底不思議そうに当眞が首を傾げる。
俺はごくりと生唾を呑み込み、意を決した。
「と、当眞が」
彼女のとろんとした目が、俺を見つめる。
「好き……かもしれないから、だ」
まだ確証はなかった。そうじゃなかったらどうしようという気持ちが、俺の告白を曖昧なものにする。しかしここまで言ったなら後には引けない。俺は当眞の手首をガシッと掴んだ。
「だから、どうだろう。俺達、付き合ってみないか?」
当眞の目が驚きに丸くなる。そして、ぽかんと開いた彼女の口が、言葉を紡いだ。
「え、嫌です」
がくっと首を垂れてしまう。人生で初めて告白して、しかもフラれた。こんなにも即答で断られるとは思わなかったし、ちょっと……いや、かなりショックである。
「なぜだ!?」
「私は御影さんのこと、好きじゃないかもしれないので」
当眞の眉間にむっと皺が寄る。曖昧な告白には曖昧な答えをと言わんばかりに、当眞の返事は俺の告白に似ていた。
ああ、いや、今のは俺が悪い。『好きかもしれないから付き合ってくれ』なんて、いい加減もいいところだ。さすがの当眞もその気になるはずがない。
「すまない。かもしれないというのは失礼だった。でもこんな気持ちは正直初めてなんだ。自分でも戸惑っている。しかし当眞のことは、前からずっと気になっていたんだ」
真面目な顔で話す。
「そうなのですか?」
当眞が驚きの声を出した。俺は頷き、頭をぐしゃりと掻きむしる。
「気にはなっていたけど、気のせいだと思い込もうとしていた。でも、お前が営業部に来るたび、俺はいつもモヤモヤしていた。関わらないようにしようと思いながら、視線は外せなかった」
嗅覚が人間レベルを超えていて、サンプルなどを持って帰ると、必ず営業部にやってくる当眞。
狙いが俺だけなら問題なかった。でも当眞は、俺以外にも視線を向けていた。
それがどうにも嫌で、不愉快で。心の中に暗雲が立ちこめて。
ああ――、今なら認める。俺は当眞に執着の気持ちを抱いていたのだ。
「頼む! しばらくの間でもいいから、俺と付き合ってみて欲しい!」
もっと知りたい。もっと見たい。そのためには、もっと距離を縮めるしかない。
ぱん、と手を合わせて拝むと、当眞は考え込むように「う~ん」と腕を組んだ。
「そう言われても困りますね」
「お試しでもいいから!」
「お試し……つまり実験のようなものですか?」
「実験とは少し違うが、当眞に対する思いが本物かどうかを確かめてもらうためには、やっぱり付き合ってみないとわからないと思うんだ」
俺が必死で説得すると、ようやく彼女は納得したように頷いた。
「なるほど、理に適ってますね。不確かなことは検証をしないと答えがでませんから」
当眞のくせにインテリ理系みたいなことを言い出した。いや、間違いなく俺より頭がいいはずなんだけど、当眞は個性的すぎて、いまいち『秀才』というイメージがつかない。
俺が黙って様子を窺っていると、当眞はしばらく目を瞑って考えたのち、顔を上げて俺を見た。
「実は、私もかねがね疑問に思っていたことがあるんです」
「それは?」
「恋心とは、なにをきっかけに湧き上がるのか。恋をすると、どのような思考の変化をもたらすのか。予想のつかない突然変異による感情なのか、それとも種が芽吹くように感情を育てた結果なのか。……私は、恋をしたことがないから、恋による気持ちの変化がわかりません」
どこか真面目な様子で当眞が言う。黒縁眼鏡の奥にある、透明度のある黒い瞳に魅入られそうになりながら、俺は人差し指で頬を掻いた。
「そうロジカルに考えるものじゃないと思うけどな。むしろ恋って直感的なものだろ」
「ええ、そうかもしれない。私も、直感で……本能で、恋をしてみたい。小難しいことを考えないで、感覚的に行動するのは楽しいのかもしれない、とずっと思っていました」
そう言うと、当眞はゆっくりと俯いた。長い髪が一房、肩に落ちる。
「……私も恋をしてみたいんです。御影さんは、私を恋に落とせますか?」
それは挑発にも聞こえたが、願いのようにも聞こえた。
恋をしてみたい。俺と同じように、当眞も恋心と縁のない人生を送ってきたのだろうか。彼女が今までどのように生きていたのか知りたいし、俺に教えられることがあるならなんでも教えてあげたい。
