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しおりを挟むプロローグ 猫神主人のばけねこカフェ
ドアを開けば、チリリンと鈴の音がした。
「いらっしゃいませ。ねこのふカフェにようこそ!」
店員の軽快な挨拶と共にタタッと走り寄ってきたのは、濡れ鴉のようにしっとりとした毛並みを持つ、黒い猫。
黒猫は透明度のあるアイスブルーの瞳でまっすぐに客を見つめて、にゃーんと可愛らしく鳴いた。
『ねこのふカフェ』
ここはネットや口コミで人気を集める、巷で話題の猫カフェだ。
個性的な猫が出迎えてくれる。愛嬌のある猫がいる。猫好きにはたまらない猫カフェ!
そんな噂を聞いてやってきた客は、誰もが「なるほど」と納得するだろう。
席に座ると、早速ふかふか毛の三毛猫が膝に乗ってくる。
すべらかな手触りの頭を撫でれば、三毛猫は目を細めてゴロゴロと喉を鳴らす。
愛想のいい猫に客が相好を崩した時、店員が注文を聞きにきた。
長い黒髪をふたつに分けておさげにした、笑顔が似合う元気そうな女性の店員で、ベージュ色のカフェエプロンの裾には、白い肉球の柄がプリントされている。
メニューを渡された客は「さて、なにを頼もう」と、悩み顔になった。
ねこのふスペシャルランチ。季節のケーキセット。ラテアート。
客がメニューに指をさまよわせていると、ストッとテーブルに猫が乗ってきた。それは、トロンとした垂れ目がチャーミングなアメリカンショートヘアだ。
ふわふわした小さい前足で、チョンチョンとメニューを叩く猫が指しているのは『ねこおやつ』だった。
一袋百円。これを買えば猫におやつをあげることができるのだ。
「欲しいのかい?」
客が撫でようとした途端、アメリカンショートヘアはプイとそっぽを向いて、尻尾でぺしっと手を叩く。
――おやつをくれなきゃ触らせてあげない。
まるでそう言っているみたいに見える仕草に、客は思わず笑いをこぼし、『ねこおやつ』と、『ねこのふスペシャルランチ』を注文した。
カウンターには渋い口ひげを生やしたマスターが控えており、店員の注文を受けると調理を始めた。
客は自分の注文品が来るまでの間、猫におやつをやる。
チューブの包装をちぎった瞬間、アメリカンショートヘアの瞳がきらりと光った。
「にゃん、にゃん!」
前足でくいくいと手招きする猫はひげをピンと立たせて、期待に満ちた顔で見上げてくる。
中からペースト状の餌を出すと、猫は嬉しそうにペロペロとチューブの口を舐めた。
「にゃー!」
膝に乗っていた三毛猫も、欲しがってグルグルと喉を鳴らす。
「順番だよ」
客が猫に話しかけていたら、足元へ別の猫が擦り寄ってきた。
「なぁ~ん」
最初に出迎えてくれた黒猫だ。おやつが欲しいのか、甘えた声を出す。
三匹の猫たちに囲まれて客がデレデレし始めた時、ふいに野太い猫の鳴き声が響いた。
「うにゃ~ご。なぁ~~ご」
まるで中年男性が猫の真似をしたような、お世辞にも可愛いとは言いがたい声である。
客が怖いもの見たさで恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはつい二度見するほど大きな猫がいた。
白い台座に、ふかふかの座布団。そこにどっしりと座るのは、通常の猫の三倍は巨大な猫。……言い換えると『でぶ猫』である。
ペルシャ猫のようだが、非常に貫禄があり、相撲でも取ったら強そうだ。
眼光鋭い金の瞳を持つその猫は、佇まいに風格があり、面持ちにも威厳がある。だが、とてもじゃないが可愛いとは言いがたい。
それなのに、客は目をそらせなかった。なんというか奇妙なカリスマがあるのだ。
「ぬなぁ~ご」
中年男性の声色で、猫が猫撫で声を出した。本人(猫)としては、甘えているつもりらしい。
反応に困った客が固まっていると、ペルシャ猫はおもむろに前足を上げた。
そして――おいで、おいでと、猫招きをする。
リアル猫招きである。
だが、猫の迫力がありすぎて、福どころか余計なものまで招きそうだ。
客は立ち上がると、ペルシャ猫に近づいた。台座には木製のプレートが貼ってあり、『ねこのふカフェの守り神・ウバちゃんです』と記してある。
