1 / 17
1巻
1-1
しおりを挟む心の宝箱に仕舞って、誰にも教えたくない大切な思い出がある。
あれは去年の秋。夏のうだるような暑さがようやく和らいだ頃、私――本多天音は会社に忘れ物をして取りに戻っていた。
警備員のおじさんに頼み込んで裏口の扉を開けてもらい、そっと足を踏み入れる。
足音をつい潜めてしまったのは、きっと変なものをおびき寄せたくなかったからだ。例えば幽霊とか、オバケとか。
二十三という歳で何を、と笑われてしまうかもしれないが、夜中の社内は昼と違って妙に怖くて、まるで夜の学校だった。肝試しを企画したら意外と人気が出るかもしれない。
……真っ暗な給湯室からぽたりぽたりと水音が聞こえてきそうで、廊下の奥では数字を取れない営業マンの霊が「契約くれェ」と怨嗟の呻き声を上げていそうで。想像が恐怖を生み出し、恐々とした足取りで廊下の角を曲がる。
そこで、営業部フロアに明かりがついているのに気づいた。
こんな夜中に、誰かいるのかな?
音を立てないように扉を少し開けて、中を窺う。すると、男の人がデスクに向かって仕事をしていた。プレゼンに向けた準備をしているのか、机には資料やサンプルが山積みになっている。
……あの人は。
私は目を丸くした。まさか『あの人』が孤独に居残りしているなんて思ってもみなかったから。
彼の名は高柳幸人。私と同じ営業部二課の所属で、同期でもある。でも彼の肩書きはそれだけじゃない。
私たちが勤める高柳繊維ロジスティックス株式会社の社長令息なのだ。
当時鳴り物入りで入社した彼の姿はしっかりと覚えている。入社式でも、ひときわ目立っていたから。全てにおいて恵まれた彼は、苦労なんて一つもしたことがないんだろうなと、少し妬ましく思ったことも覚えている。
そんな高柳さんが、一人で居残りをしていたとは。
必死になって仕事をしなくても、将来はそれなりのポストが用意されるはず。彼は頑張らなくてもいい人間なのだ。でも、彼の営業成績はいつもよかった。
高柳さんはコネだけの人間ではない。入社当初こそ一部の社員からナナヒカリと陰口を叩かれていたけれど、常に実力で結果を出してきた。次第に、彼を悪く言う人間はいなくなった。
それは全て、陰で努力していたからこそだろう。
穏やかで優しい、王子様みたいな高柳さん。けれどその夜は、普段の彼からは想像もできないほど苦悩した姿を見せていた。
片手で額を押さえながら、ノートにガリガリと何か書いている。資料をめくり、クロスサンプルの質感を確かめて、孤独にパソコンを打つ。結果を出そうと懸命になっている。
ドキドキと胸が高鳴った。体中が熱を帯びて、心がふわりと浮き立つ。
――私は高柳幸人に恋をしたのだと、この時はっきり自覚した。
さて、恋を自覚したはいいものの、早くも立ちはだかった超難関に、私は四苦八苦していた。
何せ相手は御曹司。高柳社長の三男に当たる。高校から大学までアメリカで過ごしたという彼は、ハリウッド俳優もかくやというほどの美貌で、人のよさそうな笑顔が似合う爽やかなイケメンだ。
誰に対しても分け隔てなく親切で、社員のみならず取引先の好感度も高い、我が社きってのアイドル君である。営業成績の伸びもいい彼を嫌うのは、今や嫉妬にまみれた一部の男くらいなものだろう。
それだけの魅力をお持ちの高柳さんは、当然だけど女性社員から絶大なる人気を誇っていた。
高柳繊維ロジスティックスは国内はおろか海外にも進出しており、未だ成長を続けている大企業。その社長令息というだけでも十分価値がある。その上、顔がよくて性格までよかったら、そりゃあもう倍率は高くて当たり前だ。
対して私は顔も頭脳も普通。体力はちょっと自信あるかな。でもアスリートほどではないから、あくまで普通の域を超えることはない。
人より秀でた特技があるわけでもなし、あっと驚く超能力を持っているわけでもなし。悲しくなってしまうほどの平凡人間だった。もうホント、こんな一流企業によく入社できたな、と自分自身に感心してしまう。
