異世界転生騒動記

高見 梁川

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7巻

7-1

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 嵐が過ぎ去った――。
 コルネリアスで繰り広げられた、お互いの意地をけた息子バルドマゴットの決闘は、バルドの勝利で幕を閉じた。
『最強』という孤独こどく呪縛じゅばくから力尽ちからずくで解放してくれた愛する息子の胸にすがりついて、マゴットは少女のようにむせび泣いた。


 どれだけ時間が過ぎただろうか。
 ひとしきりいたマゴットとバルドは精もこんも尽き果てたように、ぐったりと意識を失った。
 余人よじんの介入を許さぬ人外の攻防が、二人の身体に与えた負担は大きかったのである。
 そのまま死んだように眠る二人を、半泣きのセイルーンが必死に介抱かいほうしたのは言うまでもない。
 丸一日眠り続けたバルドは意識を取り戻すと、セイルーンに泣きながら抱きつかれ、急を聞いて駆けつけたイグニスにゴツンと拳骨げんこつを落とされた。

「ふぎゃっ!」
「手加減しろとは言えんが……これは、子供を産んだばかりの母親に勝負を挑んだ落とし前だ」
「はい……」

 そう言われると、バルドも項垂うなだれてうなずくしかなかった。
 ――やはり母はとてつもなく強かった。
 獣人族の秘技ひぎである王門おうもんの解放からオーバーブースト、という力業ちからわざで勝ったバルドではあるが、マゴットが産後でなければ、あるいは二十代の全盛期であったら果たして勝てたかどうか。
 もちろん幼いころから母の理不尽りふじんに耐え続けてきたバルドとしては、彼女を乗り越えたことに対する感慨かんがいは深い。しかし同時に、改めて母の規格外ぶりを実感もするのだった。
 セイルーンに聞いたところでは、怪我けがの状態はバルドのほうがひどいらしく、マゴットは打撲だぼく程度で済んだそうだ。
 マゴットは数刻すうこくほどで目を覚まし、双子の弟妹ナイジェルとマルグリットの授乳じゅにゅうを果たしたという。
 それを聞いて、人知れず落ち込んだバルドであった。


「なんやなんや、随分ずいぶんボロボロやなあ」
「私たちを置いていったばつですわ」

 傷だらけのバルドに果物くだものきながら、セリーナとアガサは笑う。
 セイルーンとイグニスは、今はマゴットのほうに付き添っていた。
 本気で怒っているわけでないのは表情から明らかであったが、マゴットとの再会を急ぐバルドに置いていかれたことに対しては、少なからずねているらしい。
 普段クールなアガサも、最近ではバルドの前でそうしたの思いを隠さなくなった。

「悪かったよ。でも僕にとっては必要なことだったから……」

 マゴットはバルドにとって、いつか乗り越えなければならないかべだった。
 そして『マルグリット王女』の因縁いんねんを聞き出すために、いや、聞き出す資格を得るために、絶対に勝たなければならなかった。
 本当に奇跡きせき的なめぐり合わせだったと思う。
 王都キャメロンでの祝勝会の後、ノルトランド帝国に行かず直接マゴットのもとに戻っていれば、マゴットは決して口をることはなかっただろう。
 バルドがジーナに出会うこともなく、マゴットに勝利することもなかった。
 あのとき、セリーナの婚約者を名乗るエルンストが現れたのは、果たして本当に偶然だったのか。
 バルドは運命的なものを感じずにはいられなかった。
 といっても、まだマゴットから何も聞き出してはいないのだが。

「――何と言って切り出したらよいものか」

 バルドは一人つぶやいた。
 ジーナからすでに聞いている話を、またマゴットに語らせるのもおかしい話である。
 かといって、「ジーナの話は本当なのか?」「そうだ」で終わってしまうのも間抜けな気がした。

「ようやく目を覚ましたって? せっかく見直してやったのにだらしないねえ」

 つやつやと肌をかがやかせたマゴットが、マルグリットを抱きかかえて入室してきたのはそのときだった。
 心なしか、いつもの刺々とげとげしい笑みではなく優しい母親の笑みのように、バルドには感じられた。
 その後ろからナイジェルを抱いたセイルーンと、イグニスも姿を見せる。

