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天狗と家なき子

君の名を確認するよりも逃げるべき

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 俺は言葉を失っていた。

 だってそうだろう。
 背中に白い翼を付け、鴉天狗にしか見えない修験者?風の衣装を着た外人、それもかなり大柄な男の家に俺は入り込んでしまったらしいのだ。

 同じ日本人でも日常的にコスプレしている人は積極手に疎遠にしたいのに、目の前の奴は外人のコスプレイヤーだよ?
 有名じゃない?
 日本人コスプレイヤーよりも、外人コスプレイヤーの方が数段嵌りまくっているだろうオタクだって。

 きっと、目の前の人も嵌りまくりの人だよ。

 ゲームの主人公のような無造作な切り方の金髪は地毛だろうが、それこそ彼の持ち前の頬骨や鼻筋の美しさ、理知的な額を見せつけるように輝いている。
 真一文字に固く閉じられた唇は暑すぎず薄すぎず、固い決意や覚悟をする男性だけが持てるような同じ男として羨ましい格好の良いものだ。
 そして、俺を睨む瞳は、本物かと聞きたくなるぐらいに綺麗な水色をしている。
 なのに、そんな外見の男が着ている服が、白い着物の上に袖なしの黒い着物を重ねて、ポンポンもついているぞ、という、どこからみても天狗さんなのだ。

 彼は何のアニメのキャラなの!
 ぼくわかんない!

 俺の脳みそは、簡単に目の前の男に白旗を上げた。
 つまり、こいつはやばい、と俺に指令を出したのだ。
 話が通じないかもしれないから、今すぐに逃げろって。

 いや、脳みそではなく、脊髄反射だ。
 だってさ、考えるまでも無いだろう?
 目の前の男はどう見ても三十代は越しているいい大人なのに、これ、なんだよ?

「すいませんでした。家を間違えたみたいです!」

 広い玄関口の扉、それも一枚扉どころか旅館の入り口みたいな引き戸であるのに、彼一人で通せんぼしている状態となっていたが、俺はとにかく外に出ようと彼の脇を駆け抜けようとした。

「――そうだな、ここは日高の家ではない。」

 俺の足は止まった。
 日高?
 彼の友人に日高と言う日本人がいて、俺がその友人だと思われた?
 その日高と言う友人らしき人もコスプレの人?
 見返したら、うえ、じとっとした怖い顔で俺を睨んでいるし!

 あ、唇をぎりってした。
 ものごっつ怒っている、怒っているよ、この人!

 俺は初対面の俺にとにかく威圧する目線しか寄こさない家人に対し、違うという風に右手を振りながら玄関の外に出ようとした。

「いや。違うっす。正真正銘の家間違いです。お騒がせしま、しま、しま。」

 俺は玄関の外に出る事など出来なかった。
 目の前にはほんの少しだけ石畳が見えている地面があるが、それ以外は真っ白な雪の壁が出来ているのだ。雪の壁の高さは二メートルはあるだろう。
 俺は茫然としながら壁の上へと視線を動かした。

 水色の空が見えた。
 空を支えるようにして、葉っぱの代りに雪を纏った真っ白に染まった木々の枝が伸びている。
 完全に人の世界と絶縁されたとしか思えない、世界。

「ええと、それよりもここはどこですか?あの、俺は新潟の、ええと。」

 唖然として空を見上げるしかない俺の視界に、真っ黒なボールが出現したかと思うや、それが真っ赤になってから俺に向かって飛んできた。

「え?」

 俺は俺を寸前まで睨んでいた男に助けられた。
 俺は彼に後ろに思いっきり引かれ、彼は俺を自分の背中に隠し、そして、俺に向かって来た真っ赤な何かを胸に抱き取ったのである。

 俺は、驚きばかりだった。

 守って貰った事もそうだが、男の背中の白い翼が、そりゃもう精巧リアルだったからだ。でもって、温かく感じるという、ものだ。
 いや、この温もりを俺は知っている?

「えっと。」

「この馬鹿が!どうしてまた禁忌を犯した!」

 男の怒号で俺の思考は再び止まった。
 禁忌?また?

「だって、オレ、ユウトと一緒がいいもん。」

「え?」

 子供の声が聞こえ、その声が俺の名前を呼んだと、俺は思わず男の背中から出ていた。

 天狗コスプレは、五歳児くらいの鴉天狗コスプレの幼児を抱いていた。

 真っ赤な髪に真っ黒な瞳をした人形みたいな可愛い幼児は、背中から生えている真っ黒い翼をワサワサ動かしながら、俺にニコッと微笑んだ。

「ユウト!前みたいにゲームで遊ぼう!それでまた一緒にお買い物に行ってファミレスにも行こうよ!」

 どうやら彼らこそ昨年の俺の行方不明の原因だった、らしい。
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