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1巻
1-2
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彼の強い意志に、リーフェの心は大きく揺さぶられる。
リーフェをさらい、あの塔から連れ出してくれたこの人は、正しく盗賊王だ。そして彼は民のために生きる覚悟がある。
楽しい妄想で誤魔化しながら、ぼんやり生きているリーフェとは大違いの立派な人。尊敬できる相手だからこそ、あまりに苦しかった。
(駄目……っ!)
ちゃんと伝えなければ。リーフェはレイラではないと。
間に合わなくなるその前に――
「お願い、待って!」
「アンタがどんだけ嫌がろうが、俺は――」
焦りと緊張でどうにかなってしまいそうだけれど、リーフェは必死で主張した。
「違う! だから、間違いなの!」
「暴れたところで――」
「わたしは! レイラじゃ! ない!!」
そう伝えた瞬間、彼の動きがピタリと止まった。
「…………は?」
サディルは、リーフェの言葉を理解するのに時間がかかっているようだった。ひとしきりその意味を考え、もう一度呟く。
「……え、いや…………は?」
リーフェは一度深呼吸し、サディルに向きなおる。
「わたしは、姫神子レイラじゃ、ありません」
一度声を出すと、幾分か言葉が出やすくなるらしい。
少し冷静になって、態度を改める。上半身を起こしてから、ゆっくり首を横に振った。
呆けたままのサディルの胸元に手を置き、改めて彼の顔をのぞき込む。すると燃えるような赤い瞳が、不思議そうにリーフェを見つめ返してきた。
「だって。アンタ、どう見ても。姫神子レイラにしか……」
「似ているのは当たり前だと思います。だって、わたしは――」
真実を口にするのは怖い。誰かに自己を紹介したことなど、今まで一度もなかったのだから。
表向きには、リーフェは存在しない人間。それでも話さなければとリーフェは思う。
「レイラの双子の姉。忌むべき片割れですから」
「……双子? 嘘を言って誤魔化そうとしても、そうは――」
「証拠ならあります。――気づいてはいらっしゃらないみたいですけれど」
「え?」
「瞳の色。レイラの瞳の色は有名ですから、ご存じなのでは?」
「だから紫、じゃ――」
サディルは、信じられないと両目を大きく見開いた。
「ねえ、だと……?」
きっと、あの塔に訪れた時間が悪かった。
妹レイラの瞳は、国で唯一の美しい紫であると有名だ。でも、夜の薄暗い時間に、その紫色を正しく認識するのは難しいだろう。
光の当たり具合で瞳の色は見え方が異なる。夜の時間ならばレイラの瞳も、かなり深く暗い色に見えるだろうから。――黒に見えても違和感がないほどに。
「黒い瞳――」
ぐいっと、サディルの親指がリーフェの下瞼を引っ張った。そうして凝視するように瞳をのぞき込み、嘘だろと唸る。
いくらのぞき込んでも、光の当たる角度を変えても、リーフェの瞳は暗い色彩をたたえるだけ。レイラの水晶のような瞳と違い、色の変化は見られない。
「マジで言っているのか」
強引にリーフェを捕らえていた力強い手が、戸惑うように宙をさまよう。
「そう、か。……悪かった。この通りだ」
そして彼は、深々と頭を下げた。
それがリーフェには信じられなかった。だって、リーフェよりもいくつも年上の――いくら盗賊とはいえ王とも呼ばれる人間が、こんな忌子に頭を下げるだなんて。
なんと潔い人なのだろうか。あっさりと自分の非を受け入れ、謝罪してくれるとは。
こんなこと、今までのリーフェの人生ではありえないことだった。
(……素敵な人)
胸の奥で、彼に対する好意が膨らむ。
だからこそ悔しくもあった。もし自分がレイラであったのなら、それだけで彼のものになれていたはずなのに。
どうせリーフェはいらない存在だ。押しつけられても困るような、忌むべき神子でしかないのだから。
「――悪かった。送っていく」
「え?」
「アンタをさらう気なんかなかったんだ。送っていくのが筋ってモンだろう?」
そう言いながら、彼はマントを拾い上げ、くるりと巻き付けた。
「ですが、危険なのでは……?」
「あのなあ。――どう考えても間違えた俺が悪いじゃねえか。責任をとるっつってるんだ」
城はもう騒ぎになっているだろうか。
リーフェは忌子。存在を隠さなければいけないという意味でも、レイラの影という意味でも、エンリエ教主国はリーフェを確保したがるだろう。そんな存在を連れてのこのこ戻るとなると、いくらサディルでも骨が折れるのではないだろうか。
「――って、くれませんか?」
声が震えた。よく聞こえなかったようで、サディルが片眉を上げる。
「だから、あの――」
リーフェのために、危険を冒してまで帰してくれようとする彼のことが気になって仕方ない。
このまま彼に身を委ねて都に帰るのは、気持ちの上では楽なのかもしれない。でも、今を逃せばリーフェは一生、籠の中の鳥だ。
だからリーフェは、なけなしの勇気を絞り出す。
「あのっ! わたしの処女を! もらってはくれませんか!?」
「はあ!?」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。一度伝えると決めたらもう止まらない。
「わたしでは駄目ですか!? わたしでは、砂の国ラ=メウの神子の代わりを果たせませんか!?」
「ちょ、声! 声がでけえ!」
「わた……っ、す、すみませんっ」
こんなに大きな声を出したのは、人生ではじめてだった。
でも、今伝えないと。リーフェはきっと一生後悔する。