しかもこの歳になるまで恋愛事に縁がなく、男性経験ゼロ。
そんなわけで、私が真っ向から高柳さんにアプローチしたところで、同じように彼を狙う『その他大勢』と一緒くたにされるのが関の山だろう。
シンデレラが王子様に見初められたのは、美人だったからだ。美人でない私は、シンデレラになるのがとても難しい。それこそ宝くじに当たるくらいの幸運がなければ無理だろうと、誰よりも私が自覚していた。
「ほんと毎回、皆飽きもせずよくやるよねー」
先輩でありよき親友でもある総務部経理課の宮村江美さんが、社員食堂の端でテーブルに頬杖をつきながら笑っていた。私はよろよろした足取りで、彼女のもとへと戻る。
手に持っているのは二種類のお弁当。今日、高柳さんが社員食堂で昼食を取ることを知っていた私は、彼に手作りのお弁当を差し入れるべく、早起きして超頑張ったのだ。しかし……
「何で毎回、声をかけることすら許されないの!?」
そう、私は敗者である。今回も高柳さんに声をかけることができなかった。
高柳さんが社内で昼食を食べるのは、基本的に月末の営業会議の日と、毎週月曜日にある二課ミーティングの日だけ。その情報は会社中に知れ渡っているため、いつも社員食堂がエライことになる。カレーや日替わり定食を頼もうとする高柳さんを捕まえてお弁当を渡し、お昼をご一緒しようと狙う女性社員たちが、ハイエナのごとく群がるのだ。
「一種の風物詩だよね、アレ」
あははと気楽に笑うのは、江美さんをはじめとした、高柳さんに興味のない社員たち。一方、我々高柳幸人を狙う女たちは、懲りもせず見苦しい抗争を繰り広げている。
ちなみに、高柳さんは一度もお弁当を受け取ったことがない。やんわりと断り、普通にカレーとか定食とかを注文して食べている。それでも女たちは諦めない。彼の隣や向かいや斜め向かいや後ろや、とにかく周りに座って話しかけようと、阿鼻叫喚の椅子取り大会が始まるのだ。
……ほんと、モテるって大変だと思う。そんな肉食女子たちに囲まれても和やかに笑顔で応じる高柳さんは、もはや菩薩レベルの男と言っていいだろう。悟りの一つや二つ開いていないと、あんなに愛想を振りまくことはできない。
私も毎回、頑張ってはいるのだ。無駄だとわかっていても「お弁当食べてくれませんか」と言いたい。でも私のような平凡人間は、その一言をかけることすら許されなかった。
なぜなら、高柳さんの周りには鉄壁部隊がいるからだ。営業部一課と秘書課の女性で構成された部隊は美人揃いで、高柳さんに声をかけたいハイエナ(私含む)を、ことごとく蹴散らしてしまうのである。「あなたごときが、高柳君に声をかけていいと思ってるの?」と。
いわゆる取り巻きだ。私たちのようなパッとしない一般女子は高柳さんに声をかける前に、彼女らに軽くあしらわれる。あんまり逆らうと鬼のイジメを食らうらしいし、円滑な会社生活を送るためにも、そこまで無謀になることはできない。
ともあれ、お祭り騒ぎのようなひと時は一瞬で終了した。敗者たちはスゴスゴと引き下がり、食堂のどこかでお弁当を食べる。その一人である私も江美さんの向かいに座って、二つあるお弁当のうちの一つを彼女に渡した。
「やったー! 私、高柳君が食堂で昼食取る日が楽しみなんだよね~」
「昼食代が浮きますものね……」
「うん! どれどれ、今日の天音のお弁当はどんなかな~」
ニコニコと笑顔でお弁当の包みをほどく江美さんも、一年前までは営業部二課で事務をしていた。私は彼女の後任であり、入社当初から半年にわたって仕事を教えてもらったのだ。私たちはとても気が合って、今や彼女は三つ年上の親友となっている。色々相談に乗ってもらったり、昼食を一緒に取ったり、休日に遊んだりと、私にとって頼れるお姉さん的存在だ。