俺は当眞の肩を掴んだ。想像以上に彼女の身体は柔らかくて、華奢で。どきりと心が弾み出す。
「――お望み通り、めろめろにしてやるよ。問答無用で恋にたたき落としてやる」
そう言うと、当眞は顔を上げてにへらと笑った。
「それは楽しみです」
「そういう軽口も言えないくらい、夢中にさせてやるからな。覚悟しろよ」
「ふふ、百戦錬磨な御影さんが言うと、真実味がありますね」
おどけた様子で笑う。どうやら彼女も、俺の噂は多少なりとも聞いているらしい。『結婚しない王子様』とか、研究棟でもいろいろ言われているんだろう。
俺は真剣に唇を引き締めて、当眞を見つめる。
「お試しとか言ったけど、俺は遊びのつもりじゃないからな」
「……浮気の心配がなさそうなのは、安心かもですね」
「どういう噂が流れてるか知らないけど、俺は誰かと付き合ってる間に、浮気したことは一度もない」
遊び人と言われようが、とっかえひっかえと言われようが、それだけは絶対のルールとして決めている。俺が言えたことじゃないけど、そのあたりは誠実であるつもりだ。
俺の言葉に、当眞は少し驚いたような顔をしたが、ほんわりと微笑む。
それは、俺がいつも可愛いなと思ってしまう、花が綻んだような笑顔だった。
「わかりました。信じますね」
「ああ。だから当眞も、俺と付き合ってる間は余所見するなよ。会社でも」
これが言いたかったんだ。ちょっとすっきりする。お前は俺だけ見ていればいいんだ。他を見るな。
俺は当眞の顎を摘まむと、ゆっくりと距離を縮めた。
「これからは――名前で呼んでくれ。汐里」
ちゅ、と。軽く口づける。汐里の唇は思ったとおり柔らかくて、ずっと触れていたいと思った。
「御影さん……私の、名前……知ってたんですか」
「名前」
「あっ、えっと……知基、さん」
汐里は俺の名前を呟くと、照れたように俯いた。
「流されるようにしてしまいましたけど、私、キスは初めてなんですよ」
「そっか。初めての相手が俺でよかったな」
「……どうしてですか?」
首を傾げる汐里の頬を、そっと撫でる。
「俺はキスがうまいからだよ」
そう言って、もう一度唇を重ねた。汐里は目を瞑ってキスを受けたあと、困り顔で笑い出す。
「すごい自信家ですね~。さすがです」
俺もつられたように笑った。本当は冗談のつもりだった。実際はキスに上手いも下手もないと思う。ただ、汐里の唇はふわふわして気持ちが良くて、控えめに唇を動かすのが初心そうでいじらしくて、愛しさのような気持ちが心を満たしたから、優しくできただけ。
俺は今までにない満足感を覚えながら、黙って汐里を抱きしめた。
第二章
当眞汐里と交際を始めて、最初に訪れた休日。
バレンタインデーが過ぎた街の様相は、今はホワイトデー一色になっていた。
本日は汐里と初デートである。
特にプランは決めていないのだが、まあ、研究大好き変人の汐里だって女性であることに違いはない。今までと同じような感じでいけば、そうそう失敗するということはないだろう。
「定番で行くなら、ショッピングがてらにブティックをハシゴして、適度にカフェで休憩。あとは汐里の行きたい店に行けばいいかな。本屋とか好きそうだし」
なんとなく計画を立ててみる。奇抜さのない、ありきたりなデートかもしれないが、初手はこんなものでいいだろう。俺は汐里のことをなにも知らないに等しいのだし、これから知って、彼女の行きたいところを探っていけばいい。
「汐里かあ……。意外と輸入雑貨屋なんか、好きそうだな。北欧系の可愛い小物とか、食器とか」
彼女の顔を思い浮かべて、イメージを口にする。デートの待ち合わせにした駅前でぼんやり物思いにふけっていると、遠くから「知基さん~」と、のんびりした声が聞こえた。
「おっ、来たか」
「おはようございます。もしかして、私、約束の時間を間違えてしまいましたか?」
白いニットに、赤いタータンチェックのタイトスカートを穿いて、焦げ茶色のコートを着込んだ汐里が慌てたように腕時計を見る。
可愛い。汐里も、一応デートの時はオシャレする、という意識は持っているようだ。
