70 / 119
第三章
09 生きていくので(2/2)
しおりを挟む
急に涙が溢れてきて、ザイは戸惑う。気が付けば縹が黙ってこちらを見ていた。
「縹?」
──カイルの子。
「いや、違います」
聞き様によってはえらい話になってしまう縹の言葉に、ザイは涙も引っ込む。
ザイはカイルの実子、というのは根強い宮の噂だ。ザイがカイルの死に取り乱したのも噂を強固なものにしてしまった。
──カイルが守る子。
「ああ、うん。そう、そういう意味ね」
ザイは胸をなでおろす。
ザイは母似で、一見、宰相に似たところがない。足と足の爪の形が父そっくりなので、ザイは子どもの時から自分は宰相の子だと思っている。
大人になって考えてみるに、カイルと母の関係はやはり兄妹に違いないとザイは思う。
母の子ども時代は過酷であったらしく、それを共に乗り越えた兄弟子とは、他人にはわからない信頼がある。
……それはさておき、縹である。
ザイのすぐそばまで来て縹が言う。
──カイルが守る子は死なないの。
縹がなぜそんな話をし出したのかザイには分からないが、ザイははっきり縹に言う。
「うん、僕は死なない」
ザイは思う。こんなとこまで来て蹲ってる僕はカイルさんのやっぱり不出来な弟子だけど、僕は死なない。
下手したらカイルの後を追いかねなかったと皆言うけれど、ザイは自害するつもりはなかった。
自害するつもりはなくとも、当時のザイの様子では皆の心配はもっともなことで、ザイ自身、これはもうダメかもしれないと思ったこともあった。
食べたくとも食べられず、眠りたくとも眠れない、急に攻撃的になったり悲嘆にくれたり、かと思えば何も感じないまま気付けば幾日か経っていたり、と酷い有様だった。
そんな夢か現か分からぬような日々を送っても自死を選ばなかったのは、カイルへの反発があったからだ。何より、カイルの遺言の意味がわからないまま死ぬのは、ザイは嫌だったからだ。
また、戦であれだけ多くの人を殺しておいて、ザイが自身の勝手で死ぬのは、許されない。そうザイが考えているのもある。
それに、ザイは侍従だ。侍従である間は、主人に命じられる以外のことでは死ねない。
ザイの主人は口は悪いし、人は悪いし、気は短いし、すぐ怒るし、すぐ暴れる。要らなくなったら即バッサリ斬り捨てそうに見える。
だけどあれでいて、とても面倒見が良い方なのである、とザイは思っている。
──だから、斬られるときは僕も納得済みだと思う。
それは侍従になると決まった時、ザイがポロッとこぼした言葉。
元女官の母は「それはそうね」と言い、宰相の父は無言になっていたっけ。
あれは父はやっぱり納得してなかったんだろうなあ、とザイは思う。
僕を宮から遠ざけたくて、僕が官吏になるのも嫌がった父だ。侍従などもってのほかだっただろう。それは今でも、かもしれない。
だけど。
主人に斬られるその瞬間まで、ザイは生きるのだ。敵の血に染まったその身に侍従装束を纏わせて。
ザイは縹を見る。
「縹。僕はこれからも生きていくつもりだよ。こんな僕に付き合ってくれる精霊はいるかな?」
※
挑むようなザイに対する縹の返答は、ザイにとって意外なものだった。
──分からない。
あれ? 拍子抜けしたザイは、ガクッと崩れそうになるのを耐えて、縹に聞く。
「縹、おススメしてくれるんじゃないの?」
それに縹はザイの周りをフワフワ漂いながら言う。
──おススメするの。でもおススメするの、縹は初めてだから。少し待って。
「あ、はい」
うん。精霊だって、何事も初めてのことはあるよね。僕も最初、契約しにきたんじゃないって言っちゃったから、縹も急に契約したいとか言われても困るよね、うん。
ザイは、一生懸命考えているらしい魔山の主人代行の精霊を生暖かい目で見ながら、さっきとは別の意味でちょっとだけ泣きたい気持ちになっていた。
※
いや、でも、待てよ。
縹を待つザイは考える。精霊の「少し」はおそらく一晩じゃきかない。このまま待っていたら痺れを切らした陛下に捜索を出されそうである。
ザイがここに来たのは公には一応伏せられているから、捜索に出される人物は限られる。他の侍従か、お使いか。それならまだ良い。しかし例えば、