「守り神?」
客は首を傾げた。
確かにでぶ猫は『神様』と言われても納得できそうな貫禄がある。悪く言えばとことん偉そうにふんぞり返っている。
猫の前にはミニチュアの賽銭箱が置かれていて、客は誘われるように十円玉をチャリンと入れた。
すると、でぶ猫は前足を上げて差し出す。そして、つられて出した客の手のひらにポフッと前足を載せた。
「ニャアアン。ニャー。ウニァ~」
ダミ声でなにか話している。猫なのだから喋るわけがないが「よきにはからえ」と言わんばかりの尊大かつおおらかな雰囲気だ。
でぶ猫は、チョイチョイと賽銭箱を前足で叩いた。どうやらさらなる賽銭を催促しているらしい。なかなかアコギな猫である。
「ニャン、ニャーン」
客の足元でおやつの続きをねだる甘え上手な猫たち。客は気を取り直して、三匹の猫に順番におやつをあげた。
黒猫はチューブタイプのおやつをぺろぺろと舐めると、ついでに客の手も舐めて、スリスリと擦り寄る。
三毛猫はおやつに満足したのか、ぐいーんと背伸びをしてから、お行儀よくお座りをしてペコリと頭を下げた。
「ニャン!」
そして元気よく鳴くと、その場でクルンと一回転する。
「えっ」
客は驚きの声を出した。
猫が、芸をしたのだ。犬が芸をするのは普通だが、猫が芸をするのは珍しい。
しかも三毛猫に続いて、アメリカンショートヘアと黒猫も次々に一回転する。
ニャー、ニャー、ニャー。うにゃ~ご!
最後に鳴いたのはあのでぶ猫、ウバだ。ウバはのっそりと二本足で立ち上がると、前足でテシテシと二拍し、ペコリと頭を下げて座り直す。
客は、唖然とした表情を浮かべた。
猫が二本足で立つ……まあ、立つこともあるだろう。でも、前足で拍手などできるだろうか? いや、できなくもない……か? 頭を下げて礼をする。……人間なら簡単な仕草だが、猫では見たことがない。
客はおっかなびっくり店員を振り返った。
黒髪をふたつに分けておさげにした女性の店員は、愛想よく笑みを浮かべる。
「うちの猫ちゃん、とっても芸達者なんですよ!」
そう言った彼女がテーブルに置いたのは、サラダとオムライス、スープのついたランチだ。
「そ、そうなんだ。すごい芸達者ですね」
芸と言われたら、芸なのだろう。犬顔負けの芸だが、この広い世の中、芸のうまい猫がいてもおかしくないだろう。多分。
客はそう無理矢理自分を納得させ、ランチを食べ始めた。
「なぁ~ん」
客が食事をしている最中も、猫たちは全力で愛想を振る。
食事の邪魔をしない程度にスリスリしたり、傍でお座りをしたり。
人懐こい猫に囲まれて、客はオムライスを頬張りながら幸せそうな顔をした。
「また来ますね」
会計時にそう言い残し、満足げに帰っていく客を、店員は笑顔で見送った。
客の捌けた店内。
一息ついたおさげの店員は、猫たちをジロリと横目で睨んだ。
「もう、みんな。芸ってごまかすのも一苦労なんだから。やりすぎたらだめだよ!」
店員の叱責に、でぶ猫のウバはのんきにあくびをした。そして、人間の言葉で答える。
「これくらい問題にもならぬわ。客の満足そうな顔を見たか? すべてわらわの愛くるしい仕草のおかげじゃな!」
ウバが偉そうにふんぞり返る。だが、すかさずアメリカンショートヘアが「なぁ~に言ってるのよっ」と突っ込みを入れた。
「あたしの懐きテクが効を奏したに決まっているじゃない。猫だって色気を出してナンボよ! 甘く、艶やかに、客にソフトタッチするのが重要なのよっ」
「君が言うと非常にいかがわしく聞こえるのはなぜかな。猫スタッフに重要な要素を挙げるならば、僕の持つ『知的さ』だろう」
アメリカンショートヘアの隣で、フッと鼻で笑うのは雄の三毛猫だ。その尻尾の先は二本に枝分かれしている。
「わらわの愛らしさがわからぬとは、化け猫のまなこは節穴なのかのう」
「図体と態度だけデカイ猫神様に言われたくなーい。女なら、色気で勝負すべし!」
「僕は男だけど、猫の魅力を語るならば、知性は欠かせないファクターだ」