俺は笑って「いや」と首を横に振る。
「十時ぴったり。約束の時間に合ってるぞ。俺はちょっと早めに出てきたんだ」
「そうだったんですか。よかった~!」
汐里がホッとしたように胸をなで下ろす。ハーフアップの髪型も、赤いベレー帽も、とてもよく似合っている。
汐里って、研究者とか、変人のイメージが強すぎて、あまり意識していなかったけど……やっぱり可愛いな。俺の直感に狂いはなかった。他に取られる前で良かった。
「その服、いいな。汐里にとても似合っているよ」
「ええっ! そ、そうですか? 私服でスカートなんて久しぶりに穿いたんですけどね」
汐里は顔を真っ赤にしたあと、恥ずかしそうにタイトスカートの裾を払った。
「それって、俺とのデートを意識したからってこと?」
尋ねると、汐里は俯いてこくりと頷く。
……うん、可愛い。どうしてくれよう。反応がいちいち初心だから、まいってしまう。
「知基さんは相変わらず素敵ですね。遠目でも恰好よくて、道ゆく方がちらちら見ていましたよ」
「それは仕方ない。俺は見た目がいいからな」
ニヤリと笑みを浮かべると、汐里がクスクス笑った。
「副業でモデルをされているんですよね。さすがです」
「こういう仕事をしていると、自然と他人の目を意識してしまうんだよな。立ち方も、仕草も」
「なるほど。だからサマになっているんですね」
「とにかく、まずは野菜を食え」
「あ~、野菜ジュース飲んでますよ、たまに」
「たまに!? 野菜はジュースだけじゃなく、ちゃんと新鮮な野菜を食べないとダメなんだ!」
俺が頭ごなしに怒鳴ると、当眞は顔を引きつらせて一歩うしろに下がった。
「い、いや、ちょっと野菜は苦手でしてね」
「野菜の品種改良しておいて、野菜嫌いとはどういうことだ」
「それとこれとは別なんですよ。あ、ベランダでできた野菜はちゃんとジュースにして」
「――もういい」
俺はそう言うなり、当眞の手首をむんずと掴んだ。
「ひゃっ!?」
驚く当眞に目を向けず、彼女を引きずるようにマンションの玄関をくぐる。
「えっ、えっと、御影さん、どこに行くおつもりで?」
「俺の部屋だ」
「ほう、オレノヘヤ……。ええーっ!? どうしてまた!」
ぎゃんぎゃん騒ぐ当眞をエレベーターに押し込み、階数のボタンを押した。
「俺は、幼少時代はベビーシッターに育てられていたんだ」
「はあ。失礼を承知でお尋ねしますが、お父さんやお母さんは?」
「父と母は多忙で、ほとんど家にいなかった」
俺が淡々と答えると、当眞は口をつぐんだ。
「ベビーシッターの作る料理は、正直言って、おいしくなかった。それで俺は自然と料理を覚えて、必要な栄養素も調べるようになった。人は、毎日きちんと栄養を取って、十分な睡眠を取れば、そうそう身体を壊さないんだ」
「はあ、それ、小さいころからされていたんですか? しっかりした子供だったんですね」
当眞の言葉に、俺は前を向いたまま小さく笑った。
「俺が体調を崩せば周りの大人が迷惑する。そういう世界で生きていたから、体調管理も仕事のうちだと思っていたんだ」
モデル業は、俺ひとりで成り立つ仕事じゃない。俺が風邪を引いたら当然スケジュールは狂い、各方面の人達を困らせる。ビジネス脳の母は当然文句を言うし、それを聞くのはうんざりする。だから俺は、自分の管理は自分でするようになった。
思えば、可愛げのない子供だった。外面だけは良かったけど。
「だから、御影さんは――なんですね」
ぽそ、と当眞が呟いた時、ちょうどエレベーターが止まった。ガコンと扉が開いて、俺はうしろを振り向く。
「なにか言ったか?」
「いえ、なにも」
当眞は、にへらと笑った。
俺は気を取り直して自分の部屋に向かい、鍵を開けて中に入った。
「ほら、入って」
「は、はい。本当にいいのかな……? お邪魔しま~す」
当眞が間延びした声を出しながら、俺に続いて靴を脱ぐ。
リビングに入って照明を点けると、当眞は感心したような声を出して辺りをきょろきょろ見回した。
「おお……なんだかオシャレなお部屋ですね」
「同じマンションなんだから、間取りは当眞んとこと変わらないだろ」
