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都市伝説 日航123便墜落事件
1985年8月15日JAL123便が御巣鷹の尾根に墜落した事件は日本の航空事故史上未曽有の被害を出したことで知られている。
しかしこの事故の原因は事件から30年が経過した2015年現在もネットで疑惑が指摘され続けている。
一部の市民団体ではネットにあきたらずドキュメンタリーフィルムを制作して、地方の公民館で上映すらしているほどだ。
管理人の暮らす福島県でも公共の公民館で堂々と上映されており、非常に驚いた記憶がある。(もう5,6年は昔の話だが)
なぜこのような草の根運動が今も絶えないのだろうか。
JAL123便に異変が生じたのは18時24分、予定高度の24000フィートに達する直前ちょうど伊豆半島南部東岸に差し掛かることであった。
突如ドーンという破壊音とともに操縦に重大な影響を及ぼす異常事態が発生し、機長はすぐさまスコーク77(緊急事態を知らせるコード)を発声し、東京航空管制部に対し
異常事態発生のため高度を22000フィートまで下げ羽田空港に戻ることを要求した。
しかし数分後には油圧系統のほぼ全てを喪失し、方向舵や昇降舵などの操縦機能を失った。
その後機体はフゴイド運動とダッチロールが発生。
機長たちは四機あるエンジンの出力をコントロールすることでなんとか機体の高度・方向・姿勢を制御しようと試みる。
その後123便は進路を東に向けたのち、山梨県大月市付近で360度旋回しながら急降下し、その後進路を北に変えて不安定な飛行を続けた。
この間機長は複数回にわたって「操縦不能」であることを発信している。
東京航空管制部の管制官は羽田以外にも米軍横田基地でも受け入れ用意があることを伝え、機長も了承したが、なぜかこの後機長は東京や横田基地の管制官からの
呼びかけに対し完全に沈黙する。
そして123便は長野、埼玉、群馬県境の山岳地帯へ向かって飛行を続け18時57分レーダーから消失した。
さて、ここでパイロットなどの専門家がまず不自然に感じる部分がのっけから登場する。
機長が宣言した「スコーク77」がそれである。
この「スコーク77」は国際緊急無線信号でありめったなことでは使わない信号なのである。
緊急度では最高ランクに位置するため発信するには厳格なマニュアルがあり、航空各社によってチェックリストが存在するという。
ある元JALパイロットはこのチェックだけで1.2分はかかると証言する。
だが機長が発したこの宣言は異常事態のわずか10秒程度の間しかなかった。
ここに専門家は違和感を抱いたのである。
しかしこの早すぎる「スコーク77」には123便を異常が襲う6分ほど前からの前フリが存在した。
座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)の撮影した写真である。
ちょうど富士山と江の島が見えるスポットだけに乗客の多くが窓から外の景色を眺めていた。
そのなかで不審なものを発見したために撮影した一枚と見られる。
機体の右前方から小型の飛行物体がこのときすでに接近中であったのである。
当然これを機長たちは把握していたはずですでにベルト着用のランプは消えていたが18:23再びベルト着用のランプが灯りスチュワーデスの一人がトイレに行きたいという
乗客のために「行かせてよろしいでしょうか」と確認するやりとりが残されている。
このスチュワーデスに対する副パイロット(このとき機長昇格訓練のため副パイロットが主操縦席についていた)の返答は明らかにおかしい。
「気をつけて、じゃ気をつけてお願いします。手早く、気をつけてください」
と、この短い返答に三回も気をつけてと発言しているのである。
しかも声を分析した結果、副パイロットの緊張度は7と明らかに異常な緊張状態を示していた。
相手のスチュワーデスの緊張度は3であり、このときコクピットだけが何らかの異常を把握していたことを窺わせる。
この分析方法はその人間の基本周波数(1秒間あたりの振動数)を基礎にその上下によって緊張度を測るもので現在も精神状態を分析するのに用いられている。
おそらくはこのときすでにコクピットでは123便を追尾する謎の飛行物体の存在に気づいていた。
だからこそ異常事態の発生からわずか10秒後に機長は「スコーク77」を宣言したと考えるのが自然ではないだろうか。