私も自分のお弁当の包みをほどく。ぱかりとフタを開けると、中には黒ごまを振った俵おにぎりが三つと、渾身の卵焼き、手作りハンバーグ、ポテトサラダ、彩りを添えるためにプチトマトが二つ入っている。
「毎回ちゃんと作って偉いよね~。冷凍食品一つもないし」
「そりゃまぁ、一応高柳さんにあげるつもりで作ってるんだし、さすがに手抜きはしないですよ」
「え~、噂によると、結構手抜きしてる子多いっぽいよ? だって高柳君、一度もお弁当受け取ったことないし。無駄だとわかってるから、適当に詰めてる子もいるって」
「もしかしたら、いつか気が変わって受け取ってくれるかもしれないじゃないですか。まぁ……ないでしょうけど」
受け取ってもらうどころか、高柳さんに声をかけることすらできない。
御曹司を狙うってこんなにも大変なんだなぁ。そりゃまぁ、もし彼に見初められたら一躍シンデレラなわけだし、皆必死になって当たり前だと思うけど、同時に不毛だなぁとも思う。
「そういえば、うちには御曹司がもう一人いますよね」
「ああ、高柳課長ね」
プチトマトを一つ摘まみながら、江美さんがそっけなく答える。
「って、自分の上司でしょう? あの人もこんな風に大騒ぎされてたんですか?」
そう、うちの会社には社長令息がもう一人勤めているのだ。長男である高柳要一。彼は総務部経理課の課長を務めており、江美さんにとっては直属の上司に当たる。私は部署が違うので滅多に会うことはないけど、廊下などで見かけると、驚くほどの美形だなぁと感心してしまう。三男の幸人さんがあれだけ顔がいいのだから、兄も当たり前のように眉目秀麗なのだ。
シャープなメタルフレームの眼鏡がよく似合う彼は、今年三十歳で、硬質な格好よさを持つ。幸人さんと違って、愛想がないところが玉に瑕だ。ちなみに次男は、噂によると弁護士らしい。
「私が入社した頃はすごかったよ~。ここだけの話だけど、高柳君の取り巻きをしてる営業一課と秘書課の人たちってね、最初は課長の取り巻きしてたんだよ。でも課長って昔からああでさ、終始仏頂面で態度も堅物そのものだから、愛想のいい三男君が入社した途端、皆そっちに鞍替えしたんだよね」
「……そ、そうなんですか? 軽ぅ……」
悪口みたいだから声を潜めつつも、私はチラリと後ろを見てしまった。ニコニコ顔で日替わり定食を口にする高柳さんに、取り巻きの人たちはキャッキャと話しかけている。
卵焼きをぱくっと食べた江美さんが、くすくす笑った。
「こんなこと言ったら高柳君に悪いけど、課長は清々してるんじゃないかな。彼女たち、ほんっとにしつこかったもん。そんなに玉の輿って乗りたいのかな。正直、絶対面倒くさいと思うよ?」
「そうですよね、私もそう思うんですけど……」
もし玉の輿に乗れたとしても、その後どんなことが待ち受けているのか、想像もつかない。ぱく、と力なくハンバーグを食べた。我ながらウマイ。レシピはネットで調べたんだけど。
諦めが悪いなぁと、自分でも思っている。高柳さんに恋をしてから様々なことを試して、ことごとく玉砕してきたのだ。
仕事終わりを狙ってお食事に誘おうとしたものの、彼が営業フロアを出た瞬間、同じようなことを考えた女性社員たちに囲まれていた。逆に出社前に声をかけたらいいんじゃないかと思って会社前で待ち伏せしたら、彼がやってきた時、すでに周りに人垣ができていた。
もう何なの。磁石でも内蔵しているのか御曹司。
そう思ってしまうほど、彼には常にバリアーがついている。女の群れという名のバリアーが。
諦めの悪い私もさすがに挫折しかけていた。入社当初から彼を狙っていたという人たちの中にも、最近は諦める人が出てきているらしい。
何せ営業部一課と秘書課で構成された、あの鉄壁部隊がいるからな……。美人で気が強くて下手を打つとイジメや嫌がらせをしてくるから、彼女らを恐れて諦める人が多いのかもしれない。
あの夜がきっかけで高柳さんを好きになったけど、彼はまさに高嶺の花だ。同じ課なのに近づくことすらできないなんて、本当に悲しい。