「先代の東の宮さま、とか?」
ザイは思わず声に出してゾッとする。
ザイの師匠がどういうわけか苦手としていたあの御仁に追跡されれば、ザイなどいいように遊ばれる。
今は隠居のお暮らしだが、かの方は豪く剛くて毅くて強い。先の東の宮にして、今上の叔父君、今上を大陸一の剣の使い手として育て上げた方である。
いや、悪い方ではないのだけど。
今上のお人の悪いところは、間違いなく先の東の宮の影響だとザイは思っている。
本当にザイが逃亡したとみなされて本気の追っ手をかけられるとしたら、あの方が来る。
縹、早くして。
想像したザイは若干涙目で縹を見る。
すると縹が言った。
──そうだ、ごきぼうを聞くの。
ふわっと寄ってきた縹が嬉しそうに言う。
「ごきぼう? 僕の希望?」
──そう、そなたのもとめるものを、もーしてみよ。
申してみよと仰られましても。
どこか棒読みのセリフのような縹の言葉に、今度はザイが困る番だった。
おススメを聞いてから選ぶのじゃダメ? と聞くザイに、縹は「ごきぼうを聞いてからおススメするの」と譲らず、ザイは途方にくれるのだった。
「縹?」
──カイルの子。
「いや、違います」
聞き様によってはえらい話になってしまう縹の言葉に、ザイは涙も引っ込む。
ザイはカイルの実子、というのは根強い宮の噂だ。ザイがカイルの死に取り乱したのも噂を強固なものにしてしまった。
──カイルが守る子。
「ああ、うん。そう、そういう意味ね」
ザイは胸をなでおろす。
ザイは母似で、一見、宰相に似たところがない。足と足の爪の形が父そっくりなので、ザイは子どもの時から自分は宰相の子だと思っている。
大人になって考えてみるに、カイルと母の関係はやはり兄妹に違いないとザイは思う。
母の子ども時代は過酷であったらしく、それを共に乗り越えた兄弟子とは、他人にはわからない信頼がある。
……それはさておき、縹である。
ザイのすぐそばまで来て縹が言う。
──カイルが守る子は死なないの。
縹がなぜそんな話をし出したのかザイには分からないが、ザイははっきり縹に言う。
「うん、僕は死なない」
ザイは思う。こんなとこまで来て蹲ってる僕はカイルさんのやっぱり不出来な弟子だけど、僕は死なない。
下手したらカイルの後を追いかねなかったと皆言うけれど、ザイは自害するつもりはなかった。
自害するつもりはなくとも、当時のザイの様子では皆の心配はもっともなことで、ザイ自身、これはもうダメかもしれないと思ったこともあった。
食べたくとも食べられず、眠りたくとも眠れない、急に攻撃的になったり悲嘆にくれたり、かと思えば何も感じないまま気付けば幾日か経っていたり、と酷い有様だった。
そんな夢か現か分からぬような日々を送っても自死を選ばなかったのは、カイルへの反発があったからだ。何より、カイルの遺言の意味がわからないまま死ぬのは、ザイは嫌だったからだ。
また、戦であれだけ多くの人を殺しておいて、ザイが自身の勝手で死ぬのは、許されない。そうザイが考えているのもある。
それに、ザイは侍従だ。侍従である間は、主人に命じられる以外のことでは死ねない。
ザイの主人は口は悪いし、人は悪いし、気は短いし、すぐ怒るし、すぐ暴れる。要らなくなったら即バッサリ斬り捨てそうに見える。
だけどあれでいて、とても面倒見が良い方なのである、とザイは思っている。
──だから、斬られるときは僕も納得済みだと思う。
それは侍従になると決まった時、ザイがポロッとこぼした言葉。
元女官の母は「それはそうね」と言い、宰相の父は無言になっていたっけ。
あれは父はやっぱり納得してなかったんだろうなあ、とザイは思う。
僕を宮から遠ざけたくて、僕が官吏になるのも嫌がった父だ。侍従などもってのほかだっただろう。それは今でも、かもしれない。
だけど。
主人に斬られるその瞬間まで、ザイは生きるのだ。敵の血に染まったその身に侍従装束を纏わせて。
ザイは縹を見る。
「縹。僕はこれからも生きていくつもりだよ。こんな僕に付き合ってくれる精霊はいるかな?」
※
挑むようなザイに対する縹の返答は、ザイにとって意外なものだった。
