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11.せめて、俺の周りだけでも

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「という訳でお母様。この私めのために明日の弁当作りを手伝ってはくれませんでしょうか! 家事手伝い何でもします!」
「あらー、昨日言ってたお友達の子に作ってあげるの? わかったわ、ビシバシ行くからね!」


 そんなやり取りの末、朝六時に起きてお弁当作って(帰り道の途中で、信濃さん用のお弁当箱を買った。流石にしーに貸してとは言えなかった)、つーやしーや親父に味見して貰った。準備万端でやってくるはマンション入口。

 この前と同じように、本来の集合時間より30分早い9時30分には来ていた。女の子を待たせるなど、言語道断だと家族全員からアドバイスされた結果である。


「......腕時計、やっぱり慣れないな」


 巻いてけ、と一言だけ言って昔使ってたという腕時計を押し付けてきた親父。
 押し返す意味もなかったので左腕に着けたのだが、ずっとお袋がニヤニヤと笑顔を浮かべていた。一体なんだったんだ、あれ。
 銀色のどこのメーカーか分からない、シンプルな時計盤のもの。特別高そうにも見えないし、そんなものを貸すとも思えない。

 まぁこれに関しては帰ってから聞き出すか......と、ため息を一つ吐き、スマホの連絡アプリを起動する。確認するのは、もちろん信濃さんとの会話履歴だ。


「......ううん、素っ気ない」


 スタンプが無いのはまだいい。返信もきちんとあるからそこは問題ない。

 問題は、相変わらずの文章の短さ。話してる時ですら短いのだが、おそらく文章の方が短い可能性がある。ほとんど単語でしか返答されていない。
 おはよう今日いい天気だねと送れば、おはようのみ。集合は十時でよかったよねと送れば、そうとのみ。何か持ってくものとかあるかと聞けば、特にとのみ。

 いやもう今更だけどさぁ……と思わなくもない。言わないけど。言ったら喧嘩だけど。俺だって喧嘩したいわけではない。機嫌を損ねたいわけでもない。

 だけど、もうちょっと増やしてもらいたい。流石にこれでは信濃さんが無口で内気で通話アプリ上でもそっけないと思われかねない。まぁ、(俺以外に対しては)間違いではないのだが。


「……これはなぁ、流石になぁ……ううん、どうしたものか……」
「何が?」
「へうっ」


 なっさけない声を上げながら、意識が現実世界へと引き戻される。
 顔を上げると、真正面から俺の顔を見上げる信濃さんの姿。

 しかし、信濃さんは毎回俺の不意をついてくる。これは信濃さんが気配を消すのが上手いのか、はたまた俺が注意力散漫なだけなのか。真相は未だに分からない。

 スマホをしまい、ごほんと咳払いを一つして笑顔を浮かべる。


「おはよう、信濃さん......なんで制服なの?」
「楽」


 額に手を当て、目を閉じ天を仰ぐ。そうでもしないと全身の力が抜け切ってしまいそうだった。
 過去最短の返答をしてくれた信濃さんは、昨日から何も変わらない制服姿。持ってるカバンだけが学校指定のものからシンプルなトートバッグに変わっているくらい。それ以外はなにも変わらない。

 私服の俺と、制服の彼女。

 アンバランスここに極まれりだった。アンバランスって極まるんだね、初めて知ったよ。


「............黒澤くん?」
「あぁ、ごめん......なんか空回っちゃった気がして......」
「大丈夫。しっかりカッコイイ」
「あはは......ありがとう......そっちも、可愛いよ? 似合ってる」


 制服姿の女子に似合ってるなんて言う日が来るとは思わなかった。まして休日、図書館デート前。
 流れで口にしてしまったが、実際問題彼女の制服姿はとても絵になる。彼女が小柄な割に目を引くのは眼帯のせいというのもあるだろうが、それに半分隠された整った顔立ちが大きいだろう。

 なんて彼女のことを眺めていたら、信濃さんが軽く目を見開いて、俺の事を見上げていた。これは、驚いているのだろうか。


「........................可愛い、わけ、ない。私、なんて……こんな、だし」


 左眼を押さえながらの、小さな声だった。
 いつもの淡々とした様子ではなく、絞り出された言葉の弱々しさに、何故だか胸が締め付けられる。小柄な彼女が、さらに小柄に見える。

 やはり信濃さんはちょっと……いや、かなり自己評価が低い。自分に自信がないなんてレベルじゃなく、もっと……下手したら、存在する意味がない、くらいに思っていそうな。
 彼女がこうなってしまった原因は他にあるのだろうが、彼女がこんなに素っ気ないのはこの性格が原因だろう。じゃあ、まずはそこからどうにかしていこう。


「可愛いよ、信濃さんは。自信持っていい。俺、冗談は言うけど嘘は言わないんだ」


 信濃さんの両肩に手を置き、その目を真っ直ぐ見る。その瞳には、俺の姿だけが映りこんでいた。


「君はいい子だし優しい子だし可愛い素敵な女の子だよ。君はまだそれに気付いてないかもしれないけど、これからそれを自覚してもらうから」
「……な、んで…………」
「……過度なネガティブは、君を不幸にする。俺はね、俺の周りの人間だけでも幸せになって欲しいんだよ」


 ──君にも、幸せになって欲しいんだ。

 そう言葉にした時、信濃さんの目が一層見開かれ……背中から、非常に聞き覚えのある……具体的には中学一年生女子の悲鳴が聞こえてきた。


「かな兄カッコいいー!! さっすが私の大好きなかな兄!」
「ちょ、しーちゃん声がおっきい……あ…………どうも。お邪魔してます」


 ギギギ、と錆びついたロボットの首のようにカクカクとした動きしかしない首をそちらに向ける。
 エレベーターの入り口から俺たちを眺める男女。腕を組んで仲が良さそうなそっくりな二人組。女の子は顔を赤くしながらキャーキャー歓声を上げ、男の子はそんな女の子を落ち着かせながらぺこりと挨拶していた。

 俺の最愛のしーつーである。


「…………いつ、から」
「え? 『おはよう、信濃さん』から。かな兄、財布忘れてたから買い物ついでに届けようと思ったんだけど……」
「あぁ、ありがとう…………最初からじゃねぇか……」


 自分の恥ずかしい行動を指摘され、顔の温度が急上昇していくのが分かる。思わずその場にしゃがみ込み、顔を押さえ俯いてしまう。


「あ、あなたが信濃さん? 私は黒澤 栞! お兄ちゃんの妹です! こっちは紬! 私の双子の弟です!」
「どうも……その、あれだよ。いつか誰かから刺されないようにね?」
「あ、どうも……信濃、咲です」


 何故か信濃さんとしーとつーがお互いに自己紹介を始めていたが、そんなものを見る余裕、俺にはなかった。

 ──この時、信濃さんがどんな顔をしていたのか、見ることは当然できなかった。
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