「きゃっ!」

 突然、セイルーンのくちびるからつやめいた悲鳴がこぼれた。
 ナイジェルが乳を求めて、セイルーンの胸の敏感びんかんな部分にすがりついたのだ。

「ま、待って! わわわ、私はまだお乳は出ないというか……はうっ! そこはバルド様にも触らせたことないのにぃ……!」
「このとしで女泣かせとは、ナイジェルは父親に似たのかねえ……」
「な、なんのことかな?」

 ギロリとマゴットににらまれて、視線を彷徨さまよわせて冷や汗を流すイグニス。
 多少温厚おんこうになったからといって、マゴットはマゴットなのだ。怒らせたら死より恐ろしい制裁せいさいが待っている。
 お腹がいたらしいナイジェルに乳を吸わせるマゴットは、まさしく母親だった。
 どれだけ子供が愛しいのか、見ているバルドたちにもすぐにわかる慈愛じあいに満ちた視線と至福しふく微笑ほほえみ。
 おそらくはマゴットにとって、家族とはいつくしむよりもまず守らなければならないものだったのだろう。その強迫観念にも似た思いが、バルドとの勝負で取り払われた。
 きっとナイジェルは、あの拷問ごうもんじみた修業を経験しなくてもいいんだろうな、と思わず遠い目をしてしまうバルドであった。

「なあ、乳を吸われてどないやった?」
「明らかに感じてましたね」
「そ、そんなことありません! た、ただ、バルド様との間に子供が出来たらこんななのかな、と思ったら変な気分に……」

 れた林檎りんごのように真っ赤になってうつむくセイルーンの言葉に、セリーナとアガサもその将来図を思い浮かべずにはいられなかった。

「え、ええかも……」
「予行演習というものも必要ですよね」
「私もお乳が出ればいいのですけど……」
「もうやめない? この羞恥しゅうちプレイ!」

 バルドはさけんだ。どうしてマゴットの話が自分に降りかかってくるのか。
 ふん、と鼻で笑って、イグニスはいかにも年長の経験者らしく胸を張った。

「そもそもお前がいつまでも優柔不断ゆうじゅうふだんだからいかんのだ。好きならば後先を考えずに抱くくらいの情熱がだな……」
「ああん? もう一度言ってみろ、この軽薄発情男けいはくはつじょうおとこ!」

 マゴットが怒鳴どなると、イグニスの表情が一変する。

「……バルドよ、男にとってもっとも大事なのは誠実である、ということだ」
欠片かけらも説得力がありませんね」

 たまにこの世界のどこかには、自分の知らぬ兄妹がまだいるのではないか、という不安に駆られるバルドであった。
 実は先ごろの戦役で、バルドは父の戦友マティスから、往時おうじのイグニスの漁色家ぎょしょくかぶりを聞いている。
 まさに天然の釣り師で、街を歩けば女性の危機に出くわし、颯爽さっそうと女性を助けてはれられるのが日常茶飯事さはんじであったという。
 しかも女性の誘いは断らずに受けるのが礼儀で、それでも特定の関係にならない手管てくだはまるで魔法のようであったそうだ。
『キャメロンの赤い種馬たねうま』の異名は伊達だてではなかった。
 関係を持った女性の数は二けたどころか、下手をすれば三桁に達していても不思議ではない、とマティスは苦笑していた。

「これは奥方マゴットには内緒にしておいてやれ、男の情けだ」

 ちなみにマゴットにばれて清算させられたのは、そのうちの三割程度だとか。
 下手をすれば自分も父の二の舞になりかねない、とバルドは自戒じかいとともに、身を引き締めるのであった。
 もっとも、すでにセイルーン、セリーナ、アガサに続きシルク、レイチェル、そしてウラカという美女たちに想いを寄せられているのである。
 やはり種馬の子は種馬だった、と世間で評されているのを、幸いにもバルドはまだ知らずにいた。
 やがてお腹がいっぱいになったナイジェルはむずかりながらも、マルグリットと並んでバスケットのなかで眠りにつく。
 その様子を、マゴットをはじめとする女性陣は恍惚こうこつと眺めていた。
 いつの世も無垢むくな赤子は天使である。
 ナイジェルとマルグリットの天使の寝顔にいやされて、セイルーンたちは近い将来の現実に思いをせるのであった。