──分からない。
あれ? 拍子抜けしたザイは、ガクッと崩れそうになるのを耐えて、縹に聞く。
「縹、おススメしてくれるんじゃないの?」
それに縹はザイの周りをフワフワ漂いながら言う。
──おススメするの。でもおススメするの、縹は初めてだから。少し待って。
「あ、はい」
うん。精霊だって、何事も初めてのことはあるよね。僕も最初、契約しにきたんじゃないって言っちゃったから、縹も急に契約したいとか言われても困るよね、うん。
ザイは、一生懸命考えているらしい魔山の主人代行の精霊を生暖かい目で見ながら、さっきとは別の意味でちょっとだけ泣きたい気持ちになっていた。
※
いや、でも、待てよ。
縹を待つザイは考える。精霊の「少し」はおそらく一晩じゃきかない。このまま待っていたら痺れを切らした陛下に捜索を出されそうである。
ザイがここに来たのは公には一応伏せられているから、捜索に出される人物は限られる。他の侍従か、お使いか。それならまだ良い。しかし例えば、
「先代の東の宮さま、とか?」
ザイは思わず声に出してゾッとする。
ザイの師匠がどういうわけか苦手としていたあの御仁に追跡されれば、ザイなどいいように遊ばれる。
今は隠居のお暮らしだが、かの方は豪く剛くて毅くて強い。先の東の宮にして、今上の叔父君、今上を大陸一の剣の使い手として育て上げた方である。
いや、悪い方ではないのだけど。
今上のお人の悪いところは、間違いなく先の東の宮の影響だとザイは思っている。
本当にザイが逃亡したとみなされて本気の追っ手をかけられるとしたら、あの方が来る。
縹、早くして。
想像したザイは若干涙目で縹を見る。
すると縹が言った。
──そうだ、ごきぼうを聞くの。
ふわっと寄ってきた縹が嬉しそうに言う。
「ごきぼう? 僕の希望?」
──そう、そなたのもとめるものを、もーしてみよ。
申してみよと仰られましても。
どこか棒読みのセリフのような縹の言葉に、今度はザイが困る番だった。
おススメを聞いてから選ぶのじゃダメ? と聞くザイに、縹は「ごきぼうを聞いてからおススメするの」と譲らず、ザイは途方にくれるのだった。
1
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる
街風
ファンタジー
「お前を追放する!」
ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。
婚約破棄されたので聖獣育てて田舎に帰ったら、なぜか世界の中心になっていました
かしおり
恋愛
「アメリア・ヴァルディア。君との婚約は、ここで破棄する」
王太子ロウェルの冷酷な言葉と共に、彼は“平民出身の聖女”ノエルの手を取った。
だが侯爵令嬢アメリアは、悲しむどころか——
「では、実家に帰らせていただきますね」
そう言い残し、静かにその場を後にした。
向かった先は、聖獣たちが棲まう辺境の地。
かつて彼女が命を救った聖獣“ヴィル”が待つ、誰も知らぬ聖域だった。
魔物の侵攻、暴走する偽聖女、崩壊寸前の王都——
そして頼る者すらいなくなった王太子が頭を垂れたとき、
アメリアは静かに告げる。
「もう遅いわ。今さら後悔しても……ヴィルが許してくれないもの」
聖獣たちと共に、新たな居場所で幸せに生きようとする彼女に、
世界の運命すら引き寄せられていく——
ざまぁもふもふ癒し満載!
婚約破棄から始まる、爽快&優しい異世界スローライフファンタジー!
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。
樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。
ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。
国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。
「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる