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5・オンとオフ
どんな顔も可愛い
しおりを挟む千紗子が夕飯の準備をしている間に、雨宮が入浴を済ませ、その後は夕飯を食べた。そして夕飯の片づけは雨宮が買って出たので、千紗子はその間に入浴を済ませた。
こうして雨宮の家に世話になってまだ二日ほどなのに、既に二人暮らしのペースが整いつつあることが、千紗子は不思議でならなかった。
(裕也との同棲スタートは、こんなにスムーズに行かなかったのにな……)
同棲し始めたのが、お互いが社会人になって割とすぐだったから、仕事にも同棲生活にも慣れなれずに四苦八苦した記憶が千紗子にはある。
もっとも四苦八苦したのは自分だけだったのかもしれない。
裕也は仕事から帰ってくると、自分のペースで風呂に入ったり食事を取った後は、テレビを見たり本を読んだり、とどこまでもマイペースに動いていた。千紗子はそんな彼に合わせる形でせっせと家事もこなしていたので、最初の頃はかなり疲れた記憶があった。
(正直、もう少し仕事に慣れてから一緒に暮らし始めれば良かったかも、と思ったこともあったわね……)
裕也の世話を焼くこと自体は苦ではなかったのだけれど、自分自身も新人として覚えなければならないことが山のように有って、時間がいくらあっても足りないような時期だったのだ。
結局頑張り過ぎた千紗子は熱を出して数日間寝込んでしまい、その時になってやっと彼女に甘え過ぎていたことに気付いた裕也が、少し家のことをするようになって、何とか乗り切ることが出来たのだ。
それもだんだんと減っていって、最近ではすっかり無くなってしまっていたのだけれど。
(雨宮さんもきっと、私に気を遣ってくれてるだけよね……)
もしもこのままずっと一緒に暮らしていたら、彼もだんだんと何もしなくなるのかもしれない、と思ってしまう。
(―――て、なんで『このままずっと一緒に』なんて想像してるのかしら!?そんなことは有り得ないわ……)
頭を左右に振って、馬鹿げた考えを追い払う。
すると、バリトンの声がすぐ耳の横の空気を震わせた。
「千紗子の百面相は、ものすごく可愛いな」
「あっ、雨宮さん!!」
いつの間にか隣に雨宮がいた。しかもベッドの縁に腰かけている千紗子のすぐ側に立っている。
千紗子は寝室には自分一人っきりだと思っていたから、思う存分思考に耽っていたのに、それを見られたことが気恥ずかしくて気まずい。
(書斎で仕事をするって言ってたのに…いつのまに!?)
「先に寝てていい、って言っておいただろ?」
腰を屈ませて千紗子の顔に口元を寄せている雨宮の低い声と共に、吐息が千紗子の耳に当たる。
その度に千紗子の肩がピクリと跳ねるのを、雨宮は気付いているはずなのに、そこは追及してこない。
(絶対分かってやってるんだわ)
からかわれたと思った千紗子は気恥ずかしさも手伝って、雨宮を‟キッ”と上目使いに睨む。
「可愛くなんて、ありません」
「ああ、その顔も可愛いな。千紗子は俺を誘惑してるの?」
「ゆ、誘惑っ!?そんなことはしてません!!!」
慌てる千紗子を見た雨宮は小さくクスリと笑う。
「そうか?それは残念だな。でもそんなふうに千紗子の新しい顔を見る度に俺は嬉しくなるし、君をもっと知りたいと思う」
楽しげに微笑みながらそう口にする雨宮だが、からかっているふうではなく、彼の瞳は真っ直ぐ真摯に千紗子を見つめている。
ジッと見つめられると、その瞳に吸い込まれてしまいそうになって、千紗子は慌てて彼の瞳から視線を逸らした。
雨宮の視線が自分に向けられているのを感じながら、千紗子は無言で俯いていた。
(私に可愛げがあったなら、婚約者によそ見をさせることなんてなかったはずだわ……)
千紗子の胸に、針が差したような痛みが走った。
「誰がどんなふうに言ったとしても、千紗子は可愛いよ。俺には千紗子のどんな顔もどんな台詞も、すべてが魅力的に映るんだ」
その言葉に千紗子の胸が締め付けられる。
雨宮から目を逸らしている千紗子には、彼が今どんな表情をしているのか見えないけれど、その声は穏やかで優しく、そして切なげな声色を隠そうともしていない。
(どうしてそんなことを言うの……)
ギュッと固く瞳を閉じて、彼の甘い雰囲気から逃れようとするけれど、このベッドルームの持ち主は雨宮で、千紗子は今その彼と二人っきりなのだ。当たり前だけれど、目の前の彼から逃れることはできない。
(私は、雨宮さんの気持ちに応えることなんて考えられない……)
雨宮から顔を逸らしてたまま、千紗子は何も言うことが出来なくなる。
少しの間、気まずい静寂がベッドルームに満ちていた。
突然千紗子の頭に大きな手が置かれた。
「ごめんな。千紗子を困らせるつもりじゃなかった」
柔らかな声と共に、頭の上の手が遠慮気味に千紗子を撫でる。
「もう寝よう。明日は日曜日だからきっと忙しい」
あやすような口調でそう言いながら、千紗子の頭の上でポンっと軽く跳ねた後、雨宮の手が離れて行った。
その時なぜか、千紗子の中にその温もりを追いかけたい気持ちが一瞬だけ湧き上がったけれど、これからまた彼と同じベッドで寝るのだという緊張感の方が上回って、一瞬生まれたその感情を深追いすることはなかった。
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