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二章 朱火
六
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常盤の切り盛りする茶屋で一息ついた一行は、街外れの山奥を訪ねていた。
「思ったより人里から離れておるのう。こう人目がないと、かえって襲いやすいのではないか?」
「街中では昼に人を集められては目立ちませぬ。これだけ人里から離れていれば例えひとりであろうと目立ちます」
夢助の返答に、躯血は口端を持ち上げ顎をなでる。
「なるほど、警戒さえできれば大勢がこようと対処する自信があるということか」
「周囲に余計な被害をださないという配慮もございますね。人ならざる者たちの来訪もあり得ますので」
「話を聞く限りは、憐れな娘ではあるのう」
坂道を登りながら彼は道の先をにらみつける。まるで言葉の奥に隠された真実を、見つけようとするかのようだ。
「ところで骨皮さまは、その右手のものとはいつから?」
案内のために先頭を歩いていた常盤が、興味津々といった様子で振り返る。
「みつきほど前になるか。まあ、わしにはわしの事情がある。わしも余計なことは聞かん。だから気にするな」
「あら残念。私は色々と聞いていただいても構いませんのに」
微笑む常盤に、躯血は嫌そうに顔をしかめる。
「なにかよからぬことを吹きこまれそうだが?」
「ご明察です」
自身の代わりに答えた夢助の言葉に口に手をあてくすりと笑い、彼女は正面に向き直る。
「見えてまいりました。あの鳥居の向こうに、朱火様のお住まいがございます」
常盤が指し示した鳥居の前まで来ると、躯血の眉間のしわが深くなった。
「……結界か」
絞りだされた彼の言葉に呼応するように、社の方から狩衣に身を包んだ男たち三人が歩いてくる。
「一夜の女がまた来たか。朱火様は我らがお守りするゆえ、貴様らの出る幕はないと申したはず。すぐにこの場を立ち去れい!」
先頭を歩く男の敵意ある言葉に、常盤は茶屋で武士に向けた以上の冷たい視線を返す。
「土御門様、私も何度も申し上げたはず。貴方がたのしていることは守護ではなく監禁。小さな子供ひとり自由にさせてやれぬ守り手など、なんの意味がございましょう」
「黙れ、下賤の者が! 朱火様は高貴なかたであると同時に神の器でもあらせられる。庶民の子供と同じように扱えるわけがなかろう!」
鳥居を間に挟み、怒りのこもった熱い視線と、軽蔑に満ちた冷たい視線がぶつかり合う。
そんな両者を尻目に、躯血が鳥居の前に進み出て、益荒男を握る右手で壁を叩くような仕草をする。
「なるほど、妖気を遮断する結界といったところか。その朱火とかいう娘が妖気を纏っているとならば、ここより出ることは叶わんな」
彼の行動に土御門と呼ばれた壮年の男が目をむく。
「お主、その手の物はなんだ!」
怒鳴りつけるその声は心しか震えていた。
「ふん、壁越しに会話する趣味はわしにはない」
いうが早いか、帯状の益荒男をくるくると右手に巻き付け振りかぶる。
「よせ!」
土御門が彼のもとに駆け寄る前に、拳を振りおろす。
拳が宙で止まったと思った瞬間、金属同士がぶつかり合うような音と共に空気が揺れた。
「有修様、これは!」
「結界が揺らいでおります!」
土御門に付き従っていたふたりの陰陽師が顔を青くし狼狽する。
躯血はそんな様子には構わず再び拳を振りあげた。
「やめよ、これだけの規模の結界を張り直すのに、どれだけの時がかかると思っておる! 結界がなくなれば魑魅魍魎が押し寄せるぞ!」
「お主ら、娘の護衛なのであろう? 情けないことを言わずに命を張れい!」
「この地にどれだけの妖が住んでいると思っておるのだ! そのすべてが押し寄せれば命がいくつあろうが足りんわ!」
躯血の言葉に土御門有修は詰め寄りながら反論するが、躯血の拳はとまらない。
「結界は部分的に解除が出来ましょう。もたもたしていては本当に壊れてしまいますよ。そうなればお立場が危うくなりましょう。ただでさえ京から逃げたと汚名を背負っていらっしゃいますのに……」
「おのれ、憶えておれよ。女狐!」
彼は舌打ちをひとつして、なにごとかを唱えながら印を結んでいく。