ひとりあの塔に戻ったとしても、もう、以前と同じように妄想に耽ることなどできそうもない。
リーフェの心にはサディルの存在が刻まれてしまっている。同じ妄想をしようとしても、思い描くのはきっとサディルの姿だけになるだろう。
そしてなによりも、夢を叶えたいのなら、ここで引いてはいけないことだけは確かだ。
「ちっとは落ち着け、な? なんだってそんな、いきなり」
「確かにわたしは間違えられて。しかも忌神子です。でも、わたしだって! 役に立てると思います!」
「役に立てる?」
「神力、それなりにあります。土地を潤すことだって、得意だと思います。そもそもこの国の大地を癒やしているのは、わたしですし」
「は?」
サディルは口をぽかんと開けて、固まった。
「レイラの代わりなんです、わたし。だからわたしは、あの塔で隠れて大地に祈りを捧げて。――それがレイラが祈った成果だと、世間には知られていて」
サディルが信じられないと目を剥いた。
「嘘だろ?」
「嘘じゃないです。あの塔の最上階。そこに住む神子が祈りを捧げてるのは有名なのですよね?」
「でも実際にいたのは、アンタだった」
「はい。わたしは毎日あそこから祈りを捧げて。でも、それがレイラがやっていることになっていました」
神子の塔。あの塔の最上階から、祈りは大地に広がっていく。
祈りを踊りに込めて。あるいは歌に乗せて。
国民の誰もがその事実を知っている。
実際は、それらの歌も祈りも、すべてリーフェによるものだけれど。
あの塔は神子の塔。確かにレイラも神子としての力は皆無ではないし、あの塔で暮らしている。でも彼女が生活しているのは、地上に出やすい低層階だ。
人々は、あの塔の最上階に住んでいるのがレイラではなく、幽閉されたリーフェであったことを知らないのだ。
「それは、本当なのか」
「っ、はい」
「アンタには、俺の国の大地を潤すだけの力があるっていうのか」
「レイラを連れていくよりは、力になれると思います」
「……っ」
真っ直ぐに彼を見つめると、サディルはくしゃりと眉根を寄せた。
大きな手で額を押さえ、噛みしめるようにして唸り声を上げる。
「ただ、忌子というのは本当なので、それでもよければですが」
「いいに決まっているだろう!」
「っ!?」
がしりと、両肩を掴まれる。
サディルの顔が近づき、真剣な眼差しが真っ直ぐにリーフェを射貫く。
「忌子だなんだの、そんなものは迷信だ! 気にするような臆病者、俺の国にはいない! アンタが来てくれるなら、こんなにも心強いことはない!」
「……信じてくれるんですか?」
リーフェはぽろりと口にする。
彼の言葉が嬉しくて。本当に夢みたいだと思って、確かめたくて。
「あの塔の最上階の住人が、この国を潤しているのは事実だろう?」
「ええ。レイラではありませんけれど」
「それにあの塔の警備の数は確かに異常だった。――それこそ、国にとって最も大切な宝物を護っていると言われても頷けるほどに」
「でも、あなたはひとりでそれを突破できたんですよね?」
「そりゃあそうだろ。俺を誰だと思っているんだ?」
その答えは、簡単に口にできる。
「盗賊王」
「ご名答。――取り消しはナシだからな? 泣いて嫌がっても、俺は絶対アンタを連れていく」
ぎゅっと、胸の前で手を握りしめる。
真っ直ぐサディルを見つめると、彼は自信たっぷりに口の端を上げた。
「アンタは俺の宝だ。わかっているのか? 俺は一度手にした宝は、絶対に手放さないぞ?」
「望むところです」
大きく頷き、リーフェはサディルの胸に飛び込んだ。
彼の胸板は逞しくて、リーフェがしがみついてもビクともしない。リーフェは彼のものになれるのだと、喜びが溢れる。
「そうと決まれば、とっととこの国からずらかるぞ。まあ、心配はしなくていい。すべて手はずは整えている」
「っ、はい」
リーフェはこくこくと頷く。――が、そういえばと、はたと気がついた。
「あの……ひとつお伺いしたいのですが」
「なんだ?」
「処女は奪ってくださらないのですか?」
「ぶふっ!?」
おかしい。なぜ、噴き出すのだろう。
サディルは目を剥いて、リーフェの顔を三度見くらいしている。
「……なぜそうなる?」
「わたしが忌神子だとわかったうえで、わたしを宝にしてくださるって、いま……!」
「宝とは言ったが! アンタは、自分の意志で俺たちについてきてくれるんだろう? 処女を奪う必要なんか、どこにも……!」
「で、でもっ!」
「抱かれなくて済むなら、それに越したことねえだろ!? ――俺が言えることじゃあないが、俺は強引に女を連れ去って犯そうとする頭のイカレた男だぞ!?」
「わたしはむしろ、あなたがいいのですが!」
「はあ!? ――はああああ!?」
サディルの頬が引きつっている。
心底理解できないと言うかのごとく、両目をひん剥いていた。
「あ、あー、あー……」
それから、両腕をがっちり組んで、俯いたり、のけ反ったり、頭をぶんぶん振りながらしばしなにかを考えている。
心底理解できないと言うかのように、うんうん唸りながら考えた結果。
「いや、さすがにないだろう」
はっきりと、この一声である。
リーフェの夢は一瞬のうちに粉々に砕かれ、打ちひしがれるしかなかった。
「いやいや姫さんよ。落ち着け。あのな? アンタ、さらわれたせいで精神が昂ぶってるだけだって。ヤらなくて済んで、互いによかったってことにしとこうや。な?」
「でも」
「別に処女なんざもらわなくても、さっきの約束はたがえない。アンタは俺の宝だ。できるかぎり便宜ははかるし、苦労はさせねえ。――ひとまずそれで手を打っちゃくれないか?」
リーフェは目を伏せた。
