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第四章 王国へ

23 肝試し(ひとりふえた)と紙束

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 南の魔物退治が演習に変わって一日目の夜。

 砦は見張りを除いて、ぐっすりと眠りに落ちていた。

 暗闇の中、二組の人影が進んでいる。東の先代と宰相婦人が陣の内から、もう一組は陣の外、北側から。

 結界で遮られた二組は、誰も起こさず見張りの者も欺いて、難なく砦地下入り口にそれぞれ辿りつく。

 合流して開口一番、北側から来たリヒトが東の先代に申し上げる。

「俺、肝試しなんて本っ当嫌なんですけど?」
「だから呼んだ」
「いやー! ヨシュアさん助けて!」

 即座に泣きつくリヒトだったが、泣きつかれた当の宰相ヨシュアさんはリヒトの相手どころではない。合流してすぐ、シロとビャクのモフモフ二頭にジャレつかれていて、そちらに構いきりである。リヒトは「ねえ、聞いて」と呟く。

 東の先代が憮然としてリヒトに言う。

「なんで宰相なんぞ連れてくるんだ面倒な」
「いや、勝手に付いてきちゃったんですよ? でも、どうせ行き先は割れてるし、ビャクがいるとはいえ万一やられたら何か目覚め悪いですし。だいたい途中、俺がおいて行かれそうな勢いで?」

 それで結局一緒に来たのだ、とリヒトは申し上げる。
 じろりと東の先代が宰相を見るのに、ようやく宰相が東の先代に申し上げる。

「いずれ視察の予定であるので下見に参りました。すぐに帰ります。リヒトさんもいますし、皇妃様のお帰りも一週間早めましたから、陛下のお許しは明朝にはいただけるかと」

 仕事は、宰相補佐不在の今、文官長に丸投げしてきたという。

「それは許可とは言わん。そもそも宰相が下見とはなんだ。だいたい、ガレス……、チッ、どいつもこいつもド阿呆か」

 自身の甥であるが、流石に今上帝を直接批判することは、先の東の宮といえども憚られたらしい。東の先代が半眼で言うのに宰相は猶も申し上げる。

「宮に滞りはございません。文官長は有能ですし、セラ女官が皇妃様のお側にあるこの一年は特にそうでございましょう。なるほど縁を結ぶというのも、なかなかよろしゅうございます」

 真面目な顔はいつもの通りで、千切れそうなくらい尻尾を振っているやたら大きな犬に塗れていなければ、それなりに様になっていただろう。

「まあ俺の知ったことではないしな。さて、シファよ、どうする?」
「致し方ございません。私が守りますゆえ」
「なら行くか」

 四人は砦の地下へと降りて行った。

 ※

「あいつら喧嘩してるんだろう?」
「してるつもりなんでしょうねぇ」

 先を行く東の先代とリヒトはボソボソと話し合いながら後ろの宰相夫妻を伺う。

 シロとビャクがじゃれて夫妻の周りを跳ね回っている。

 ほわほわと光る犬たちの姿を隠さなくて良いのか問うたリヒトは「灯り代わりです」と夫人に返され黙った。目が怖かったと言う。

 どうやら使役者である夫人にも抑えられないほど精霊達ははしゃいでいるらしい。

「あいつら、ああやって喧嘩する意味あるのか?」
「あー、だから、今回のシファさんの”家出”なんでしょうねぇ。それを宰相ダンナが宮ほっぽり出して闇夜に紛れて追っかけてくるんですから、ありゃあもう、犬も喰わんです」
「なるほど精霊ヤツらはああいうのが好物か」
「宮様が食いつきなさるお話じゃあございませんってことですよ。あんまりおからかいにならないで下さいよ? 俺は次が怖いですから」

 したり顔の先代の横で、 リヒトは何にせよ甘ったるい話だとうんざりしている。

「文官長はこれを機にいよいよ宮を乗っ取りにきそうか?」
「あー、逆に警戒なさったでしょう。唖然とされてましたよ」

 文官長は密やかに宰相邸に招かれ、そこで引継ぎを受けた。一方的に宰相の方針を聴かされ、その他細かいことについては秘書官に御尋ねになって下さい、と締めくくられ何かご質問は? 無ければ……と言う段になってようやく「承知いたしました」と渋々答えるまで文官長は無言であった。

 ちなみに、そこには皇妃の使いも呼ばれていた。リヒトはと言えば、書記官の格好でそこに同席させられたのだ。

「商い姫が文官長の見張りか」
「そうみたいですねぇ。俺と先代様が宰相閣下の監視、リウィ様が文官長様を監視。
 ガレス様もリウィ様がお早くお帰りになりゃ文句ないでしょうし」
「あいつらもなあ。やはり俺は早々に隠居して正解だった」

