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最後の賭け
最後の賭け(4)
「そうかぁ……けっこう難儀しとるんやなぁ、きみ。しかもその彼を連れて帰られへんかったら、実家の料亭を継ぐことになるん?」
「そうなんですぅぅっ! そうなったらぁのんの人生詰みですわぁ」
口から「あはは」と乾いた笑いが漏れた。
そんなん一周回って笑えるわ。恋も人生も、すべての“賭け”に惨敗やなんて。
思わずカウンターに突っ伏した――のだけど、聞こえたセリフに弾かれるように顔を上げた。
「それなら僕にせぇへん?」
「はっ 」
「今日バッタリ会うたんは偶然やない。きっと運命や」
「はっ⁉」
こんチャラ坊々がっ!
お生憎さま。こちとら、そげん使い回しのセリフでコロッと行くような安か女じゃなかたい!
仕事相手だということをすっかり忘れて思い切り睨んだのに、彼はまったく気にも留めずあたしに言った。
「僕らピッタリやと思わへん?」
「はぁ……」
「僕、自分で言うのもなんやけど、それなりの家の息子やろ? ゆくゆくは会社の運営にかかわるポジションに就く。てことは、僕と結婚したら女将にならんで済むんとちゃう、希々花ちゃん?」
なんて売り込み上手な……さすが営業部長。
何を言っても言葉巧みに“ボンボン”を売りつけられそうで、あたしは敢えて何も言わずグラスに口をつける。
相槌ひとつ打たないあたしに気を悪くすることなく、彼は言った。
「それにきみもピッタリやわ」
「何が」と視線だけ向ける。
「僕の奥さん」
「ぶっ、」
うっかりビールを噴きかけた。思い切り睨みつけながら横を向くと、人好きのする笑顔。
「冗談ちゃうで? 最初に会うた時から可愛いな思うとったし。もちろん見た目だけやなくて、物怖じせんとことか、見てないようで結構しっかり見てるとことか」
意外。
チャラ坊がそんなふうにあたしのことを思っていたなんて。
この男、ただの御曹司ではないのかも。
言われ慣れない賛辞に戸惑いつつも、決して悪い気はしない。
不本意だけどこの男、会話がひどく巧み。口説かれるのは迷惑なのに、なぜか怒りを削がれてしまう。
その隙を逃さないとばかり、敏腕営業マンは畳みかけてきた。
「君みたいな子に奥さんになってもろうたら、僕も会社も安泰や。社長夫人は無理やけど、専務夫人は保証するで?自分を一番にしてくれへんようなヤツのことはもう忘れて、自分が幸せになれるほうに目を向けたらどうやろ?」
「自分が幸せになれる……」
「そうや。よく言うやろ? 恋でできた傷を癒すには新しい恋やって」
「新しい恋……」
その単語が頭の奥に引っかかって、あたしは口を閉じた。
「希々花ちゃん――僕と“賭け”をしよ」
突然そう言い出した黒田太牙は、あたしが黙っているのをいいことに、矢継ぎ早に言葉を繋げる。
「タイムリミットまでに彼が迎えに来たらきみの勝ち。来ぉへんかったり間に合わへんかったら僕の勝ちや。タイムリミットは……そうやな、ここを出るまでにしとこか」
なにを勝手に、と口を挟もうとしたところで、聞こえた言葉に耳を疑った。
「あ、ちなみに君と僕が一緒やってこと、結城課長にちゃんと連絡しといたさかい安心してな」
「はっ、なんで!?」」
「なんでって。賭けの対象やからに決まっとるやんか。彼やろ? 君の想い人」
「えっ! いったい、いつから知って……」
「そんなん最初に会うた時のきみの顔見たらすぐに分かったわ」
ぐぅっと喉が鳴った。
昨日あの一瞬であたしの気持ちがバレてたとは。なんたる不覚。
苦虫を嚙み潰したみたいな顔になったあたしを見て、黒田太牙はそれまで浮かべていた笑顔をふっと消した。
「僕が“賭け”に勝ったら、僕と付き合うてほしい」
今までとは打って変わった真剣な表情に、心臓がドキッと音を立てた。
これまでの軽快なトークの中に織り交ぜた口説き文句じゃない。真っ向から向けられる熱を孕んだ瞳に、胸の内がざわざわと落ち着かなくなる。
「あたし帰る」
こんなバカバカしい賭けになんて付き合っていられない。
そもそも課長は今、静さんと客先に向かっている頃。
仮に黒田太牙からのメールに気付いたとしても、ここに来ることなんて出来っこないのだ。
飲みかけのグラスをそのままに、スツールから立ち上がる。
すると「待って」と伸びてきた手に腕を掴まれた。
「離して」
「今帰ったらきみの負け。僕との『結婚を前提とした交際』を認めるっちゅうことやねんで、希々花ちゃん」
「なっ! あたしはそんな賭けなんて、」
「その代わり、負けたらきみのことはスパッと諦める。正直に言うとな、僕も困っとるんよ。縁談はあちこちから持ち込まれるし、実の兄からは耳にタコができるほど見合い結婚の惚気話を聞かされるわで」
そんなん知らんばい!
「だからきみの話を聞いて『これは運命や』と思った。こんなに境遇が似た者もおらん。僕ときみ、一緒になるんがお互いが幸せになれる近道やろ」
そう言うと、いきなり腕を強く引かれる。体が傾いて「わっ」と声を上げた次の瞬間には、あたしは黒田太牙に抱きしめられていた。
「ちょっ…! 離してっ!」
いくら藻掻いてみても、全然腕がゆるまない。
スツールに座ったままの黒田太牙は、腕だけでなく、両脚でもあたしを挟み込んで動きを封じている。こっちは立っているというのに全然ビクともしない。
こんな時に限ってバーテンダーはどっかに行っちゃってるし、ほかの客も全然通らない。
こいつ、一発殴ってやろうか。
うっかり取引先の相手だということを忘れ、こぶしを握り締めた時。
「あんなしんどそうな顔させるやなんて、同じ男としてどうかと思うわ。稼ぎのいい男なら僕だって負けとらん。結婚すればできる限り贅沢させたるし、実家の料亭のこともなんとかしたる。やから、自分こと一番にしてくれへんようなろくでなしは忘れて、僕と――」
「課長はろくでなしじゃなかっ!」
そう叫びながら目の前の体を両手でめいっぱい突き離した。
体が離れた反動でよろめいた足に力を込め、目の前の相手を睨めつけながら口を開く。
「あんたみたいなチャラ坊々に何が分っとね! あん人は、ヘタレで腹黒でニブチンの片想い拗らせ男やけど、人の気持ちが分らんようなろくでなしやなか! よう知らんとそげんこと言わんどって! 」
相当の剣幕で言ったにもかかわらず、黒田太牙は怒るどころか「くくっ」と笑う。
こっちが真剣に言っているのにバカにされたのだとカチンときたあたしは、さっきよりもさらに声を張り上げた。
「あたしはエリートやから彼を好きになったんじゃなかとっ! たとえ離島に左遷されて貧乏になってもあたしの気持ちは変わったりせんし、この先何があってもあたしが好きなんはずっと彼だけたい……新しい恋なんかいらんっ!」
言い終わってあたしが肩で息をついていると。
「ああ、噂をすれば影っちゅうヤツやな」
そう呟いた黒田太牙の視線が、あたしを通り越した向こう側に。
「ヘタレヒーローのお出ましや」
あたしは弾かれるように振り返った。
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