聖女の母と呼ばないで

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閉じられた扉の向こうの足音が遠ざかると、「ふぇー」と、情けない息を吐きながら、遙香はソファにぐったりともたれかかった。

そのまま天井を仰ぎ見る。


「なんだ、あれ?」


遙香の独り言は、アルベルトに拾われた。

「わざと、だろ。」

「え!?どういうこと?」

遙香が、がばっとからだを起こして聞き返す。

アルベルトは、遙香の問いには答えないまま、壁際に静かに寄っていき、耳をすませている。


微かにパタパタと足音が聞こえたかと思うと、部屋のドアが勢いよく開いた。

「ハルカ様!」

予想通りのリンジーの登場に、遙香は苦笑する。

「今のは、イザベルに怒られるレベルだと思うよ。」

遙香は、入ってきたリンジーを見ながら言った。

しかし、そのリンジーの後ろから、音は立てずに急いだ様子のイザベルが入室するのを見て、遙香は、何かあったのか、と、僅かに緊張する。

イザベルは、遙香の顔を見るなり言った。

「ハルカ様、本邸からヴァッハヴェル公爵家執事、フェリックス様がお見えです。」


「フォンさんの言っていた、代わりの人かな?」

遙香は、アルベルトに聞く。

「それは、「明日以降」と言っていた。別件だろう。」

アルベルトは首を振る。


「フェリックス様は、旦那様からのご用件でお越しです。」

「旦那様って、フォンさんのお父さんのこと?」

イザベルの言葉に、遙香が尋ねた。

「はい。現ヴァッハヴェル公爵閣下です。」

「行かないとまずい?」

「はい、大変「まずい」です。」


はぁ、と、息を吐くと、遙香は立ち上がった。

「リンジー、何の件で来られたか予想できる?」

遙香の問いに、リンジーは申し訳なさそうな顔をして言った。

「全く予想できません。」

「わかった。イザベル、お願い、サロンに案内して。アルベルトは、一緒に来て。」

遙香はそう言うと、突然の来客に会うためサロンに向かった。











**************************************

イザベルに案内されたのは、暖色系で統一されたサロンだった。
春めいた色の調度品に囲まれて、かっちりと黒のスーツを着た、長身で細身の男性が立っていた。

遙香がサロンに入ると、その男性は、綺麗な姿勢を保ったまま、僅かに頭を下げた。

遙香も会釈をする。

「お待たせして申し訳ありませんでした。」

「いえ、突然の訪問にもかかわらず、お時間を頂きまして恐縮です。ヴァッハヴェル公爵家の執事をしておりますフェリックスと申します。お見知りおきを。」

さすが、公爵家の執事といった、落ち着きのある丁寧な話し方だった。


「小林 遙香です。別邸に滞在させていただいているのに、これまでご挨拶もせずにすみません。」

「特別な事情は伺っておりますので、どうかお気になさらず。」

フェリックスは、「座りましょうか。」と言って、遙香をソファへ促した。チラッとアルベルトを伺うと、小さく頷くのが見えた。
遙香とフェリックスが対面になるように座ると、イザベルが、タイミングを見計らったかのようにお茶を配る。心なしか、普段より緊張しているように見えた。


「あの、私はまだこの国のことに疎く、失礼をしてしまうことがあるかもしれません。」

遙香は、先にフェリックスに断りを入れた。

「ハルカ様は当家のお客人ですので、この場では、そのように難しく考えずともよろしいのですよ。もし、隣にイザベルや護衛のシェリスフォード様がいた方が安心されるのであれば、同席してもらっても構いません。」

フェリックスは、そう遙香に提案する。

遙香がイザベルを見ると、口を結んで難しい顔をしている。「上司と同じ席につくのは、ハードルが高いよね。」と、遙香は思い直した。

そして、後ろのアルベルトを振り返り、

「ごめん、一緒に聞いてくれる?」

と声をかけた。


アルベルトは、フェリックスに目礼してから遙香の側のソファに腰を掛けた。


「本日は、急ぎ旦那様からのお手紙をお渡しするために参りました。」

フェリックスは、胸元から白い封筒を取り出し、遙香の前に差し出した。封筒の表には、日本語で「コバヤシ・ハルカ 殿」と書かれている。

遙香は、封筒を受け取り裏に返した。差出人の名はなく、代わりに封蝋に羽ばたく鳥の形をした印璽が押されていた。


「旦那様とは、ヴァッハヴェル公爵のことで間違いないでしょうか?」

印璽の模様では差出人がわからない遙香は、あえて口に出して質問した。

「そのとおりです。現当主のディードリヒ・ヴァッハヴェル公爵からのお手紙となります。旦那様からは、お返事を頂いてくるように申しつかっております。」

フェリックスは、そう言って、遙香に封筒の開封を促した。


「では、このまま読ませていただきます。」

遙香は、浮き彫りがされた美しい封筒の隙間に指を入れ、開封した。

中には二つ折りされたカードが1枚入っていた。封筒と同じ浮き彫りの入ったカードには、丁寧な日本語で言葉が書かれていた。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ハルカ 殿


すぐに、挨拶できず申し訳なかった。

愚息に任せていたが、生活は問題ないだろうか。

本日、フェリックスを遣いにやったのは、

丁度みごろを迎える花を一緒にと思ったのだ。

にわで、お茶でもどうだろうか。

    都合を言付けて欲しい。


      ディードリヒ・ヴァッハヴェル
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~










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