「――さて」

 その一言で、慈母の笑みを浮かべていたマゴットの雰囲気がガラリと変わった。幾多いくたの戦場を乗り越えた銀光マゴットのそれへ。

「バルドはすでに知っているが、私には秘密がある」

 低く落ちついた声は、まるで抜き身の剣を突きつけられているかのようだった。
 その迫力に、思わずセイルーンたちはごくりと生唾なまつばみ込む。

「私はその秘密をはかまで持っていくつもりだった。それは、私のせいで家族が傷つくことを絶対に許せなかったから。そして、この家族を命懸いのちがけで守り抜くとちかったからだ」

 だからマゴットは強くあらねばならなかった。
 バルドを強くきたえねばならなかった。

「私も歳を取ったのかね……馬鹿ばか息子から『一緒に守ってやる』なんて言われて、ちょいと心が揺れたのさ」

 くすぐったそうにマゴットが笑うと、張りつめた空気が何かやわらかいものにふわりと包まれた気がして、セイルーンたちはホッとため息を吐いた。
 イグニスが複雑そうな笑みを浮かべているのは、マゴットを解放したのが、誰よりもマゴットを守りたかったはずの自分ではなかったからだろう。
 同時にそれを成し遂げた息子バルドに対して、ほこりに近い感情も抱いていた。
 マゴットの実力と性格を誰より知るイグニスだからこそ、その困難を達成した偉大いだいさがわかるのだ。

(立派になりおって――父は……父はうれしいぞ! 後は早く孫の顔をっっ!)

 そんなことを考えるイグニスは、もしかしたら割と早くけるかもしれない。

「……バルドに知られたと思ったら、秘密を墓まで持っていくのも馬鹿らしくなってね。そう考えたら――」

 そう言ってマゴットはすみれ色の瞳を閉じた。
 脳裏に浮かぶ人々の顔は、いつも安らかに笑っている。
 うらめしい顔をされても当然なのに、彼らはいつも決まって笑顔だった。
 マゴットにとって、かけがえのない家族の姿である。

「このまま忘れられちまうのはさびしいって思ったのさ。私だって、せっかく出来た可愛い娘たちに忘れられたくないからね」
「お義母かあさまっ!」

 うれしさに涙ぐむセイルーンたちを見るかぎり、嫁姑よめしゅうとの争いは心配しなくてもよさそうである。
 もっともそんな事態になったら、バルドには到底止められないだろうが。

「母様……リーシャ義母様……そしてナイジェル兄様……みんな私が死んだら、誰からも忘れ去られてしまう。そんなことにも気づかないとは、私も若かったのかねえ」
「ナイ……ジェル?」

 突然出てきた息子の名前に、イグニスは思わずスヤスヤとまどろむ愛しい息子ナイジェルに視線を移した。

「ああ、ナイジェルの名前は、私の大事な大事な兄様からいただいたんだよ」

 そう言ってマゴットは過ぎ去った遠い昔を思い出す。
 まだ自分が幼く無垢であったころ。
 無条件の信頼を家族に寄せ、そこがどんなに危険で悪意に満ちた場所であるかを知らずにいたあのころ。
 ナイジェルはマゴットにとって、もっとも心の深い部分をゆだねられる相手だった。