「骨皮様、扉があくようですので、そのあたりでおやめください」
「ふん、壊したほうが早かろうが」
制止する夢助の言葉に、躯血が苛立たしげに唾を吐き捨てる。
「骨皮様がこのようなものをお嫌いになるのは、道中で察しておりますが、まずは護衛していただく相手に会ってから、本当にこのような結界が必要ないか判断をしても遅くはありますまい」
躯血は険しい顔つきのままであったが、常盤が澄まし顔で鳥居を潜り抜けると、拳をおろし夢助と並んで彼女に続く。
「帰りもお声がけいたしますので」
「勝手にせい!」
常盤の陽気な声に、有修が苛立たしげに返す。
今度は解除した結界の一部を元に戻すべく印を結び出した陰陽師たちを置き去りにし、三人は社の裏側にある屋敷へと向かう。
木々に囲まれひっそりと佇む屋敷があった。躯血の目にはそこだけ別世界のように映る。
「まさか娘ひとりの影響でこうなっておるというのか?」
「ひとところに留まっているのが良くないようです。もっとも陰陽寮の皆さまは、こうせねば、世間はもっと混沌に包まれるというご意見でございますが……」
「まあ物事は実際にやってみねば、結果はわからんからのう」
常盤と会話しつつ屋敷へとあがる躯血であったが、その後ろで夢助は落ち着かない様子で、周囲を見まわしている。
「夢助、常盤がおるのだ。無理してついて来る必要はない。外で待っておったらどうだ?」
「いえ、骨皮様をお連れした手前、あとは勝手にどうぞとも言えますまい」
「意外に義理堅いお人ですよね、夢助さんは」
茶化すような常盤に、夢助はバツが悪そうに視線を落とす。
そうこうしている内に目的の場所に到着したようで、彼女が足をとめる。
「朱火様、ご無沙汰しております。常盤でございます。今日はお会いしていただきたいおかたをお連れしました」
襖の向こうに声をかけるが返答はない。
「失礼いたします」
そう断り彼女は襖を引き開ける。
お手玉に興じる子供がふたりいた。
少女はこちらに顔を向けずお手玉を続ける。しかし彼女の対面に座っていた少年が、お手玉を取り落とし、躯血たちに顔を向ける。だというのに躯血は少年の心情を読み取ることは出来ない。
「のっぺらぼうか……」
夢助が息を呑む音を聞きつつ、躯血はそう呟いた。
「思ったより人里から離れておるのう。こう人目がないと、かえって襲いやすいのではないか?」
「街中では昼に人を集められては目立ちませぬ。これだけ人里から離れていれば例えひとりであろうと目立ちます」
夢助の返答に、躯血は口端を持ち上げ顎をなでる。
「なるほど、警戒さえできれば大勢がこようと対処する自信があるということか」
「周囲に余計な被害をださないという配慮もございますね。人ならざる者たちの来訪もあり得ますので」
「話を聞く限りは、憐れな娘ではあるのう」
坂道を登りながら彼は道の先をにらみつける。まるで言葉の奥に隠された真実を、見つけようとするかのようだ。
「ところで骨皮さまは、その右手のものとはいつから?」
案内のために先頭を歩いていた常盤が、興味津々といった様子で振り返る。
「みつきほど前になるか。まあ、わしにはわしの事情がある。わしも余計なことは聞かん。だから気にするな」
「あら残念。私は色々と聞いていただいても構いませんのに」
微笑む常盤に、躯血は嫌そうに顔をしかめる。
「なにかよからぬことを吹きこまれそうだが?」
「ご明察です」
自身の代わりに答えた夢助の言葉に口に手をあてくすりと笑い、彼女は正面に向き直る。
「見えてまいりました。あの鳥居の向こうに、朱火様のお住まいがございます」
常盤が指し示した鳥居の前まで来ると、躯血の眉間のしわが深くなった。
「……結界か」
絞りだされた彼の言葉に呼応するように、社の方から狩衣に身を包んだ男たち三人が歩いてくる。
「一夜の女がまた来たか。朱火様は我らがお守りするゆえ、貴様らの出る幕はないと申したはず。すぐにこの場を立ち去れい!」
先頭を歩く男の敵意ある言葉に、常盤は茶屋で武士に向けた以上の冷たい視線を返す。
「土御門様、私も何度も申し上げたはず。貴方がたのしていることは守護ではなく監禁。小さな子供ひとり自由にさせてやれぬ守り手など、なんの意味がございましょう」