「置いてあるものがまったく違いますよ! どうして床に何も落ちてないんです!?」
「お前んとこは何が落ちてるっていうんだよ!」
もともとシンプルが好きで、ごちゃごちゃと飾るのは好きではない。リビングには壁掛けタイプの大型テレビとガラス製のローテーブル、そしてソファくらいしか置いているものはない。
俺はビジネススーツの上着を脱ぎ、ハンガーにかけてから、キッチンの傍に置いたままの黒いエプロンを腰に巻いた。
「そこのソファに座ってろ。テレビでも見ていてくれ」
「はあ、ではお言葉に甘えて」
当眞は大人しくソファに腰掛けると、リモコンを手に取った。
彼女はいくつかチャンネルを変えたあと、バラエティ番組を見始める。
俺は冷蔵庫を開けて、手頃な材料を作業台に置いていった。当眞がどれくらい食べるのか知らないが、今は夜だし、脂っこい料理よりは軽く食べられるようなもののほうがいいだろう。
「パスタにするか」
腕まくりをして、鍋に水を張る。
そして二十分ほどかけて夕飯を作ったあと、俺は料理をカウンターテーブルに置きながら当眞の名を呼んだ。
「当眞、できたぞ」
「あっ、はい。先ほどから大変おいしそうな匂いがしていたので、実はお腹がぐーぐー鳴っていました」
「それはなによりだ。たんと食え」
テーブルに並べたのは、サーモンとほうれん草のクリームパスタと、根菜たっぷりのコンソメスープ。それから海藻サラダだ。
「うわ……野菜がいっぱいですね……」
「野菜嫌いでも食べられるように味付けしたから、黙って食え」
俺が当眞を睨みつけると、彼女はしぶしぶと椅子に座る。俺は隣に座って、エプロンを脱いだ。
「いただきます」
当眞が手を合わせて言ったあと、フォークを持ち、海藻サラダを恐る恐る食べ始める。
「んっ?」
きらん、と当眞の目が光った。
「これ、このサラダ、おいしいですよ。海苔の風味が生野菜の苦みを緩和させています」
「それはチョレギサラダにしてみたんだ。ドレッシングもごま油を使っているから、香ばしくて食べやすいだろ」
「ちょれぎ……? はい。これならおいしく食べられます」
当眞はぱくぱくとおいしそうにサラダを食べ進める。次に、根菜スープに手を伸ばした。
「すごい。レンコン、大根、ごぼうににんじん。いっぱい入ってますね」
「旬の野菜を食べるのが、一番栄養になるんだ。身体も温まるし、野菜スープからはかなりの恩恵が受けられるんだぞ」
「そうですね。確かに、季節に適した野菜の栄養価は高いと、データにも出ています」
当眞は感心したようにスープを見つめたあと、スプーンで具材をすくって食べる。
「はあ……これは温まる。優しい味付けで、ほっこりしますね~」
レンコンを味わって、当眞は幸せそうな表情を浮かべた。
そうやって素直に味わっている顔は、こちらがどきりとするほど可愛らしい。完全に気の抜けた顔。当眞の無防備な笑顔から、どうしても目が離せない。
今までいろいろな女性のさまざまな笑顔を見てきたはずなのに、当眞の表情には特別なものを感じた。俺は、以前から当眞の表情に心を奪われていたのだ。そのたびに気の迷いだと思い込んで、考えないようにしていたけれど。これは、そういうことなんだろうか。
「うーん……」
「御影さん、スープを睨んでどうしました?」
「えっ? あ、いや、なんでもない」
当眞に話しかけられて、慌ててフォークを持つとパスタを食べた。彼女はそれ以上は追及せず、気を取り直してパスタをフォークに巻きつける。
「んんっ、これもおいしいです。ほうれん草は苦手だったのですが、これならいくらでも食べられそうです。クリーミーで、サーモンとほうれん草がグッドなマッチです!」
当眞はクリームパスタが気に入ったようだ。
「野菜が苦手でも、こうやっていろいろ工夫を凝らせばおいしく食べられるんだ。そうやって慣らしていけば、そのうち、もっとシンプルな料理でもおいしいと思えるようになる。それが苦手野菜を克服する一番早い方法なんだよ」
「はあ~、すごいですね、御影さん。なんだかお母さんみたいです」
「誰がお母さんだ」
当眞にツッコミを入れて、ぱくっとパスタを口に入れた。
