1 / 35
天狗と家なき子
息抜きがしたかっただけの男
しおりを挟む
しくった。
俺は地元に一つしかないビジネスホテルの受付で、本日は満室、という言葉と、今はホテルに泊まるにはネットで予約しなければいけない、という説明をむなしく聞いていた。
「困ったな。」
俺はもうギリギリだった。
自宅に自分の部屋もあるはずだが、今の俺には自宅で落ち着ける自分の居場所などどこにもないのだ。
家族に常に行動を監視され、動けばどこに行くのか詮索される。そのうちに、きっとトイレの中まで入って来るだろう。それほどの勢いで俺は両親と妹達に纏わりつかれているのである。
うんざりだ。
それなのに、そんな生活から抜け出せる数時間でもある本屋のアルバイトが、本屋そのものが終了した事で無くなってしまった。
そして俺は四六時中監視される囚人と再び戻り、たった三日で音を上げたのだ。
そんな俺の不幸であるが、家族だけを罵倒できるものではない。
全ては昨年は受験生だった俺の、不徳と致すところ、だからだ。
何と昨年の俺は、塾帰りに家出をし、受験シーズンが終わった頃に自宅に帰って来た、という行動をしてしまったのである。
他人事のように言っている?
その通り。
俺にはその時の記憶なんて一切無い。
あるのは、なぜかポケットに入っていた小判一枚(小判だよ、本物の金の!)と、空っぽになった俺の財布に入っていたスーパーやファミレスのレシートと、俺の手足に草木でこすれて出来たらしき傷跡が沢山、それだけだった。
あ、そうだ。
俺の不在の時に俺の自室に空き巣らしきものが入った、という事実もある。
小さなテレビモニターと使っていないゲーム機本体、それから俺が思い出だけでとって置いたゲームソフトのいくつかが俺の部屋から消えたってやつ。
そこで警察は悪質なカツアゲで半死半生にされた俺が、監禁者の言うがままに貢いだりして命乞いをして生き延びたか、そこから解放されての帰還だろうと判断した。俺の記憶喪失がその過酷な経験からであるとの診断書も、精神鑑定した医者が勝手に書いてくれた。
また、高校は親が出した休学届を受理している癖に、その事情から俺に補習を受ける事で卒業をしないかと持ち掛けてきた。留年したくない俺は快くそれを受け、だが、受験シーズンが終わった世界で俺が大学進学できるはずもない。
つまり、現在の俺は、浪人一年目、ということだ。
「お客様、誠に申し訳ありませんが。」
俺はホテルの受付に対して微笑んだ。
面倒をかけましたって謝罪の気持ちで。
すると、彼こそ悪いわけではないのに、彼はなんだか頬を赤らめるや何かを決意したような顔付になり、なんと、俺に向かって身を乗り出して来たのである。
「あの。」
「キャンセルがありましたらすぐに連絡します。連絡先をいただけますか?」
「え、えと。」
俺は頭を掻いた。
そこまでして何がしたいんだろうと思いながら。
どうして家にいるのに、帰りたいって、ここは自分の居場所じゃないって思うんだろうって、考えながら。
「お客様?」
「次にします。次はちゃんと予約入れますね。」
俺は本当に何がしたかったんだろう。ホテルに泊まったところで、翌日には家に帰らなければいけないのは変わりなく、そうすれば明日も明後日も今以上の心配を抱いた家族に囲い込まれるのは確実じゃないかって。
囲い込まれたかった?
