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手放したものと救ったもの(1)
しおりを挟む「……なんだか、嵐みたいだったわね」
圧倒されてしまって、何もできなかった。
でもきっと、悪いようにはならない気がする。私自身、セイラン兄様の顔を見てホッとしたのもあると思うんだけど。
「ありがとね、アーシュ」
「ん」
ふたりきりになって気が緩んだのか、アーシュの表情も柔らかい。
「兄様のこともそうだし、私たちのこれからのことも。――アーシュはすごいね」
私ひとりで、この国の〈火脈〉をなんとかしなくちゃって思ってた。正体を隠した上で、こそこそ動き回ることにも抵抗がなかったから、当たり前のように受け入れていた。
でもアーシュは、私が勝手に背負い込んでいた未来から、私を解放してくれようとしていたのだ。
「君がいてくれるから、俺も、矢面に立とうと思える」
「ふふ」
本当にすごい。
なんか胸がじわっと温かくなって、アーシュの胸元に顔を埋める。
「君のおかげで、俺は変われたんだ」
「ん」
顔を上げると唇が振ってくる。
このキスを素直に受け取れる日が来るとは思わなかった。
くすぐったくて、はにかむように微笑むと、アーシュが目を丸くする。それからするりと手を滑らせていくも、彼は思い直したように手を止めた。
「駄目だな。このまま君が欲しくなってしまう」
「まだ陛下がいらっしゃるわ。兄様も、エリンシアだって」
「…………」
眉間にギュッと皺が寄っている。
彼のことだ、皆が早く帰ればいいのに、なんて不遜なことすら考えていそうだ。
アーシュってば本当に表情豊かになったと言うか、私がわかるようになったと言うか。
「まだまだかかりそうだし、ちょっと庭を歩かない? 私ね、行きたい場所があるの」
外に出ると、ツン、と刺さるような冷気を感じた。
この街は外壁をくるりと、魔晶石の結界で囲まれているけれど、その結界で抑えられる冷気にも限度がある。
さらにもう一重、王城の周囲に強い結界がある。その恩恵で、王城内はかなり穏やかな気候を保てているのではないだろうか。
どうして陛下との面会が王城ではなく、この離宮になったのか余計に不思議だ。あちらの方が警備も厳重だから、私たちを呼び立ててしまった方がいいと思うのだけれども。
――と、考えるうちに、目的の場所へと着いた。
以前は、優しい緑に囲まれた穏やかな中庭だった。
以前はこの中庭から離宮に目を向けると、ノルヴェン特有の白色煉瓦で覆われた建物が緑に映えてとても優しく、美しく見えた。今は寒寒すぎるくらいの光景だけど、この庭を散歩するのが私は好きだった。
(そういえば、アーシュと初めてまともに会話したのもここだっけ)
なぜかアーシュが訓練中の兵士みたいな服装を着て、汗をかいてそこで休んでいたのだった。
どうしてそんな格好の王族が、私が滞在する離宮にたむろしてるの?って不思議な気持ちになったけど、当たり前だ。彼もここに暮らしていたのだから。
「今考えると、あのときから一緒に暮らしてたようなものだったのよね」
離宮といってもかなり広い。部屋も離れていただろうし、私は全然気づいてなかった。
というより、アーシュに生活している雰囲気がなかったのだ。当時の彼は、すぐに消えてしまいそうと言うか、どこかに行ってしまいそうな儚さがあった。
「そうだな。最初こそ君に関わらないようにしていたが、そのうち、家族が増えたみたいで嬉しかった」
「家族」
確か、最初に芽生えたのは親愛の情だったって言っていた。
当時は私もまだ少女だったし、当たり前といえば当たり前なんだけど。
「でも、アーシュは家族に愛されてる。そう思うわ」
今日話してても、疑いようもないほどの愛を感じた。アーシュだって理解しているはずだ。
「わかっている。だが、俺はそれを受け取る資格はないと思っていた」
「え?」
ふと。
アーシュの瞳が遠くの空を見る。
この離宮からでもはっきり見える、白い空に溶け込むような尖塔。
あれは、王都の中心にある王城だ。
背の高い建物だから、王都のどこにいてもよく見える。
そこでようやく、私は、陛下の言葉を思い出した。
「――――アーシュが、家を失ったって」
そうだ。陛下が言ってた。『母も家も失ってきた』って――。
王妃陛下がお亡くなりになっていることは知っているけれど、家。
しかもアーシュを愛しているはずの陛下の発言だから、妙に引っかかったのだ。
「ここに住んでいたことと関係する……?」
王都にやってきた時もそうだ。
アーシュはどこか寂しそうな目で王城を見ていた。
かつての記憶が蘇る。
この国で最も太い〈命脈〉は王城の地下にある。調整のため、私も何度も王城へ向かった。
そのとき、アーシュは同行しなかった。
いつだって私の護衛として張り付いてくれていたのに、王城に向かう時だけはいつも。
「俺が、母上と、家族を殺したから」
「……!」
私は目を見開いた。
聞いたことはある。確か、当時王妃でいらっしゃったアーシュのお母さまは暗殺されたはず。犯人はわかっておらず、イッジレリアの者である可能性も囁かれていた。
そんな経緯があったからこそ、私が人質としてこちらに来たとき、かなり厳しい目が向けられることとなったのだけれども。
(でも、家族?)
亡くなったのは当時の王妃陛下だけだと認識している。
でも、そんなの違う。アーシュが人殺しなんて、そもそもありえない。
アーシュの情の深さは知っている。私だけじゃなくて、領民皆にも優しいアーシュが家族を大切にしないはずがない。
それに、彼のご家族だって、そんなそぶりは一切見せていなかった。
アーシュが真っ白な中庭に足跡を残していく。
私から離れていってしまうその背中が寂しく感じて、私もあとを追うように近づき、手を伸ばす。
「俺は、なんの才能も持たない子供だと言われていた」
ただ、今は来ないでと言われた気がしたから。
私は彼に触れる前に足を止める。
「魔力はなく、身体のどこにも青の色彩を持たない。それどころか、深淵の黒を纏った奇妙な存在」
ああ、と思う。
ノルヴェンの人は、淡い色彩を発現しやすい。実際、銀髪に近い髪色の人間は多く、それにほんのりと青を纏っている。
そんな中で、髪も瞳も深淵な彼は異色だったろう。
「俺が周囲の貴族たちに遠巻きにされてきたことは言ったな? 王位継承権もなく、できそこないの王子だった」
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