もちろん、リーフェだって無理強いするつもりなんかない。
でも勇気を出して言ったのに、受け入れてもらえなかった。落胆する気持ちを抱えつつも、こくりと首を縦に振ることしかできない。
「っし。理解してくれて嬉しい。えーっと……」
ふとなにかに気がついたかのように、彼が漏らす。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかった」
「え?」
「そうだろ? 忌神子ってのも俺の国に来たら違うしな。アンタのこと、なんて呼べばいい?」
「あ…………」
リーフェ。そのたった一言を、すぐには口にできなかった。
存在こそないものとされているけれど、名前くらいは与えられている。
けれどもリーフェは忌子。その名前を呼ぶと不幸になると、世話係にすら思われていたから。だから誰も、彼女の名前を発音することはなかった。
「どうした?」
「……その。わたしの、名前は」
今日一日でたちまち好きになってしまった人を、不幸になどしたくない。だから、名前を教えるべきではないのだろう。
一度くらい誰かに呼んでほしいという気持ちとない交ぜになり、気持ちが萎んでいく。
「呼ぶと、不幸になりますから……」
俯き、ぎゅっと拳を握りしめるリーフェを見て、サディルはくいっと片眉を上げた。
「おいおい、ナメてくれるなよ。俺を誰だと思ってんだ?」
がしがしがしと、先ほどよりもずっと強く頭を撫でられ、リーフェは顔を上げる。
目の前では、サディルがニィと濃い笑みを浮かべている。そして彼は、片方の手を握りしめ、親指を突きたて、とんとんと己の胸を叩いてみせた。
「盗賊王」
「正解。ま、盗賊ってつくのがイマイチかっこつかねえが」
「でしたら、砂の王?」
「気取った言い方だとそうだな。今まで、散々罪を犯してきたんだ。罰が当たるならとっくに当たってる。そんな俺が、今さらアンタの名前を呼んだくらいで不幸になると思うか?」
そうは思えないと、リーフェは素直に首を横に振る。
「だろう? だから、そう怖がるな」
こくりと頷くと、サディルも満足そうに笑う。
「わかりました。――――わたし、リーフェといいます」
「そっか。リーフェ、これからよろしくな」
「はい。っ、――はい」
深く、あったかく響いた彼の声に、もうリーフェの心は限界だった。
だって、全部がはじめてだ。
こうして宮殿の外に出たのもそう。
強く抱きしめられ、頭を撫でられたのもそう。
気易く話しかけてもらえたのも、未来の約束をくれたのも。
リーフェ。この名前を呼んでくれたのも。
「……っ」
ぼろっと、大粒の涙がこぼれ落ち、頬を伝っていく。
一度堰を切ると、もう止めようもない。ぼろぼろととめどなく溢れる涙に、リーフェ自身どうしたらいいのかわからなくなった。
「おい!? ちょ、どうした!?」
「ちがっ、これは……」
どうしようもなかった。目元を擦って止めようとするも、思うようにはいかない。
「違うんです、……わたし……っ」
人前で泣くことすらはじめてで、どうしたらいいのかわからない。うろたえるリーフェを前にして、サディルはガシガシと己の頭を掻いた。
「あ。あー……くっそ、待ってくれ。俺、こういうのは慣れて……ああー、もう!」
かと思うと、突然がばっと抱き寄せられ、目を見開く。
彼の肩口に顔を埋める形になり、その温もりにますます涙が止まらなくなった。
「わかった。泣け泣け。好きなだけ泣いてくれ。アンタのことは俺がちゃんと幸せにするから」
もちろん、「幸せにする」に深い意味は含まれない。それはわかっているけれど、それでも、彼のくれる約束が嬉しくて、胸に深く響く。
「涙、俺の服で拭っとけ。あんまり上等な布じゃねえのは悪いがな」
とんとんと、背中を叩く彼の手が優しい。
冗談交じりの彼の言葉が胸に沁み、ますます涙が止まらなくなる。
本当はすぐに出発したほうがいいのだろう。
けれどもこのとき、彼は本当に、リーフェが落ち着くまでたっぷり泣かせてくれた。
「――泣くと、わりと体力使うだろ?」
そう言いながら、サディルは自分のマントでリーフェの身体を包んで、抱き上げる。
目が痛くなるまでわんわん泣いたせいで、リーフェ自身、ぐったりしてしまっていた。
疲労で涙が出なくなるまで泣いたこともはじめてで、サディルと出会ってからはじめてだらけだ。きっとこれからも、はじめてなことがたくさん増えていくのだろう。
サディルに大切に抱き上げられ、ふたりして二階の寝室を出た。
階段を下りる音が響いたからか、コトが終わったことを、彼の部下たちも悟ったらしい。
一階で談笑していた彼らがぴたっと会話を止め、こちらを振り向く。
皆が皆、なんと声をかけたらいいのかわからない様子で、困ったように苦笑いを浮かべていた。
「あー……えっと。お疲れさまです。って、うっわ!? ちょ、サディル様、なにしてくれちゃってるんですか!?」
一階にたむろしていたのは全部で四人。その中でも、一番年上らしき青年が声をかけてくる。
サディルと同じ褐色の肌に、赤い髪。くりっとしたヘーゼルアイが印象的な、気さくな雰囲気の男性だ。小柄でバンダナを巻いた彼は、リーフェの顔を見るなりギョッとする。
「アナタ鬼畜ですか!? 優しくしてあげてって言ったじゃないですか!?」
泣きすぎてすっかり目が腫れていたせいで、誤解されてしまったようである。
「そうですよ! 一体どんな乱暴をしたら――」
「おい、思い出させてあげるなよ。姫さんが可哀相すぎるだろっ」
「っ、そ、そうだな。せめて俺たちは、優しく――」
「――だよ……が怖がらせた分、俺たちは――……」