「君は君の世界で生きるべきだ。」
「え?」
「お客様?」
脳裏に浮かんだ森の奥のような深みのある声に俺はびくりと震え、実際に聞いてはいない自分の右耳を右手で覆っていた。
目の前の受付男性は訝し気に、いや、おかしな客をかなり心配する顔だ。
急いでホテルの外へと出なければ、と俺は踵を返した。
そして、ホテルのエントランスのガラス扉を開ければ、扉の向こうは吹雪いている灰色の世界であった。
俺の生まれ育ったここは、雪が降る田舎町。
中途半端に田舎の町では知り合いのひと目が多すぎて、漫画喫茶に泊まるという選択も俺には無い。
「知人に見咎められて連れ戻されるもんな。」
俺は外に出て、空を見上げた。
真夜中だろうと雪が降る限り空は真っ黒にはならない。
外灯の明りに雪が反射するからか、どこまでも同じ色の暗い灰色だ。
そして、雪が下に落ちる風景が自分が空に上がって行く錯覚を産むのか、エレベーターに乗った時のような感覚を覚えた。
ちん、着きましたよ。
どこにと俺は自分に問いかけた。すると、今目の前にしている風景とは全く違った風景を自分に思い出させた。苔むした緑ばかりの幻想的な古代の森、屋久島の白谷雲水狭。
「俺の中学入学の祝いだって、田舎町から田舎町、それもアニメ原作の森があるところに観光しに行くんだもんな、うちの家族は。まあ、双子の妹も喜んでいたってか、あいつらの希望だったか。」
楽しかった過去の家族風景が思い出された事で、思い出した緑の風景が消えて、目の前の別の風景が重なって見えた。
美しい森だと言えるが、屋久島の森とは違う白と青しかない世界。
俺の住む町の雪景色とは違う、神々しいまでの白い世界。
俺の足は思い浮かべた未知なる森への向かって、なぜか勝手に動いていた。
そこで足が止まった。
止めるしかないだろう。
俺の目の前には、俺が知っている田舎町など消えていたのだ。
いや、森の風景だってない。
俺が今立っているのは、ひたすらに時代遅れに見える日本家屋の広い広い玄関の土間である。
母方の農家の本家だという祖父の家のような、たくさんの客人を迎えられるような広い玄関内に俺はいるのである。
「なんで?」
「どうして貴様がここにいる!」
大声では無いが、俺の全身にその声は響いた。
響くだろう。
声楽をしているかのような、見事すぎるバリトンなのだから。
俺はゆっくりと振り返り、思いっ切り仰け反った。
やばい。
家を間違えましたって言わなきゃ。
だってさ、物凄く背が高い金髪碧眼の、それも、見た事も無いモデルみたいなイケメン外人が目の前に立っていて、そいつの服がさ、コスプレなんだよ。
どうみてもカラス天狗です、ありがとうございます、な。
俺は地元に一つしかないビジネスホテルの受付で、本日は満室、という言葉と、今はホテルに泊まるにはネットで予約しなければいけない、という説明をむなしく聞いていた。
「困ったな。」
俺はもうギリギリだった。
自宅に自分の部屋もあるはずだが、今の俺には自宅で落ち着ける自分の居場所などどこにもないのだ。
家族に常に行動を監視され、動けばどこに行くのか詮索される。そのうちに、きっとトイレの中まで入って来るだろう。それほどの勢いで俺は両親と妹達に纏わりつかれているのである。
うんざりだ。
それなのに、そんな生活から抜け出せる数時間でもある本屋のアルバイトが、本屋そのものが終了した事で無くなってしまった。
そして俺は四六時中監視される囚人と再び戻り、たった三日で音を上げたのだ。
そんな俺の不幸であるが、家族だけを罵倒できるものではない。
全ては昨年は受験生だった俺の、不徳と致すところ、だからだ。
何と昨年の俺は、塾帰りに家出をし、受験シーズンが終わった頃に自宅に帰って来た、という行動をしてしまったのである。
他人事のように言っている?