「私もさ、天音の恋を応援してあげたいって思うよ。でも、やっぱり諦めたほうがいいんじゃないかな。よしんば仲よくなれたとしても、女の嫉妬がすごそうだし」
「……うん」
最後の俵おにぎりを食べて、お弁当を片付ける。江美さんもお弁当を食べ終わり、「ごちそう様でした」と手を合わせた。
「こうやってせっかくおいしいお弁当を作っても、私のお腹に入っちゃうんだし。潔く諦めて、別の人を好きになったほうがいいんじゃない? せめて鉄壁部隊がいないような人とか」
「それはわかっているんですけど……。でも、あと一回だけチャレンジしてみることにします」
江美さんからお弁当を回収しつつ、私はかねてからの決意を口にする。江美さんは不思議そうに「チャレンジ?」と首を傾げた。
私が勤める高柳繊維ロジスティックス株式会社は、主に繊維資材や生地製品を扱う商社だ。国内の要所に支店を置き、海外進出にも積極的で、めざましい成長を遂げている。就活生の人気も高い。
私のような平凡人間がこんな大企業に新卒採用されたことは、たぐいまれなる幸運だろう。つまり、この会社に入社した時点で、私は運を使い果たしているのだ。
高嶺の花に恋をしたところで、成就できるべくもない。
だけど私は、最後のチャンスに懸けることにした。これで駄目だったら、もはや打つ手はない。つらいけど、この恋は私の身の丈に合わなかったということで、自ら幕を引くしかないだろう。
「本多さん、これ今週分の経費請求書です。それからギザ七十スムースの大ロットを近々出荷する予定ですので、倉庫管理部に手配をお願いできますか?」
「はい、わかりました」
今日も高柳さんから仕事を受け取る。いつも変わらない優しい笑顔に、耳にじわりと残る低い声。そして見飽きることのない素敵なお顔。
……こうやって毎日高柳さんと顔を合わせて、ほんの少し会話ができるところは、二課の営業事務という立場ならではの利点だろう。ただし仕事の話しかできない。当たり前だけど、他の営業さんを相手にする時とまったく同じやりとりである。
正直、ちょっとくらい世間話をしても罰は当たらないと思うのだ。しかし、私は徹底して仕事にプライベートを持ち込まないようにしている。というのも、入社してほどなく鉄壁部隊……もとい取り巻きの皆様に呼び出されてしまったことがあるのだ。
「同じ課だからって調子に乗るんじゃないよ。仕事中に色目なんか使ったら、すぐあんたの上司に報告して、会社にいられなくしてやるからね」
はっきり言って脅しだった。新人相手に大人げない人たちである。だが、その頃の私はまだ高柳さんに恋していなかったので「わかりましたー」と適当に返事をしておいた。
それからしばらくの間、一課の取り巻きの方々から鬼のような目で監視されていたけれど、本当に仕事上のやりとりしかしない私を見て、彼女らも安心したらしい。だんだんと敵視されることもなくなって、私は今の平穏な会社生活を手に入れた。
けれど、もし仕事中に高柳さんを誘うような真似をすれば、一転して立場が悪くなるであろうことは想像に難くない。それに彼女らのことがなくても、仕事中に浮ついた話はできなかった。高柳さんは優しい人だけど、同時にとても真面目な人なのだ。彼を落胆させるような真似は絶対できない。
つまり、社内で彼を誘うことは無理だった。昼休みはあんな状態だし、出退社時もまったく話しかけられない。
そんな私に大きなチャンスが訪れた。
今日は営業部の壮行会がある。二課の営業マンが支社へ異動することになったため、営業部だけで飲み会を行う。他部署の人間が参加するのは禁止されているので、今回こそ高柳さんとお話しできるかもしれないのだ。
鉄壁部隊のメンバーである一課の先輩たちがちょっと怖い……でも、そんなの怖がっていたら勝負なんかできない。仕事中ならともかく、飲み会での行動にまでケチをつけられるいわれはない。
――私は今宵、高柳さんを誘って口説いてみせるのだ。