さかのぼること14年前の1971年7月30日、全日空の58便が岩手県雫石上空で当時の主力戦闘機であったF86Fセイバーと衝突し乗員乗客が全員死亡する事故があった。
このとき防衛庁は決して認めようとはしなかったが、自衛隊機は58便を仮想敵に見立てて訓練中誤って激突したのではないか、という噂が流れた。
もちろんそんな話が認められるはずもなかったが、現役を引退した自衛隊員や国内線の旅客パイロットは口をそろえてこう証言している。
「自衛隊機が旅客機を仮想敵として訓練を行うのは日常茶飯事だった」
予算の少ない航空自衛隊はしばしば旅客機を敵機と想定した空戦機動などの訓練を行っていたという。
ある自衛隊士官によれば、予算の豊富なアメリカ軍以外はどこの国でも多かれ少なかれそうした訓練を実施しているらしい。
あるいは123便の機長たちも、また自衛隊が嫌がらせを始めた、と考えていたかもしれない。
123便の墜落理由は圧力隔壁がボーイング社の修理不良により内部の圧力に耐え切れず破損。
一気に噴き出た内部の圧力が機体の尾翼を吹き飛ばして操縦系統が失われた、というのが公式発表になっている。
しかし尾翼が吹き飛ばされるほどの大規模な破壊が起きたとすれば機内の気圧は急速に低下するはずである。
ところがこの急減圧がなかった、というのは早くから研究者によって指摘され、最終的には事故調査委員会も認めるにいたったのだ。
1986年2月24日、ホノルル空港上空で123便と同型のジャンボの貨物室が吹き飛んだ事故が発声した。
高度は23000フィート、と123便とほぼ同高度である。
このとき機内で発生した急減圧は空恐ろしいほどのものであった。
「いろいろなものが機内を飛び回っていたわ。そしてみんな吸い出されていったの」
「音がしたの。バンッてすごい音が。すごい風が吹いて怖かったわ」
もっと古い時代では実際に人間が機外へ吸い出されてしまった事件も存在する。
高度23000フィートといえば約7300m、酸素マスクなしには意識を保つのも難しい高度である。
第二次世界大戦中、日本軍のパイロットは空にあがれば六割頭と呼んで警戒していた。
酸素濃度と気圧が低くなったために普段の六割しか脳が働かないという表現である、が当時の空戦高度は3000m~4000mが主流なのだ。
7300mの高空ではとてもではないがまともな操縦をすることは不可能だった。
にもかかわらず123便のパイロットが酸素マスクを吸入した様子はない。
アメリカのUSエアフォースでは高空でパイロットがどの程度操縦を保てるか実験を試みている。
高度24000フィートの高空では5分程度で予備が震え意識がもうろうとし始める。
このころになると操縦かんを引くこともできず、目の前に吊り下げられた酸素マスクをつけることすらできなくなるのだそうだ。
計算能力にも著しい後退がみられ二桁の足し算さえ満足にできないようになってしまった。
ところが立川市で行われた日本での同様の試験ではアメリカの実験のような計算能力の低下は見られず、高空での能力の低下には個人差があるという報告書が
まとめられた。
しかしこの実験には大きな差異が存在する。
なぜなら日本の実験では気圧の減圧は実際の事故のように急速にではなく段階的に行われたからである。
アメリカでの実験が軍での運用を前提としたシビアなものであったことを考えれば、事故調査委員会の実験データは恣意的な操作が加えられている印象を否めない。
しかも日航の元機関士だった藤川秀夫氏は「予想していた以上に肺から空気が吸い出されたちまち目の前が暗くなったのにずいぶん事実と違う報告書になっているな
と思った」と証言しているのでは、正直事故調査委員会の報告書を鵜呑みにすることはできない。
いずれにしてもまず結論に圧力隔壁の破壊がありきでその理由が後付けされているというのが心象である。
論理的に爆発音のあと急減圧があった。だから圧力隔壁が破壊された可能性が高いというのなら話はわかる。
しかし原因は圧力隔壁の破壊だ。だから機内の気圧は急速に下がったはずだ。低酸素症などの症状が現れなかったのは個人差による。
というのは強弁にすぎるのではないだろうか。
そもそも123便の機長は東京航空管制部の管制官に高度22000フィートを維持し右旋回するむねを報告している。
急減圧が発生した機体は高度を下げなければならないはずなのに123便が緊急降下した形跡はない。
