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06 契約

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 名前、名前。

 カイルは精霊をはなだと呼んでいた。多分、精霊の全体的な色からだろう。

 色、色の名前。

 確かにそれなら分かりやすい。しかし。

 目の前の狼たちは皆白い。「シロ」はあまりにも安易ではなかろうか?

 だがほかに思いつかないから仕方ない。それに街中で呼びかけても普通の犬らしいのが良い。

「シロ」

 一番活発そうな一頭にそう呼びかけてみる。果たして「シロ」はクーと鳴いて、嬉しそうに尻尾を振り始めた。

「ビャク」

 白夜の雪原のような、と思いながら一頭を見る。「ビャク」はスルリと首を差し出して、シファに撫でてもらうと、満足そうに伏せて尻尾をはたりはたりと動かしている。

「ハク」

 白銀の雪がサラサラこぼれる様子を思い浮かべてシファが呼ぶのに、「ハク」はガウと小さく吠えてシファに擦り寄る。

「ユキ」

 なんとなく雪うさぎを思わせるつぶらな瞳の最後の一頭にシファが呼びかけると、「ユキ」もクーと小さくないてシファに体をすり寄せる。

「ふむ、其奴らもそなたを気に入ったようだな! これで契約はなされた!」

 竜王さまが宣言する。

 ふと気付くと山頂の霧が晴れていた。

 急に開けた景色にシファは驚く。北の宮はもちろんのこと、西の宮、東の宮、そして失われた南の宮の跡までが見渡せる。

「どうだ凄いだろう! 契約の時だけここは晴れるのだ。やはり契約するのならここであろう?」

 自慢気に言う竜王さまに、シファは、はい誠に、と申し上げる。

 目の覚めるような緑の平原を風が吹きわたっていくのが見える。この景色には見覚えがある。

 それはまだシファがカイルとともに養い親の元で働かされていた頃のこと。シファに辛いことがあった時、カイルは養い親の隙をついて、シファを山へと連れ出してくれた。

 ──シファ、ほら、見てすごく広い。こういう景色は、なんだろう、見ているだけで気持ちが軽くなる。だからね、ごらんよ。

 その頃まだほんの少年だったカイルは、拙い言葉ではあったが、幼い自分を一生懸命励ましてくれた。

 自分たちが思うよりも、世界は広くて美しい。

 何も持たぬ身の上であっても、草原の緑や海の青や、風の通る心地よさを見つければ、少しは心を慰めることができる。
 教えてくれたのは兄弟子のカイルだ。

 あれは南の山から見た景色。いつか、あの綺麗な平原に行ってみよう。北の都に行ってみよう。そう言ってカイルと眺めていた景色を、シファは今、反対側から見る。

 今は別々の道を歩くカイルとシファだ。しかし、あの景色はきっとカイルの中にもシファの中にも永遠に残っているだろう。

 宮を失った南の都は荒れ果て、盗賊さえ住まなくなったという。南の都は嫌な思い出ばかり。それでも改めて見ると懐かしさがこみ上げる。

 シファは竜王さまに申し上げる。

「竜王さま、私はこれより山を下りますが、その前に御礼申し上げます。お力をお貸しくださいましてありがとうございます。その上このような美しい景色を見せていただき、嬉しゅうございます。私この御恩は忘れません」

「何容易いことだ。契約するのが我でないのが残念だが、これも巡り合わせであろう。では、娘よ、健やかにな。白狼どももその娘と楽しく暮らすが良い」

 そう言うと竜王さまは、ばさりと翼を一振るいする。一陣の風が立ち、まるで風にさらわれたように竜王さまは消えた。
 あれほど契約を! と騒いでいた割に、竜王さまの去り際は鮮やかであった。


 精霊との契約は、何か想像していたのと全く違う様子であったが、とにかくシファは精霊を得た。しかも一気に四頭。

 カイルの契約もこんな風だったろうか? 今度会った時に聞きたいような、聞きたくないような。

 書物に精霊のことがあまり残されていないのは、あの竜王さまに原因があるような気がしないでもない。シファが真実を語ったとて、本気にしてくれる者がいるだろうか。


「ところでみんな、ご飯は食べるのかしら?」

 シロに聞いてみるが、シロは首を傾げている。釣られてシファも首を傾げ、それに釣られて残りの三頭も首を傾げている。

「まあ、いいわ。とにかく帰りましょう」

 帰って西の宮に相談をしてみよう。ああ見えて食えない御仁である。シファが魔山に行くのを止めなかったあたり、実は精霊について知っていることもありそうだ。
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