仕事が終わった後、ロッカールームで念入りに化粧を直し、髪の毛をヘアアイロンで巻く。服装は控えめなビジューのついた萌黄色のニットアンサンブルに、膝下丈の白いフレアスカート。仕事場では会社規定の事務服を着ているので、今日は高柳さんに私服を披露するまたとないチャンスだ。
昨日は必死に爪を磨いた上、サンゴと白の二色を使ってネイルを仕上げた。靴はスカートの色と合わせた白のパンプス。ストッキングに伝線はない。うん、完璧だ。
ロッカールームを後にして、ポケットから取り出したのは、二つ折りにしたメモ用紙。
飲み会で堂々と高柳さんに声をかけるつもりはない。彼の隣は一課の先輩たちが陣取って、周りを牽制しているだろう。昼食時と変わらず、まともに話しかけることすらできないはずだ。
でも会社の飲み会となれば、お酌して回ったり他の社員や上司と話したりと、彼女らも高柳さんにつきっきりというわけにはいかない。つまり必ずスキが生まれる。
私はそのチャンスを虎視眈々と待ち、メモ用紙を高柳さんのポケットに忍ばせるのだ。
メモには宴会の後に飲み直しませんかというお誘いの文句と、お店の場所が書いてある。飲み会の会場から歩いて五分のバーだけど、横道にそれたところにあるから目立たない。
一度下見に行って、店内の雰囲気やメニューも確認した。御曹司を誘うにはちょっと地味なお店かもしれないけど、落ち着いた雰囲気だしテーブル席もあるので、ゆっくり話をするのに向いている。あそこなら、口説くのに最適だろう。
幸いなことに、高柳さんは私を知っている。毎日仕事で顔を合わせているのだから当然だ。つまり、名前も知らない相手に誘われるより警戒心は薄いはず。これで彼が来なかったら、それは振られたも同然ということだ。潔く諦めよう。
私はぐっとお腹に力を入れて、意気揚々と戦場に赴いたのだった。
……それなのに、どうしてこうなるの?
がっくりと肩を落として、宴会会場の端っこでビールを飲む。そんな私の隣では、江美さんが気だるそうに枝豆を摘まんでいた。
何で営業部の飲み会に総務部の江美さんがいるのか。それは営業部の壮行会が急遽、総務部との合同宴会になったからだ。
総務部の飲み会とたまたま会場が同じで、しかも隣同士の大部屋だった。それなら一緒に飲み会したほうが盛り上がりますよ、と上層部が余計なことを言ったせいで、大部屋の仕切りが外されてしまったのだ。
当然、高柳さんの周りは秘書課と営業部一課の取り巻きたちがガッチリ固めている。我々のような木っ端女は、彼女らに睨まれて近づくことすらできない。皆、端々で悔しげに酒を呷るのみだ。
「何だろね、あの人たち。高柳君のSPでも気取ってるのかな」
「あー、何か納得です。あれで黒服黒サングラスだったら、完全にSPですよね」
「当の高柳君はどう思ってるんだろ。鬱陶しいって思わないのかな~」
二人で枝豆を摘まみながら、遥か遠くにいる高柳さんを見つめる。彼は今日もニコニコと穏やかな笑みを浮かべていて、取り巻きたちからかわるがわるお酌されていた。
「普通、モテる男は同性から顰蹙を買うものだけど、あそこまでがっちり取り巻かれると、かえって同情されそうだよね」
「そうですね。それにしても、はぁ……」
げんなりしてため息をつく。今日こそ勝負しようと、はりきってお洒落したのにな。
私の心中を察したのか、江美さんが笑って自分のグラスを私のグラスにカチンと当ててくる。
「そう落ち込むなって。今日の天音は可愛いよ」
「ありがとうございますー」
「気合入れたんだねぇ、ホントに高柳君が好きなんだねぇ」
「うん……。でも、やっぱり私にとっては高嶺の花なんでしょうね」
シンデレラなんて簡単になれるものじゃない。それはわかっていたけど、ここまで手が届かないと虚しさが募る。きっと私だけじゃなく、多くの人たちがそう思っているのだろう。