そのため管制官は123便が操縦不能(アンコントローラブル)を宣言したとき耳を疑ったという。
いまだ123便をめぐる謎は多いのである。
しかしこの事故の原因は事件から30年が経過した2015年現在もネットで疑惑が指摘され続けている。
一部の市民団体ではネットにあきたらずドキュメンタリーフィルムを制作して、地方の公民館で上映すらしているほどだ。
管理人の暮らす福島県でも公共の公民館で堂々と上映されており、非常に驚いた記憶がある。(もう5,6年は昔の話だが)
なぜこのような草の根運動が今も絶えないのだろうか。
JAL123便に異変が生じたのは18時24分、予定高度の24000フィートに達する直前ちょうど伊豆半島南部東岸に差し掛かることであった。
突如ドーンという破壊音とともに操縦に重大な影響を及ぼす異常事態が発生し、機長はすぐさまスコーク77(緊急事態を知らせるコード)を発声し、東京航空管制部に対し
異常事態発生のため高度を22000フィートまで下げ羽田空港に戻ることを要求した。
しかし数分後には油圧系統のほぼ全てを喪失し、方向舵や昇降舵などの操縦機能を失った。
その後機体はフゴイド運動とダッチロールが発生。
機長たちは四機あるエンジンの出力をコントロールすることでなんとか機体の高度・方向・姿勢を制御しようと試みる。
その後123便は進路を東に向けたのち、山梨県大月市付近で360度旋回しながら急降下し、その後進路を北に変えて不安定な飛行を続けた。
この間機長は複数回にわたって「操縦不能」であることを発信している。
東京航空管制部の管制官は羽田以外にも米軍横田基地でも受け入れ用意があることを伝え、機長も了承したが、なぜかこの後機長は東京や横田基地の管制官からの
呼びかけに対し完全に沈黙する。
そして123便は長野、埼玉、群馬県境の山岳地帯へ向かって飛行を続け18時57分レーダーから消失した。
さて、ここでパイロットなどの専門家がまず不自然に感じる部分がのっけから登場する。
機長が宣言した「スコーク77」がそれである。
この「スコーク77」は国際緊急無線信号でありめったなことでは使わない信号なのである。
緊急度では最高ランクに位置するため発信するには厳格なマニュアルがあり、航空各社によってチェックリストが存在するという。
ある元JALパイロットはこのチェックだけで1.2分はかかると証言する。
だが機長が発したこの宣言は異常事態のわずか10秒程度の間しかなかった。
ここに専門家は違和感を抱いたのである。
しかしこの早すぎる「スコーク77」には123便を異常が襲う6分ほど前からの前フリが存在した。
座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)の撮影した写真である。
ちょうど富士山と江の島が見えるスポットだけに乗客の多くが窓から外の景色を眺めていた。
そのなかで不審なものを発見したために撮影した一枚と見られる。
機体の右前方から小型の飛行物体がこのときすでに接近中であったのである。
当然これを機長たちは把握していたはずですでにベルト着用のランプは消えていたが18:23再びベルト着用のランプが灯りスチュワーデスの一人がトイレに行きたいという
乗客のために「行かせてよろしいでしょうか」と確認するやりとりが残されている。
このスチュワーデスに対する副パイロット(このとき機長昇格訓練のため副パイロットが主操縦席についていた)の返答は明らかにおかしい。
「気をつけて、じゃ気をつけてお願いします。手早く、気をつけてください」
と、この短い返答に三回も気をつけてと発言しているのである。
しかも声を分析した結果、副パイロットの緊張度は7と明らかに異常な緊張状態を示していた。
相手のスチュワーデスの緊張度は3であり、このときコクピットだけが何らかの異常を把握していたことを窺わせる。
この分析方法はその人間の基本周波数(1秒間あたりの振動数)を基礎にその上下によって緊張度を測るもので現在も精神状態を分析するのに用いられている。
おそらくはこのときすでにコクピットでは123便を追尾する謎の飛行物体の存在に気づいていた。
だからこそ異常事態の発生からわずか10秒後に機長は「スコーク77」を宣言したと考えるのが自然ではないだろうか。
さかのぼること14年前の1971年7月30日、全日空の58便が岩手県雫石上空で当時の主力戦闘機であったF86Fセイバーと衝突し乗員乗客が全員死亡する事故があった。