大騒ぎだった彼らも、なぜか唐突に小声になっていく。部屋の片隅に集まって、ひそひそとなにかの作戦会議を始める始末。
「おい、テメエら」
と、そこでサディルがつっこんだ。
「言っておくが、ヤってねえからな!」
「えっ」
全員がぴたっと一瞬固まってから、また小声でなにかの会議が始まった。
「……なんだよその反応は」
「や、だって。ヤる気満々だって言ってたじゃないですか。さらいに行く前は」
「コイツの前で、俺がサルみたいな言い方するなよ」
「違うんですか?」
「違うわ!! 国のためだろ!?」
どうやらサディルの部下たちは、彼に遠慮がないらしい。やいのやいのとからかってくる部下に、サディルのほうがたじたじになっている。
それがおかしくて、リーフェはくすくすと声に出して笑った。
「姫さんが、笑った……?」
「えっ、あ、ごめんなさいっ」
せっかく楽しそうに会話をしていたのに、止めてしまって申し訳ない。わたわたしながら両手を振ってみると、なんだか皆がぽかんとした目でこちらを見てきた。
「か、かわいい」
「サディル様、本当にその子とヤってないんですか? 逆に、正気?」
「テメエら、俺にヤらせたいのか、優しくさせたいのかどっちなんだ……」
はああと大きなため息をつきながら、サディルは皆の前に歩いていく。
「まあいい。今ははやくこの町を出るぞ。――コイツにゃ国まで同行してもらう約束だ。俺たちの宝だ。丁重に扱えよ」
「アナタが一番、優しくしてやってくださいよ」
「わかってるよ。――ほら、リーフェ。自己紹介」
あえてリーフェと呼ばれたことで、再び皆きょとんとする。
一斉に注目を浴び、緊張で背筋が伸びた。黙ったままではいけないと、リーフェは頭を下げる。
「忌神子の、リーフェです」
「忌神子じゃなくてラ=メウの神子な」
「ラ=メウの神子、になります。リーフェです。姫神子レイラの双子の姉で。その――よろしくお願いしますっ!」
ちょっと情報量が多かったらしい。
皆、ぴしりと固まって、リーフェの自己紹介を反芻している。
たっぷり考えてから、皆が皆、揃って「ええ~っ!?」と叫んだのだった。
「――ったく。あんときゃ煩かったのなんのって。見つかるかと思ったわ」
「ふふっ」
首都を遠く離れた街を歩きながら、サディルはぼやく。
確かに、あれはとても賑やかな夜だった。
あの日の夜、善は急げとサディルに抱き上げられたまま移動した。
一緒だった彼の臣下たちは皆、サディルの信頼する優秀な戦士らしく、全員が魔法を使えるのだという。
ラ=メウは神子はほとんど存在しないけれど、魔法使いは極端な能力を持つ者がぽつぽつ生まれる土地柄なのだとか。だから皆で風魔法をかけて、なるべく首都から遠くに離れた。
その次の日からは、旅商人に変装しての旅となった。
エンリエ教主国はかなりいろんな人種の入り交じった土地であることを、外を旅してはじめて実感した。だからサディルのような異国人らしい人が歩いていても、違和感はない。
エンリエ教主国に来たのだからついでにと、彼はいろんなものの買い付けをしている。
砂の国ラ=メウではなかなか手に入らない保存食や調味料、衣類、それから装飾品までいろいろ見繕い、手配しているようだった。
サディルの堂々とした出で立ちや振る舞いから、街の商人たちもすっかり彼を大物商人かなにかと勘違いしたらしい。高額な取り引きがどんどん決まっていく。そのやりとりに、リーフェはすっかり圧倒されてしまった。
(盗賊の頭みたいな存在だって聞いていたけど、商業の取り引きも慣れてる。普段から、こうして外国とやりとりしてるのかしら)
驚いたのは、彼の臣下が誰ひとりとしてリーフェのことを疎まなかったことだ。
本当はレイラを求めていたはずだし、なによりも忌神子だ。だから忌避されても仕方がないと思っていたのに、そんな様子はない。
「俺たち、サディル様を信じてるんで。サディル様の宝であるあなたを受け入れない理由なんてないですよ」
そう言ってくれたのは、彼の一番の臣下らしい赤髪のハリドという青年だった。
人なつっこい性格らしく、はじめて出会ったときからなにかと世話を焼いてくれる。ものを知らないリーフェに、見るもの、聞くこと、なにを訊ねても優しく教えてくれる、教師みたいなことをしてくれていた。
あと、旅をする上で予想外だったのは、いまだに追っ手のひとつもないことだろうか。どの街も平和そのもので、首都で誘拐事件があった、という噂も流れてこない。
考えてみれば当然のことなのかもしれない。リーフェは元々いない存在なのだから。
姫神子とうりふたつの娘がいなくなったなど騒ぎ立てれば、教主家が忌子を隠していたというよろしくない事実が広がりかねない。
結果的に、レイラでなくリーフェをさらったことこそが、サディルたちにとって都合のいい方向に動いている。
ただ、ひとつうまくいかないことといえば、サディルに恋愛対象として見てもらえていないことなのだけれど。
(まるで、保護者みたいなのよね)
存外世話焼きなところもあるのだが、完全に子供扱いされている気がする。
彼は魅力的な男性ではあるけれども、リーフェが物語の中で読んだヒーローのような、甘い態度など示してくれない。当たり前だとわかっているけれども、それが正直少し――いや、とても残念だったりもする。逆に気易くもあって、リーフェはすっかり彼のそばに馴染むことができたけれど。
リーフェをさらい、あの塔から連れ出してくれたこの人は、正しく盗賊王だ。そして彼は民のために生きる覚悟がある。
楽しい妄想で誤魔化しながら、ぼんやり生きているリーフェとは大違いの立派な人。尊敬できる相手だからこそ、あまりに苦しかった。
(駄目……っ!)