その通り。
俺にはその時の記憶なんて一切無い。
あるのは、なぜかポケットに入っていた小判一枚(小判だよ、本物の金の!)と、空っぽになった俺の財布に入っていたスーパーやファミレスのレシートと、俺の手足に草木でこすれて出来たらしき傷跡が沢山、それだけだった。
あ、そうだ。
俺の不在の時に俺の自室に空き巣らしきものが入った、という事実もある。
小さなテレビモニターと使っていないゲーム機本体、それから俺が思い出だけでとって置いたゲームソフトのいくつかが俺の部屋から消えたってやつ。
そこで警察は悪質なカツアゲで半死半生にされた俺が、監禁者の言うがままに貢いだりして命乞いをして生き延びたか、そこから解放されての帰還だろうと判断した。俺の記憶喪失がその過酷な経験からであるとの診断書も、精神鑑定した医者が勝手に書いてくれた。
また、高校は親が出した休学届を受理している癖に、その事情から俺に補習を受ける事で卒業をしないかと持ち掛けてきた。留年したくない俺は快くそれを受け、だが、受験シーズンが終わった世界で俺が大学進学できるはずもない。
つまり、現在の俺は、浪人一年目、ということだ。
「お客様、誠に申し訳ありませんが。」
俺はホテルの受付に対して微笑んだ。
面倒をかけましたって謝罪の気持ちで。
すると、彼こそ悪いわけではないのに、彼はなんだか頬を赤らめるや何かを決意したような顔付になり、なんと、俺に向かって身を乗り出して来たのである。
「あの。」
「キャンセルがありましたらすぐに連絡します。連絡先をいただけますか?」
「え、えと。」
俺は頭を掻いた。
そこまでして何がしたいんだろうと思いながら。
どうして家にいるのに、帰りたいって、ここは自分の居場所じゃないって思うんだろうって、考えながら。
「お客様?」
「次にします。次はちゃんと予約入れますね。」
俺は本当に何がしたかったんだろう。ホテルに泊まったところで、翌日には家に帰らなければいけないのは変わりなく、そうすれば明日も明後日も今以上の心配を抱いた家族に囲い込まれるのは確実じゃないかって。
囲い込まれたかった?
「君は君の世界で生きるべきだ。」
「え?」
「お客様?」
脳裏に浮かんだ森の奥のような深みのある声に俺はびくりと震え、実際に聞いてはいない自分の右耳を右手で覆っていた。
目の前の受付男性は訝し気に、いや、おかしな客をかなり心配する顔だ。
急いでホテルの外へと出なければ、と俺は踵を返した。
そして、ホテルのエントランスのガラス扉を開ければ、扉の向こうは吹雪いている灰色の世界であった。
俺の生まれ育ったここは、雪が降る田舎町。
中途半端に田舎の町では知り合いのひと目が多すぎて、漫画喫茶に泊まるという選択も俺には無い。
「知人に見咎められて連れ戻されるもんな。」
俺は外に出て、空を見上げた。
真夜中だろうと雪が降る限り空は真っ黒にはならない。
外灯の明りに雪が反射するからか、どこまでも同じ色の暗い灰色だ。
そして、雪が下に落ちる風景が自分が空に上がって行く錯覚を産むのか、エレベーターに乗った時のような感覚を覚えた。
ちん、着きましたよ。
どこにと俺は自分に問いかけた。すると、今目の前にしている風景とは全く違った風景を自分に思い出させた。苔むした緑ばかりの幻想的な古代の森、屋久島の白谷雲水狭。
「俺の中学入学の祝いだって、田舎町から田舎町、それもアニメ原作の森があるところに観光しに行くんだもんな、うちの家族は。まあ、双子の妹も喜んでいたってか、あいつらの希望だったか。」
楽しかった過去の家族風景が思い出された事で、思い出した緑の風景が消えて、目の前の別の風景が重なって見えた。
美しい森だと言えるが、屋久島の森とは違う白と青しかない世界。
俺の住む町の雪景色とは違う、神々しいまでの白い世界。
俺の足は思い浮かべた未知なる森への向かって、なぜか勝手に動いていた。
そこで足が止まった。
止めるしかないだろう。
俺の目の前には、俺が知っている田舎町など消えていたのだ。
いや、森の風景だってない。
俺が今立っているのは、ひたすらに時代遅れに見える日本家屋の広い広い玄関の土間である。
母方の農家の本家だという祖父の家のような、たくさんの客人を迎えられるような広い玄関内に俺はいるのである。
「なんで?」
「どうして貴様がここにいる!」
大声では無いが、俺の全身にその声は響いた。
響くだろう。
声楽をしているかのような、見事すぎるバリトンなのだから。
俺はゆっくりと振り返り、思いっ切り仰け反った。
やばい。
家を間違えましたって言わなきゃ。
だってさ、物凄く背が高い金髪碧眼の、それも、見た事も無いモデルみたいなイケメン外人が目の前に立っていて、そいつの服がさ、コスプレなんだよ。
どうみてもカラス天狗です、ありがとうございます、な。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
15
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる