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第ニ話【ひんやりさっぱり梅ゼリー】こぼれる想いはジュレで固めて

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「美寧ちゃん、どうかしたのかい?ボーっとして」

「えっ、あっ、すみませんっ」

美寧は手に持っていた丸いトレーから慌てて水をカウンターに座る客の前に置く。

「俺はいつものな」

「美寧ちゃん、わしも」

「はい! マスター、ブレンド・ホットふたつです」

美寧は自分がアルバイトの最中だということを思い出した。
うっかり他のことに気を取られていると、きっとまたとんでもない失敗をしてしまう。

ここで働き始めて二週間。
仕事にも少しずつだけど慣れてきて、最初のような酷い失敗は減ったけれど、それでもマスターや常連さんには迷惑を掛けることが多い。少しでも失敗をせずお店の役に立ちたいと日々思っている美寧は、今は仕事に集中しようと、気を引き締めた。

美寧がアルバイトに通う【カフェ ラプワール】は、怜の家から五分ほどの場所にあり、商店街の一番端の路地を入ったところにある小さな喫茶店だ。

そんなラプワールはあまり目立たない場所にあるけれど、近所の人や商店街に来るお客さん達に愛されていて、小さな店ながらも客足が途絶えることがあまりなく、毎日それなりに忙しい。

実は美寧。生まれてこの方“仕事”というものをしたことがなかったのだ。
それは“外で働く”ということだけでなく、“家で働く”すなわち“家事”さえしたことがない、ということ。
二十一年間生きてきて、この数週間に初めてのことを幾つも体験している。

そんな美寧なので、当たり前だけどこの二週間失敗だらけだった。
カップやお皿を割ったことは両手に入らないほどだし、それどころか最初のころはカップからコーヒーをこぼさずに置くことすら儘ならなかったのだ。

そんな美寧に、ラプワールのマスターは少しも怒ることなく何度も丁寧に教えてくれる。マスターだけでなく常連のお客さん達も、美寧のことを温かく見守ってくれる毎日なのだ。

「お待たせしました、ブレンド・ホットです」

そっとカウンターにコーヒーを置く。ソーサーがカチンと音を立てたが、中身をこぼさずに置くことが出来た。

「ありがとう、美寧ちゃん。だいぶん上達したんじゃないかい?」

「本当ですか!?ありがとうございます」

はにかんだ笑顔でお礼を言う美寧に、常連客の田中は目を細める。

「そうだよぅ、給仕さんのお仕着せも随分板に付いたじゃないか」

頷きながらそう言うのはもう一人の常連、柴田だ。隣に座わる田中が「給仕さんって、古いんだよ。今はウェイトレスって言うだろう」と突っ込んでいる。

美寧は今、黒いワンピースの上から白いエプロンを身に着けている。七分袖で膝丈のフレアスカートの黒いワンピースは可愛らしい上に、意外と動きやすい。その上から肩口にフリルが付いたレトロな白いエプロンを羽織っているので、たしかに柴田の『給仕さん』という言い回しがピッタリくる。

【カフェ ラプワール】にはそもそも制服と言うものはない。小さな店なのでずっとマスターが一人で切り盛りしていた。そこにある日突然アルバイトに入った美寧の為に、奥さんが用意してくれたのだ。

ちなみにマスターは、だいたい半袖のポロシャツやリネンシャツとジーンズの上から黒いエプロンを着けているだけで、制服を着ているのは美寧だけだ。

常連二人の遣り取りに笑っている美寧を、カウンターの奥からマスターがホッとした顔で見ていた。

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