ちゃんと伝えなければ。リーフェはレイラではないと。
間に合わなくなるその前に――
「お願い、待って!」
「アンタがどんだけ嫌がろうが、俺は――」
焦りと緊張でどうにかなってしまいそうだけれど、リーフェは必死で主張した。
「違う! だから、間違いなの!」
「暴れたところで――」
「わたしは! レイラじゃ! ない!!」
そう伝えた瞬間、彼の動きがピタリと止まった。
「…………は?」
サディルは、リーフェの言葉を理解するのに時間がかかっているようだった。ひとしきりその意味を考え、もう一度呟く。
「……え、いや…………は?」
リーフェは一度深呼吸し、サディルに向きなおる。
「わたしは、姫神子レイラじゃ、ありません」
一度声を出すと、幾分か言葉が出やすくなるらしい。
少し冷静になって、態度を改める。上半身を起こしてから、ゆっくり首を横に振った。
呆けたままのサディルの胸元に手を置き、改めて彼の顔をのぞき込む。すると燃えるような赤い瞳が、不思議そうにリーフェを見つめ返してきた。
「だって。アンタ、どう見ても。姫神子レイラにしか……」
「似ているのは当たり前だと思います。だって、わたしは――」
真実を口にするのは怖い。誰かに自己を紹介したことなど、今まで一度もなかったのだから。
表向きには、リーフェは存在しない人間。それでも話さなければとリーフェは思う。
「レイラの双子の姉。忌むべき片割れですから」
「……双子? 嘘を言って誤魔化そうとしても、そうは――」
「証拠ならあります。――気づいてはいらっしゃらないみたいですけれど」
「え?」
「瞳の色。レイラの瞳の色は有名ですから、ご存じなのでは?」
「だから紫、じゃ――」
サディルは、信じられないと両目を大きく見開いた。
「ねえ、だと……?」
きっと、あの塔に訪れた時間が悪かった。
妹レイラの瞳は、国で唯一の美しい紫であると有名だ。でも、夜の薄暗い時間に、その紫色を正しく認識するのは難しいだろう。
光の当たり具合で瞳の色は見え方が異なる。夜の時間ならばレイラの瞳も、かなり深く暗い色に見えるだろうから。――黒に見えても違和感がないほどに。
「黒い瞳――」
ぐいっと、サディルの親指がリーフェの下瞼を引っ張った。そうして凝視するように瞳をのぞき込み、嘘だろと唸る。
いくらのぞき込んでも、光の当たる角度を変えても、リーフェの瞳は暗い色彩をたたえるだけ。レイラの水晶のような瞳と違い、色の変化は見られない。
「マジで言っているのか」
強引にリーフェを捕らえていた力強い手が、戸惑うように宙をさまよう。
「そう、か。……悪かった。この通りだ」
そして彼は、深々と頭を下げた。
それがリーフェには信じられなかった。だって、リーフェよりもいくつも年上の――いくら盗賊とはいえ王とも呼ばれる人間が、こんな忌子に頭を下げるだなんて。
なんと潔い人なのだろうか。あっさりと自分の非を受け入れ、謝罪してくれるとは。
こんなこと、今までのリーフェの人生ではありえないことだった。
(……素敵な人)
胸の奥で、彼に対する好意が膨らむ。
だからこそ悔しくもあった。もし自分がレイラであったのなら、それだけで彼のものになれていたはずなのに。
どうせリーフェはいらない存在だ。押しつけられても困るような、忌むべき神子でしかないのだから。
「――悪かった。送っていく」
「え?」
「アンタをさらう気なんかなかったんだ。送っていくのが筋ってモンだろう?」
そう言いながら、彼はマントを拾い上げ、くるりと巻き付けた。
「ですが、危険なのでは……?」
「あのなあ。――どう考えても間違えた俺が悪いじゃねえか。責任をとるっつってるんだ」
城はもう騒ぎになっているだろうか。
リーフェは忌子。存在を隠さなければいけないという意味でも、レイラの影という意味でも、エンリエ教主国はリーフェを確保したがるだろう。そんな存在を連れてのこのこ戻るとなると、いくらサディルでも骨が折れるのではないだろうか。
「――って、くれませんか?」
声が震えた。よく聞こえなかったようで、サディルが片眉を上げる。
「だから、あの――」
リーフェのために、危険を冒してまで帰してくれようとする彼のことが気になって仕方ない。
このまま彼に身を委ねて都に帰るのは、気持ちの上では楽なのかもしれない。でも、今を逃せばリーフェは一生、籠の中の鳥だ。
だからリーフェは、なけなしの勇気を絞り出す。
「あのっ! わたしの処女を! もらってはくれませんか!?」
「はあ!?」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。一度伝えると決めたらもう止まらない。
「わたしでは駄目ですか!? わたしでは、砂の国ラ=メウの神子の代わりを果たせませんか!?」
「ちょ、声! 声がでけえ!」
「わた……っ、す、すみませんっ」
こんなに大きな声を出したのは、人生ではじめてだった。
でも、今伝えないと。リーフェはきっと一生後悔する。
ひとりあの塔に戻ったとしても、もう、以前と同じように妄想に耽ることなどできそうもない。
リーフェの心にはサディルの存在が刻まれてしまっている。同じ妄想をしようとしても、思い描くのはきっとサディルの姿だけになるだろう。
そしてなによりも、夢を叶えたいのなら、ここで引いてはいけないことだけは確かだ。
「ちっとは落ち着け、な? なんだってそんな、いきなり」