……しかし、俺。今更だけどなにやってんだろう。当眞をうちに入れたり、メシを食わせたり。まるで彼氏気取りじゃないか。当眞がどんな食生活でも放っておけばよかったのに、どうしてあの時、我関せずを貫けなかったんだろう。
それはやっぱり、俺の中に好きという気持ちがあったから。俺のことを好きになってほしいと、そのために世話を焼きたいと、そういう願望を持ったからか。
自分で自分が信じられないが、自分の行動から見て、そうとしか思えない。
俺はどうやら、当眞のことが、好きだった……のか。
「マジか~」
思わず頭を抱えた。実は、俺は恋を自覚したことは一度もない。もちろん女性に告白したこともなく、俺はいつも『言われる側』だった。それで、顔が好みだったらまあいいかって感じで付き合っていたのだ。恋は落とすものであり、落ちるものではないと思い込んでいたのだ。
執着もしないし、愛情も薄い。付き合っている間はそれなりに大切にするけど、それだけだ。相手が別れようと言ったらすぐに関係が切れるような、淡泊な感情しか持っていなかった。
親があんなだし、俺も冷めた人間だったから、恋心とは縁がないと思っていたのに、まさか自覚する日が来ようとは。しかも相手はマッド当眞だ。
「さっきから苦悶の表情を浮かべていますが、お腹でも痛いのですか?」
パスタを綺麗に食べ終えた当眞が心配そうに俺を見上げる。
どこか幼さの残る童顔に、とろんとした垂れ目。まじりけのない黒い髪。柔らかそうな唇。
「なっ、いや、大丈夫。腹は痛くない」
知らなかった。恋とは、理性ではなく本能でするものらしい。俺の理性は『なんでよりにもよって当眞なんだよ』とツッコミを入れているが、本能は『仕方ないだろ、好きになったんだから』と訴えている。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
当眞は満足そうな笑顔を見せた。お腹をさすって、満足そうなため息をつく。
そういえば俺、当眞のこと、なにも知らない。知っているのは、研究大好きで、休日も研究のために土いじりしてる研究オタクということくらいだ。あと食事がエナジーバーとインスタント味噌汁。
もっと他のことを知ってみたい。もっと他の表情を見てみたい。
考えれば考えるほど、当眞への興味が増した。知りたくて知りたくて、たまらなくなる。
「ところで御影さん、どうして私に食事を作ってくれたんでしょう」
ふと、当眞が疑問を投げかけた。俺はハッと顔を上げる。
「確かにエナジーバーやインスタント味噌汁では得られない満足感がありましたし、正直助かりましたけど、私がどんな食事をしようと御影さんには関係ないのでは……?」
心底不思議そうに当眞が首を傾げる。
俺はごくりと生唾を呑み込み、意を決した。
「と、当眞が」
彼女のとろんとした目が、俺を見つめる。
「好き……かもしれないから、だ」
まだ確証はなかった。そうじゃなかったらどうしようという気持ちが、俺の告白を曖昧なものにする。しかしここまで言ったなら後には引けない。俺は当眞の手首をガシッと掴んだ。
「だから、どうだろう。俺達、付き合ってみないか?」
当眞の目が驚きに丸くなる。そして、ぽかんと開いた彼女の口が、言葉を紡いだ。
「え、嫌です」
がくっと首を垂れてしまう。人生で初めて告白して、しかもフラれた。こんなにも即答で断られるとは思わなかったし、ちょっと……いや、かなりショックである。
「なぜだ!?」
「私は御影さんのこと、好きじゃないかもしれないので」
当眞の眉間にむっと皺が寄る。曖昧な告白には曖昧な答えをと言わんばかりに、当眞の返事は俺の告白に似ていた。
ああ、いや、今のは俺が悪い。『好きかもしれないから付き合ってくれ』なんて、いい加減もいいところだ。さすがの当眞もその気になるはずがない。
「すまない。かもしれないというのは失礼だった。でもこんな気持ちは正直初めてなんだ。自分でも戸惑っている。しかし当眞のことは、前からずっと気になっていたんだ」
真面目な顔で話す。
「そうなのですか?」
当眞が驚きの声を出した。俺は頷き、頭をぐしゃりと掻きむしる。