「ナイジェル兄様の優しい声で、マルグリットと呼んでもらうのが好きだった」
「マルグリット……それがお前の本名なのか?」

 イグニスの問いかけに弱々しくマゴットは頷いた。
 覚悟していたとはいえ、それを認めてしまうことで、張りつめていた何かが壊れ、涙があふれそうだった。

「私の名はマルグリット・パザロフ・トリストヴィー。滅亡めつぼうしたトリストヴィー王国の第八王女と呼ばれていた」
「なっ!」

 イグニスもセイルーンたちも、想像だにしないマゴットの言葉に絶句する。
 ただ一人、すべてを承知しているバルドだけが顔色ひとつ変えず無言であった。

「――誰でもない、ここにいる家族に聞いてほしい。そしてその胸に覚えておいて欲しい。マルグリットという女と、今はいないもうひとつの家族の物語を」




 さかのぼること三十年。トリストヴィーには内憂ないゆうがあった。
 一見、王国は繁栄はんえい謳歌おうかしているように見える。
 王都ミリアーナには大陸中のモノが溢れ返り、人口は増え続け、今や大陸最大の国家であるアンサラー王国をも凌駕りょうがしようとしている。
 特に強力な海軍力と有力な商人たちによる輸送船団は、すでに大陸一かもしれなかった。
 国民の王室に対する支持は揺るぎなく、十年後には最強の国家になるとうわさされていたほどである。
 ところが、光あるところに影があるように、それを苦々にがにがしく思う勢力が存在した。
 トリストヴィー王国の支配層である貴族たちの一部は、有力商人や平民官僚に既得権きとくけんを奪われつつあった。
 国が豊かになり経済が発展するほど、金権主義が蔓延まんえんするのはどの国でも避けられない。
 そして次第しだいに既得権が金で売買されるようになり、財産を失って貴族が没落し、いつしか商人がよりもうけるために貴族が使役しえきされてしまう。
 そうして逆転した社会構造そのものを批判する貴族は、決して少なくなかったのである。
 その中心を成すのが、スフォルツァ公爵こうしゃくバティスタだった。
 王国でも最大の所領を持つスフォルツァ公爵は、先々代国王の孫で現国王の従兄弟いとこにあたる。
 さらに正妃として娘のベルティーナを国王ウンベルトに差し出しており、その影響力は非常に巨大なものであった。
 彼は貴族が経済を統制し、商人たちが資金力を背景に王国の既得権を売買することを禁じようと画策かくさくしていた。
 これに対し、すでに世の主流は平民にかたむきつつあることを自覚し、貴族も変わらねばならないと主張する一派もある。
 そのなかでもっとも注目を浴びる人物が、パザロフ伯爵はくしゃくヴィクトール――マゴットの祖父であった。
 若いころから軍人として功績を挙げ、さらに領内の振興しんこうと治安の強化に成功したヴィクトールは、富裕な平民の選良エリート化によって国内改革を推進するべきと考えていた。
 彼らの後押しによって少なくない数の平民の管理職が生まれ、その数は年々増えつつあったのである。
 危機感を覚えたスフォルツァ公爵は、もはや手段を選ばずヴィクトールを排除しなければならないと覚悟を固めた。


「――これはいったい何の真似まねだ?」

 屋敷を取り囲む数十の騎士の群れを、ヴィクトールは威嚇いかくするように睨みつけた。
 歴戦の武人であるヴィクトールにとって、数十人の騎士は必ずしも倒せない敵ではないのである。
 それを知ってか、騎士たちもヴィクトールに対して礼節を守った。

「まことに恐れながら、伯にはアンサラー王国との癒着ゆちゃく嫌疑けんぎがかかっております。どうかこのまま我々と同道ください」
「――癒着? この俺が賄賂わいろを受け取ったとでも言うのか?」

 軍人を引退したヴィクトールは改革派のリーダーと目されているが、国政において、他国から賄賂を受け取ってなにかできる権限があるわけではない。
 明らかに冤罪えんざいで誰かがおとしいれようと企んでいると、ヴィクトールは感じ取った。

下種げすどもが! こんな下品な策を用いても世の流れは変えられんとわからんか!」
「どうかご自重じちょうくださいませ。剣を抜き、王国にあだなしたとなれば、ご息女そくじょ様も連座れんざの罪に問われましょう」

 後宮こうきゅうにいる娘の名を出されては、ヴィクトールも暴れることを自重せざるを得ない。
 すなわちそれは、ヴィクトールの末路まつろが決まったことを意味していた。
 もしこれがスフォルツァ公爵の陰謀いんぼうであるとすれば、生贄いけにえとなるのはヴィクトールだけにとどまらず、多くの改革派貴族に及ぶであろう。
 無理を承知で武装闘争に打って出ることも不可能ではない。ヴィクトールをしたう貴族と平民の数はそれほどに大きいのだ。
 しかし国王の側室としてとつがせた娘、そして可愛い孫の顔を思い浮かべると,ヴィクトールはあらがおうという気力が持てなかった。

(すまん、ジーナ。お前からたくされた娘を不幸にしてしまう俺を許してくれ)




「あら、父親が罪をおかしたのにまだ生き恥をさらしていたの? 父が父なら娘も娘ね!」

 勝ち誇ったように取り巻きを連れて現れたのは、正妃であるベルティーナ・スフォルツァであった。
 青天の霹靂へきれきで父の逮捕を告げられ、王女を産んでいたことから罪一等を減じられたものの後宮から追放されることになったダリアは、従容しょうようとベルティーナの言葉を受け入れた。