「確かにわたしは間違えられて。しかも忌神子です。でも、わたしだって! 役に立てると思います!」
「役に立てる?」
「神力、それなりにあります。土地を潤すことだって、得意だと思います。そもそもこの国の大地を癒やしているのは、わたしですし」
「は?」
サディルは口をぽかんと開けて、固まった。
「レイラの代わりなんです、わたし。だからわたしは、あの塔で隠れて大地に祈りを捧げて。――それがレイラが祈った成果だと、世間には知られていて」
サディルが信じられないと目を剥いた。
「嘘だろ?」
「嘘じゃないです。あの塔の最上階。そこに住む神子が祈りを捧げてるのは有名なのですよね?」
「でも実際にいたのは、アンタだった」
「はい。わたしは毎日あそこから祈りを捧げて。でも、それがレイラがやっていることになっていました」
神子の塔。あの塔の最上階から、祈りは大地に広がっていく。
祈りを踊りに込めて。あるいは歌に乗せて。
国民の誰もがその事実を知っている。
実際は、それらの歌も祈りも、すべてリーフェによるものだけれど。
あの塔は神子の塔。確かにレイラも神子としての力は皆無ではないし、あの塔で暮らしている。でも彼女が生活しているのは、地上に出やすい低層階だ。
人々は、あの塔の最上階に住んでいるのがレイラではなく、幽閉されたリーフェであったことを知らないのだ。
「それは、本当なのか」
「っ、はい」
「アンタには、俺の国の大地を潤すだけの力があるっていうのか」
「レイラを連れていくよりは、力になれると思います」
「……っ」
真っ直ぐに彼を見つめると、サディルはくしゃりと眉根を寄せた。
大きな手で額を押さえ、噛みしめるようにして唸り声を上げる。
「ただ、忌子というのは本当なので、それでもよければですが」
「いいに決まっているだろう!」
「っ!?」
がしりと、両肩を掴まれる。
サディルの顔が近づき、真剣な眼差しが真っ直ぐにリーフェを射貫く。
「忌子だなんだの、そんなものは迷信だ! 気にするような臆病者、俺の国にはいない! アンタが来てくれるなら、こんなにも心強いことはない!」
「……信じてくれるんですか?」
リーフェはぽろりと口にする。
彼の言葉が嬉しくて。本当に夢みたいだと思って、確かめたくて。
「あの塔の最上階の住人が、この国を潤しているのは事実だろう?」
「ええ。レイラではありませんけれど」
「それにあの塔の警備の数は確かに異常だった。――それこそ、国にとって最も大切な宝物を護っていると言われても頷けるほどに」
「でも、あなたはひとりでそれを突破できたんですよね?」
「そりゃあそうだろ。俺を誰だと思っているんだ?」
その答えは、簡単に口にできる。
「盗賊王」
「ご名答。――取り消しはナシだからな? 泣いて嫌がっても、俺は絶対アンタを連れていく」
ぎゅっと、胸の前で手を握りしめる。
真っ直ぐサディルを見つめると、彼は自信たっぷりに口の端を上げた。
「アンタは俺の宝だ。わかっているのか? 俺は一度手にした宝は、絶対に手放さないぞ?」
「望むところです」
大きく頷き、リーフェはサディルの胸に飛び込んだ。
彼の胸板は逞しくて、リーフェがしがみついてもビクともしない。リーフェは彼のものになれるのだと、喜びが溢れる。
「そうと決まれば、とっととこの国からずらかるぞ。まあ、心配はしなくていい。すべて手はずは整えている」
「っ、はい」
リーフェはこくこくと頷く。――が、そういえばと、はたと気がついた。
「あの……ひとつお伺いしたいのですが」
「なんだ?」
「処女は奪ってくださらないのですか?」
「ぶふっ!?」
おかしい。なぜ、噴き出すのだろう。
サディルは目を剥いて、リーフェの顔を三度見くらいしている。
「……なぜそうなる?」
「わたしが忌神子だとわかったうえで、わたしを宝にしてくださるって、いま……!」
「宝とは言ったが! アンタは、自分の意志で俺たちについてきてくれるんだろう? 処女を奪う必要なんか、どこにも……!」
「で、でもっ!」
「抱かれなくて済むなら、それに越したことねえだろ!? ――俺が言えることじゃあないが、俺は強引に女を連れ去って犯そうとする頭のイカレた男だぞ!?」
「わたしはむしろ、あなたがいいのですが!」
「はあ!? ――はああああ!?」
サディルの頬が引きつっている。
心底理解できないと言うかのごとく、両目をひん剥いていた。
「あ、あー、あー……」
それから、両腕をがっちり組んで、俯いたり、のけ反ったり、頭をぶんぶん振りながらしばしなにかを考えている。
心底理解できないと言うかのように、うんうん唸りながら考えた結果。
「いや、さすがにないだろう」
はっきりと、この一声である。
リーフェの夢は一瞬のうちに粉々に砕かれ、打ちひしがれるしかなかった。
「いやいや姫さんよ。落ち着け。あのな? アンタ、さらわれたせいで精神が昂ぶってるだけだって。ヤらなくて済んで、互いによかったってことにしとこうや。な?」
「でも」
「別に処女なんざもらわなくても、さっきの約束はたがえない。アンタは俺の宝だ。できるかぎり便宜ははかるし、苦労はさせねえ。――ひとまずそれで手を打っちゃくれないか?」
リーフェは目を伏せた。
もちろん、リーフェだって無理強いするつもりなんかない。
でも勇気を出して言ったのに、受け入れてもらえなかった。落胆する気持ちを抱えつつも、こくりと首を縦に振ることしかできない。
「っし。理解してくれて嬉しい。えーっと……」