わーわーニャーニャーと三匹の猫たちが好き勝手に言い争う中、店員の足元に黒猫が擦り寄ってきた。そして、心配そうにソワソワと歩き回る。
「美来、ごめんな。猫らしくするのがむずかしくてさ。宙返りくらいなら大丈夫かなって思ったんだけど、だめだったか? 俺、猫っぽくなかったか?」
真摯な瞳で見つめてくる黒猫に、店員はクスッと笑い、ヒョイと黒猫を抱き上げた。
「大丈夫。キリマは猫っぽいよ。ちょっと仕草が規格外だけどね」
軽く頭を撫でれば、ようやく黒猫はホッとしたようにゴロゴロと喉を鳴らした。
ここは、猫に見えて猫ではない『あやかし』がキャストを務める猫カフェ。
正真正銘の神様が主を務め、三匹の化け猫が客に愛嬌を振りまく。
彼らはなにも、好き好んで猫カフェを切り盛りしているわけではない。
ただ、失われた力を取り戻すために奮闘しているのだ。
あやかし猫の事情を知る唯一の人間――鹿嶋美来は、ふと過去を思い出す。
『ねこのふカフェ』が開かれる前。すべては、あの出会い――神社で猫を拾ったあの日から始まった。
第一章 捨て猫は猫神で、飼い猫は猫鬼で。
それを運命だと言うのなら、おそらくは、そうなのだろう。
今年で十九歳になる鹿嶋美来が毎朝欠かさずウォーキングをして、最寄りの神社に参拝するのを日課にしていることも、この出会いも、必然だったのだ。
桜が美しく咲きほころぶ四月。暖かい風に揺れ、花びらがひらひらと舞い落ちる。
春爛漫といった境内の様子に心を和ませていた美来は、神社の隅に段ボールが置かれているのに気づいた。
にゃ~あ。
そこから聞こえた鳴き声は、ダミ声だった。低く濁っており、可愛げが全くない。
美来が段ボールに近づいて中をのぞき込むと、灰色の猫が彼女を見つめていた。
くすんだ毛色をしているのに、目だけは爛々と金色に輝いている。
(大きいなあ)
それが美来の第一印象である。
成猫であることに間違いはなさそうだが、普通の猫の三倍はあるだろう。縦にも横にも大きくて、段ボールがぎゅうぎゅうになっている。一匹しかいないのにすし詰め状態、いや、箱寿司のようだ。
「圧倒的な存在感だね」
美来は膝をついて座り、猫の頭を撫でる。その毛並みは荒れていて、撫で心地もゴワッとしていた。
顔つきや毛の状態から見て、どうも年老いた猫らしい。目にヤニが溜まっており、健康状態が心配だった。すぐにでも獣医に診てもらう必要がありそうだ。
老猫だから捨てられたのだろうか。愛らしさとはほど遠い顔をしているせいで、飼い主にそっぽを向かれたのかもしれない。
なににしても可哀想な猫だ。
美来はこの子を連れていこうと決意して段ボールを持ち上げた。
「おもっ!!」
思っていたよりもずっと重量がある。米を運んでいる気分になりながら、美来は神社を後にした。近くに、早朝から開くなじみの動物病院があるのだ。そこで一通りの診察を受けてもらおう。
拾うか拾わないか。そんなこと、ちっとも悩まなかった。
出会ったからには飼うのだ。美来の心に、そのまま捨て置くという選択肢はなかった。
朝の診察時間を待って、顔なじみの獣医に猫を診てもらったところ、猫の状態は美来が想像していたよりも悪かった。すぐさま適切な処置が施される。
診察が終わると、動物病院から家に向かった。帰りの道すがら、美来は段ボールを「よいしょ」と抱え直す。
病院でペットキャリーを借りたかったのだが、巨大猫に合うサイズがなかったのだ。一体なにを食べたらこんなに大きくなるのだろう。
「君はえらかったね。注射を打たれても平気な顔をしていたし。我慢強いんだねー」
美来は声をかけた。猫はツンとそっぽを向いて「ニャア」と鳴くだけだ。相変わらずダミ声で、可愛げがない。
しかし、猫は不思議と逃げ出そうとはしなかった。病院でも大人しくしていたし、美来に爪を立てることもしない。
つまり、美来に飼われる気になっているのだろうか、それなら嬉しいが……そこまで考えた美来はハタと大事なことを思い出し、灰色の猫に話しかけた。
「あのね、今から行く家――私の家には、すでに猫が一匹住んでいるんだよ。だから仲良くしてほしいな。……って言っても、猫が人間の言葉を理解するわけないか」
大丈夫かなあと、美来はため息をつく。