このとき防衛庁は決して認めようとはしなかったが、自衛隊機は58便を仮想敵に見立てて訓練中誤って激突したのではないか、という噂が流れた。
もちろんそんな話が認められるはずもなかったが、現役を引退した自衛隊員や国内線の旅客パイロットは口をそろえてこう証言している。
「自衛隊機が旅客機を仮想敵として訓練を行うのは日常茶飯事だった」
予算の少ない航空自衛隊はしばしば旅客機を敵機と想定した空戦機動などの訓練を行っていたという。
ある自衛隊士官によれば、予算の豊富なアメリカ軍以外はどこの国でも多かれ少なかれそうした訓練を実施しているらしい。
あるいは123便の機長たちも、また自衛隊が嫌がらせを始めた、と考えていたかもしれない。
123便の墜落理由は圧力隔壁がボーイング社の修理不良により内部の圧力に耐え切れず破損。
一気に噴き出た内部の圧力が機体の尾翼を吹き飛ばして操縦系統が失われた、というのが公式発表になっている。
しかし尾翼が吹き飛ばされるほどの大規模な破壊が起きたとすれば機内の気圧は急速に低下するはずである。
ところがこの急減圧がなかった、というのは早くから研究者によって指摘され、最終的には事故調査委員会も認めるにいたったのだ。
1986年2月24日、ホノルル空港上空で123便と同型のジャンボの貨物室が吹き飛んだ事故が発声した。
高度は23000フィート、と123便とほぼ同高度である。
このとき機内で発生した急減圧は空恐ろしいほどのものであった。
「いろいろなものが機内を飛び回っていたわ。そしてみんな吸い出されていったの」
「音がしたの。バンッてすごい音が。すごい風が吹いて怖かったわ」
もっと古い時代では実際に人間が機外へ吸い出されてしまった事件も存在する。
高度23000フィートといえば約7300m、酸素マスクなしには意識を保つのも難しい高度である。
第二次世界大戦中、日本軍のパイロットは空にあがれば六割頭と呼んで警戒していた。
酸素濃度と気圧が低くなったために普段の六割しか脳が働かないという表現である、が当時の空戦高度は3000m~4000mが主流なのだ。
7300mの高空ではとてもではないがまともな操縦をすることは不可能だった。
にもかかわらず123便のパイロットが酸素マスクを吸入した様子はない。
アメリカのUSエアフォースでは高空でパイロットがどの程度操縦を保てるか実験を試みている。
高度24000フィートの高空では5分程度で予備が震え意識がもうろうとし始める。
このころになると操縦かんを引くこともできず、目の前に吊り下げられた酸素マスクをつけることすらできなくなるのだそうだ。
計算能力にも著しい後退がみられ二桁の足し算さえ満足にできないようになってしまった。
ところが立川市で行われた日本での同様の試験ではアメリカの実験のような計算能力の低下は見られず、高空での能力の低下には個人差があるという報告書が
まとめられた。
しかしこの実験には大きな差異が存在する。
なぜなら日本の実験では気圧の減圧は実際の事故のように急速にではなく段階的に行われたからである。
アメリカでの実験が軍での運用を前提としたシビアなものであったことを考えれば、事故調査委員会の実験データは恣意的な操作が加えられている印象を否めない。
しかも日航の元機関士だった藤川秀夫氏は「予想していた以上に肺から空気が吸い出されたちまち目の前が暗くなったのにずいぶん事実と違う報告書になっているな
と思った」と証言しているのでは、正直事故調査委員会の報告書を鵜呑みにすることはできない。
いずれにしてもまず結論に圧力隔壁の破壊がありきでその理由が後付けされているというのが心象である。
論理的に爆発音のあと急減圧があった。だから圧力隔壁が破壊された可能性が高いというのなら話はわかる。
しかし原因は圧力隔壁の破壊だ。だから機内の気圧は急速に下がったはずだ。低酸素症などの症状が現れなかったのは個人差による。
というのは強弁にすぎるのではないだろうか。
そもそも123便の機長は東京航空管制部の管制官に高度22000フィートを維持し右旋回するむねを報告している。
急減圧が発生した機体は高度を下げなければならないはずなのに123便が緊急降下した形跡はない。
そのため管制官は123便が操縦不能(アンコントローラブル)を宣言したとき耳を疑ったという。
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