ふとなにかに気がついたかのように、彼が漏らす。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかった」
「え?」
「そうだろ? 忌神子ってのも俺の国に来たら違うしな。アンタのこと、なんて呼べばいい?」
「あ…………」
リーフェ。そのたった一言を、すぐには口にできなかった。
存在こそないものとされているけれど、名前くらいは与えられている。
けれどもリーフェは忌子。その名前を呼ぶと不幸になると、世話係にすら思われていたから。だから誰も、彼女の名前を発音することはなかった。
「どうした?」
「……その。わたしの、名前は」
今日一日でたちまち好きになってしまった人を、不幸になどしたくない。だから、名前を教えるべきではないのだろう。
一度くらい誰かに呼んでほしいという気持ちとない交ぜになり、気持ちが萎んでいく。
「呼ぶと、不幸になりますから……」
俯き、ぎゅっと拳を握りしめるリーフェを見て、サディルはくいっと片眉を上げた。
「おいおい、ナメてくれるなよ。俺を誰だと思ってんだ?」
がしがしがしと、先ほどよりもずっと強く頭を撫でられ、リーフェは顔を上げる。
目の前では、サディルがニィと濃い笑みを浮かべている。そして彼は、片方の手を握りしめ、親指を突きたて、とんとんと己の胸を叩いてみせた。
「盗賊王」
「正解。ま、盗賊ってつくのがイマイチかっこつかねえが」
「でしたら、砂の王?」
「気取った言い方だとそうだな。今まで、散々罪を犯してきたんだ。罰が当たるならとっくに当たってる。そんな俺が、今さらアンタの名前を呼んだくらいで不幸になると思うか?」
そうは思えないと、リーフェは素直に首を横に振る。
「だろう? だから、そう怖がるな」
こくりと頷くと、サディルも満足そうに笑う。
「わかりました。――――わたし、リーフェといいます」
「そっか。リーフェ、これからよろしくな」
「はい。っ、――はい」
深く、あったかく響いた彼の声に、もうリーフェの心は限界だった。
だって、全部がはじめてだ。
こうして宮殿の外に出たのもそう。
強く抱きしめられ、頭を撫でられたのもそう。
気易く話しかけてもらえたのも、未来の約束をくれたのも。
リーフェ。この名前を呼んでくれたのも。
「……っ」
ぼろっと、大粒の涙がこぼれ落ち、頬を伝っていく。
一度堰を切ると、もう止めようもない。ぼろぼろととめどなく溢れる涙に、リーフェ自身どうしたらいいのかわからなくなった。
「おい!? ちょ、どうした!?」
「ちがっ、これは……」
どうしようもなかった。目元を擦って止めようとするも、思うようにはいかない。
「違うんです、……わたし……っ」
人前で泣くことすらはじめてで、どうしたらいいのかわからない。うろたえるリーフェを前にして、サディルはガシガシと己の頭を掻いた。
「あ。あー……くっそ、待ってくれ。俺、こういうのは慣れて……ああー、もう!」
かと思うと、突然がばっと抱き寄せられ、目を見開く。
彼の肩口に顔を埋める形になり、その温もりにますます涙が止まらなくなった。
「わかった。泣け泣け。好きなだけ泣いてくれ。アンタのことは俺がちゃんと幸せにするから」
もちろん、「幸せにする」に深い意味は含まれない。それはわかっているけれど、それでも、彼のくれる約束が嬉しくて、胸に深く響く。
「涙、俺の服で拭っとけ。あんまり上等な布じゃねえのは悪いがな」
とんとんと、背中を叩く彼の手が優しい。
冗談交じりの彼の言葉が胸に沁み、ますます涙が止まらなくなる。
本当はすぐに出発したほうがいいのだろう。
けれどもこのとき、彼は本当に、リーフェが落ち着くまでたっぷり泣かせてくれた。
「――泣くと、わりと体力使うだろ?」
そう言いながら、サディルは自分のマントでリーフェの身体を包んで、抱き上げる。
目が痛くなるまでわんわん泣いたせいで、リーフェ自身、ぐったりしてしまっていた。
疲労で涙が出なくなるまで泣いたこともはじめてで、サディルと出会ってからはじめてだらけだ。きっとこれからも、はじめてなことがたくさん増えていくのだろう。
サディルに大切に抱き上げられ、ふたりして二階の寝室を出た。
階段を下りる音が響いたからか、コトが終わったことを、彼の部下たちも悟ったらしい。
一階で談笑していた彼らがぴたっと会話を止め、こちらを振り向く。
皆が皆、なんと声をかけたらいいのかわからない様子で、困ったように苦笑いを浮かべていた。
「あー……えっと。お疲れさまです。って、うっわ!? ちょ、サディル様、なにしてくれちゃってるんですか!?」
一階にたむろしていたのは全部で四人。その中でも、一番年上らしき青年が声をかけてくる。
サディルと同じ褐色の肌に、赤い髪。くりっとしたヘーゼルアイが印象的な、気さくな雰囲気の男性だ。小柄でバンダナを巻いた彼は、リーフェの顔を見るなりギョッとする。
「アナタ鬼畜ですか!? 優しくしてあげてって言ったじゃないですか!?」
泣きすぎてすっかり目が腫れていたせいで、誤解されてしまったようである。
「そうですよ! 一体どんな乱暴をしたら――」
「おい、思い出させてあげるなよ。姫さんが可哀相すぎるだろっ」
「っ、そ、そうだな。せめて俺たちは、優しく――」
「――だよ……が怖がらせた分、俺たちは――……」
大騒ぎだった彼らも、なぜか唐突に小声になっていく。部屋の片隅に集まって、ひそひそとなにかの作戦会議を始める始末。