陛下へいかのお慈悲に感謝するばかりでございます……」
「情けないことよ。陛下もこのような娘に慈悲をかける必要などないものを!」

 それだけがベルティーナには不満だった。
 彼女にとってダリアは、後宮でもっとも殺したい女であったからだ。
 正妃であるベルティーナはもともと悋気りんきの強い女であったが、結婚から三年がった今も子宝に恵まれず、子を産んだ側室に対して激しく嫉妬しっとの炎を燃やしていた。
 すでに身分の低いめかけが何人か殺されており、身ごもった子供を殺されている者も多かった。
 ダリアが無事に出産できたのは、国王の寵愛ちょうあいが深かったと同時に、後宮で働く平民たちから暗黙あんもくの支持を受けていたからである。

「死になさい! 死んで国王の側室たる名誉めいよを守りなさい! あなたにはもったいないけれど、わらわの守り刀を貸してあげるわ」

 そう言ってベルティーナはダリアに小刀を投げつけた。

「生きていたってどうせ罪人の娘扱いをされるだけですもの。死んだほうが楽なのではなくて?」
「そうよ。今さら平民のような貧しい暮らしなど、あなたもしたくはないでしょう?」

 ベルティーナとその取り巻きからの悪意にまみれ、ダリアは息苦しさを覚えていた。
 しかし幼い我が子を残して死ぬことなどありえない。
 ダリアは首を横に振り、深々と頭を下げた。

「陛下の御意ぎょいに従いますので」
「この私が死ねと言っているのよ!」

 毅然きぜんとして国王の意を匂わせるダリアに、ベルティーナは激昂げきこうして扇子せんすを投げつけた。
 何としてもこの女を殺してやりたい。
 ベルティーナがここまでダリアを憎むのには、ひとつの理由がある。
 ダリアの父ヴィクトールはスフォルツァ公爵家の権勢をぐために、トリストヴィーの国王と、隣国であるマウリシア王国の王女を結婚させようと画策していた。
 ベルティーナは国内であれば貴族筆頭ひっとうの公爵家だが、マウリシアのような大国の王女が正妃となれば、序列は下がらざるを得ない。
 そんな禁忌きんきに触れたヴィクトールのことが、どうしてもベルティーナは許せないのだった。

「構わないわ。あなたたち、あの女を取り押さえなさい」

 こめかみに青筋を浮かび上がらせてベルティーナは取り巻きに命じる。
 まるで小動物をいじめるような快感に酔った女たちが、ダリアの肩に、髪に手を伸ばす。
 顔色を蒼白そうはくにしてダリアが抵抗しようとした、そのときである。

「――陛下より警護の任をたまわりました騎士のラミリーズでございますが、これはいかがしたことですかな?」
「ぶ、無礼な! 騎士ごときが何のゆえあって後宮に入り込んだ!」

 あと一歩のところで邪魔をされたベルティーナは、その美貌を般若はんにゃのようにゆがめて叫んだ。

勅命ちょくめいでございます。これよりそれがしはダリア様付きとして、後宮より新たな離宮まで護衛させていただきます」

 国王の印影が押された勅書をラミリーズは広げる。
 表立ってこれに逆らえば身の破滅が待っていることは、ベルティーナであっても同じだった。
 血がにじむほどに唇をみしめて、ベルティーナは震える拳を握りしめ、ようやく自分の心に折り合いをつける。

「――覚えていなさい。妾は望みをかなえるために手段を選ぶつもりはないわ」

 必ず殺す。
 母娘ともども敗北者の烙印らくいんとともに冥府めいふに送り込んで、快哉かいさいとともに美酒を飲む――ベルティーナは心に誓った。

「行きますわよ。こんなところにいては下賤げせんの空気にけがされますわ」

 ぞろぞろと取り巻きを引き連れたベルティーナが視界から消えると、ダリアはふらりとよろめく。危うく顔から床に倒れかけたのを、ラミリーズがかろうじて右手で支えた。

「間に合ってようございました」
「ラミリーズ、あなたが来てくれて助かりました。それにしても、よく陛下があなたを寄こしてくれましたね」
「恐れながらこれは、ヴィクトール様が血気けっきにはやらぬための取引でございます。ダリア様の安全が確保できない場合、その気になればヴィクトール様は内乱を起こすことが可能ですから」
「そう……お父様が……」

 自分のことなど気にせずに力のかぎり暴れてもいい、とは言えなかった。
 ダリアには守らなくてはいけない愛しい娘の存在があったからだ。

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