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さようなら、我が家。

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アナスタシアが小さな両腕を大きく広げると、日本の、私の家の中にあるものがふわっとスクリーン上に現れた。

「わ」

私の持ち物がランダムにスクリーン上に現れる。
「あ、アイテムモードじゃなくて部屋モードにもできますよ! 時間がかかっちゃいますけど、…」

「部屋モードでお願いします……」

なんというか、妙な恥ずかしさがあるな。
でも、まずは服だとか食料だとかこちらの世界で使えそうなものをピックアップしなくては……!
私は張り切ってタスクに取り掛かった。


が。


本当に私たちの世界にあるものでこちらの世界に持って行けるものは少ないのだ。
たとえば服はほぼ全滅だった。ストレッチ素材が引っかかるみたい。大体混紡なんだよね。
特に下着。

コットン100%のシャツが何枚かあったのだけれど、ボタンがプラスチックでダメ出しが出そうになった。
ボタンを全部とっておいていくから……!と主張して急遽座り込んでボタンをとるはめになった。

でも意外な服が生き残った。何年前にきたのかわからないけど浴衣。でも帯はダメ。
実家の納戸から取ってきたエルメスのスカーフなんてのもあった。もとは母のものだ。あの人はバブルを経験していたんだなって感じで、実家の納戸にはブランド品と百均のガラクタが混在してた。
何度か断捨離を手伝おうとして逆ギレされたんだけど、結果として自分では絶対買えない高級品をいくつかゲットしたのでしっかり恩恵は受けている。
祖母の形見のスーツ。
ウール100%だからだね。
同じく祖母が縫ってくれたブラウス。20代の頃には一度も袖を通さなかったけれどシルク100%でボタンも貝製だった。

両親の仲が悪くて、専業主婦の母が息苦しくて、中学生のころ、私はしょっちゅう祖母の家に入り浸っていた。祖母は洋服の仕立てとお直しをしていた人で、その頃はもうあまり仕事はしていなかったのだけれど、昔からのお得意さんが持ち込んでくる仕立ての依頼やお直しの依頼にだけは応えていた。

「あ、裁縫箱」


私が大学を卒業する時、祖母が裁縫箱をくれたのだ。その時はそのありがたさがわからなかったけれど、多分これはこれから先の世界で役に立つ。あの後、時々思い付いては色々買い足していたから結構充実した裁縫箱なのだ。

「持っていけないものがある?」

聞くと、アナスタシアが申し訳なさそうに頷いた。私の記憶は筒抜けなんだろう。

「これと、これは……だめですね……」

彼女が手を振ると、プラスチック製品や化繊の糸が裁縫箱から消えた。あー、糸通しも消えちゃった。持ち手の部分がプラスチックだったからな。金属のを買えばよかった。それでも全て金属製の裁ち鋏と刺繍鋏は残った。どちらも祖母とお揃いのものだった。嬉しい。
それから祖母がどっさりくれた貝ボタン。ガラスビーズ。仕事を辞める時に色々くれたのだ。


「量は心配しないでください。新しい家……というか、小屋みたいなものですけど……そっちに直接送りますから」

キッチンにも色々と使えるものがあったけれど、調理機器はほぼ全滅だった。テフロン加工のものばかり買っていた過去の自分を小一時間問い詰めたい……。包丁は大丈夫。プラスチック製のまな板はダメだったけど木製のチーズボードは大丈夫。食材も一週間分ぐらいはありそう。

おひとりさま生活が長かったこともあって、私は割とひとり遊びが好きだった。今週末は友人からもらったぽんかんを使ってマーマレードを作るつもりだったのだ。ということで大量のぽんかんと、砂糖がある。
持つべきものは愛媛のポンカン農家育ちの友達だね!

小麦粉。残念ながらお米はほとんど残っていない。そろそろ買いに行くつもりだったのだ。食器類は大丈夫だったけれど、箸はダメだった。塗装がダメなのだと言われてちょっと泣きそうになった。菜箸は大丈夫だと言われたけれど、菜箸でご飯を食べるのは悲しい。持っていくけど。割り箸は大丈夫。木製の味噌汁椀も大丈夫。

食器用洗剤はダメ。でも、イタリア旅行のお土産に同僚が買ってきてくれた石鹸は大丈夫。

あ、それから姪っ子が箱根のお土産に買ってきてくれたカラクリ箱は(当然だけど)大丈夫だった。本はダメ。電子機器もだめ。クリスマスに友達がくれたアロマキャンドルは大丈夫。マッチはぎりぎりセーフ。多分消えものだから目こぼしされたんだと思う。

もう2度と手にすることがないのだろうと考えながら自宅にあったものを確認して行ったら突然悲しくなった。

あんまり自分の人生に未練はないと思っていたのだけれど、それでも私はここで確かに生きていたのだった。結婚もしなかったし、特にパッとした人生でもなかったけれど、お金がないならないなりに色々やりくりをして、小さな楽しみを見つけて生きていたんだ。
やりかけでたいしてものにはならなかったけど趣味も色々あった。


それなりに、がんばって、生きていたんだな。

最後の最後に自分の部屋を目に焼き付けようとゆっくりスクリーンを眺める。あまりものが減ったようには見えなかった。
時計も、カーテンも、気に入っていた読書灯も、何もかも、持っていけないんだ。
鼻の奥がツンとした。

アナスタシアの小さな手が私の手をそっと握った。

「あの、今選ぶのがつらいのだったら、大丈夫な素材のものはこちらで自動的により分けて新居に送りましょうか?」

さっきのシャツみたいに手を入れる必要があるものは無理なので無駄が出るかもしれませんけど……

ありがたい申し出だった。私は頷く。

「家の用意までありがとうございます」

お礼を言ったらアナスタシアの顔がくしゃっと歪んだ。


「ごめんなさい。こちらの世界の平均的なお家しか用意できないんです」

本当に申し訳なさそうな顔でこちらをみている小さな女神に、私はなぜか怒ることがどうしてもできなかった。

「大丈夫です。それなりに幸せになれそうな場所を選んでくれるのですよね」

「はい……。でも確実に幸せになるとは私にも言えないんです」

あー。そうだろうねえ。


「マリさんは、新しい人生で何をやりたいですか」
「とにかく普通に普通の幸せが欲しいです」
「ふ、普通の幸せですか……」
「結婚したいとかそういうのじゃなくて……」私は慌てて付け加えた。


そうではなくて……。

「そうではないんですか?」
アナスタシアは首をかしげる。
「そうですね」
私は苦笑した。

「結婚はしたくないんです。絶対」

結婚というものにほんの少しも幻想を持てないのは、子供の頃からだ。
両親のせいだ、というつもりはない。この年まで生きたら自分の選択は自分のものだ。親のせいだなんていうのはおかしい。
でも、あまり結婚を素敵なものだと思えないのだ。


「絶対……ですか」
「それよりも、安心して一人で暮らしたいです」

時々美味しいご飯を作って。つかずはなれずの友人を作って。
一人で面白いものや楽しいことをそれなりに探して。

一体それ以上の何がほしいと言えばいいのだろうか。
私は自分が何が欲しいのかよくわからなかった。
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