「気にはなっていたけど、気のせいだと思い込もうとしていた。でも、お前が営業部に来るたび、俺はいつもモヤモヤしていた。関わらないようにしようと思いながら、視線は外せなかった」
嗅覚が人間レベルを超えていて、サンプルなどを持って帰ると、必ず営業部にやってくる当眞。
狙いが俺だけなら問題なかった。でも当眞は、俺以外にも視線を向けていた。
それがどうにも嫌で、不愉快で。心の中に暗雲が立ちこめて。
ああ――、今なら認める。俺は当眞に執着の気持ちを抱いていたのだ。
「頼む! しばらくの間でもいいから、俺と付き合ってみて欲しい!」
もっと知りたい。もっと見たい。そのためには、もっと距離を縮めるしかない。
ぱん、と手を合わせて拝むと、当眞は考え込むように「う~ん」と腕を組んだ。
「そう言われても困りますね」
「お試しでもいいから!」
「お試し……つまり実験のようなものですか?」
「実験とは少し違うが、当眞に対する思いが本物かどうかを確かめてもらうためには、やっぱり付き合ってみないとわからないと思うんだ」
俺が必死で説得すると、ようやく彼女は納得したように頷いた。
「なるほど、理に適ってますね。不確かなことは検証をしないと答えがでませんから」
当眞のくせにインテリ理系みたいなことを言い出した。いや、間違いなく俺より頭がいいはずなんだけど、当眞は個性的すぎて、いまいち『秀才』というイメージがつかない。
俺が黙って様子を窺っていると、当眞はしばらく目を瞑って考えたのち、顔を上げて俺を見た。
「実は、私もかねがね疑問に思っていたことがあるんです」
「それは?」
「恋心とは、なにをきっかけに湧き上がるのか。恋をすると、どのような思考の変化をもたらすのか。予想のつかない突然変異による感情なのか、それとも種が芽吹くように感情を育てた結果なのか。……私は、恋をしたことがないから、恋による気持ちの変化がわかりません」
どこか真面目な様子で当眞が言う。黒縁眼鏡の奥にある、透明度のある黒い瞳に魅入られそうになりながら、俺は人差し指で頬を掻いた。
「そうロジカルに考えるものじゃないと思うけどな。むしろ恋って直感的なものだろ」
「ええ、そうかもしれない。私も、直感で……本能で、恋をしてみたい。小難しいことを考えないで、感覚的に行動するのは楽しいのかもしれない、とずっと思っていました」
そう言うと、当眞はゆっくりと俯いた。長い髪が一房、肩に落ちる。
「……私も恋をしてみたいんです。御影さんは、私を恋に落とせますか?」
それは挑発にも聞こえたが、願いのようにも聞こえた。
恋をしてみたい。俺と同じように、当眞も恋心と縁のない人生を送ってきたのだろうか。彼女が今までどのように生きていたのか知りたいし、俺に教えられることがあるならなんでも教えてあげたい。
俺は当眞の肩を掴んだ。想像以上に彼女の身体は柔らかくて、華奢で。どきりと心が弾み出す。
「――お望み通り、めろめろにしてやるよ。問答無用で恋にたたき落としてやる」
そう言うと、当眞は顔を上げてにへらと笑った。
「それは楽しみです」
「そういう軽口も言えないくらい、夢中にさせてやるからな。覚悟しろよ」
「ふふ、百戦錬磨な御影さんが言うと、真実味がありますね」
おどけた様子で笑う。どうやら彼女も、俺の噂は多少なりとも聞いているらしい。『結婚しない王子様』とか、研究棟でもいろいろ言われているんだろう。
俺は真剣に唇を引き締めて、当眞を見つめる。
「お試しとか言ったけど、俺は遊びのつもりじゃないからな」
「……浮気の心配がなさそうなのは、安心かもですね」
「どういう噂が流れてるか知らないけど、俺は誰かと付き合ってる間に、浮気したことは一度もない」
遊び人と言われようが、とっかえひっかえと言われようが、それだけは絶対のルールとして決めている。俺が言えたことじゃないけど、そのあたりは誠実であるつもりだ。
俺の言葉に、当眞は少し驚いたような顔をしたが、ほんわりと微笑む。
それは、俺がいつも可愛いなと思ってしまう、花が綻んだような笑顔だった。
「わかりました。信じますね」
「ああ。だから当眞も、俺と付き合ってる間は余所見するなよ。会社でも」