 あっちもこっちも聞くだけで面倒くさい、と東の先代は忍び笑いを漏らす。

 宰相夫妻は東の主従の話が聞こえているのかいないのか終始無言である。ただシロたちだけが嬉しそうにしていた。

 ※

 一方、翌朝北の宮。

「宰相が三日ほど休養をとる」

 そう告げた己が主人を思わずじっと見てしまった侍従筆頭だった。

 三日ほど。

 その「ほど」とはどれくらいのことなのやら。
 まあ、王国ではザイが順調に役目を果たしているし、皇妃様が戻るのはまだ調整中であるし、と筆頭は思い直す。

 が。

 同じ口で皇妃の復帰の日を具体的に告げられ、「ああ、やっぱりか」と筆頭は思う。

「陛下」

 つい咎める口調になってしまう筆頭を宥めて、皇帝は言う。

「あー、皇妃のことだけじゃないぞ?」

 宰相がぶら下げた餌に食いついたことをあっさり認める皇帝に、筆頭は胡乱な目を向けてしまう。そんな筆頭に「まあ、聞け」と皇帝は言う。

「宰相とザイ、さらには夫人の不在だ。誰がどう動くか、よく見ておけ」

 ニヤリと笑う皇帝に、筆頭はなるほど、と頷いた。

 機嫌の良い主人を、筆頭はほっとした様子で見る。宰相が宮を去るかも知れない、という恐れは、先日皇妃に話した通り、もうこの主人にはないのかも知れない。

 ※

 宰相に三日分の全てを丸投げされた文官長は、翌朝、侍従筆頭を訪ねた。

 誰がどう動くか、最も注視していた人物の向こうからの訪問に、筆頭は面食らう。

 そうして文官長から筆頭に渡されたのは、宰相の字で綴られた紙束だった。それなりの厚さがある。

「……文官長様がこれをお預かりに?」
「そうだ。今は宰相補佐が不在であるから、私にと」

 重い。受け取った筆頭は途方に暮れる。

「左様でございましたか。ところでなぜこれを私に?」
「何となくだよ」
「な、なんとなく、でございますか?」

 筆頭は思わず瞬きをして文官長を見てしまう。

 かつて部下であったとき、筆頭はこの文官長の厳格さに随分と苦労した。何か書類を上げるたび、意見を述べるたび、「根拠は?」と万に一つの綻びもなくなるまで延々と文官長さまに詰められたあの日々。

 それが「何となく」で、こんなどう見ても厄介で重要そうな書類を見せてくるとは。

「何となくこれは、今、君に見せた方が良いと考えた。扱いについては閣下は私に一任すると仰せであったから、君が見るに何の問題もない」
「は、で、では拝見を」

 見ていくうちに、筆頭の顔色は次第に悪くなる。

 それは宰相が「時期を見て」表したいと言っていた宰相の方針その他の一覧。

 もちろん、筆頭にとっては、それとなく知らされていたものばかりではあった。

 だが、これを文官長に詳らかにした宰相の、また、それを自分に知らせてきた文官長の考えは図りかねる。

 筆頭は脂汗を滲ませながら紙片を繰る。そして、最後の紙片に辿り着いた筆頭はとうとう絶句する。

「……君も知っての通り、私もかつては夢を見た。しかし、私は今の今は娘が大事なのだ。つまり、私は君と争う気はない」
「それはその」
「私に異存はない」

 筆頭はゴクリと唾を飲み込む。

「次の宰相は君だ、トラン」

 最後の紙片は連署状だった。

 長らく不在の宰相補佐に、現侍従筆頭トランを推す内々の連署。

 ズラズラと続くお歴々の署名の一つに、今朝書いただろう、墨の色も鮮やかな文官長の署名があった。


※────
・なるほど縁を結ぶというのも、なかなかよろしゅうございます
→第二章07話「それを恋などとは言わせない(ただしこれは犬と呼べ)(1/2)」

・宰相が宮を去るかも知らぬ、という恐れは、先日皇妃に話した通り、もうこの主人にはない
→第三章07話「嫌でないわけがないのに離れがたい」

※────
名前の補足
・ヨシュア=宰相(主人公ザイの父)
・シファ=宰相夫人(ザイの母)

・ガレス=今上皇帝(東の先代の甥)
・リウィア=今上皇妃=リウィ様=商い姫

・トラン=侍従筆頭
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