高柳さんは結局、あの取り巻きの中から恋人を選ぶのかな。悔しいけど彼女らは美人だから、私よりもずっとシンデレラになれる確率が高いのかもしれない。
残り少なくなったビールをぐぐっと飲み込む。すると私の隣に、誰かがドッカリと座ってきた。あまりの遠慮のなさに嫌な予感がしつつ横を向くと、そこにいたのは赤ら顔をしたオジサン……もとい、営業部三課の伍島課長だった。
「おう、飲んでるかね、本多君!」
「は、はぁ……。まぁ、それなりに」
彼が喋ると辺りが一気に酒くさくなり、私は頭が痛くなった。さりげなく彼から顔をそむけると、江美さんはすでに明後日のほうを向いてお酒を飲んでいる。本気で関わりたくないのだろう。
伍島課長は営業部の中で一番嫌われていると言っても過言ではない。何せその口から発せられる言葉の多くがセクハラに該当するし、嫌味も多い。仕事の指示も要領を得ない上、言い方が常に偉そうなのだ。
私も伍島課長は苦手だった。私は三課ではなく二課の事務だというのに、半年ほど前からやたらと話しかけてくる。はっきり言って、困り果てていた。
「いやあ、本多君は新しい仕事を任されて、いつも忙しそうだね。しかしそれだけ営業事務として期待されているということなのだから、より一層励むようにな」
「ありがとう……ございます。頑張ります」
はは、と軽く笑っていると、彼がこれみよがしに空になったグラスをクイクイ上下させた。ビールを注げということらしい。非常にめんどくさいけど、これも仕事みたいなものだろう。
私はトホホと思いながらビールを注ぐ。早く飲んで早く酔っぱらって早く潰れていただきたい。
「君みたいに若い娘は、励むものが色々あって大変だなあ」
「はぁ、色々……ですか?」
「日中は仕事だろうが、夜にも励むものがあるだろう?」
「……」
げらげら笑う課長の横で、げんなりしつつ頭を抱える。
隣では江美さんも額に手を当てていた。あからさまな下ネタに頭痛を感じているのだろう。
「ご、伍島課長はずいぶんと酔っていらっしゃいますね。何かいいことでもあったんですか?」
必殺・話題そらしでセクハラを回避する。
彼はぐびぐびとビールを飲み、ぶはぁと息を吐いた。
「君が仕事を真面目にしてくれているだけで、私にはたくさんいいことが起きるんだよ」
何だそれは。意味がわからない。私は二課の仕事をしているだけだし、三課の課長が得をする理由なんてないと思うけど。それとも営業部全体の話をしているのかな? 酔っ払いとの会話は成立しないことが多いから、非常に疲れる。
「今月もよろしく頼むよ~。ウチの阪上から仕事を回すからねえ」
「あぁ……エコ業務のことですね。わかりました」
阪上さんというのは、三課の営業事務をしている女性だ。こんなオジサンの下についているのに文句一つ言わない、とても真面目な社員さんである。
半年前から私はエコロジーに関する仕事を一つ任されていて、その書類は伍島課長や阪上さんを経由し、毎月私に回ってくる。彼がやたらと絡んでくるようになったのは、私がその仕事を任されてからだ。
もしかするとエコ業務に関することで、伍島課長は上に褒められたのかもしれない。どうして書類を回すだけの彼が褒められて、実際に仕事している私が褒められないのか非常に気になるところだけど、それが会社というものなのだろう。
何にしても、今日は色々とさんざんだ。せっかく考えた計画はおじゃんになるし、挙句の果てには伍島課長にお酌を強要されるし……。これはもうトコトン飲むしかないと、半ばヤケになった私は、店員さんにおかわりを頼むのだった。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている
と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている
と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。