「黙れ、下賤の者が! 朱火様は高貴なかたであると同時に神の器でもあらせられる。庶民の子供と同じように扱えるわけがなかろう!」
鳥居を間に挟み、怒りのこもった熱い視線と、軽蔑に満ちた冷たい視線がぶつかり合う。
そんな両者を尻目に、躯血が鳥居の前に進み出て、益荒男を握る右手で壁を叩くような仕草をする。
「なるほど、妖気を遮断する結界といったところか。その朱火とかいう娘が妖気を纏っているとならば、ここより出ることは叶わんな」
彼の行動に土御門と呼ばれた壮年の男が目をむく。
「お主、その手の物はなんだ!」
怒鳴りつけるその声は心しか震えていた。
「ふん、壁越しに会話する趣味はわしにはない」
いうが早いか、帯状の益荒男をくるくると右手に巻き付け振りかぶる。
「よせ!」
土御門が彼のもとに駆け寄る前に、拳を振りおろす。
拳が宙で止まったと思った瞬間、金属同士がぶつかり合うような音と共に空気が揺れた。
「有修様、これは!」
「結界が揺らいでおります!」
土御門に付き従っていたふたりの陰陽師が顔を青くし狼狽する。
躯血はそんな様子には構わず再び拳を振りあげた。
「やめよ、これだけの規模の結界を張り直すのに、どれだけの時がかかると思っておる! 結界がなくなれば魑魅魍魎が押し寄せるぞ!」
「お主ら、娘の護衛なのであろう? 情けないことを言わずに命を張れい!」
「この地にどれだけの妖が住んでいると思っておるのだ! そのすべてが押し寄せれば命がいくつあろうが足りんわ!」
躯血の言葉に土御門有修は詰め寄りながら反論するが、躯血の拳はとまらない。
「結界は部分的に解除が出来ましょう。もたもたしていては本当に壊れてしまいますよ。そうなればお立場が危うくなりましょう。ただでさえ京から逃げたと汚名を背負っていらっしゃいますのに……」
「おのれ、憶えておれよ。女狐!」
彼は舌打ちをひとつして、なにごとかを唱えながら印を結んでいく。
「骨皮様、扉があくようですので、そのあたりでおやめください」
「ふん、壊したほうが早かろうが」
制止する夢助の言葉に、躯血が苛立たしげに唾を吐き捨てる。
「骨皮様がこのようなものをお嫌いになるのは、道中で察しておりますが、まずは護衛していただく相手に会ってから、本当にこのような結界が必要ないか判断をしても遅くはありますまい」
躯血は険しい顔つきのままであったが、常盤が澄まし顔で鳥居を潜り抜けると、拳をおろし夢助と並んで彼女に続く。
「帰りもお声がけいたしますので」
「勝手にせい!」
常盤の陽気な声に、有修が苛立たしげに返す。
今度は解除した結界の一部を元に戻すべく印を結び出した陰陽師たちを置き去りにし、三人は社の裏側にある屋敷へと向かう。
木々に囲まれひっそりと佇む屋敷があった。躯血の目にはそこだけ別世界のように映る。
「まさか娘ひとりの影響でこうなっておるというのか?」
「ひとところに留まっているのが良くないようです。もっとも陰陽寮の皆さまは、こうせねば、世間はもっと混沌に包まれるというご意見でございますが……」
「まあ物事は実際にやってみねば、結果はわからんからのう」
常盤と会話しつつ屋敷へとあがる躯血であったが、その後ろで夢助は落ち着かない様子で、周囲を見まわしている。
「夢助、常盤がおるのだ。無理してついて来る必要はない。外で待っておったらどうだ?」
「いえ、骨皮様をお連れした手前、あとは勝手にどうぞとも言えますまい」
「意外に義理堅いお人ですよね、夢助さんは」
茶化すような常盤に、夢助はバツが悪そうに視線を落とす。
そうこうしている内に目的の場所に到着したようで、彼女が足をとめる。
「朱火様、ご無沙汰しております。常盤でございます。今日はお会いしていただきたいおかたをお連れしました」
襖の向こうに声をかけるが返答はない。
「失礼いたします」
そう断り彼女は襖を引き開ける。
お手玉に興じる子供がふたりいた。
少女はこちらに顔を向けずお手玉を続ける。しかし彼女の対面に座っていた少年が、お手玉を取り落とし、躯血たちに顔を向ける。だというのに躯血は少年の心情を読み取ることは出来ない。
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