「おい、テメエら」
と、そこでサディルがつっこんだ。
「言っておくが、ヤってねえからな!」
「えっ」
全員がぴたっと一瞬固まってから、また小声でなにかの会議が始まった。
「……なんだよその反応は」
「や、だって。ヤる気満々だって言ってたじゃないですか。さらいに行く前は」
「コイツの前で、俺がサルみたいな言い方するなよ」
「違うんですか?」
「違うわ!! 国のためだろ!?」
どうやらサディルの部下たちは、彼に遠慮がないらしい。やいのやいのとからかってくる部下に、サディルのほうがたじたじになっている。
それがおかしくて、リーフェはくすくすと声に出して笑った。
「姫さんが、笑った……?」
「えっ、あ、ごめんなさいっ」
せっかく楽しそうに会話をしていたのに、止めてしまって申し訳ない。わたわたしながら両手を振ってみると、なんだか皆がぽかんとした目でこちらを見てきた。
「か、かわいい」
「サディル様、本当にその子とヤってないんですか? 逆に、正気?」
「テメエら、俺にヤらせたいのか、優しくさせたいのかどっちなんだ……」
はああと大きなため息をつきながら、サディルは皆の前に歩いていく。
「まあいい。今ははやくこの町を出るぞ。――コイツにゃ国まで同行してもらう約束だ。俺たちの宝だ。丁重に扱えよ」
「アナタが一番、優しくしてやってくださいよ」
「わかってるよ。――ほら、リーフェ。自己紹介」
あえてリーフェと呼ばれたことで、再び皆きょとんとする。
一斉に注目を浴び、緊張で背筋が伸びた。黙ったままではいけないと、リーフェは頭を下げる。
「忌神子の、リーフェです」
「忌神子じゃなくてラ=メウの神子な」
「ラ=メウの神子、になります。リーフェです。姫神子レイラの双子の姉で。その――よろしくお願いしますっ!」
ちょっと情報量が多かったらしい。
皆、ぴしりと固まって、リーフェの自己紹介を反芻している。
たっぷり考えてから、皆が皆、揃って「ええ~っ!?」と叫んだのだった。
「――ったく。あんときゃ煩かったのなんのって。見つかるかと思ったわ」
「ふふっ」
首都を遠く離れた街を歩きながら、サディルはぼやく。
確かに、あれはとても賑やかな夜だった。
あの日の夜、善は急げとサディルに抱き上げられたまま移動した。
一緒だった彼の臣下たちは皆、サディルの信頼する優秀な戦士らしく、全員が魔法を使えるのだという。
ラ=メウは神子はほとんど存在しないけれど、魔法使いは極端な能力を持つ者がぽつぽつ生まれる土地柄なのだとか。だから皆で風魔法をかけて、なるべく首都から遠くに離れた。
その次の日からは、旅商人に変装しての旅となった。
エンリエ教主国はかなりいろんな人種の入り交じった土地であることを、外を旅してはじめて実感した。だからサディルのような異国人らしい人が歩いていても、違和感はない。
エンリエ教主国に来たのだからついでにと、彼はいろんなものの買い付けをしている。
砂の国ラ=メウではなかなか手に入らない保存食や調味料、衣類、それから装飾品までいろいろ見繕い、手配しているようだった。
サディルの堂々とした出で立ちや振る舞いから、街の商人たちもすっかり彼を大物商人かなにかと勘違いしたらしい。高額な取り引きがどんどん決まっていく。そのやりとりに、リーフェはすっかり圧倒されてしまった。
(盗賊の頭みたいな存在だって聞いていたけど、商業の取り引きも慣れてる。普段から、こうして外国とやりとりしてるのかしら)
驚いたのは、彼の臣下が誰ひとりとしてリーフェのことを疎まなかったことだ。
本当はレイラを求めていたはずだし、なによりも忌神子だ。だから忌避されても仕方がないと思っていたのに、そんな様子はない。
「俺たち、サディル様を信じてるんで。サディル様の宝であるあなたを受け入れない理由なんてないですよ」
そう言ってくれたのは、彼の一番の臣下らしい赤髪のハリドという青年だった。
人なつっこい性格らしく、はじめて出会ったときからなにかと世話を焼いてくれる。ものを知らないリーフェに、見るもの、聞くこと、なにを訊ねても優しく教えてくれる、教師みたいなことをしてくれていた。
あと、旅をする上で予想外だったのは、いまだに追っ手のひとつもないことだろうか。どの街も平和そのもので、首都で誘拐事件があった、という噂も流れてこない。
考えてみれば当然のことなのかもしれない。リーフェは元々いない存在なのだから。
姫神子とうりふたつの娘がいなくなったなど騒ぎ立てれば、教主家が忌子を隠していたというよろしくない事実が広がりかねない。
結果的に、レイラでなくリーフェをさらったことこそが、サディルたちにとって都合のいい方向に動いている。
ただ、ひとつうまくいかないことといえば、サディルに恋愛対象として見てもらえていないことなのだけれど。
(まるで、保護者みたいなのよね)
存外世話焼きなところもあるのだが、完全に子供扱いされている気がする。
彼は魅力的な男性ではあるけれども、リーフェが物語の中で読んだヒーローのような、甘い態度など示してくれない。当たり前だとわかっているけれども、それが正直少し――いや、とても残念だったりもする。逆に気易くもあって、リーフェはすっかり彼のそばに馴染むことができたけれど。
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