これが言いたかったんだ。ちょっとすっきりする。お前は俺だけ見ていればいいんだ。他を見るな。
俺は当眞の顎を摘まむと、ゆっくりと距離を縮めた。
「これからは――名前で呼んでくれ。汐里」
ちゅ、と。軽く口づける。汐里の唇は思ったとおり柔らかくて、ずっと触れていたいと思った。
「御影さん……私の、名前……知ってたんですか」
「名前」
「あっ、えっと……知基、さん」
汐里は俺の名前を呟くと、照れたように俯いた。
「流されるようにしてしまいましたけど、私、キスは初めてなんですよ」
「そっか。初めての相手が俺でよかったな」
「……どうしてですか?」
首を傾げる汐里の頬を、そっと撫でる。
「俺はキスがうまいからだよ」
そう言って、もう一度唇を重ねた。汐里は目を瞑ってキスを受けたあと、困り顔で笑い出す。
「すごい自信家ですね~。さすがです」
俺もつられたように笑った。本当は冗談のつもりだった。実際はキスに上手いも下手もないと思う。ただ、汐里の唇はふわふわして気持ちが良くて、控えめに唇を動かすのが初心そうでいじらしくて、愛しさのような気持ちが心を満たしたから、優しくできただけ。
俺は今までにない満足感を覚えながら、黙って汐里を抱きしめた。
第二章
当眞汐里と交際を始めて、最初に訪れた休日。
バレンタインデーが過ぎた街の様相は、今はホワイトデー一色になっていた。
本日は汐里と初デートである。
特にプランは決めていないのだが、まあ、研究大好き変人の汐里だって女性であることに違いはない。今までと同じような感じでいけば、そうそう失敗するということはないだろう。
「定番で行くなら、ショッピングがてらにブティックをハシゴして、適度にカフェで休憩。あとは汐里の行きたい店に行けばいいかな。本屋とか好きそうだし」
なんとなく計画を立ててみる。奇抜さのない、ありきたりなデートかもしれないが、初手はこんなものでいいだろう。俺は汐里のことをなにも知らないに等しいのだし、これから知って、彼女の行きたいところを探っていけばいい。
「汐里かあ……。意外と輸入雑貨屋なんか、好きそうだな。北欧系の可愛い小物とか、食器とか」
彼女の顔を思い浮かべて、イメージを口にする。デートの待ち合わせにした駅前でぼんやり物思いにふけっていると、遠くから「知基さん~」と、のんびりした声が聞こえた。
「おっ、来たか」
「おはようございます。もしかして、私、約束の時間を間違えてしまいましたか?」
白いニットに、赤いタータンチェックのタイトスカートを穿いて、焦げ茶色のコートを着込んだ汐里が慌てたように腕時計を見る。
可愛い。汐里も、一応デートの時はオシャレする、という意識は持っているようだ。
俺は笑って「いや」と首を横に振る。
「十時ぴったり。約束の時間に合ってるぞ。俺はちょっと早めに出てきたんだ」
「そうだったんですか。よかった~!」
汐里がホッとしたように胸をなで下ろす。ハーフアップの髪型も、赤いベレー帽も、とてもよく似合っている。
汐里って、研究者とか、変人のイメージが強すぎて、あまり意識していなかったけど……やっぱり可愛いな。俺の直感に狂いはなかった。他に取られる前で良かった。
「その服、いいな。汐里にとても似合っているよ」
「ええっ! そ、そうですか? 私服でスカートなんて久しぶりに穿いたんですけどね」
汐里は顔を真っ赤にしたあと、恥ずかしそうにタイトスカートの裾を払った。
「それって、俺とのデートを意識したからってこと?」
尋ねると、汐里は俯いてこくりと頷く。
……うん、可愛い。どうしてくれよう。反応がいちいち初心だから、まいってしまう。
「知基さんは相変わらず素敵ですね。遠目でも恰好よくて、道ゆく方がちらちら見ていましたよ」
「それは仕方ない。俺は見た目がいいからな」
ニヤリと笑みを浮かべると、汐里がクスクス笑った。
「副業でモデルをされているんですよね。さすがです」
「こういう仕事をしていると、自然と他人の目を意識してしまうんだよな。立ち方も、仕草も」
「なるほど。だからサマになっているんですね」
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