猫にも相性はある。あまりに気が合わないなら、テリトリーを分ける必要があるだろう。だが、美来の住む家には両親も住んでいるから、猫のためにそこまでのスペースを作ることはできない。
「できれば喧嘩しないでほしいな。ただでさえ君を連れ帰ることでお父さんは怒るだろうし」
父は職業上、ペットを好まないところがある。
美来の家は、喫茶店を経営しているのだ。といっても、街はずれで繁盛もしていない、寂れた古い店なのだが。
「そーっと帰ろうね。そーっと」
美来は猫に囁き、コソコソと裏口から家に入った。
「ただいま……」
美来の住む家は今年で築五十年になる。見た目的にもなかなか年季の入った住宅で、祖父が亡くなり美来の父に相続されて以来、修繕を重ねていた。
裏口の先は台所だ。フローリングではなく古めかしい正方形のパネル床材が広がっていて、美来が歩くとギシギシ音が鳴る。美来はこっそりと、台所の端に猫の入った段ボールを置いた。猫を見せるのは後にして、先に両親の機嫌を窺おうと思ったのだ。
大丈夫。母は猫が好きだし、父も、説得すればなんとかいけるだろう。すでに猫を一匹飼っているのだ。もう一匹増えたところで問題はないはず。
「ん?」
キッチンの奥、廊下側から「ニャア」と声がした。
足音を立てずに黒い猫が近づいてくる。美来は膝をついて座ると、黒猫の頭を優しく撫でた。
「キリマ、ただいま」
黒猫――キリマの顎を人差し指で擦る。すると、キリマは目を瞑って気持ちよさそうに喉を鳴らした。
ぴくぴくとひげが揺れて、しなやかな尻尾がゆるりと上がる。
濡れ鴉のような艶のある毛並みを持つ、キリマ。
美来がそう名付けたこの猫もまた、あの神社で拾ったのだ。不思議な偶然である。二年前の冬の朝、キリマは段ボールの中で震えていた。
拾った時の毛並みはゴワゴワに荒れており、見るからに衰弱していた。しかし現在はほどよくスッキリとした体形で毛艶もよく、飼い主の欲目もあるかもしれないが、『美猫』と言ってもいいだろう。美来が世話をしたキリマはすっかり彼女に懐いていて、今も甘えた鳴き声で美来の手に擦り寄った。
「キリマ。実は猫を拾ったの。先輩猫として、仲良くしてくれると嬉しいなあ」
その時、段ボールの中にいた灰色の猫がのっそりと起き上がる。キリマの三倍はある巨大猫がジロリと睨んだ途端、キリマが毛を大きく逆立てた。膨らませた尻尾をピンと立て、前かがみになりながら「フーッ」と威嚇し始める。
慌てたのは美来だ。いきなり臨戦態勢だなんて困る。まだ親に説明していないし、説得する前に喧嘩をされては、間違いなく父がいい顔をしない。
「キリマ待って! お願い、落ち着い……」
「――まさかこんなところでそなたに出会うとはな。世間とは狭いものよの」
ふいに、トーンの低い女の声が聞こえた。美来は「へっ?」と間の抜けた声を出す。慌てて辺りを見回すが、美来と猫二匹以外、台所には誰もいない。
「なんでお前がいるんだ。ここは俺のテリトリーだ。出ていけ!」
「ひゃ!?」
今度は、涼やかで高い男性の声。それも明らかに、すぐ傍から聞こえている。
美来は目の前の猫たちを見た。まさかこの二匹が喋っているのだろうか。
「キ、キリマ、あなた、なんっ、いつの間に、人間の言葉なんか覚えたの!?」
世の中には、人間の言葉のような鳴き声を出す面白い猫がいる。「ごはーん」とか「なんで」とか、鳴き声がそんな風に聞こえる個性的な猫だ。
しかし今の声は、明らかに日本語だった。猫は訓練するとあんなにベラベラと話せるものなのだろうか。いや、そんなはずはない。
「ええ!? ちょっ、落ち着け私。いやいやキリマ、どうしちゃったの!?」
混乱しつつ声を上げる美来に、キリマは「はあ」とため息をつく。
「こうなることが予想できていたから、俺はずっと隠していたんだ。……美来、落ち着け。俺は猫であって猫ではない。だから、言葉を話すのはおかしいことじゃない」
「ね、ねこであってねこではない……ど、どういう意味?」
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